原発事故による放射線汚染が問題になっている。被曝量が20ミリシーベルトまでなら安全だとか、100ミリシーベルトまでなら許容範囲だとか、さまざまな数値が飛び交っているが、そんなニューを読む度に、私の中では混乱が深まる一方だった。
●なぜ私は、わずか81ミリシーベルトで急性放射線障害を発症したのか
私は広島の被爆者。6歳2ヶ月のときに被爆したが、被爆の一週間後に急性放射線障害を発症し、脱毛、出血、嘔吐、下痢、高熱などに苦しんだ。ところが、ウィキペディアなどのデータによると、私が被爆した爆心地から2km地点の放射線被曝量は81ミリシーベルトとなっており、吐き気・嘔吐などの急性放射線障害を発症するのは1000ミリシーベルト、出血・脱毛までに至るのは2000ミリシーベルトとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E6%9B%9D
この差はなんなの? なぜ81ミリシーベルトしか被曝していない私が急性放射線障害を発症したの? たしかに避難する途中で黒い雨を浴びたし、川を渡るときに水を飲んだかもしれないし、空中に漂っていた放射性物質も吸い込んだだろうが、それらを合計してもせいぜい数百ミリシーベルトだろう。2000ミリシーベルトに達するとはどうしても思えない。なぜなら、私は2km地点から郊外に向かって避難したのであって、高濃度の放射線に汚染された爆心地に向かったのではないからだ。
もうひとつの疑問は、65歳になって発病したバセドウ病である。バセドウ病は女性に多い病気で、とくに珍しい病気ではないが、高齢になってからの発病はそれほど多くない。私が受診している甲状腺疾患専門病院「伊藤病院」のホームページには「バセドウ病は、甲状腺ホルモンが過剰に作られる病気、すなわち甲状腺機能亢進症を起こす代表的な病気です。(中略) 発病年齢は、20歳代、30歳代が全体の過半数を占め、次いで40歳代、50歳代となっており、青年から壮年に多い病気といえるでしょう」とある。
また、バセドウ病の発病とほぼ同時にバセドウ眼症(バセドウ眼疾ともいう)を発病。眼球が異常に飛び出していき、視力も急激に悪化した。その悪化速度の速さと激しさは医師も首をかしげるほどで、発病から半年もたたないうちに視神経症による失明の危機に見舞われた。
視神経症だけではない。角膜や結膜の傷(ひどい痛みを伴う)、複視(ものが2つに見える)など、バセドウ眼症のありとあらゆる症状が出た(伊藤病院のホームページによると、複視は「悪性眼球突出の症状だが、ごくまれなことです」とある)。
バセドウ眼症を治療する病院は、現在、日本には一ヶ所しかない。原宿のオリンピア眼科である。ここには全国各地の甲状腺疾患専門病院から重症患者が送られてきているが、その中でも私の症状はことにひどいほうだった。
ステロイドの大量投与、眼の周囲の骨を削り、眼窩後壁(がんかこうへき)という眼球の後ろにある骨を除去する手術、放射線の照射など、およそありとあらゆる治療を受け、なんとか失明を避けることが出来たが、MRI検査の結果をみれば、私の眼球の奥には依然として病巣がひそんでおり、いつ再発してもおかしくない状況にある。医師からは「再発したら、もう手術は出来ません」と宣言されている。
甲状腺機能障害は、がんや白血病と並んで被爆者に多い病気だが、被爆から60年近くもたっての発病に原爆は関係あるのか?
短期間にここまで急激に病状が悪化したのは、もしかしたら原爆が影響しているのではないか?
今回の原発事故による放射線によって、数年、数十年後に発病する可能性はあるのか?
何ミリシーベルトなら安全だとか、何ミリシーベルト以上は危険だとか言われるが、ほんとうにその数値は信頼できるのか?
私には理解も納得もできないことばかりだった。
そんな疑問を抱えたまま、ここ数日、原発や放射線障害に関する本を読んだり、関連記事をネット検索して読んだりした。そうして行き着いたのが「外部被曝」と「内部被曝」の問題である。
●外部被曝と内部被曝
ここまでの文章で、すでに気づかれた方もあるかと思うが、私は「被爆」と「被曝」という文字を分けて使っている。どちらも音読みすれば「ひばく」だが、意味は異なる。被爆は文字どおり爆弾、つまり原子爆弾などの被害を受けることで、被曝は放射線にさらされることを言う。つまり私は、広島で被爆し、原子爆弾による放射線に被曝したわけである。
また、被曝には2種類あり、ひとつは「外部被曝(体外被曝ともいう)」、もうひとつは「内部被曝」である。
外部被曝とは、放射線を発する源(放射線源、放射性物質)が身体の外にあり、外部から放射線を受けること。代表的なのは、医学診断のときのレントゲン検査である。
内部被曝とは、放射線源が体内に取り込まれたときに起こるもの。体内への取り込みは、食べ物や水と一緒に口から入る、口・鼻から吸い込む、皮膚から入るの3つに分類できる。体内に取り込まれた放射線源は、体内のどこかの組織に沈着し(代表的なのは、放射性のヨウ素131が甲状腺に沈着すること)、長時間にわたって周囲の細胞に放射線を放射する。つまり、身体の内部から被曝し続けるのだ。
ここまで理解できた段階で悟ったのは、私は被爆時に外部被曝によって一度に81ミリシーベルトの放射線を浴びたこと、避難中に黒い雨や空気中から放射線源を体内に取り込み、その放射線源から内部被曝を受けたこと、の2点である。
では、内部被爆にはどんな脅威があるのだろうか? 急性放射線障害は2000ミリシーベルト以上で発症するというが、私はそれほど多くの放射線は浴びていないし、取り込んでもいない。もしかしたら、内部被曝は外部被曝以上に、人体に大きな影響を与えるのかもしれない。離れた距離から一時的に受ける外部被曝に対して、内部被曝は至近距離からの長期間にわたる被曝だから、外部被曝より少ない量でも影響は大きいのかもしれない。
●アメリカは当初から内部被曝の事実を知っていた?
そんな疑問を感じていたときに出会ったのが、『内部被曝の脅威 ~原爆から劣化ウラン弾まで』(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著 ちくま新書)だった。そこには、まさに衝撃的な事実が書かれてあった。さらに著者のひとりである鎌仲ひとみ監督の映画『HIBAKUSHA ビバクシャ』をDVDで観て、私の衝撃はより深まった。
広島・長崎の被爆者は、世界最初の放射線被曝者であると言われているが、内部被曝に関していえばアメリカのほうが先だったのだ。第二次世界大戦中、アメリカはドイツとの核兵器開発競争のために、ワシントン州シアトルの東方350kmの砂漠に、プルトニウム抽出の原子炉を建設したが(このプルトニウムが長崎に投下された原子爆弾に使われた)、原子炉の建設に関わった科学者や労働者の多くが、のちにガンなどで死亡している。また、原子炉の風下にある農業地帯では、土地や空気の放射線汚染によって多くの奇形児が生まれ、流産、ガン、甲状腺障害などが多発し、現在でもそれが続いている。
さらに、プルトニウム抽出で生成される劣化ウランは、本来は原子力廃棄物であるが、これが兵器に再使用されたのが湾岸戦争などで使われた劣化ウラン弾であり、劣化ウラン弾の放射線を被曝したイラクの人々、ことに子どもたちに白血病やガンなどが多発しているという。
これはまさに内部被曝ではないか。アメリカ政府は当初から内部被曝の事実を知っていたのだ。その大量人体実験が広島・長崎だったのではないか。終戦後、広島にABCC(Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会)がアメリカ政府によって設立され、多くの被爆者がそこで半強制的に検査を受けさせられた(治療はいっさい行われなかった)。1975年、日米共同出資の放射線影響研究所に改組されたが、それまでに収集した資料の多くは日本には渡されず、アメリカ本国に持ち帰られ、闇の中に閉じ込められた。
自分の急性放射線障害の謎を追っていくうちに、私は飛んでもない事実に行き当たってしまったようだ。
しかし、これだけの探求で結論を出すのは早すぎる。内部被曝には疫学的な実証がないとして、肥田氏や鎌仲氏に反論する学者も多い。それらの書籍も読みながら、もう少し勉強したいと思っている。この続きはまたの機会に・・・