Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『英語ヒエラルキー』―佐々木テレサ 福島青史

火曜日, 7月 9th, 2024

この本はEMI学部(英語で授業をし留学し英語のコミュニケーションで多文化共生を実現するグローバル人材を作る学部)に入った筆者が、大学で劣等感にさいなまれ、コロナもあって就活もうまく行かず、大学院に進んで日本語科で自分と同じようにEMIに進学した学生たちをインタビューして、彼らが何を考えてEMI学部に入ったのか、学部でどのように考えどのようにしたか、卒業してから何をしているのかどう考えているかをまとめ、修士論文にしたものを新書として出版した、というものです。

高校時代周囲と比べて断トツに英語ができて、その優越感から自分はグローバル人材になるのにふさわしいと思ってEMI学部に入学したら、周りにはハーフやら帰国子女やらの英語ペラペラばかり揃っていて、英語だけの授業に付いていくこともできず、陽キャ(明るくて陽気な性格)のパリピ(Party People皆で集まってパーティーのようにわいわい騒ぐのが大好きな人達)の中で劣等感にさいなまれ、その中で留学先を決めなければならなく、イギリスやアメリカに行く自信がなく、英語は通じるけれど英語圏ではないフィンランドとかを留学先に選び、あるいはオーストラリアを留学先に選び、最初の語学学校で英語以外禁止のはずが大勢の中国人留学生たちは好き勝手に中国語で盛り上がっていて疎外感にさいなまれ、1年位暮らしてどこまで英語がスキルアップしたのか分からないまま帰国し、また残りの期間を日本にいながら英語漬けで勉強し、就活では劣等感から得意なはずの英語をアピールすることができず、うまく就職したら今度は周囲から日本語がおかしいと言われ、どこがおかしいのか聞いてもちゃんと答えて貰えず、書いた文章は勝手に直され、会社の中で何をしたら良いかも分からず、多文化共生どころか自分が生まれ育った日本文化の中にも入れない、という生徒達のナマの姿を書いています。

筆者自身自分の日本語に自信が持てず、こんな状態で本など書いて良いのだろうかと思いながら書いているためか、インタビューはもろ文字起こしのような形で

『何か私すごい、中高まではすごい、もうとんでもなくレベチ(レベル違いの人)で、英語ができる人だったんだよね、学校の中では無敵だった、英語に関しては』

という生徒が、大学に入ってみると

『まず授業、何言っているか全然分からないし、テストの点とかで(友達の)韓国や他の国の子がもうほぼ英語ネイティブで、テストの点とかでもマウント取ってきてめっちゃ嫌だった』

『エッセイ2回も出したんだけど、1回目のエッセイで私『ちゃんと書いて下さい』みたいなコメント付けられて、『Your essay is annoying』みたいな事書かれて、『ちゃんと調べてから来てください』ってこともめっちゃ書かれて心すごい折れて』

『様々なコンプレックスが生み出され、それが解消されないまま今に至っています。コンプレックスが開発された場所、大学です。』

そして、苦労して会社に入ると今度は日本語がきちんと使えなくて苦労します。

何か言おうとして日本語が出てこない、とか、敬語の使い方が不安だ、とか、他人から『何を言おうとしているのか分からない』と言われたり、また他人の書いたものについて『書いてあることが何を言おうとしているのか分からない』という事がおきます。

即ち普通の日本人として高校卒業後日本の大学に行ったり社会に出たりすればごく自然に身に付くと思われる日本語によるコミュニケーション能力が身に付いていないという現実に直面します。大学に進学しアルバイトと遊びと就活しかしないで4年を過ごした者が、知らず知らずのうちに身に付ける知識・能力が、大学でEMI学部に入り英語漬けの日々にドップリ浸かり、劣等感にさいなまれて4年間を過ごすうちに全く身に付いていないということのようです。

高校まで学んだ基礎知識をもとに大学生あるいは社会人としてようやく総合的な理解力・判断力を身につけるはずの4年間を、英語に溺れアップアップしているうちに何も身につけずに過ごしてしまうということでしょうか。そう考えると何も学ばずに遊ぶために大学に通っているようにしか見えない4年間というのもそれなりに重要な学習をしている、ということなのかも知れません。

いずれにしてもEMIのグローバル人材というのが、英語により日本人以外の人とのコミュニケーションをはかるという意味だということ、そのグローバル人材になるために英語について自信満々だった学生を劣等感のかたまりにしてしまい、母語である日本語による日本人とのコミュニケーションも阻害してしまうというのは面白いことです。

とはいえ高校で断トツに英語ができて早稲田のEMI学部に入った、という事ですから、1~2年日本の会社で暮らせば日本語のコミュニケーションも十分できるようになるんだろうと思います。

自信たっぷりだった若者が一気に劣等感のかたまりになり悩むというのは、私のような年寄りにとっては、ほほえましい見物で『ガンバレー』と言いたい気分です。

筆者も筆者がインタビューする学生たちも『多様な文化を受け入れるグローバル人材』というものを、『日本人以外の人と英語でコミュニケーションできる人』というように捉えているのはチョットどうかなと思いますが、そのうちホントに日本で英語圏でもない人々とコミュニケートする機会があれば、本当のグローバル人材になってくれるのかも知れません。

パリピとかレベチとか陽キャ、陰キャ、純ジャパなど、新しい言葉に出会えるだけでも十分読んでみる価値があると思います。

お勧めします。

『敗者の生命史 38億年』 稲垣栄祥 ーその2

水曜日, 5月 8th, 2024

(その1)の続き

地球にはようやく大陸ができ初め、気候の変化、地域による違いも大きくなってきます。また光合成廃棄物の酸素もようやく海水中の鉄の酸化を終了し、余った酸素が大気中に増え始め、生物の上陸が可能になります。

まず植物が上陸し、それを食べる動物もいないのでいくらでも際限なく広がっていきます。重力に対抗して上に伸びるためシダ植物は茎を発達させ、また茎や葉を保持して水分やミネラルを吸収するため根を発達させます。しかしシダ植物は受精のためには水が必要であったため上陸しても水の周辺を離れることができません。裸子植物はその問題を『種子』という形で解決しました。すなわち水がなくても受粉し受精し、種子となるまで成長して、水分を得て発芽できるようになるまで種子のままでいつまでも待つことができるようになったわけです。

ここで約5億年前位にまず植物が上陸し、続いて4億年前くらいに両生類が上陸を果たします。普通我々は植物と言ったら陸上植物の木や草や花を思い浮かべて、海藻や植物プランクトンは思い浮かびませんし、動物といったら哺乳類あるいは魚類以降の脊椎動物を思い浮かべます。

地球の歴史46億年といえばかなり長いようですが、動植物が上陸してからだとせいぜい5億年、2億年前には恐竜が闊歩していて、6500万年前にはその恐竜も鳥類以外は絶滅してその後哺乳類と鳥類の時代になったのですが、これ位の長さの時間であれば何とか進化の流れを追って理解できそうです。

また植物も我々の世代では海藻も植物プランクトンも植物のうち、と教えられましたが、その後の分類学の進歩により現在では上陸を果たしたコケ類以後のシダ植物・裸子植物・被子植物だけが植物だということになっているようなので、植物と言ったら木や草というのもあながち間違っているわけではなさそうです。

まずは葉緑体その他の光合成細菌が生まれ、二酸化炭素と水から炭水化物を作り、廃棄物として酸素を吐き出します。吐き出された酸素はまず海水中の鉄イオンを酸化して酸化鉄の層となって海底に沈みます。海水中の鉄イオンをほぼ酸化し尽くすと、余った酸素は海水中から空気中にもれ出し、空中の酸素を増やします。また空気中にふんだんにあった二酸化炭素も光合成により炭水化物になり減っていきます。菌類が登場するまでは、死んだ木はそれを食べたり分解したりする生物がいないため、ただ積み重なるだけで炭素を含んだまま石炭となって二酸化炭素を減らしていきます。空気中に増えた酸素は空気中の割合(分圧)が2~3%を超えた所でオゾン層を作り、宇宙からふんだんに降り注いでいた放射線を一気に防ぐことになります。これで生物上陸の条件が整ったという事になります。

エディアカラ生物群が絶滅してカンブリア大爆発で登場した動物に特徴的なのは、『目』の登場です。目を持った動物は餌をみつけたりそれを食べたりするのが得意となり、また食べられる動物の方も目を発達させて、自分を食べようとする敵をみつけて逃げるようになります。いずれにしても光合成によって生産された炭水化物を酸素呼吸することにより得られる莫大なエネルギーを使い、追いかける方も逃げる方も次第にスピードアップして弱肉強食の社会を作り上げていきます。

先口動物は外骨格と言って身体の外側を固い殻で覆い、他の動物に食べられないようにします。後口動物は身体の中心に脊索という筋を通し、そこを中心にして素早い運動を可能にし、その後それを脊椎に進化させます。脊椎動物の登場です。

はじめは外骨格の先口動物が強かったのが、内骨格の脊椎動物がスピードで勝るようになります。脊椎動物ではまず大型軟骨魚類の天下となり、小さくて弱い魚が海中から汽水域・淡水の領域に追い込まれていきます。淡水の環境に適応するため鱗・浮袋・腎臓等を発達させ、さらに、淡水で不足しがちになるミネラルを軟骨の中にためこんで骨とすることによりよりスピードアップした硬骨魚類となります。こうなるとスピードにまさる硬骨魚類は海に帰っていって、海を支配するようになります。

スピード競争に勝てなかった魚達は次第に陸に追いめられていき、両生類・爬虫類になります。陸上で生活できるようになっても、両生類までは魚類と同様水中で産卵し、それに受精し受精卵を発生させて子にするため水の環境をあまり離れることはできません。しかし爬虫類に至ってメスの体内に羊膜という環境を作り、受精卵を羊膜の中で水中と同じように発生させるというやり方により、水中でなくても子供を作ることができるようになります。もちろん羊膜だけでは心もとないので羊膜を保護する殻を付けて卵の形で陸上で産卵することが可能になります。これで動物は水辺を離れて陸上に広く拡散することができるようになります。

一方植物の方はまずコケ類が上陸を果たし、それに藻類を共生させた地衣類が上陸します。陸上の太陽の光をより活用するために陸上の重力に抵抗しながら上に伸びていこうとしてシダ植物が生まれますが、シダ植物までは受精・発生を水中で行うため水辺を離れることができません。それがたとえば被子植物になると花粉がめしべに付いた所で花粉が管を伸ばし、その管の中を精母細胞が移動し最終的に精子を作って卵子と受精するという形になり、水辺を離れることができるようになります。

その後裸子植物は被子植物に進化し、卵は子房に包まれるようになります。植物は基本的に動くことができませんが花粉を飛ばす所で1回、受精して、発生した種子を飛ばす所でもう1回の2回、移動するチャンスを手に入れることになるわけです。花粉は風で運ばれ、虫や鳥によって運ばれ、受粉し、受精して種子にまで成長したところで、種子は果実が鳥や哺乳類に食べられることによりさらに広く運ばれるようになります。このようにして植物も陸上のいろんな所に分散できるようになるわけです。

受精というと鮭のメスが産卵してそれにオスが精子をかけて受精させる所とか、ヒトのオスが射精して精子が卵子にたどり着いて受精するなんてイメージがふつうなので、受精に必要な時間はごく短いイメージなのですが、植物でも動物でも受精までに1年もかかるなんて話もあります。たとえば裸子植物などでは花粉がめしべに到着してから卵子を作り始め、卵子が成熟して初めて受精するとか、爬虫類でも卵子ができるタイミングを待って精子はメスの体内で待機させられる(その間メスの体内で栄養を貰って生き続ける)なんてのも面白い話です。ここでも被子植物は花粉が付く前にすでに卵子を子房の中に用意しているので、受粉後すぐに受精して種子を作ることができ、受精のスピードアップが世代交代のスピードアップ・進化のスピードアップに繋がる、ということになります。

世代交代のスピードアップのために植物はせっかく作った木、という形態をやめて草に進化し、木を作るエネルギーをもっぱら早く種子を作るようにしたようです。

生物の進化の大体の流れがわかってくると、その流れの細かいところもよりよく理解できるかもしれません。

おすすめします。

『敗者の生命史 38億年』 稲垣栄祥 ーその1

水曜日, 5月 8th, 2024

この本は生命の歴史を『敗者の生命史』と名付けて、各時代、競争に敗れた敗者が次の時代に一番繁栄するという形で書いていますが、もっと正確に言えば競争に勝ってその時代繁栄を極めた生き物が環境の変化その他で強者ではいられなくなり、次の時代の覇者に敗れてしまう、すなわち『盛者必衰』という風に考えた方が良さそうです。

この意味で、時代の区切りでどのような変化が生じ、強者が弱者となってしまったのか、の概略が書いてあります。敗れた、とは言え必ずしも絶滅したわけではなく、世界の片隅でどっこい生き残っている敗者もたくさんいます。

著者は基本的にイネとか雑草とかを専門とする植物学の方の人ですから、この歴史も動物だけでなく植物も、動物の中でも脊椎動物・哺乳類だけでなく昆虫についても目配りが利いていて、バランスの取れた話になっています。

137億年前、宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生し、38億年前に生命が誕生した所から話は始まります。

生まれた生命は『真正細菌』と呼ばれる種類と『古細菌』と呼ばれる種類に分かれ、この真正細菌の中から酸素呼吸をする、ミトコンドリアの元となる細菌(プロテオバクテリア)・光合成する、葉緑体の元となる細菌(シアノバクテリア)が生まれます。

そしてこれらの細菌が古細菌の中に、細胞内共生の形で入り込み、元々の細菌のDNAと、入ってきたミトコンドリア、葉緑体のDNAがごちゃごちゃにならないように『核』という組織を作って、元々の細菌のDNAをここに閉じ込めた。あるいはミトコンドリアを取り込んで酸素呼吸を取り込むと猛毒の酸素を細菌内に取り込むことになり、その有毒酸素から細胞のDNAを守るため核を作ってその中にDNAを保護したと言うこともできます。これが『真核生物』というもので、それ以前の核を持たないものを『原核生物』という、ということです。

この真核生物は葉緑体によるエネルギー生産(太陽エネルギーを炭水化物の形で貯える事ができる)とミトコンドリアによるエネルギー消費(炭水化物のエネルギーをATPという形で水素エネルギーに変換し、様々な活動に利用できるようにする)の二つの能力により急速に勢力を拡大し、その後の進化の主役となるというわけです。そしてそれ以外の生物は、特に酸素が至る所に充満しているこの世界には生きてゆけず、酸素の殆どない世界の片隅に逃げて暮らしているということになります。

とはいえ、たとえば私達の腸の中などは実は無酸素状態で、このような細菌類も多く生きてゆける環境ではあるのですが。考え方次第でこのような細菌類こそもっとも繁栄している生物と言うこともできそうですが。
で、まずは生命が誕生し、ミトコンドリア・葉緑体が真核生物の細胞の中で共生を始めた所から話が始まります。どうやら主題は『スピード』という事で、成長のスピード・動き回るスピード・受精卵の発生のスピード・世代交代のスピード・進化のスピードと、様々なスピードの元となるのがミトコンドリアが生み出す酸素呼吸であり、葉緑体が作る炭水化物だ、ということです。このスピードこそが生物を勝者とする鍵だ、というのがこの本の主題のようです。

38億年前に生まれた生命は単細胞生物として様々に変化し、ミトコンドリアの元となるプロテオバクテリア、葉色体の元となるシアノバクテリアもその中から始まりました。

その後22億年前頃一回目の全球凍結(スノーボールアース)の後、このミトコンドリアが他の細胞(古細菌)の中に入り込んで(あるいは取り込まれて)真核生物が生まれます。その次にその真核生物の中に葉色体が取り込まれて植物になります。これによって生物が利用できるエネルギーが一気に大きくなりました。10億年前位には有性生殖が始まり、死が始まります。

27億年前、まずは葉緑体の元となるシアノバクテリアが登場し、太陽光エネルギーを二酸化炭素と結合させて炭水化物とし、猛毒の酸素を排気ガスとして吐き出し始めます。これにより多くの微生物は絶滅に追い込まれますが、その酸素を使って呼吸するミトコンドリアの元となる生物が登場します。炭水化物を猛毒の酸素と反応させてとじこめたエネルギーを取り出して二酸化炭素を吐き出します。
このミトコンドリアの元となる生物が古細菌と細胞内共生を始めて『真核生物』が登場します。
次に22億年前に葉緑体が真核生物の中に入って細胞内共生を始め『植物』となります。ミトコンドリアと葉緑体の両方を持った真核生物は動き回らずに光合成でエネルギーを獲得できるので、植物として進化を進めます。植物は自分でエネルギーを生産することができるため動く必要がなく、動物は自分ではエネルギーを生産することができないのでエネルギー源となる餌を求めて動き回ることになるわけです。その後更には餌となる植物に密着して自分ではエネルギーを作らないけれど動き回ることもしない『菌類』というのが生まれ、動物・植物・菌類の3つが揃うということです。

地球は『全海洋蒸発』といって海が全て干上がってしまう時や、『スノーボールアース(全球凍結)』と言って地球全体が赤道地帯を含めて殆ど氷河で覆われてしまう時を何度か経験していますが、この全海洋蒸発のあたりで生命が誕生し、最初のスノーボールアースの時に真核生物が生まれ、次のスノーボールアースの時に多細胞生物が生まれたという事です。スノーボールアースで生物が何千メートルもの厚さの氷河の下の冷たい海に閉じ込められている時に、それでも生命活動を繰り返し、遺伝子の変化を繰り返してため込んだ結果を、生物が生きやすい環境になった途端に爆発的に実現したという事のようです。そのためには『有性生殖』という発明も重大な要因で、これにより遺伝子の突然変異のスピードが格段に上昇しています。

ただしその性別は必ずしもオスメス2つと決まったわけではなく、種類によっては30種もの性を持つものもある、ということです。効率的にはオスメス2種類というのがもっとも効率的なようです。このような有性生殖・オスとメスという仕組ができたのが10億年前ということです。

この有性生殖により世代交代、進化のスピードが一気に高まります。
そしてその後6~7億年前頃、2回目と3回目の全球凍結の後いよいよ多細胞生物が登場します。

で、性ができて多細胞生物が生まれ出現したのがエディアカラ生物群という何とも不思議な生物達で、7億年前。これが何が原因か分からないけれどいなくなって、代わりに登場したのがカンブリア大爆発と呼ばれる生物達です。大爆発、と言っても何かが爆発した、というわけではなく、新しい動物たちが一気に爆発的に登場してきた、ということです。

ここで現在生きている動物のプロトタイプが全て登場します。
多細胞の動物は、はじめ細胞が球状にまとまっていたのが、身体の一部をくぼませ、そこに植物その他を抱え込んで食べた後残りを吐き出すという仕組でした。そのくぼみを次第に深くし、ついには反対側にまで突き抜けると、ここに身体の真ん中に外と繋がる管ができました。初めにくぼんだ所を口とし、あとで突き抜けた所を肛門とする先口動物(前口動物・原口動物・旧口動物)と、初めのくぼんだ所を肛門とし、あとで突き抜けた所を口にする後口動物(新口動物)という2種類の動物の登場です。先口動物はイカ・タコからナメクジを経て昆虫に進化し、後口動物はウニ・ヒトデを経て魚類・両生類・爬虫類・恐竜・哺乳類と進化しました。

このカンブリア大爆発が5.5億年前。ここに至って動物は捕食という行動を始めます。即ち海の中に漂って目の前に餌が流れてくるのを待って食べるという生活から、餌となる生物を探して捉えて食べる。餌となる動物は食べられないように逃げるという行動です。このために重要なのが『目』です。この目の獲得によって生存競争は一気に激しくなっていきます。

(つづく)

『深海でサンドイッチ』 平井明日菜・上垣喜寛

金曜日, 3月 29th, 2024

私が利用している市立図書館は1月の半ばから3月の半ばまで利用が制限されていました。
本を借りたり返したりはできるのですが、図書館の閲覧室に入る事ができないで、そのため『おすすめ』コーナーや『新しく入った本』コーナーも利用できない状況でした。

これが先ほど再開したので、さっそく『おすすめ』コーナーで借りてきたのがこの本です。
深海探査船『しんかい6500』とその支援母船『よこすか』の食事を担当する司厨部(シチョーブ)を中心として、『しんかい6500』と『よこすか』の食事事情と、それを提供する司厨部員、サービスを受ける乗員の話、さらについでに『しんかい6500』と『よこすか』の仕組みについてまで分かりやすく説明してくれています。

司厨というのは、厨房という言葉がチューボーと読むように、本当はシチューと読むのかもしれませんが、こう読むと食べ物のシチューと一緒になって、常にシチューを作っているような感じになってしまうのであえてシチョーと読んでいるのかもしれません。

乗員総数60人(乗組員45人と研究者15人)に1日3食を司厨部員5人で提供しているという事です。

乗組員というのは、船を動かす仕事をする航海士と甲板員、そのための動力や機械を動かす機関士と機関部員、通信士と、あとは、食事を作る司厨部員が事務部員として残りの全ての仕事をするようで、風呂掃除やベッドに飾る歓迎の毛布の花を作ったりもするようです。

『しんかい6500』は直径2mの球体の中に大人3人が入って、直径12cmの窓が3つあって、残りの壁は操作パネルやディスプレイがびっしり配置されているなんて写真も付いています。3人の内訳は、パイロット1人・コパイロット1人・研究者1人で、パイロットが操縦し、コパイロットは船内の酸素、二酸化炭素の濃度や圧力を見張っていて高過ぎず低過ぎないように調整している。何か新しい発見があって乗員が「ワーイ」と叫んでしまうと途端に二酸化炭素が増えてしまう、なんて話もあります。

長い航海、食料をどのように管理するのか、特に野菜など鮮度を保って美味しく提供するためにどうしているのか、などが説明されます。

で、その中で人気なのが『しんかい6500』の乗員のために用意されるサンドイッチで、それが本のタイトルになっています。

『しんかい6500』は略称『6K』と言うんだということも分かりました。6Kに乗ると皆忙しくてゆっくり食事している暇はないので、片手で持っていつでも食べられるサンドイッチが人気で、サンドイッチのパンは『よこすか』で司厨部員が毎日ホームベーカリーで焼いているものだというのも面白い話です。深海底まで片道2時間かかるようですが、底につくまで待てないで途中で早弁してしまった研究者の話などもあります。

司厨部で働いている人たちも様々な船に乗った経験があり、その話も面白いです。

『しんかい6500』については、その調査の内容等について色々読んだりした事がありますが、そこに乗っている人・そのサポートをする母船に乗っている人・その母船の事等についてはあまり知ることができないので、『食べる』という視点からのレポートで『しんかい6500』『よこすか』の事や、そこに乗っている人達のことを様々に知ることができて楽しい本です。

写真もたっぷり付いていて、久しぶりに楽しい読書でした。

お勧めします。

『ユダヤ古代誌』 ヨセフス

火曜日, 2月 6th, 2024

前回書いたユダヤ戦史を読んで、またこのユダヤ古代誌を読んでみたいと思いました。
以前読んだ時は文庫本6冊を買って読んだのですが、その本はアカラックスの会社をたたんだ時に処分してしまったので、今回は図書館で借りて読みました。とはいえこんな本を読む人も殆どいないので、自分専用の本を図書館に預けてあるのと大差ありません。いつでも自由に借りられます。

この本は全20巻を日本語に訳し6冊としたもので、最初の1巻から11巻までの旧約時代編が文庫本の1冊目から3冊目まで、12巻から20巻までの新約時代編が文庫本の4冊めから6冊目までとして、キリスト教徒が聖書を読む際の副読本として広く読まれたもののようです。

たとえば文庫本1冊目は天地創造から始まってモーセが死ぬまで、2冊目はユダヤ人がカナンを征服してイスラエル王国を作り、ダビデが死んでソロモンが王となるまで。3冊目はソロモンの即位からソロモンが死んでイスラエル王国が分裂し、バビロン捕囚とその後の帰還までが書かれています。新約時代編の方は新約聖書を理解するための背景説明として読まれたようで、4冊目には旧約聖書のいわゆる70人訳の話など、5冊目はヘロデ大王の時代、6冊目はユダヤがローマに逆らって戦争なるところまでのことが書いてあります。

前に書いたフロイトの『モーセと一神教』を読んでこのユダヤ古代誌の1冊目を読むと、確かにユダヤ教というのはモーセが作った宗教で、ユダヤ人というのはモーセの作った民族なんだなと思います。またフロイトの言うように、モーセはユダヤ人に殺され、その後主殺しの恐ろしさに脅えたユダヤ人によって殺したことをなかったことにした、というのも尤もらしい話だと思います。

モーセの死について聖書には『彼は〇〇の谷に葬られた。だが今日に至るもその墓のありかを知る者はない』と書いてありますが、ヨセフスは『突然一団の雲が彼の上に下りてきたと思うとそのまま峡谷の中に姿を消した』と書いています。モーセも死なないで姿を消して、そのまま神のもとに行ったということのようです。

ユダヤ人は周辺の人々(民族なのか種族なのか人種なのか分かりませんが)と何度も殺し合いをしていますが、基本的にその戦争は皆殺しであり、勝てば相手を皆殺しにし、負ければ自分達が皆殺しにされ、例外的に殺されなかった人によってその皆殺しの戦争が記録されるというものだということも良く分かります。

またユダヤの歴史というのが①人が神の指示に対して反抗・反逆する ②神が怒って懲らしめる ③人が謝罪して悔い改める ④神が赦す というパターンの繰り返しの歴史だということが良くわかります。

イスラエルあるいはパレスチナという地域が昔からチグリス・ユーフラテス地域とエジプトに挟まれ、その両者が相手を攻めるときにその通り道になり、そこにペルシャ人・ギリシャ人が入り込み、周辺にはアラブ人が住んでいて常に戦争を繰り返している、そういう地域だということが良くわかります。

現在進行中のイスラエル・ハマス戦争を理解する上でも参考になる1冊(6冊)です。

『現代アラブの社会思想』-池内恵

水曜日, 1月 10th, 2024

池内さんについては前回『シーア派とスンニ派』と『イスラーム国の衝撃』について本の感想文を書きましたが、池内さんのお仲間の篠田さんが池内さんの最初の著作で代表作だとほめていたので、念のためにこの本も読んでみました。

池内さんは大学院生の最後の年に、エジプト・ヨルダン・シリア・イラクなどの東アラブ地域を三か月かけて周って歩き、エジプトではアパートを借りて住み込んだようで、多分この本の中味が卒業論文代わりということになるんだろうと思います。

この本は2部に分かれていて、第1部はイスラム主義について説明し、第2部はイスラム諸国の終末論について説明しています。

アラブ世界では1969年の第三次中東戦争で、エジプト・シリア・ヨルダン軍がイスラエル軍に敗れ、ここからアラブの現代史が始まった、と書いてあります。日本では70年安保闘争が1970年を待たずに消滅してしまい、また同時期欧米でブームとなった学生の反米・反体制運動も敗北します。

アラブではさらに時代をリードしていたナセルが1970年に殺され、目標を見失ってしまいます。その解決策を模索してマルクス主義や毛沢東主義などを使ってみようとしたり、日本赤軍が飛び込んできたりいろいろしたけれど、結局アラブ世界は今後どのようにしていったら良いのかその解決策を作ることができず、その代わりに将来のアラブ・イスラム世界はどのような世界か、それを表現することに注力することになったとのことです。その代表的なものがカラダーウィーという人の『イスラム的解決策-義務と必要』という本で、この本の内容を池内さんは丁寧に説明しています。

勿論この『あるべき未来』はイスラム教徒の世界で、ユダヤ教徒・キリスト教徒は二級国民として生存を許されますが、そのどれでもない人達(例えば日本人など)は全く生存の余地はありません。

この『アラブ・イスラム世界のあるべき世界像を目指す』というのがイスラム主義という考え方ですが、『どのようにして』という方法論がないため、これだけでは何事も始まりません。そこで極端な考え方として、いったん現在の世界秩序を全て破壊してしまい、その廃墟の中からそのあるべき世界が生まれてくる(かも知れない、そうなってもらいたい)と考える一派が出てきて、これがイスラム原理主義だという話になります。

このカラダーウィーという人は2022年に96歳で亡くなっていますが、多くのイスラム教テロ組織の理論的指導者だった、ということです。

私はイスラム原理主義というのはイスラム教の原理主義かと思っていたのですが、実はこのイスラム主義の原理主義がイスラム原理主義なんだと初めてわかりました。

第二部では終末論についてです。キリスト教の終末論はかなり有名ですが、ユダヤ教・イスラム教にも同じような終末論があります。もともとはイランのゾロアスター教の流れをくむものらしいのですが。

で、この終末論については通俗本、俗悪本としてアラブ世界ではいろんな所にたくさん売られているようで、それを著者はせっせと買い集めて読んでいるようです。そこに書かれている天国と地獄は非常にいきいきと現実的に描かれていて、あまり理論的に考えない人にとっては面白い読み物となっているようです。このような終末論の読み物は低俗なものとして、まともな学者が読むようなものとは思われていないため、著者の部屋を訪れた研究仲間たちはこのような本を見つけると『ちょっと貸してくれ』と言って借りていくとの事です。

イスラム教の終末論には最終的には救世主が登場するけれど、その前にニセモノの救世主が現れてしばらく世界を支配し、人は皆そのニセモノを本物と思ってそのニセモノの言う通りに従うようになるとか、救世主とニセモノ救世主が何人も乱立して大混乱になるとか、もちろん天変地異もあるし、まともなイスラム教徒は一人もいなくなるとか、仏教の末法の世と同じようなこともあります。

さらにこの終末論と陰謀論が結びつき、さらにオカルトまで合体して何ともはやのトンデモ論がまことしやかに語られるという具合で、意識高い系はこれらの終末論・陰謀論・オカルトと親和性が高いんだな、と思った次第です。

イスラム主義にしても終末論にしてもかなりしっかり描かれているので、これを博士論文にしても良いんじゃないかと思ったりもしますが、本格的なアカデミズムの世界では単に誰かの本を解説するだけだったり、終末論のようなイカガワシイ世界の紹介などはちゃんとした論文とはみなされないのかも知れません。

とはいえ、飯山さんの博士論文のようなしっかりした学術論文は池内さんには書けなかったのかも知れません。

池内さんにしてみれば、自分の力作を理解できない頭の固い先生方に自分の論文を審査してもらうなんてことは屈辱だと考えて、あえて博士論文を提出しないで博士号を取ろうとしなかったのに、飯山さんに博士号持ってないことを揶揄されて、今更論文を書く事ができないんじゃなくて自分の論文を審査されるのが我慢できなかったんだなんて言ってみても、痩せ我慢の強がりだと思われるだけだということくらいは分かっていて、何ともやり場がないのかも知れません。

池内さんは大学院を出て、そのまま東大に残れたわけではなく、いくつか外部の中東関係の研究所を渡り歩き、その後、東大の先端科学技術研究センターに準教授として採用され、5年ほど前にようやく教授になったようです。中東問題がどうして先端科学技術になるのか全く分かりませんが、本筋の学部にはポジションの空きがなかったのかもしれません。そういうことも池内さんにとってはしこりになっているのかもしれません。

この感想文は、書いては見たもののブログに載せるのはやめておこうかな、と思っていたのですが、相変わらず池内さんと飯山さんのバトルは続いており、とりあえずブログに載せておこうかな、と思いました。

その後の経緯を見ていると、池内さんをはじめとする、飯山さんのいわゆるJKISWAの人々は次々にろくでもないツイッターを発信し、飯山さんに良いようにコケにされています。
なんともイヤハヤ、といったところです。

『シーア派とスンニ派』『イスラーム国の衝撃』―池内恵

木曜日, 12月 7th, 2023

ここの所、ネットで“いかりちゃん” こと飯山あかりさんの話題が盛り上がっています。というか、いかりちゃんが大学教授や国会議員をバッタバッタと切り捨て、これに日本保守党の百田さんや有本さんの応援団とそれに対する反対派が加わって、とんでもない大騒ぎになっています。

まあ、要は意識高い系の大学教授たちが無謀にもいかりちゃんにちょっかいを出し、いかりちゃんを誹謗中傷したコメントをツイッターで投稿し、それに対して、売られたケンカは喜んで買う、といういかりちゃんにツイッターやユーチューブでコテンパンにやられている、というバトルです。

これがちょうど百田さんや有本さんの日本保守党の立ち上げと時期的に重なってしまったので、百田さんや有本さんと親しい、いかりちゃんが重なってしまい、いかりちゃんのバックに日本保守党がついている、とかいかりちゃんが日本保守党の黒幕だ、とか意識高い系の大学教授たちが勝手に思い込んでしまい、自分たちのツイッターにちょっとでも自分たちに批判的なコメントがついていたりするとそれを日本保守党の組織的な攻撃行動だ、とみなして大騒ぎを繰り広げているわけです。

私は、東大教授の池内さんや東京外語大学教授の篠田さんのツイートを見て、また飯山さんのツイートやユーチューブを見て、飯山さんの完勝だと思っているのですが、一方でそういえばこの池内さんの本は読んだことがないな、と思って、池内さんの仲間の人たちが絶賛するものがどんなものか読んでみました。

ちょっと古い本になりますが、『シーア派とスンニ派』という新潮選書と『イスラーム国の衝撃』という文春新書です。どちらも確かに良く書かれています。シーア派対スンニ派、というのは宗教戦争でも宗派対立でもなく、それぞれの宗派を信じる社会同士の社会対立なんだ、というようなまっとうな指摘もありますが、飯山さんとくらべて池内さんの本に明確に欠けているのが、イスラム原理主義過激派テロ組織に対する恐怖感です。自分がいつテロにあって殺されるかも知れない、自分の親や子、配偶者が理由もなくいつテロにあって殺されるかも知れないという恐怖感です。あともう一つ欠けているのが、このような原理主義過激派テロ組織に国を乗っ取られ、無理やり人質にさせられているその国の住民、一般の民衆に対する目です。

テレビでイスラエル・ハマス戦争についてイスラエルを非難するコメンテーターが『確かに10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したのは許し難いけど』と前置きをすれば、あとはイスラエルを好きなように非難しても良いと思っているように、『イスラエルのガザ攻撃で何人死んだ、何人殺された』と言っていますが、これは実際はハマスがパレスチナ人を人質にとって、イスラエルの砲撃で死ぬような所に押し込めているからで、殺しているのはイスラエルではなくハマスなんだという視点を持ち合わせていません。

国境のない医師団が、イスラエルがガザを攻撃して病人や怪我人が何人も亡くなっているなんて話をしていますが、自分達がそこにいることによって病人や怪我人をイスラエルが攻撃する場所に縛り付けているんだという認識や責任感はまるでなさそうです。

日本では『一人の命は地球より重い』なんてお花畑の話を本気でする人も大勢いますが、イスラエルはもっと現実的ですから、『10人の人質が2人死んでも8人助かるんだったら、あるいは8人死んでも2人助かるんなら、10人全員殺されるよりその方が良い』と考えます。ハマスは少なくとも建前上は『人質は何人死んでも構わない、敵は何人死んでも構わない、自分達も何人死んでも構わない』『敵は殺せとコーランに書いてあるから殺すのは当然だ、自分達は殺されたら何年先になるかわからない最後の審判を待たないで、そのまますぐに天国に行けることになっているので、指定席付特急券を貰ったようなものだから、こんな素晴らしいことはない、人質が巻き添えになって死んでもこれは地震や交通事故で死んだのと同じようなものだから、この人達も天国に行けることになっているからラッキーじゃん』と考えているわけで、また『相手が神以外の誰かであったら、誰かに嘘をついても構わない、誰かとの約束を勝手に破っても構わない』と考える人達ですから、この人達を相手に戦うのは本当に大変なことです。

テレビやユーチューブでは『俺は死んでも構わない、殺されても構わない』と大見得を切って戦争反対を叫ぶ人が良くいますが、その人に対して『アンタは殺されたけりゃ好きなように殺されても良いけれど、アンタの母親、アンタの父親が殺されてもアンタは平気なのか、アンタの子供や奥さんがむごたらしく殺されても構わないのか』と質問する人がいれば良いのにと思うのですが、多分そんな事を言うと放送禁止になったり公開禁止になったりするのかな、と思います。

と思っていたら飯山さん、今度は自民党の国会議員とのバトルになってしまいました。
大変でしょうが頑張ってもらいたいと思います。

『江戸かな古文書入門』『寺子屋式古文書手習い』―吉田豊

木曜日, 12月 7th, 2023

さて『庭訓往来』を読むことにしたのですが、寺子屋の教材にしていたものとそれを活字にして印刷したものを比べながら読んでいけば良いのですが、もう少し何か良い方法があるんじゃないかと思ってみつけたのがこの2冊です。

この著者はいわゆる『変体かな』という言葉が嫌いで、その代わりに『江戸かな』という呼び名を使い、江戸時代の様々な出版物を読むためにはまずこの『江戸かな』を読めるようになることが必要ということで、『江戸かな古文書入門』ではまず往来物の中で比較的読みやすい『東海道名所往来』を取り上げ、漢字があまり崩されていないのでこれを読みながらふりかなの文を読む練習します。江戸時代の出版物が読みにくいのは、漢字が崩されている事、漢字やかなが続けて書かれているので一つ一つ区別するのが難しいこと、使われているかなが今私達が学習しているかなではなく『変体かな』=『江戸かな』で、これは今のかなが一音一字なのに対して一音多字(同じ読みのかながいくつもある)だということです。すなわちどこからどこまでが一字なのか、崩し字が今我々が知っている楷書体のどの字になるか、変体かなが今のどのかなにあたるのか、という所が問題となります。そのため基本的にかなだけで書かれていて一字一字が分かれている都都逸(どどいつ)の歌詞集の印刷物を読んでいます。次いでかなの勉強のために百人一首を読みます。

この百人一首ですが、これは『ひゃくにんいっしゅ』と読むのではなく『ひゃくにんしゅ』と、『一』は書いてあっても読まないことになっているという注釈がついていて、これは国語辞典の大元のような大言海にもそのように解説されているとのことで、そんなこととは全く知りませんでした。

で、この本では多く出版されている百人一首の本の中から5つの本を取り出して、一つ一つの歌に対してこの5つの本の該当のページの絵と文字を見開き2面に並べて比較するという形にしています。もちろん百首すべてこのようにするわけにはいかないので、13首だけ取り出してこのように5つの本の該当するページを比較しています。

面白いことに、どの部分を漢字にしてどの部分をかなにするかもバラバラなら、どのかなを使うかもバラバラで、ひどい時はその歌の作者の名前の読み方すらバラバラだということがわかります。

で、これらの本はある意味、書道のお手本ともなるものなので、滅多に使われない変体かなもたくさん出てきます。

この本では全ての手書きの文字について、漢字もかなも含めてそれを楷書の活字で示してくれるので、これはこの字を崩したものか、これはこの字をかなにしたものか、ということがわかるようになっています。

最後にかなを習い終わった所で、草双子の一つを読んでみます。変体かなは全部で300位あるようですが、全部覚えなくても30位覚えればたいていのものは読め、かなが読めれば全文かな付きの本も読めるだろう、あるいは全文ほとんどかなの読み物は読めるだろうということのようです。

もう一つの『寺子屋式古文書手習い』はこれもまたユニークで、最初に明治21年の三井呉服店の宣伝ビラを読む所から始まります。漢字はほぼ楷書に近い行書で、全文振りがな付きですから、多少変体かなが入っているものの殆ど読めます。

次は明治15年の小学校の教科書です。漢字はほぼ楷書で振りかなはなく、変体かなを使っている文語の文章ですが、漢字がわかるので何となく全て読めるというあんばいです。

次に草双子を一つ読むんですが、これがほとんどかなばかりで書いてあるので変体かなに慣れてくれば何とか読めます。

朝鮮・韓国のハングルの文書は要はかなばかりで書いているようなものだから読むのが大変だろう、と思っていましたが、日本でもこの頃の大衆文学はかなばかりだったんだなと思います。

続いて候文の練習として草双子の中に入っている広告の文、草双子の一部、続いて昭和22年の株主総会開催通知・昭和21年まで使われていた紙幣・明治21年の登記所の領収書・明治41年の約束手形などの中で使われていた候文を読みます。そして候文は実は今でも生きていて、候文で書かれている明治時代の法律で、今でもそのまま生き続けているものの例が示されます。

この後は年貢請取状・離縁状(いわゆる三下り半)・傷害事件関係者調書・治安の為鉄砲拝借願・組頭跡役議定證文・日光御参詣御用下役請書が、これらはさすがに活字にしたもので読んで、候文に慣れます。

最後はまた寺子屋の教材に戻って、借用金証文・奉公人請書・年頭披露状・祝言之書状・源義経の腰越状をかな付手書きで読みます。

最後に解読実習として少年の手紙・借用金証文・奉公人請状・御鷹場関連願書・五人組帳前書を手書きかな無しで読みます。

離縁状では確かにこれが明確に『再婚許可証』になっていることが確認できます。これがないと、離縁された女性が再婚しようとすると重婚罪になってしまいます。

いずれにしても江戸時代、初等教育でこんなレベルまで勉強していたのかと思うとあきれ果ててしまいます。

さてここまでやると当初の寺子屋の教材はもうすでに経験してしまったわけですが、せっかくですから『庭訓往来』、トライしてみようと思います。

『庭訓往来(ていきんおうらい)』

金曜日, 11月 17th, 2023

往来物について読んだので、その実物を見てみようと思いました。

往来物の代表の『庭訓往来』の入っている岩波の新日本古典文学大系の1冊を借りました。図書館で予約する時検索で出てきたので、ついでに北斎の絵本挿絵の第1巻に『絵本庭訓往来』が入っているものも借りました。で、この絵本を見てみると北斎の絵がたっぷり入っていて、その半分弱のスペースを区切って庭訓往来の文が入っています。で、これが全く読めません。全文返り点付・フリカナ付なんですが、漢字もフリカナもまるで読めません。で、もう一つ古典文学大系の方を見ると、これは活字の本ですから漢字もフリカナもちゃんと読めます。元々の和本の見開き2頁分の写真の左右に活字で訓み下し文がついて、見開き2ページになっているという体裁で、返り点等も全て訓み下し文になっています。
ところが中味がまるで読めません。本当に呆れ果ててしまいます。

こんなものを明治以前の初等教育で教えていたのかと思うとあ然としてしまいます。よくもまあこんなものを子供が読んだり書いたりできるものだと思います。

で、気を取り直して訓み下しの方を眺めてみると、手紙の中味に似たようなジャンルの言葉を並べた語彙集のような形になっていて、なるほどこういうことかと納得しました。12ヵ月それぞれ往信と返信とになっているので、ひとつひとつの手紙ではそれほど多くのジャンルをカバーできないとしても手紙全体ではかなりのジャンルをカバーできます。これが語彙集としての往来物ということになります。

古典文学大系は600頁もの本ですから、『庭訓往来』だけでなく他の同じような初等教育用教材がいくつか付いてました。

2番目が『句双紙(くぞうし)』というもので、禅寺で使われる語句集ということで、漢字1字のもの・2文字熟語、3文字熟語・4文字熟語(4言)・5言・6言・7言・8言・5言対・6言対・7言対・長句に分けて熟語・成句が並んでいます。これをきちんと学習すれば部分的に言葉を置き換えて、何となく漢詩のようなものが作れるかも知れない、と思わせるようなものです。

さらにこの本には『実語教』と『童子教』というものが入っています。この教だけ乗せてもしょうがないので、その注釈である実語教諺解と童子教諺解を入れてあります。これを見て私の知っている言葉もいくつかはこの実語教から来ていることを知りました。たとえば
 山髙きがゆえにたっとからず 樹あるをもって貴しとなす
とか
 人は死して名をとどむ。虎は死して皮をとどむ
なんてものです。
こんなものを江戸時代以前の子供は勉強していたんだなと思いました。

調べてみたら絵本庭訓往来の方はネット上にpdfがあったので、これを印刷して時間をかけて読んでみようかなと思いました。

で、この庭訓往来、1月~12月の手紙の往復と、あともう一つ、往だけの手紙計25通の手紙が載っているのでその1つ1つの手紙について読んでいこうと思いましたが、その区切りが分かりません。

日付・差出人・宛名がひとまとまりになっている部分と本文の部分がずっと続いているのですが、そのどこで手紙が終わって次の手紙が始まるのかが分かりません。

私が書いている仕事用の文書では基本的に

      日付
宛先   
      差出人
   本文

という形になっています。

またメールのやり取りでは日付はメールソフトに任せて

宛先   
      本文
  差出人

という形になります。

庭訓往来では

     本文
  日付  差出人
  宛先
     本文
  日付  差出人
  宛先
     本文
  日付  差出人
  宛先
・・・

となっているので、本文で始まって宛先までで1つの手紙ということになるようですが、私の使いなれた形とはまるで違います。

その昔、手紙の形についても習ったはずなんですが、何十年も仕事の書類とメールしか使っていないので何とも分かりません。

で、しかたなくネットで手紙の形がどうなっているか調べてみました。
それによると色々な細かい所はありますが、要は

   本文
 日付    差出人
 宛名

という形だということが分かりました。
即ち今の日本の普通の手紙の形は庭訓往来の時と同じままなんだということです。

これで安心して一通ずつちょっとずつ読み進めることができます。
さてどこまでたどり着けるか、お楽しみです。

『ニッポンの氷河時代』-大阪市立自然史博物館

火曜日, 11月 14th, 2023

この本はしょっぱな『現在は実は氷河時代なのである。』という文から始まります。へぇと思って読み進めてみると、氷河時代というのはちゃんとした定義があって、今のように南極やグリーンランドやその他の大地に氷河があればそれは氷河時代だという事です。

氷河時代でない、大きな氷河がどこにもない時代を『無氷河時代』と言い、地球の歴史の中でも大部分が無氷河時代で、氷河時代というのは7回以上あったけれど、そんなに何度もあったわけではない、現在の氷河時代は約258万年前に始まったんだという事です。

この氷河時代のうち、寒冷で氷河が拡大するのを『氷期』といい、それに較べて温暖な期間を『間氷期』といい、その二つが繰り返し訪れるということです。

いわゆる『氷河期』という言葉は、『氷河時代』という意味で使われたり、そのうちの『氷期』だけを意味したりしてあいまいなところがあるので、最近は『氷河期』という言葉はあまり使わないことになっているようです。

で、『現在は実は氷河時代なのである。』となるわけです。

最近80万年では10万年周期で氷期・間氷期を繰り返しているということです。私がイメージしていた氷河期というのはこの氷河時代のうちの氷期のことだったようです。

この本は2016年にこの博物館で開催された特別展『氷河時代-化石でたどる日本の気候変動-』の展示内容とその解説書『氷河時代-気候変動と大阪の自然-』を再編して本にしたもののようです。展覧会では場所的にも時間的にも制約がありますが、このように本になっていると好きな時に好きなように楽しめます。

地球の歴史を考える場合、全部で約40億年あるので、どうしても単位は億年単位になるし、恐竜が繁栄したのは約2億年前、消滅したのは6500万年前ということでそのような年数が普通なのですが、この本では20万年前とか80万年前とか、かなり直近の話が中心となっています。

大阪でも都市開発で各地でボーリング調査が行われ、掘り出された『コア』という土の柱を分析してかなりいろんな事が分かっているようです。私なんかは首都圏に住んでいるということもあり、この氷期・間氷期の海岸線の変化は関東地方のものを良く見ますが、この本では大阪周辺の地図が示されています。

大阪城のある上町台地を境に、その内側が全部海で河内湾だった時代、それが淀川・大和川のデルタによって狭められ汽水域になって河内湖になった時代、逆に氷期に大阪湾も瀬戸内海も陸地になってしまった時代、あるいは上町台地も海面下になった上町海の時代、それぞれの地形図が付いていて、それを眺めるだけでも楽しめます。

大阪は、氷期には海面が低くなり平野になり、間氷期には海面が高くなって海になったり湖になったりを繰り返しているということが良くわかります。

で、今は間氷期が始まった所のようですが、その前の氷期は7万年前から1万1700年前まで、その前の間氷期は12万5000年前から7万年前までということで、12万5000年前の間氷期には氷河が溶けて大阪城のある上町台地も海になった上町海の時代、それが2万年前には海面が120m下がって瀬戸内海や大阪湾は殆ど陸になった。それが氷期のピークでその後温暖化が進んで今のような地形になっているというわけです。

氷期になったり間氷期になったり、海面の上昇あるいは低下もありますが、気温も大きく変わります。それにつれて陸上の植物・昆虫・海中の動物層も大きく変わります。これがこのボーリングのコアを調べることで良くわかるという具合です。

とはいえ氷期に繫栄した生物が間氷期に絶滅したわけでもなく、間氷期の生物が氷期で完全にいなくなったわけでもありません。『厳しい時代を何とか生き延びればまた快適な時代が来る』という繰り返しの様子を詳しく解説してくれます。

日本は海があるのでその近くはとことん寒冷化する、ということわけではなく、温暖期の生物も生き残ることができ、また、高い山があるのでその高いところは温暖期でもそれほど暑くなるわけでなく、寒冷期の生物もかろうじて生き残ることができるようです。

この本の元となった特別展のポスターの絵が最後についています。主人公はマンモスです。マンモスは43万年前の氷期に海面が下がった時に大陸からやって来て、2万年前に絶滅するまで、40万年くらい日本にいたようですが、その間4回の氷期と4回の間氷期を過ごしています。マンモスというと氷期の生き物のような印象がありますが、実は温暖な間氷期にもちゃんと生き続けていたんだ、日本の森の中を歩いていたんだなんて話、なかなか興味深いものがあります。

ということで、山ほどの写真や図がたっぷり楽しめる本です。
お勧めします。