両班(ヤンバン) の話-尹学準の本

先日、中公新書の「両班(ヤンバン) – 李朝社会の特権階層」という本を読んだ話を書きました。

その本を読みながら何となくその昔中公新書で別の両班の本を読んだような気がしていて、図書館でみつけて借りてきました。それが尹学準著「オンドル夜話-現代両班考」という本です。多分昔読んだのは確かだと思いながらほとんど全く覚えてなくて、新しい本を読むように楽しめました。多分以前読んだときは機が熟していなかったということでしょうね。

で、この本があまりに面白かったので、ついでに同じ著者の本をさらに3冊借りて読みました。(ちなみにこの著者の尹学準さん、日本語の音読みではインガクジュン、韓国語のカタカナ表記ではユンハクジュンとなるようです。)

この人は今の韓国のいなか(だけど周り中に両班がいくらでもいる地域)で生まれ育った人で、太平洋戦争の時韓国で国民学校に通い(その当時、韓国は日本ですから日本と同じく国民学校です)、終戦の翌年に中学に進学し、大学に入学した年に朝鮮戦争が始まり、南北両軍にはさまれて右往左往して何度も殺されそうになり、朝鮮戦争が終わるころ徴兵令状が来たのを無視して韓国を密出国し日本に密入国。別の名前の外国人登録証を手に入れて日本で暮らし、法政大学を卒業し、共産主義革命を夢見て朝鮮総連系の組織で働いたけれど北朝鮮の言いなりにならないで勝手なことを言っていたので総連から追い出され、いろんな仕事を転々とし、いろんな大学で語学の教師などしながらいろいろな書き物をしていた人です。

その人が韓国の両班の現実の姿について、自分の幼児からの実体験をベースに語っているのがこの「オンドル夜話-現代両班考」という本です。

彼は一級の両班の家系の宗孫に生まれ、子供の頃から両班とはどのようなものか、どのような生活をするか、身をもって経験しています。にもかかわらず、厳密に言えば自分は両班とは言えない、なんてことを平気で言ってしまう人です。

宗孫というのは何代か前の祖先から長男の長男の長男の・・・という形の子孫のことを言い、一族を率いてその祖先の祭祀をする立場にあるので、両班の中でも特別な存在です。で、その宗孫として子供の頃からある意味特別扱いで育ってきた人で、子供の頃から漢文を読まされて、日本の素読とはちょっと違うやり方を説明してくれたり、両班が大騒ぎする風水の話とか、両班同士の格の上下を巡る壮烈な争いの話とか、韓国のお墓は土葬で一人一基だから山の上はお墓だらけになる話とか、とにかく面白い話満載です。

この人は日本に密入国してから日本で結婚し子供もできて、この本を書くまで30年も日本で生活していますから、韓国の話、両班の話をするにも日本人がわかりやすいように書いてくれます。国民学校で勉強しているので、日本語も子供の頃からしゃべれたようです。

読んだ本は

オンドル夜話 現代両班考 中公新書 尹 学準/著 中央公論社
歴史まみれの韓国 現代両班紀行 尹 学準/著 亜紀書房
タヒャンサリの歌 わたしの中の日韓歳時記 丸善ライブラリー 尹 学準/著 丸善
韓国両班騒動記 ”血統主義”が巻き起こす悲喜劇 尹 学準/著 亜紀書房

の4冊です。
そのうち「オンドル夜話-現代両班考」と「歴史まみれの韓国 現代両班紀行」が韓国でも話題になり、日本語の読める人はコピーを回し読みしているけれど日本語を読めない若い人から頼まれてそれを韓国語に直して出版しようとした所大騒ぎになり、出版を差し止めるため両班の大物がやってきたり親友から絶縁状が送られてきたりという顛末を第1章に書いて、第2章以降に「オンドル夜話-現代両班考」を手直しして含めているのが「韓国両班騒動記 ”血統主義”が巻き起こす悲喜劇」です。
「タヒャンサリの歌 わたしの中の日韓歳時記」は、歳時記ということで前半はそれこそ春や秋の様々な話題について書きながら(歳時記という以上四季折々をバランスよく書く必要があるんでしょうが、この人はバランスよく書くことができないようで春の話題ばかり続いて、気を取り直していきなり秋の話題に飛んだかと思うといつの間にかまた春の話題になってしまう、という具合です)、最後の方はいつのまにか太平洋戦争が終わって(日本では終戦ですが、韓国では開放というようです)国民が左翼と右翼に分かれて血みどろで争う時代が始まり、それが終わってちょっと落着いたと思ったら朝鮮戦争が始まり、北の勢力と南の勢力の間で振り回されながらこの人もムチャクチャをやり、最後は日本に逃げるため命がけで釜山の近くの港まで行くまでの波乱万丈の顛末が書いてあります。

太平洋戦争が終わった時、両班の村は左翼側につき常民の村は反共の右翼になったとか、その前、戦時中に日帝を倒して独立し、韓国を立て直すには共産主義革命をして一気に先進国にキャッチアップするしかない、と両班の若者が革命運動に夢中になったとか、そのような歴史は北朝鮮によって全く抹殺され、反日独立運動、革命運動は全て金日成の祖先がリードしたなどと歴史が書き変えられたとかの話もありました。

これらの本を読んでようやくわかってきたのは、歴史的事実の書き換え、というのは韓国の両班の文化のようなものだということと、家(一族)の格を上げるため(相手の家系より自分の方が格が上だとするため)には、一銭にもならないことで本気になって命がけで争う、そのためには歴史的事実の書き換えも辞さない、ということです。

そういう観点から、最近の歴史的認識の議論を振り返ってみると、新しい発見がありました(とはいえ私が「そうだったのか!」と思った、というだけのことで確認したわけではないのですが)。すなわち従軍慰安婦の問題や日韓併合の話などで韓国は日本に対して常にギクシャクした関係にあるのですが、本当はそれとは違う所に問題があるのではないか。韓国人にとって日本人は未開の野蛮人だったのを、千年二千年にわたって継続的に進歩した中国の文明・韓国の文明を供給し続けてあげた相手で、そのお陰で日本はようやく文明国になることができたにも拘わらず、それに対して一言の感謝の挨拶もなく、自分で勝手に文明国になったような顔をして、日本は明治維新で西洋化にもちょっと早くスタートしただけなのに、スタートに遅れた韓国を併合したりして、それは日本の敗戦で終わったけれど、日本人はアメリカに負けたのは認めたけれど韓国の反日独立運動に負けたなんて考えてもいない、その後の朝鮮戦争では韓国は戦争で全国土が破壊されたのに、日本は朝鮮特需で大儲けしてその後の経済の高度成長の足がかりとしたりして、韓国の犠牲の上に経済発展を享受しており、とにかく日本は韓国よりはるかに格下の国であるにも拘わらずそのことに気付こうともしないでエバリくさっている・・・というような話ではないでしょうか。

とはいえ、千年二千年昔の話を持ち出してみてもヨーロッパやアメリカの人には理解してもらえそうもないので最近の具体的な従軍慰安婦の問題を持ち出している、ということではないでしょうか。

日本が韓国の千年二千年にわたる文明の指導役としての役割に感謝し、日本が韓国よりはるかに格下であることを素直に認めれば、韓国人の気持も少しは柔らぐんでしょうが、日本人というのは忘れっぽい人種ですから、『今更千年二千年前の話をされてもなぁ』てなもんで、韓国の期待するような反応は期待できそうもありません。韓国とくらべて格が上だの下だの、という意識もあまりなさそうです。

従軍慰安婦のことだったら、たかだか70年位前の話ですからもう100年もすれば解決は可能かと思っていたのですが、これが千年二千年の恨み、ということになると、解決にもう少し時間がかかるかも知れませんね。

2 Responses to “両班(ヤンバン) の話-尹学準の本”

  1. 匿名希望 より:

    私も、最近の二国間関係がどうしてここまでのものになるんだろうと疑問に思っており、最近起こった「呉善花」さんが韓国入国を拒否されたということをきっかけに、彼女の著作を古いものと新しいものと4~5冊乱読してみました。その結果、新たに得るものが多くあったと思います。また、坂本さんのこの書き込みにも通じるものがあります。私も尹学準の本を読んでみたいと思いました。ただ、このような(日本人が特に得意とする)価値基準相対化アプローチでは、決してこの問題を解決できないというのもまた、この韓国を知る筆者のメッセージであるところが、日本人としてはアンビバレントなところです。

  2. 坂本嘉輝 より:

    匿名希望 様、

    コメントありがとうございます。

    呉善花さんの場合はもう少し複雑ですよね。

    出身の済州島というところが、その昔は流刑地だった、とか、第二次大戦後に多くの島民が韓国政府に殺された、という歴史があったり、ある意味で特殊な土地ですから、ただでさえ韓国本土の人たちとは反目の関係があるようですし、そのせいか日本にいる韓国人はその島の出身者が圧倒的に多かったり、さらにまだ男尊女卑の残る韓国で、その島出身の女性が日本で大活躍して堂々と韓国の悪口を言う、というんですから、韓国の本土の男性としては面白くないかもしれませんね。

    いずれにしても理屈で解決できる問題じゃなく、気持ちの問題ですから時間をかけるしかないんでしょうね。

    尹学準さんの本を読んだらまた感想をお聞かせください。

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