ケインズ・・・16回目

さてケインズは「一般理論」のまとめを書いた後、まずは再び古典派の議論をやっつけに行きます。

「一般理論」の頭の所で古典派をやっつけた時はたいした武器も持っていなかったので、賃金と雇用の関係についてだけ議論し、賃金を下げれば雇用は(失業がなくなるまで)いくらでも増やせるというのはおかしいじゃないか、と言っていたのですが、今度はもう「一般理論」の議論の枠組みがあります。

賃金が下がれば消費が下がり、所得も下がって雇用も減ってしまうじゃないかという議論で、改めて古典派の議論をコテンパンにしています。19章の付論の『ピグー教授の「失業の理論」』というところで、
【これまで長々とピグー教授の失業理論を批判してきたが、それは何も彼が他の古典派経済学者以上に批判を受けてしるべきだからではなく、彼の試みが、私の知る限り、古典派の失業理論を正確に記述しようとした唯一の例だと思われるからである。】
と書いてあります。こんなのを読むと、他の古典派の先生方は何をしていたんだろうと思ってしまいます。

そしてケインズは
【要するに古典派理論がその最も強靭な表現を見たこの理論に対して反論を提出しておくことは、私に課せられた責務であったのだ。】
と締めくくっています。

これで終わってしまっては古典派に文句をつけただけになってしまいますので、次の20章「雇用関数」という所で、ケインズはケインズ流の「雇用はどのように決まるか」という理論を展開します。ここはかなり数式(それも差分の式だったり微分の式だったりします)が多いので、面倒くさいかも知れません。

でもいかにもケインズらしく、何らかの原因で需要が増えた時、まずは在庫品がはけ、次に生産設備に余裕がある所で雇用が増え、次に新規の設備投資のために雇用が増え、新しい設備を動かすのに雇用が増えるというダイナミックなプロセスを見ながら、企業や労働者が時に思い違いをしたり、過度な期待をしたり失望したりしながら変化していく様をしっかり捉えています。

最後にインフレとデフレについて、これは単なる逆向きの現象ではなく非対称であることについて
【完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は、物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は、物価に影響を及ぼすだけだ。】
とか、
【労働者は賃金が低すぎるときは働くことを拒否することができるが、賃金が高いときに雇用を(企業に)強制することはできない。】
とか、面白いことを言っています。

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