‘本を読む楽しみ’ カテゴリーのアーカイブ

『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』 片倉衷

2017年4月21日 金曜日

著者の片倉衷(カタクラ タダシ)というのは、2.26事件の時、陸軍大臣官邸に駆けつけ、反乱をやめさせようとして反乱軍のリーダーの一人の磯部浅一に拳銃で頭を打たれて病院に担ぎこまれた人です。

この人が昭和56年に出版した回想録がこの本ですが、この中に昭和8年~9年に作ったという3つの論文が納められています。
すなわち
 『筑水の片言』
 『瞑想余録』
 『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』
というものです。

『筑水の片言』は軍改革に向けての提言ですが、それが『瞑想余録』になると国の改革に向けての提言となり、 『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』では2.26事件のような叛乱が起きることを想定し、それを乗っ取る形でクーデターを起こし、日本を軍主導の国家に作り変えるという作戦計画になっています。

『筑水の片言』と『瞑想余録』は著者が自分の考えをまとめたものですが、それを元に周りの陸軍省あるいは参謀本部の青年将校達と勉強会を開き、その結果をまとめたものが『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』になっているということです。

勉強会の成果物ですから、これは参加した青年将校達にフィードバックされ、それはその青年将校達からそれぞれの上司の将校達にも報告され、結果的に陸軍省および参謀本部の殆どの将校達はこの内容を知っていたということです。

私は2.26事件というのは反乱軍の青年将校達によるクーデターを、真崎大将とその仲間達が乗っ取ろうとして失敗した事件だ、と思っていたのですが、この『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』の存在を知り、『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』を読むことにより、真崎大将達の乗っ取り計画は失敗して、その代わりにこの「要綱」の線でのもう一つのクーデター乗っ取りが計画され、こっちはまんまと成功したという事件だ、と思うようになりました。

真崎大将達による乗っ取りは、東京警備司令官の香椎中将が戒厳司令官になったところで成功したかに見えたのですが、戒厳司令部ができた時、東京警備司令部の人間はそのまま戒厳司令部に移り、司令官も東京警備司令官がそのまま戒厳司令官になった所までは良かったのですが、同時に司令部のスタッフが大幅に増員され、参謀本部その他の人間が兼務の形で戒厳司令部に入ってきたことにより、第一の乗っ取りは破綻し、第二の乗っ取りが始まったということです。

反乱を起こした青年将校は士官学校を出てそのまま各地の軍の任務に就いた将校ですが、その後陸軍大学に入学し、将校の中でもエリートコースを歩む者もいました。そのような人達は陸軍大学のしるし(その形から『天保銭』といわれました)を付けていたので『天保銭組』とよばれていました。士官学校を出て陸軍大学に行かなかった人達はその『天保銭』を付けていないので、『無天』組と呼ばれていました。

2.26事件の反乱を起こした将校達は、その無天組です。
天保銭組の青年将校達は陸軍大学を出て、成績の良い者はそのまま陸軍省や参謀本部に配属され、自分達はエリート中のエリートだと自負して、陸軍大臣でも参謀総長でも、あるいは天皇でも自分達の言いなりだ、というくらいの気持ちでいたようです。

軍には統帥権というものがあり、たとえ軍人とはいえ軍隊を勝手に動かすことはできません。『軍を動かすことができるのは天皇だけ』という建前で、その天皇の代理という位置付けで参謀本部だけが軍を動かす命令を出すことができることになっていました。ただしこれにはいくつかの例外があり、たとえば自分の部下が命令に違反したような時は、他の部下に命令してその命令に従わない部下を捕まえたりすることはOKです。また東京警備司令官は東京で何か事件があった時は、その警備のために東京近辺の軍を動かして警備あるいは制圧に当たることができ、それには参謀本部の了解は不要でした。

このような状況ですから、2.26事件の反乱に対し、それが反乱だと分かっていても他の軍隊は勝手に制圧に動き出すことはできません。動くことができるのは反乱軍の上官が部下の反乱を鎮圧するために他の部下を動かすか、東京警備司令官が命令を出すか、参謀本部が命令を出すか、ということになります。

2.26事件の時、反乱軍は陸軍省も参謀本部も制圧してしまっていたのですが、どういうわけか道一つ隔てた東京警備司令部については警戒するだけで制圧はせず、反乱軍の将校と警備司令部の将校は道端で話をしたりしています。反乱軍も東京警備司令部をそれほど警戒していなかったということでもあり、東京警備司令部も反乱軍を捕まえたり攻撃しようとしなかった、ということでもあります。

で、2月26日に『陸軍大臣告示』なる文章が作られます。これは陸軍大臣の名前で、反乱軍の将校達に『2.26事件の行動は正しい』とお墨付きを与えるものです。

これは事後の辻褄合わせの結果、2月26日の午後3時過ぎに作られ反乱軍の将校達をおとなしくさせる説得のために使われたということになっていますが、この文章が実は2月26日の午前10時過ぎに作られ、東京警備司令官が陸軍大臣の代わりに、と言って方々に配布しています。反乱軍の将校に見せるだけのものが全国の陸軍の部隊に配布され、海軍にも渡されています。これによって反乱軍の行動は陸軍大臣が正当化していることを広く軍全体に通知しているわけです。

反乱軍が御輿に担ごうとした真崎大将は、この時すでに陸軍の中では軍事参議官というお飾り的な地位に置かれており、他の真崎派の将軍達も実質的な権力を持っていなかった中、この東京警備司令部の香椎中将だけは実際に兵隊を動かす力を持っていて、この『陸軍大臣告示』を全国にばら撒いたり、その前に反乱軍の団体である第一師団や近衛師団に命令を出して反乱軍を勝手に鎮圧しないようにしたり、あるいは東京近辺の部隊に命令を出して東京に集めたりしています。それが反乱軍を制圧するためだったのか、反乱軍に加わらせるためだったのかは不明ですが、そんなわけで反乱軍としては戒厳令が敷かれて香椎中将がそのまま戒厳司令官になれば、もうクーデターは成功したも同然、という風に考えていたと思われます。

一方参謀本部の若手将校もこの片倉さんの計画に従って2.26事件のクーデターの乗っ取りをしようと思っていますから、戒厳令の発令は計画通りということになります。東京警備司令部は10人ちょっとの小さな組織ですが、戒厳司令部となるとそんな少人数ではどうにもならないので、他の部署から応援を求めて倍位の規模になっています。そしてその中に参謀本部の将校が何人も入っているわけです。

東京警備司令部では司令官に反対の意見を言う者がいても、司令官の意向で香椎中将の思うとおりにできたのですが、戒厳司令部に新たに加わった参謀本部から来た将校達は東京警備司令官であれ戒厳司令官であれ、中将であれ、そんなものはへとも思っていませんから、片倉さんのシナリオ通りにクーデター乗っ取りを着々と進めます。この時点で2.26事件の首謀者の将校達の敗北は決まってしまったわけです。

戒厳司令部は反乱軍の占拠しているすぐ目の前の三宅坂の東京警備司令部から、一夜にして皇居を挟んで反対側の九段下の軍人会館(3.11の地震で被害を受けて閉館になってしまった九段会館がこの当時はこの名前でよばれていました)に移されたわけですが、反乱軍側の将校達は自分達の陣地を離れて何度もその戒厳司令部に香椎さんを訪ねて行って、いろいろ相談しています。

しかしどうにもならず、2月29日にはほとんどの青年将校達はあきらめておとなしく逮捕されることになります。その後2.26事件専用の軍法会議で裁判が行われ、主だった者が死刑の判決を受け死んでいったわけです。

青年将校達の純粋な気持ちを踏みにじって無残にも殺してしまった、という言い方もできますが、多分そうではないんだろうと思います。
青年将校達は自分たちのクーデターが失敗するとは思わず、ほぼ確実に成功し、救国の英雄として称賛されながら満州に進軍するんだ、と思っていたんだと思います。失敗して国賊の汚名を着せられて処刑されることも覚悟のうえで決起した、ということではなさそうです。

青年将校達は自分達を『昭和維新の志士』だと思っていたはずです。ですから吉田松陰の『志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず』(もともとは孟子か何かの言葉のようです)という言葉を知っていたはずです。これは志がうまく行かずに野たれ死にし、死体がどぶに捨てられるということを常に覚悟している、というような意味です。

彼らは死刑になりましたが、死体がどぶに捨てられたわけではなく、彼らのクーデターは天保銭組の青年将校達に乗っ取られたとはいえ、その結果財閥や政治家や官僚を排除した軍主導の国家にするという彼らの目的は見事に達成され、日本は太平洋戦争に突っ込んで行き悲惨な敗戦を迎えるに至ったわけです。すなわち彼らが願った維新革命は、太平洋戦争の敗戦という形で見事に成功したわけです。

もって瞑すべしというべきでしょうか。

この片倉さん達のクーデター乗っ取り計画、どこまで詳細なものか見てみるのも一興かと思います。見開きでA4サイズの比較的小さな本ではありますが、この『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』だけで50頁もあります。

興味がある人にはお勧めです。

なおこの本、243頁の本ですが、その半分は上記3つの論文と片倉さんがいろんな人とやり取りした書簡集になっています。前半の回想録の部分、2.26事件に至る三月事件、十月事件、5.15事件、士官学校事件については触れていますが、2.26事件そのものについての直接のコメントはありません。

『粋な旋盤工』 小関智弘

2017年3月17日 金曜日

またまた小関さんの本ですが、この本にまとめられているのは小関さんがNC旋盤の勉強を始める以前のもので、まだNC旋盤など何するものだ、というようなスタンスなんですが、むしろ著者が高校を卒業して旋盤工になり、見習いとしてこき使われながら社会正義のために頑張っている姿が書かれています。

高校生のうちから(朝鮮戦争の前のころのことです)社会正義に目覚めた文学少年として反戦・反米運動に参加して、ビラ配りのために町工場に潜り込み、そこで働く職工を見て、少年客気のあまり自分も職工になろうときめてこの世界に飛び込み、60年安保では職場の仲間と零細企業の未組織の労働者としてデモに参加したり、職場で労働組合を作って待遇改善の闘争をしたり、労使の合意がなされる条件として、職場の問題児の著者だけが職場をクビにされたり、そのような中、当初の自ら職工となって中から革命を起こそうという考えが非現実的な話だと理解するようになり、本物の職人となろうとするあたりを、自分自身と周りの様々な職工たちの姿を描くことで表現しています。

これまで私が読んだ、様々な職人の世界に関する話とは違い、むしろ著者本人に焦点を当てた、プロレタリア文学から職人のドキュメントに至る過程が非常に面白い本です。

お勧めします。

『鉄を削る-町工場の技術』小関 智弘

2017年3月12日 日曜日

少し前に紹介した『機械加工の知識がやさしくわかる本』で参考図書として紹介されていた、小関智弘さんの『町工場巡礼の旅』と『町工場の磁界』を読み、あまりにも面白いので同じ著者の他の本を借りて読みました。

読んだのは、『春は鉄までが匂った』『ものつくりに生きる』『鉄を削る 町工場の技術』『町工場・スーパーなものづくり』という本です。まだ読めていないものも何冊もあります。

著者は高校を卒業して町工場で旋盤工になり、いくつもの工場を転々としながら旋盤工を続け、途中で従来からの旋盤だけでなく新しくできたNC制御の旋盤も使いこなすようになり、定年後も勤め先に頼まれて週に何回か工場に通って、旋盤・NC旋盤を使って鉄を削り続けていた人です。

その傍ら文筆活動をして何度も芥川賞・直木賞の候補となり、もうちょっとの所で受賞を逃した、ということです。

さらに各地の多数の町工場を訪ね、そのルポルタージュレポートを上にあげたいくつもの本にまとめています。

町工場のレポートといってもそれだけでは分量に不足する分を、自分の職人としての経験も話しています。

NC旋盤というのは、コンピュータ制御の旋盤でプログラムを組んで、それで自動運転させる旋盤ですが、多分今ではこんなやり方ではないと思いますが、小関さんが始めた頃はプログラムを紙テープに穿孔して、それを機械にかけて動かしていました。

で、『プログラムを組む』と言う所、小関さんは『紙テープを作る』と表現しています。

文学青年の旋盤工が四苦八苦しながら手探りで『紙テープ作り』に挑戦するくだりは、40年前私が手探りでコンピュータプログラミングを始めたころと良く似ていて、懐かしくなりました。

どの本を読んでも面白く、職人の世界の辛さと面白さを満喫させてくれます。

お勧めします。

『検察秘録 2.26事件(1~4)(匂坂資料5~8)』

2017年3月6日 月曜日

先日友人とちょっとフェースブックでのやり取りで、2.26事件の事件関係の書籍について話をしました。その中で、この事件の軍法会議で検察官側のトップとして取り調べをリードした匂坂法務官が持っていた資料については、匂坂資料1巻~8巻として出版されていて、うち1巻~4巻が5.15事件関係、5巻~8巻が2.26事件だ、と書きながら、この資料についてはそういえばまだ見てなかったなと思い出しました。

この資料を元にして澤地久枝さんが書いた『雪は汚れていた』を読んで、この資料も何となく読んだようなつもりになっていたのですが、改めてその元資料を見てみようとして、図書館で借りてみました。

1頁がA5サイズ、見開きでA4サイズで1冊500~700頁位で、中心となる資料の部分は全部2段組みになっている、それが4冊もある、というとんでもない資料集ですから、これを読むのはかなりの覚悟が要ります。

ただしこの資料集を直接見てわかったのは、資料自体の他にいくつかの付録が付いていて、その分が面白そうだということです。
2.26事件.1では
 2.26事件と匂坂資料     澤地久枝
 父匂坂春平と資料について  匂坂哲郎
 付記                原秀男
2.26事件.2では
 戒厳と軍法会議         原秀男
 『電話傍受綴』について     中田整一
 補遺                 澤地久枝
2.26事件.3では
 父と2.26事件           匂坂哲郎
 軍法会議の検察と予審     原秀男
 補遺                澤地久枝
2.26事件.4では
 全集最終巻に際して       原秀男
 父と相沢事件           匂坂哲郎
 補遺ならびに解題        澤地久枝
 血盟団、5.15事件 2.26事件 関係文献目録    須崎慎一
というものが付いています。

澤地久枝さんというのは、この資料を分析し『雪は汚れていた』という本を書いた人です。匂坂哲郎さんというのはこの資料を残した匂坂春平法務官の息子で、この資料の公表を決めた人です。
原秀男さんというのは、昭和15年頃司法試験に合格し陸軍法務官になった人で、戦後弁護士をしながら2.26事件の軍法会議資料の発見に努め、また陸軍法務官だった経歴を活かして資料の読み方について澤地さんにアドバイスしたり、あるいはその後発見された軍法会議の資料を元に『2.26事件事件 軍法会議』という本を書いている人です。

私は2.26事件では、事件発生時東京警備司令官であり、その後戒厳司令官になった香椎浩平中将と、この事件で総理大臣になる予定だった真崎甚三郎大将の行動に関心があり、いわゆる青年将校達やこれに引きずられて事件に巻き込まれてしまった北一輝、西田税等についてはあまり興味がありません。

で、この中で匂坂さんが父親との思い出を語っているものの中に、匂坂春平法務官が真崎大将に殺されそうになったという話が入っていました。

相澤中佐が永田鉄山軍局長を殺害し、軍法会議にかけられることになったのですが、事件の後すぐのある日、匂坂法務官が陸軍大臣の秘書官からすぐ来てくれと言われて行ってみると、真崎大将が来ていて、陸軍大臣に会いたいと言ったのが大臣は不在で、では法務部長に会いたいと言ったのがそれも不在で、その代わりとして法務官のトップである匂坂さんが呼ばれたということで、真崎さんは相澤さんに対して、軍法会議をするな、という主張をした、ということです。で匂坂さんは丁寧に軍法会議の説明をし、それをやめることはできないと説明しようとしたら、問答無用、言う事を聞かなければタタキ切ってやるとばかりにいきなり軍刀を抜いて振りかぶった、という話です。外で様子をうかがっていた秘書官が真崎さんを止めに入って、匂坂さんは殺されずに済んだという話を、帰宅して息子の匂坂哲郎さんに話したということです。

相澤中佐による永田鉄山軍局長殺害事件で、2.26事件の後で相澤中佐は軍法会議で死刑になるのですが、その判決が決まるまで、他からの教唆については否定していました。刑の執行の直前になって暴れ出し、手がつけられなくなって匂坂法務官が面会に行きじっくり話を聞いた所、相澤中佐はようやく落ち着いて、永田鉄山を殺したのは自分の間違いだったと言って処刑されていったということですが、その際、実は永田鉄山殺害は真崎大将に言われてやったんだ、ということを初めて明らかにした、ということです。

相澤中佐が捕まって軍法会議の準備をしている時、真崎大将は相澤中佐がいつ自分に言われて永田鉄山を殺害したと言い出すか分からず、いてもたってもいられなくなって、軍法会議をやめさせようとして軍刀を抜いた、ということなのかなと思います。

2.26事件も、成功したら相澤中佐の裁判も終了して相澤中佐は無罪放免となり、真崎大将の殺人教唆も問題にならなくなります。

真崎大将としては2.26事件のクーデターを成功させて自分が総理大臣になるという野心もあったんでしょうが、むしろ相澤中佐の裁判をやめさせて自分の殺人教唆を表に出さないことの方が重大なことだったのかも知れません。

もしそうだったとしたら、一人の小心の大将の保身のために死刑になった青年将校や、それに巻き込まれてしまった人達は何とも情けない、可哀想な話ですね。

『確率・統計入門』 小針 晛宏

2017年2月9日 木曜日

ちょっと毛色を変えて、数学の教科書を紹介します。

アクチュアリーという仕事は時として確率・統計の計算が必要になるため、資格試験の科目にこの確率・統計が含まれています。私も大昔にこの試験に合格はしているんですが、今イチちゃんと理解している、という気持ちになれないので時々教科書を眺めたりしているんですが、この本もその一つで、かなり以前に買ったものを思いついて引っ張り出してきて読んでみました。

1973年に第1刷が出版され、私が買ったのは2000年の第30刷です。第30刷までいっているということで、それなりに売れている本なんだろうと思います(今でも新本として売っているようです)。

この本は著者の小針さんが若くして亡くなった後、友人の数学者たちが著者の原稿を整理して出版したもののようで、友人代表のような形で広中平祐さんが「序にかえて」という一文を載せています。数学が苦手だ、数学は嫌いだ、という人も、この広中さんの文章を読むだけでも十分価値があると思います。

この本は非常にうまく工夫されていて、確率・統計の本質的な所を説明しています。

確率ではよく、いろんな出来事の全体を確率計算の対象とし、その個々のケースの起こる確率を『同じ』とする、ということが良くあるんですが、この『同じ』というのを、もっと厳密にどう『同じ』とするのかによって、様々な確率モデルができる、という説明から始まります。この『同じ』が要注意だ、ということは、本の後半の部分にも時々登場します。

『確率の基本的概念』、『いろいろな分布』、『多変数の分布』という章がそのあとに続き、『正規分布』の章ではスターリングの公式を証明し、またフーリエ変換の所ではごく簡単にですが超関数についても触れています。このあたり数学者らしい生真面目さで、証明は省略しても議論はきちんとしています。
次に『乱歩』という章で、ランダムウォークについてかなり丁寧に説明しています。

最後の『標本の抽出』と『推定・検定』という2つの章では、統計の推定・検定というのは何をやっているのか、すなわち母集団の中から標本を抽出して、その抽出した標本の全体を一つの確率空間と考えて確率モデルを作り、そのモデルの分布を計算することにより推定や検定をするんだ、ということが二つの章に分けることにより明確に示されています。

この統計の部分ではX2(カイ二乗)分布とか、F-分布、t-分布などというものが出てきて、その計算をするためにかなり面倒くさい積分計算をしたりするのですが、その部分について
『ともかく説明できることを次々と証明してゆこう。その味気なさに耐え難い諸君は‘信じる者は救われる。’‘ホレ信じなさい。’ということで軽く読み流して行けばよいだろう。』
などと書いてあります。今の所私もこの『軽く読み流し』組です。

著者がすでに亡くなっているため、改訂もできないということか、いくつか誤植があったり、多分著者の勘違いのためか間違った記述もあったりしますが、それにも関わらず非常に魅力的で面白い本です。

各章に練習問題が付いていて、その練習問題の答えも丁寧です。本文の方の命題の証明なども丁寧で、いかにも著者が数学を楽しんでいることが伺われます。

とりあえずざっと本文を読み終え、これから各章の練習問題や『軽く読み流し』た積分の計算の所を読もうと思いますが、必ずしも全部読まなくても楽しい本です。

数学が好きな人、あるいは統計に興味がある人、確率・統計をもう一度勉強してみようと思っている人にはお勧めします。

広中さんの『序にかえて』は、数学が嫌いな人にもお勧めします。

『ドイツの歴史を知るための50章』 森井 裕一編

2017年2月8日 水曜日

明石書店から出版されている『エリア・スタディーズ』というシリーズの中の1冊で、これが151冊目ということです。

ヨーロッパはイギリスやフランスはそれぞれ国としての塊がしっかりしているので分かりやすいのですが、ドイツというのはまとまりがなく、なかなか分かりにくい国です。この本で、全体としてのドイツがようやく一つのまとまりとして理解できたように思います。

何しろドイツという国が正式にできたのは明治維新よりすこし後のことですから、それだけでもわけが分からなくても不思議じゃありません。

始めはカエサルのガリア戦役でライン川の南側・西側をガリア、北側・東側をゲルマンとして、ガリアをローマ帝国に組み込み、ゲルマンの方をローマ帝国の外側と規定して以来、ゲルマン民族の大移動を経て、カール大帝のフランク帝国ができ、それが三分され、そのうち中部フランクと東フランクの部分を合わせてローマ帝国(その後『神聖ローマ帝国』となり最終的に『ドイツ国民の神聖ローマ帝国』とよばれるようになったようです)となった国がその元となるのですが、どうしてドイツがローマ帝国になるのか、あるいはどうしてローマ帝国がドイツになるのか、というあたりも説明してあります。

イギリスやフランスであれば、イギリスやフランスという国があり、イギリス人・フランス人がいて英語・フランス語という言語があるということなのですが、ドイツの場合、神聖ローマ帝国と、それを構成する何百かの領地(王国とか侯国とか)や都市(自由都市とか司教座とか)はあるものの、1871年に普仏戦争でプロシアがフランスに勝利し、攻めていったフランスのパリ郊外のベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言するまで、ドイツという国はなかったということです。ドイツ語もドイツ国民の言葉、あるいはドイツ人の言葉というよりむしろドイツ語を話す人をドイツ人と言おう、ドイツ語を話す人の国をドイツと言おう、というくらいの位置付けです。

フランス革命とナポレオン戦争により国民国家というイデオロギーが生まれ、その影響、ドイツでは、ドイツ語を作ろう、ドイツ人を作ろう、ドイツという国を作ろうという活動が一気に進展し、その結果できたのがドイツ語でありドイツ人であり、ドイツという国になるんですが、このような経緯から、それらの範囲はうまく重なり合わないままです。

そのため、たとえばドイツ人の住む国をドイツという国にしようとすれば、とてつもない拡張政策となり、ヒトラーのやったように近隣の国々を次々に飲み込んでいく勢いになります。ドイツという国をドイツ人の住む国にしようとすれば、これまたヒトラーがやったようにドイツ人以外の民族を追放する、あるいは殺害して民族浄化をはかるというとんでもないことになるわけです。

この本はそのようにしてできた、ドイツ帝国から産業革命によりイギリスを上回る工業国となったドイツが第一次大戦で敗れ、その後復興してヒトラーのドイツとなり、世界征服を目指したものの第二次大戦でまたまた敗れ、その後東西に分割されたものが再び統一され、EUの中核として重きをなしている現在の姿まで、丁寧に説明しています。

去年の秋に出版されたものなので、ごく直近の出来事までカバーしています。ドイツという国の古代から現代にいたる全体像が良くわかります。

ドイツという国はヨーロッパの中で一体どのような国なのか、ドイツの外にいるドイツ人をどうするのか、ドイツの外にいるドイツ語を話す人々をどのように捉えたら良いか、という問題意識、逆にドイツはEUの中でも移民・難民を受け入れている国ですが、このドイツの中のドイツ人でない人、ドイツ語を話さない人をどのように扱うか、という問題も抱えている国です。

英国のEU離脱の意思表明、他のEU加盟国でのEU離脱を主張する政党の躍進という状況下、今後のEUの行方を考える上で重要な本だと思います。

お勧めします。

ケインズ 『一般理論』の最後の部分

2017年2月8日 水曜日

一般理論の感想文、途中で止まってしまっていますが、トランプ大統領の登場で思い出した部分があるので、コメントします。

それは、一般理論の最後の24章『一般理論の誘う社会哲学-結語的覚書』の最後の、第5節の部分です。これは時折引用されることがあるので、覚えている人も多いかも知れません。

『思想というものは、もしそれが正しいとしたら-自分の書くものが正しいと思わない著者がどこにいよう-時代を超えた力を持つ、間違いなく持つ、と私は予言する。』

『経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。』

『誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聴く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から(自分に見合った)狂気を抽き出している。』

『たとえば、経済学と政治哲学の分野に限って言えば、25ないし30歳を超えた人で、新しい理論の影響を受ける人は、それほどいない。だから役人や政治家、あるいは扇動家でさえも、彼らが眼前の出来事に適用する思想はおそらく最新のものではないだろう。』

『早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく思想である。』

これらの言葉、トランプ政権の今後4年間、あるいはトランプさんが大統領になった後のアメリカと世界を考える時、じっくり味わいたい言葉だと思います。

トランプさんの信じている経済学、政治哲学がいったい誰の、どのようなものなのでしょう。ノーベル経済学賞の受賞者を輩出しているアメリカの経済学界は、トランプさんをうまく説得できるでしょうか。

『機械加工の知識がやさしくわかる本』 西村 仁

2017年1月17日 火曜日

この本も図書館の「新しく入った本」コーナーで見つけたのですが、タイトル通り、工場などで工員さんが機械工作をしているのがどのような機械、どのような道具でどのようにやっているのか、具体的に説明してある本です(最新型の数値制御、コンピュータ制御になる前の、手動の工作機械だけですが)。

私などテレビなどで工員さんの作業を見ながら羨ましがっている者にとっては格好の本です。

旋盤・フライス盤・ボール盤などの削ったり穴をあけたりの加工、砥石などで削ったり研磨したりする加工、型で打ち抜く加工、鋳型に入れて形を作る鋳造、プラスチックなどの射出成型、金属を叩いて作る鍛造、圧延、押し出し・引き抜き加工、溶接、ロウ付け、接着、レーザー加工、放電加工、エッチング、3Dプリンタ、表面処理のいろいろなやり方、作業の前の材料取りの切断加工、これらの作業のあとのバリ取り、そして加工が設計図通りにできているか確認するための測定作業とそのためのさまざまな測定器について説明してあります。

今まできちんとした言葉の意味を知らずに何となく工作のための機械の一つ、くらいに理解していたものがきちんと分かりました。

自動車工場の映像で、車体を大きな機械の腕でつかんだと思ったら火花が出るのがスポット溶接という溶接法だ、というのも分かりました。また接着剤がいろいろありますが、接着剤でなぜ接合できるかは今でも明らかになっていないんだ、というような話も面白かったです。この話を読んで、すぐに本の出版年を確かめたのですが、2016年9月に初版が出ている本ですから、「今でも」というのは本当に「今でも」なんだろうな、と思います。

ということで、機械加工の現場に行くことはなく、テレビの映像を見て羨ましがっているだけの私のような者にとって、本当に楽しめる本でした。

同じように機械工作の世界に憧れを持っている人にお勧めします。

原 秀男 『二・二六事件軍法会議』

2016年12月12日 月曜日

この本の著者は、昭和11年の2.26事件の時受験勉強で上野の図書館にいて、あとから来た受験生仲間に事件のことを聞かされ、その後昭和15年に今で言えば司法試験に相当する高等文官試験司法科試験に合格し、大学をやめて陸軍の法務官になったという人です。

最初に実習生(今でいう司法修習生)として配属された近衛師団軍法会議・第一師団軍法会議で、以前から興味があった2.26事件関係の資料を見つけ、できるだけ時間を取ってそれを見て、次に本格的に配属された京都の法務部では東京で見ることができなかった、事件の概要と法律の適用をまとめた資料を見せてもらい、見せてくれた法務部長に『判決を非公開にしているのは憲法違反ではないか』と質問し、『フフッ』と笑われて返事をしてもらえなかった、とのことです。

2.26事件の軍法会議は特別の軍法会議として非公開、一審のみ弁護士なし、しかも軍人以外も事件の関係者を一緒に裁判するということで、特別の法律により行われたのですが、そこには判決を非公開にするという規定はなく、これを非公開にするのは帝国憲法に違反するのではないか、といういかにも法律の専門家らしい質問です。これに対して、京都の師団の法務部長(この人も法律の専門家の法務官です)は、憲法違反が分かっていながら軍の意向で何ともできないことを『フフッ』で示したものだと思われます。

その後著者は中国から南方に転戦し、復員後弁護士活動をしながらもずっと2.26事件の軍法会議について考えていたということです。

2.26事件の資料については、空襲で焼かれたとか終戦時に陸軍省が焼き捨てたとかGHQが持って行ったとか様々の噂があったものを、最終的に、一旦GHQに押収されたものがその後返却され、東京地検に渡されたという所まで確認し、以後東京地検の幹部に会うたびに地検にあるはずだから探して公表するように言ってきたということです。

昭和の終り頃ようやく資料が地検にあることが確認され、平成5年にようやく公開され、著者もようやく見ることができたとのことです。

著者は現役の陸軍法務官でしたから、軍の裁判・軍法会議が実際どのように行われるか、良く分かっています。

軍法会議の対象になるのは軍の刑事事件ですから、その手続きは刑事訴訟法に準じたやり方になっており、戦前のことですから戦前の刑事訴訟法の手続きに似たやり方のようです。

この刑事訴訟法、戦前と戦後では大きく変わっており、戦後の裁判については映画やテレビドラマ等で何となくわかったような気になっていますが、戦前の裁判の手続きはこれとはまるで違っていたようです。

たとえば今の刑事裁判では、検察側と弁護側で交互に被告や証人に対し尋問し反対尋問し、というのを延々と繰り返し、裁判官はそれをずっと聞いているというイメージがありますが、戦前の刑事裁判では被告や証人に対する尋問は裁判長が行ない、検察官や弁護士は裁判官の許可がなければ発言することも尋問することもできなかった、なんてことが書いてあります。このことを踏まえるか踏まえないかで、2.26事件の裁判記録に読み方も変わってくるように思います。

この裁判で事件の黒幕と言われた真崎大将と反乱側の磯部浅一の『対決』という話があり、真崎大将の側も磯部浅一の側もそれぞれまるで異なった記録を残していますが、著者によるとどちらも戦前の刑事訴訟法に準じた軍法会議ではあり得ないような話だ、ということで、それが新たに公表された記録により実際どのように裁判が行われたのかが明確になり、真崎大将も磯部浅一もどちらもとんでもない嘘を言っていたことが明らかになりました。

また2.26事件の時戒厳令が出されたと一般に解説され、普通はそんなものかと思っていますが、さすがに著者は専門家ですからそこの所もきちんと解説しています。

帝国憲法には第14条に『天皇は戒厳を宣告す』となっているのですが、それについては『戒厳の要件及び効力は法律を持ってこれを定む』となっていて、じゃぁその法律があるのかと思うと、その法律はないということです。帝国憲法ができてから2.26事件の時まで、誰もその法律を作ろうとしなかったということです。

で、そうなると帝国憲法ができる前の太政官布告の戒厳令が有効になるので、それを使ったのかと思うとそうでもなく、2.26事件の時は2.26事件のためだけに緊急勅令の形で特別の戒厳令を作り(帝国憲法では緊急時には天皇が勅令の形で法律を作り、事後的に国会で承認する手続きが定められています)、これを適用させたんだということです(2.26事件の特別の軍法会議もこれと同様、2.26事件のために特別に作られたものです)。

戒厳令というと、これが出ると戒厳司令官は何でもできる『斬り捨て御免』のようなイメージがあり、軍人達の多くはそう思っていたようですが、実はそうではなく、たとえばこの2.26事件の時の戒厳令は、一定の地域について

    • 地方行政事務と司法事務のうち、軍事に関係のあるものについて戒厳司令官が指揮できる。
      憲法で保障されている居住移転の自由、住居の不可侵、住居の秘密、所有権の不可侵、言論・著作・集合・結社の自由の諸権制を戒厳司令官が停止できる。
  • というだけのことです。

    これ以外のことについては当然憲法や他の法律が適用されるということです。当然『斬り捨てご免』なんてことになったら殺人罪が適用されます。
    2.26事件では、26日の朝、未明に事件が発生し、26日の夜にはこのあたり全てをきちんと整理して緊急勅令を出して、戒厳司令官を任命しているんですから、このあたりの法務官僚の働きは素晴らしいものです。

    香椎(かしい)浩平中将というのは、2.26事件の当時、東京警備司令部の司令官で(ですから東京で軍の反乱が起きたらまず最初に鎮圧に動き出さなければならない立場の人です)、戒厳令の発令と同時に戒厳司令官になった人ですが、この時、他の大将達が宮中と陸軍大臣官邸の間を行ったり来たりウロウロしている中、ただ一人反乱軍の青年将校達のために自分の立場を利用して最大限の支援をした人です。この人に対して、反乱軍を支援した、ということで強制捜査をすることに関して、「すべきだ」という結論の報告書と「すべきでない」という結論の報告書の両方を匂坂(さきさか)法務官が作成したということは、澤地久枝さんの『雪は汚れていた』という本に書かれていたのですが、新たに公開された2.26事件資料ではそのどちらも使われず、最後のページが破り取られた所に朱書きで『証拠不十分で不起訴』という意味の結論が書かれていたという、びっくりするような話も報告されています。

    匂坂さんはこの香椎中将の捜査を通して、真崎大将がこの事件の黒幕だったことを証明しようとしたのですが、香椎中将は強制捜査の対象とされず、事態が終息した所で軍から放り出されて終わったのですが、真崎大将の方は軍法会議に拘留され、取り調べを受け裁判を受けることになりました。この裁判の最後の判決文を書く所で、法務官として裁判官の一人だった小川関冶郎さんは有罪を主張し、これ以外の二人の軍人の裁判官は無罪を主張し、最後には裁判長である軍人が、病気を理由に裁判官を降りることによってこの真崎大将の裁判自体をなかったものにしよう、という所まで来たため、結局小川法務官が折れて『真崎大将は反乱軍を有利にするための行動をいろいろしたのは確かだけれど、反乱軍を有利にしようとしてそうしたとは言えないから無罪』という何とも不思議な判決文を書いた、などという話も詳しく説明しています。

    小川法務官の真崎大将関係の資料は、みすず書房の『現代史資料』の23巻『国家主義運動3』の中に、永田鉄山惨殺の相沢事件関係資料と一緒に入っています。
    この中には小川法務官の『2.26事件秘史』というメモも入っており2.26事件の全体像を理解するのに最高のまとめだと思います。

    いずれにしてもこの原秀男さんという人は、中国からフィリピン、オーストラリアの北部まで行って、戦争が終わり収容所に入ってからも軍法会議を続けたというなかなか骨のある本物の法律家です。

    法務官という特殊な立場にいた人の解説は他ではなかなか得られない貴重なものです。

    お勧めします。

    佐藤優 『日本国家の神髄-禁書「国体の本義」を読み解く』

    2016年12月9日 金曜日

    この本は副題として『禁書「国体の本義」を読み解く』となっていて、昭和12年に文部省が発行した『国体の本義』という本の解説になっています。

    以前、天皇機関説事件についていくつか本を読んだ時、この天皇機関説事件は昭和10年に起こり、その延長線上に永田鉄山斬殺事件があり、昭和11年の2.26事件があり、そして昭和12年の『国体の本義』があるということで、読んでみたいと思っていました。

    この本に『禁書』と表現されているように、戦後はGHQによりこの『国体の本義』が禁書扱いされていたようで、いろいろ本を検索してみてもまるで見つかりません。その中でみつけたのがこの佐藤優さんの本です。この本の中で佐藤さんは『国体の本義』を全文引用し、それにコメントを付けるということをやっています。

    佐藤さんの解説・コメントはかなりインパクトの強いものなので、それを読んでいると『国体の本義』の方がちょっと霞んでしまい勝ちなのですが、何とか両方読むことができます。

    改めてネットで検索すると、『国体の本義』の全文がA4で43ページになっているものがpdfファイルの形で手に入りますので、この本を読んだあと『国体の本義』だけ読み直すと良いかも知れません。もちろんこの本に引用されている部分だけを通して読んでも良いのでしょうが、ついつい余計な佐藤さんのコメントに目が行ってしまい勝ちです。

    で、以前にも書きましたが、天皇機関説事件というのは、美濃部達吉さんの天皇機関説が日本の国体にもとる重大な間違いだから、美濃部さんの本を発禁にしろ、美濃部さんを大学から追い出せ、この天皇機関説が間違いだということを政府がきちんと発表しろ、と軍や右翼の運動家、政治家などの一部が大騒ぎした、というものでした。

    その中で、そもそも日本の国体についてきちんとした説明がないからこんな事が起こるんであり、政府はきちんとした日本の国体の説明書を作り、国民に教えなければならない、という議論が出てきたわけです。

    さんざん国体を振り回して大騒ぎをしたあげく、国体がきちんと定義されていないじゃないか、と言いがかりをつけるというのは、何ともおかしな言い分なのですが、時の勢いというのはどうにもならないで、政府もこれを約束することになってしまいました。

    そんな経緯で作られた本ですから、この『国体の本義』というのはいかにもおどろおどろしい、神がかり的な、べったり右翼の国粋主義の本かと思ったら、何とまるでそんなものとは違います。

    エイヤッとまとめてしまうと、日本の国体というのは神話の時代から大家族主義で天皇家を始めとする日本人全体が一つの家族のようなもので、大昔からの天皇をはじめとする先祖の教えに従って天皇は国民のために国を守り国民を守る、国民はその天皇を助けて天皇を守り国を守る。これが大昔からの言い伝えで、それが日本の国家的信念であって国体である、ということです。

    これに対して特に欧米を中心とする諸外国の思想は基本的に個人主義であり、その上に民主主義とか自由民権思想とか、実利主義・功利主義あるいは社会主義・無政府主義・共産主義・ファシズムなどがある。そのためそのような思想をそのまま日本に持ち込んでも日本の団体とうまく折り合いがつかないで混乱が起きるばかりだ。以前、仏教や儒教を取り入れた時のように、時間をかけ、十分咀嚼し消化してから吸収すれば日本にとっても大いに役に立つことになるんだが、という位のごく真っ当な話です。

    これを説明するために、古事記・日本書紀から始まって、神皇正統記その他たくさんの書物を引用し、天皇やいろんな人の和歌を引いてこれを証明しようとしています。

    で、結局この『国体の本義』は、天皇機関説事件の時に大騒ぎをしていた人達が意図したものとはまるで違ったものになったんだと思いますが、これでまた大騒ぎが起こった、というような話は聞きません。

    もうすでに2.26事件も終わり、日本が軍主導の国になってしまっており、シナ事変も起こる直前で戦時体制に入ってしまっていたため、今更『国体』なんて話を持ち出しても誰の興味も引かなかったということでしょうか。学校の先生たちは読んだんでしょうが、一般の国民にはすでに軍や政治家やマスコミが散々振り回している国体で十分だったのかもしれません。

    なお、この『日本国家の神髄』という本ですが、何ヵ所か間違いがあります。
    前書きの最後の所、『国体の本義』の公刊が昭和12年なのに、昭和7年となっています。昭和7年だと天皇機関説事件よりも2.26事件よりも前になってしまうので、まるで話が違ってしまいます。
    また前書きと後書きの前後にそれを書いた年月が入れてあり、年の方は皇紀・平成・西暦の3本建てで表示してるのですが、この皇紀の年数が間違っています。国体に関する本だから、普通は入れない皇紀の年数をわざわざ入れているのに、それが間違っているんではどうにもなりません。

    このあたり校正ミスというか、今はやりの言葉を使えば校閲ミスということになるかと思います。

    また本文の方では、『国体の本義』のテキストを引用している部分以外の部分は『国体の本義』を単純に今の言葉に言い換えている部分、それについて説明している部分、佐藤さんが意見を言っている部分等、いくつかの部分に分かれます。

    本の初めの方ではこのあたりが明確に区別できるように書いてあるのですが、後半の方ではそのあたりの区分がはっきりしなくなり、『国体の本義』を現代語に直してある部分が佐藤さんの意見ででもあるかのような表現になってしまっています。

    これは言うなれば編集者の手抜き、ということになるのでしょうか。

    これら校閲の問題と編集の問題を除けば、非常に面白く読めます。
    普段使わない言葉も丁寧に説明してあり、わかりやすくなっています。
    日本の『国体』に関心のある人にはお勧めです。