昔のブログの移行が何とかできたようです。
この作業をしてみて気がついたこと
1.前のブログではコメントにタイトルが付いたけれど、
このブログではコメントにタイトルが付かない。
=>仕方がないのでコメントの始めにタイトルをつけた。
2.前のブログではトラックバックが付けられたけれど、
このブログではどうやったらいいのかわからない。
=>仕方がないのでトラックバックをコメントとして移した。
これでまあ、何とかそれらしいものになったような気がします。
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このブログはまだ始めたばかりですが、以前やっていたブログがあります。
タダだ、といわれてついうかうかと始め、しばらく投稿したあとほうりっぱなしになっていたのですが、そのブログのプロバイダーはその後有料のサービスを始め(以前から無料のサービスを使っていた人はそのまま続けることができました)、ここへ来ていよいよ無料のサービスをやめる、と通知してきました。
そこで、その部分をこちらに移行することにしました。
ふつうはブログの移行はブログで用意されているそのためのシステムを使ってほとんど自動的に作業するのですが、今回は投稿の数もそんなに多くないので手動で一つ一つ移すことにします。
いきなり2005年や2006年などの記事が追加されますが、驚かないでください。
昔、こんなこともあった、こんなことも言っていたんだ、と懐かしくもあります。引越しの荷造りをサボって古新聞をついつい読んでしまうようなものですね。
移行する投稿は区別するために全部『昔のブログ』というカテゴリーに入れることにします。
総理大臣が小泉さんから安倍さんに交代し、話題も「国家の品格」から「美しい国日本」に移っています。そろそろ藤原正彦さんの「国家の品格」についてコメントしても良い頃かなと思います。
この本がベストセラーになって大きな話題になったのは知っていますが、特に読みたいとも思いませんでした。しかし何人かの知り合いからはなぜ読まないんだと責められました。
この本は数学者の書いた本がベストセラーになったという大変珍しい本です。世間一般では大学で数学を専攻した人もその延長線上で数学者になった人も同じよ うなものだと思っているようです。私も他の多くのアクチュアリーと同様、大学で数学を専攻しています。大学で数学を専攻した人間が仲間の数学者の書いた本 がベストセラーになったのにどうして読もうとしないのか、ということのようです。
私は別に自分を数学者だと思ってもいないし仲間とも思っていないのですが、気を取り直して読んでみることにしました。
この本ではまず最初に論理的思考は危険だ、論理的に考えるべきではないということを言います。一般には数学というのは論理や理屈の総元締めみたい に思われていますので、そこの専門家である数学者がこんなことを言うと読者はびっくりし、そして多分嬉しくなってしまうんだろうと思います。論理的な思考 を筋道をたどりながら正確に理解することも必要ないし、議論の辻棲が合っているか整合性が取れているかなど、頭の疲れる作業はもうしなくても良いと言われ るわけですから、こんな楽なことはありません。
その後に来るのは「美しい情緒と形」という何度も繰返されるキャッチフレーズを初めとする、様々な言葉の羅列です。私は情緒という言葉に美しいという形容詞がついたのは初めて見るので、これがどんな意味を持つのか全くわかりません。
この本ではもう既に論理的に考えてはいけないと言っているので、もちろん言葉の意味の説明などどこにもありません。何となく言葉のイメージのつな がりで話が展開されていき、様々なことが説明なしに断定されます。日本は素晴らしいという断定だったり、日本はダメだという断定だったりします。その過程 で「武士道」という言葉も何の説明もなしに登場し、最終的に「国家の品格」という言葉が語られます。そして「日本は世界一素晴らしい国だ」「世界を救うの は日本人だ」という結論になります。もちろんその論理的説明などありません。
もちろん話の展開が辻棲が合っているかとか、論理的整合性があるかなどと考えてはいけません。意味不明の何となく感じの良い言葉が次々に展開さ れていくのを、理屈抜きにイメージを感じながら漂っていけば良いということですから、ここはどんな意味だろうとか、前の文とのつながりはどうなっているん だろうなどと考える必要もありません。こんな楽な読書はありません。
多分多くの読者は様々な言葉に自分なりの意味をつけ、文章も自分なりに理解しながら読んでいるんだろうと思います。
本自体は言葉の意味の説明もしないし論理的な文章も否定していますから、言葉や文章にどんな意味を感じたとしても「それは違う」などと否定される心配はありません。好きなように読めば良いんです。
私の本の読み方は意味不明の言葉に自分勝手に何らかの意味をつけ、意味不明の文章を自分勝手に解釈するというやり方ではありません。素直に意味不 明の言葉は意味不明と読み、意味不明の文章は意味不明と読むことにしていますので、この本は私にとって途中から意味不明になり、そのまま意味不明のまま読 み進めたら意味不明のまま終わってしまったということです。
読み終わって何のメッセージも伝わって来ませんので、面白いもつまらないもない‥なのでこれがどうしてこんなに大人気になったんだろうと思いました。
そしてこの何もないのが大人気の理由なんだと思ったりしました。
文章を読んでその意味を理解しなければならないという必要もないし、文章の論理的構造がどうなっているのか、どのように議論が展開されているか理 解しなければならないということもな<、単に気持の良い言葉の羅列を眺めているだけで良い。これで本をまるまる一冊読み終わったという充実感を感じ ることができるというわけですから、これは多くの読者にとって嬉しいかも知れません。
さらに断定というのは、何が断定されていようと何となく元気になります。たとえば意味のわからない外国語の歌が気持の良いリズムで歌われるのを聞くようなもので、そのリズムに乗るだけで気持が良くなります。
考えてみれば小泉さんも「ワンフレーズポリティックス」とかいって意味不明の言葉を一言だけ言って、その意味の説明もしないで放っておく。他の人 が勝手にその意味を考えるに任せるというスタイルでした。また議論の辻棲が合わなくても以前言っていたことと違うことを言っても嘘をついても平然としてい ました。この本の人気は小泉さんの人気と同じことなのかも知れません。
「国家の品格」が「美しい国日本」に代わって、これもまた良<意味のわからない言葉です。安倍さんはこれ以外にも色々新しい言葉を意味を明確にしないで使っているようです。しばらくは安倍さんの人気はこのまま続くのでしょうか
とはいえいくらしんどいといっても、論理的思考なしではいつまでも続けられません。いずれは気を取り直して、ちょっとしんどくても明確な意味のある言葉で論理的な議論が行なわれる時代がまた来るんだろうと思います。それまでまだ何年もかかるのかも知れません。
実はこの本にはもうーつしかけがあります。というのはこの本は講演をもとにしているという注意書きです。講演であればいちいち言葉の意味の定義を したりしないし、きちんとした論理的な記述などする時間的余裕はないと言ってしまえばそれまでです。私の上に書いた感想などそれだけで吹っ飛んでしまいま す。そこまで考えるのはちょっとウガチすぎかなとも思いますが、この点も含めてなかなか興味深い本でした。
ホリエモンは頑張っているようですね。
結局、起訴されるまでがんばり通して、その後裁判の準備のためにようやく保釈になりましたが、大したものです。
保釈になった途端、マスコミの論調は急にホリエモンが裁判に勝つかも知れないということになってきました。
そのこともあってか、今度は急に村上ファンドの村上さん逮捕ということになりました。これでホリエモンをもう一度悪者と印象付けようということでしょうか。
村上さんも頑張っています。こちらはホリエモンとは違って悪いことをしたかどうかなどという余計なことは一切気にしないで、何をするのが一番得か(損しないか)だけを考えて、サッサと検察の言いなりになってしまっているようです。時は金なり、という所でしょうか。
逮捕前に1時間半のワンマンショーをやったり、逮捕されたと思ったらアットいう間に保釈されたり、検察と村上さんのどちらが上手なのか、これからの推移を見守りたいと思います。
ここまで来るといわゆるMHKのM(村上さん)とH(ホリエモン)の二人が捕まって、あと残るはKさんだけということになりますが、こちらの方は小泉さん が総理大臣をやめて万に一つ竹中さんが次の総理大臣になるなどということでもない限り、ある意味でどうでも良い話なのかも知れません。あるいは小泉さん引 退を待っているのかも知れませんね。
ライブドア関係の裁判もようやく始まったようです。
今後共引続き、ホリエモンの頑張りを見守りたいと思います。
あいかわらず途切れることなく垂れ流される一方的な検察情報によって、世間的にはホリエモンの有罪はほとんど誰もが疑わない状況になってしまいました。
この期に及んでまだ「頑張れホリエモン」なんて言っても誰も聞いてくれないからやめといた方が良いという忠告も貰ったのですが、やはりホリエモンには最後 の最後まで頑張ってもらいたいし、今の所期待に応えてホリエモンも頑張ってくれているので、この間にこのコメントを書いておこうと思います。
ホリエモンも単なる金儲けだけ考えるのであればここで頑張っても何の意味もないので、さっさと検察のシナリオに乗って有罪でも何でもできるだけ早 く裁判を終わらせてしまって、再帰をはかる方が良いに決まっています。風評の流布とか粉飾決済とかであれば大した罪にはならないでしょうから。
でもそれじゃあ何の解決にもなりません。ここでホリエモンが頑張り続けることによって、何年もかけて「風評の流布とは何がいけないのか」「粉飾決算でやってよいことは何か・やってはいけないことは何か」という議論を本気ですることができると思います。
検察当局が本気でかかっていますから、多分一審ではホリエモン有罪ということになるでしょうが、その後の高裁・最高裁での議論の過程で、日本の法律家・会計学者・経済学者・経営学者の力量が問われることになるでしょう。
そのような貴重なチャンスを逃してしまうのは何とも勿体無いなと思い、やはり「頑張れホリエモン」と言わないではいられなくなります。
もしかするとホリエモンの独特のやり方でこの裁判の進行をエンターテイメントにすることができれば、さらに素晴らしいことです。日本中が楽しみながら法律・経済・会計・経営の勉強をすることができるんですから。
とはいえ「頑張れ」と応援だけしているのも他人まかせすぎるような気もするので、ここでちょっとホリエモンに代表される「時価総額経営」というのは一体何なんだろうか、考えてみたいと思います。
1年前のフジテレビとライブドアの騒動の時は、何だかわけのわからないことをするなと思っていたのですが、その後の経緯を見ながら考えていたら、この「時価総額経営」というのも1つの新しい経営の考え方かも知れないなと思うようになりました。
私の考えた所をここに書いてみます。忌憚のない意見を頂けると有り難いです。
今更説明するまでもないことですが、時価総額というのは株式の時価総額、あるいは会社全体の買い取り価格ということです。さらに言えば、会社の持 つ資産と負債の全てを、会計のルールで表面に出て来るものも出てこないものもひっくるめて全てを時価評価して、資産の評価値が負債の評価値をどれだけ上 回っているかという金額です。その意味でトコトン究極の時価会計ということができます。
資産から負債を引いたものが自己資本ですから、究極の自己資本と言っても良いものです。
自己資本というのは、資本金と利益のたまったものの総額ですから、これは多い方が良いに決まっています。会社をやる以上、儲からなくてはいけない。儲かる会社が良い会社だ。儲かる会社は自己資本が大きくなるというわけです。
会社は株主のものだという考え方に立てば、株主が投資した資本金に対して利益を増やして、株主の持分を増やすことが良い経営だということになります。
会社は株主だけのものじゃない、もっとたくさんの利害関係者、即ち株主・取引先・顧客・従業員・国等のためのものだという考え方に立っても、会社 が儲けてそれを株主に配当し、取引先にも儲けさせ、顧客にはより良い商品・サービスをより安く提供し、従業員にももっと給料を払い、国にももっと税金を払 うという方が、会社が儲からなくてそんなことが何もできないより良いに決まっています。
従来型の会計・経営の考え方はこのような利益主導の考え方で、自己資本が増えることは良いことではあるけれど、それはあくまで利益で増えることが良いことなんであって、資本金を増やして自己資本を増やすというのは、別に経営の成果でも何でもないという考え方でした。
増資で資本金を増やして自己資本を増やすのは、借金して総資産を増やすのと同じようなもので、別に偉くも何ともない。場合によっては利益の取り分が減ってしまうから良くないことかも知れない、というのが従来型の考え方です。
この考え方の裏には無意識的に(あるいは意識的に)、経営者は株主のために(あるいは株主その他の利害関係者のために)会社の利益を増やすのが役目だという考え方がありそうです。
「資本と経営の分離」という言葉はかなり以前からありますが、その意味では上記の考え方はあくまで経営者は資本家の下、資本家のために働く存在ということになります。
本当の意味で資本と経営の分離と考えるのであれば、経営者は株主(あるいは全ての利害関係者)のために仕事をするのではなく、自分自身のために仕事をする。そのために会社を経営するのかも知れません。
世の中は金持ちが得をするようにできています。何か買うにもお金持ちの方が安く買えたりします。うまい儲け話もお金持ちだけに参加資格があったりします。
そう考えると経営者にとって、会社はお金持ちだというだけで価値があることになります。そのお金が利益で増えたお金なのか、増資で増えたお金なのか、借金で増えたお金なのかに関わりなく、とにかくお金があるということだけで値打ちがあるということです。
この典型的なのが銀行等の金融機関です。「資産量世界一の銀行」などとえばっているのは実はほとんどは借金(銀行預金も銀行から見れば借金です)ですが、それが多いことが銀行のランクになっています。
ライブドアはフジテレビとの騒動で、ニッポン放送買収のためにまず800億円資本金を増やしました。その後フジテレビとの和解でさらに400億円 フジテレビに出資させました。何ヵ月かのやりとりで1,200億円も自己資本を増やしたということです。別に何を作ったわけでも販売したわけでもないの に、これだけ増やしてしまったわけです。
従来型の会計理論では何の儲けにもなってないじゃないかということになりますが、時価総額経営の立場からは、あっという間に自己資本を増やして素晴らしい成果だということになるのかも知れません。
ライブドアが非難されるのが株式の分割です。たとえば1株1万円の株を100分割したら、1株100円になるはずなのに、そうならないで1株 1,000円になってしまう。分割前1株(=1株×1万円=1万円)持ってた株主は、分割後100株(=100株×1,000円=10万円)持っているこ とになるので、100分割で持ち分が10倍になってしまう大儲けという話です。
株主も持ち分が10倍になるけれど、時価総額も10倍になります。時価総額ベースの自己資本が10倍になるということです。
この株式分割で株価が100分の1にならないのは、株式分割の直後売り買いできる株式数が少なくなるので値段が十分下がらないんだという解説が良 くありますが、そのあとに続く売り買いできる株式数が元の100倍になった後でも、株価が100分の1まで下がらないのはどうしてかという解説はあまり聞 きません。しょせん解説というのは説明できる(あるいは説明しやすい)ことだけ説明して、説明できない(あるいは説明しにくい)ことは知らん顔をするとい う傾向が強いものですから、こんなものかも知れません。時価総額経営の立場から言うと、株式の分割で時価総額が増えるからその分株価が下がらないんだとい うことができそうです。
「会社は誰のものか」という議論があります。「会社は株主のもの」だという考え方、「株主だけでなく取引先・顧客・従業員・国のもの」だという考 え方もあります。もう一つの考え方が「会社は経営者のもの」だという考え方もありそうです。この考え方に立てば経営者が会社という装置を使って思うように 経営するためには、お金があることが重要になります。即ち、時価総額経営ということになります。
従来の会計学は会社は株主のものだ、あるいは会社は利害関係者全員のものだという立場から組立てられています。これを会社は経営者のものだという 立場に立って組立て直してみると、新しい会計学ができるのかも知れません。その立場からすると、従来の会計で粉飾決算と言われた取引もまっとうな取引だと いうことになるのかも知れません。
今回のライブドア事件をきっかけに時価総額経営と経営者資本主義(会社は経営者のものだという考え方)と、そのような考え方にもとづく会計について考えてみると面白いのではないでしょうか。
会社の中で経営者が圧倒的な地位を占め、株主がそれに対して何も言えないような形の企業(たとえば浮動株が多くて主要株主がいないような会社、株 主は株価の値上がりと配当のことしか考えていなくて、経営者を監督しようなどと最初から考えないような会社など)では、むしろこのような見方の方がぴった り来るのかも知れません。そしてそのような会社は実はかなり多くなっているのではないでしょうか。
三洋電機が今の株価の何分の1かで新株を発行して生き残りを計るとか、三菱銀行が多額の増資をして公的資金を返済するとか、株主の立場に立つので はなく、経営者の立場に立った自己資本増強がよく見られます。ライブドアの場合、その会社自体は時価総額経営で会社は経営者のものだという経営をしなが ら、いろいろな会社を買収して、その会社に対しては会社は株主のものだという経営をしようとしている。これがライブドアの行動に関する違和感、いごこちの 悪さの元なのかも知れません。
会社のガバナンス(統治権)と経営手法と会計ルールはセットになるものです。
経営者資本主義、時価総額経営とセットになる会計ルールはどのようなものになるのでしょうか。
無認可共済の保険会社化の保険業法改正に関し、昨年末に
保険業法のより具体的な規定である、保険業法施行令・施行規則等の
改正案が発表されていますが、このさらに実務的な詳細を規定する
「監督指針」が2月24日に公表されました。
http://www.fsa.go.jp/news/newsj/17/hoken/f-20060224-4.html
http://www.fsa.go.jp/news/newsj/17/hoken/f-20060224-4.pdf
例によってパブリックコメントの形での公表で、意見募集の締切は
3月23日です。
これを受けて3月末までに最終案を固めて公表し、4月1日からの
法改正の実施に備えるということになります。
保険会社用のものはすでに「保険会社向けの総合的な監督指針」
という形で数百ページにわたるものが公表されていますが、今回の
監督指針はこれを改訂するということではなく、その別冊として
「少額短期保険業者向け」を追加する形を取るようです。
これ自体は56ページですからそれほど膨大なものではありません。
とはいえ基本的に「保険会社向けの監督指針を参照しつつ対応
しなさい」ということになっているので、実質的に保険会社向けの
監督指針も見なければならないことになりそうです。
ざっと見た感じでは、やはり少額短期保険業者というのもかなり
ハードルが高いな、保険会社なみの体制が求められているな
という感じです。
少額短期保険業者は取扱い商品の幅や事業の規模も様々なので、
この監督指針を機械的・画一的に適用しなくても良いという表現も
ありますが、一方で形式的に監督指針の内容を満たしているからと
いって、それで良いとも言えないという表現もあります。
さらに少額短期保険業者を監督するのは金融庁で、この監督指針を
作ったのも金融庁ですが、実際の監督実務を行なうのは財務省の
下部機関である財務局だという形になっているため、財務局と
金融庁がうまく連携できるかどうかという不確定要素もあります。
ともかくこの監督指針(案)が公表されたことにより、少額短期
保険業者を作る(あるいは少額短期保険業者になる)具体的な
作業を開始することができます。またそのための所用日数の
見積りもできるでしょうから、無認可共済の保険会社化の具体的な
スケジュール作りも可能になります。
ともかく、どんなものか見てみて下さい。
坂本 嘉輝
日本というのは素晴らしい法治国家ですね。
防衛施設庁の談合問題、国会で取り上げられて、あっという間に防衛施設庁が解体されることになったようです。
防衛施設庁というのは国の法律にもとづいて設置されているものなのですから、「解体」のためには法律改正の国会審議が必要だと思うのですが、そんなことお構いなしに所管大臣が「解体します」と発言すればそれで済むようで、その発言を誰も問題にしない。
マンションの構造偽装問題やライブドアに対する検察の対応も同じですが、中学や高校の社会科の先生は法律をどのように生徒に教えているんでしょうね。
建築の構造偽装問題、ヒューザーが地方公共団体を相手に、検査会社を相手に損害賠償の訴訟を起こし、またマンション購入者はヒューザーの破産申し立てを始める等、ようやく動き出しました。
ライブドアの素早い逮捕劇に比べ、構造偽装問題では誰も捕まらず今まで放置されていますので、関係するどの会社も(政治家も?)準備はもう十分でき上がっているという所でしょうか。
ライブドアの方は凄まじいですね。週の頭に強制捜査をしてしまい株式市場を大混乱させてしまったので、これを沈静化するために急遽主要メンバーを何人か逮 捕し、そちらの方からの発言を止めてしまったので、市場もようやく落ち着きを取り戻しています。何の根拠もないのですが、検察の方はまだちょっと準備不足 だったんじゃないかというような気がします。
検察は逮捕したメンバーを拘留し続けて口封じをした上で、どこから出てくるのか毎日毎日洪水のような「新事実」をマスコミでたれ流し、完全に「ライブドア=悪」のイメージを作り上げてしまいました。利用される一方のマスコミもだらしがないものです。
今の所ホリエモンだけは頑張り続けているとのことですが、どこまで頑張り続けることができるか、見守りたいと思います。
いずれにしても、さしもの小泉マジックも自民党大勝の選挙が終わってみればこれほど急速に消えてしまうものかと、目を見張るばかりです。もう誰も 小泉さんの言うことを気にしなくなっているようです。これだけの問題を抱えて、9月の自民党の総裁選はどんなことになるんでしょうか。今年も何かと騒がし い1年になりそうですね。
昨日無認可共済の保険会社化に関する特別セミナーを開催しました。午後1時半から5時まで、途中10分間の休憩を2回取りましたから、正味3時間10分、最後の質疑応答の部分は1時間弱、セミナー会場の予約時間のぎりぎりまで、熱心な質問が続きました。
参加者は50人。同じテーマでの特別セミナーは今回で4回目ですが、今までにない参加者の多さです。会場を広い会場に変更することを2回行って、ちょうど良い位の会場になりました。
いよいよ4月から新しい保険業法が適用され、共済関係者ももう動き出さなければいけないと感じているのに、まだ何をしたら良いのかわからない。質問しようにも、お役所の方はそれを受け入れる体制がまだできていない、ということでしょうか。
昨日のセミナーではかなり具体的な質問が次々に飛び出しました。参加者は自分のビジネスがどうなるか切実な問題意識を持っていますので、質問に答えるこちら側もしっかりしなければいけません。かなり真剣な受け答えになったのではないかと思います。
全体的な話はもうそろそろ終了して、あとは個別のケースごとに具体的な作業の相談に乗ったり、作業を手伝ったりという段階かなと思っています。
当初、無認可共済の良い所は積極的に取上げて育てて行こうという姿勢も、金融審議会の報告書の中にはあったのですが、法律の改正案やそれに関する金融庁に よる説明会の話などからすると、どちらかというと無認可共済を今の保険会社の枠組みの中にはめ込んで、その中で生きていけない所は2~3年かけて整理して しまおう、というような姿勢が強いように思われます。
実際フタを開けてどのようなことになるのか、注目したいと思います。
ちょっとドタバタして報告が遅くなりました。
24日の金融庁の説明会、行って来ました。
300人位の入る会場がほぼ満杯で、会場の左右の壁際、後の方の席は机なしです。
2時間の予定の説明会、最初の1時間半は金融庁の方からの一方的な話、残りの30分が質疑応答ですが、質疑応答を始めるにあたり「1団体質問は1つだけ」 などという制限をつけられてしまったので、となると、たくさんある質問のうちどれを質問しようかと、多少の戸惑いが見られました。
いずれにしてもまだまだ不明な所も多いのですが、説明会後の様々な質問については、いずれは各財務局で対応できるようにするけれど、当面は金融庁監督局保険課の方で対応するので、「法律その他の資料を良く読んで勉強した上で」質問して下さいということでした。
予定通り2時間ぴったりで説明会が終わりました。私が出席したのは午前の部ですが、午後の部もほぼ同じようなものだったとのことです。
私の会社で行なう予定の30日の無認可共済の特別セミナーの方は、お陰様で参加申込が予想以上に増えており、当初30人位の会場を用意したのを先週50人位の会場に変更し、今日さらに100人位の会場に変更しました。ここまですればもう大丈夫でしょう。
今まで3回行った特別セミナーは30人の会場で十分だったのですから、様変わりの活況です。
この週末はその資料作りということになります。