1年ほど前になりますが、東京都知事選挙がありました。結果的に小池百合子さんが再度当選してまあ予想通りという結果に終わったのですが、この選挙は非常に話題になりました。まずはこの選挙の前に衆議院東京15区の補欠選挙があり、小池さんが都知事をやめてこの選挙に出て国政復帰を果たし、自民党総裁から総理大臣を目指すのでないか、という話があり、その対抗馬としてイスラム教学者の飯山あかりさんが立候補し、アラビア語対決が行われるか、なんて話題になりましたが、結局小池さんは出馬せず、代わりに乙武さんが立候補して落選し、続いて都知事選に小池さんが出馬してすんなり再選を果たしたのですが、この選挙でも色々話題がありました。小池さんの対抗馬の蓮舫さんは惨敗、広島の安芸高田市の市長をやっていた石丸さんが市長をやめて(やめさせられて)立候補したことも話題になりましたし、この暇空茜さんの立候補も、このネット上の名前で立候補し、選挙中もこの名前のまま顔を出さずに選挙運動し、当選したら本名も出すし顔も出すけれど、それまでは顔出ししないというユニークなやり方で話題になりました。
で、この選挙ではジャーナリストの須田慎一郎さんが多くの特徴的な候補者に単独インタビューをし、その動画をネットで公表していました。この暇空茜さんも、そのインタビュー対象者の一人だったのですが、そのインタビューでは、まずこの『ネトゲ戦記』を読んでいることがインタビューの条件となっていたようで、インタビューのしょっぱなその事を確認され、須田さんは『読みました。読みましたが最初の方は特に良く分からなかった』というような話でした。
須田さんというのは博識で頭の良い人で、本や書類をきちんと読む人ですから、この人が『良く分からなかった』と言うのはどういう本だろうと興味を持ちました。
で早速図書館で借りる予約をし、9ヵ月位待ってようやく読むことができたという事です。
この本は著者である暇空茜さんの生い立ちから、ネットゲームにはまり込み、そのゲームを作る方に回り、新しい会社を作ってゲームを作り、ようやくゲームが完成した所でその会社から追い出され、その後その会社を相手に裁判し、最終的に約6億円を獲得するまでの顛末を語っている本です。
この本の特徴として、著者は自身のことを『彼』という言葉で表現しています。すなわち一般には三人称単数の『彼』という言葉を固有名詞のように使っていることです。ですからたとえばAさんの話をしていて、次の行で『彼は』という言葉で始まっている時、普通はAさんのことを指すのですが、この本ではAさんではなく著者自身のことを指すことになります。
この事で時々つまづきそうになりながら読んでいくんですが、その中味は確かに須田さんの言うように『良く分からない』というのが正しい表現だと思います。
第一部でネットゲームの天才プレーヤーとして活躍していた時の話は、それらのゲームにどっぷりつかっていた人にしか分からない言葉が次々に出てきて、ゲームをやったことがない人間には『こんなことかな』と想像をたくましくするしかありません。(もちろんかなり多数の脚注も付いているのですが、何しろアルファベットの頭文字語や3文字や4文字に省略した言葉なんかが山程出てきますので全部は分かりません。たとえば『ブラ三』というのが『ブラウザ三国志』というゲームの名前だとか、ゲーム『FF11』というのが『ファイナルファンタジー11』のことだなんてことは説明がないと私にはチンプンカンプンです。
第二部のゲーム作りの話も同様に、実際にゲーム作りをした人にしか分からない言葉がたくさん出てきます。出てくる言葉がゲームの名前なのかその登場人物なのかゲームのテクニックなのか、なかなかはっきりしません。
第三部ではいよいよ裁判の話になり、多少は分かるようになります。というのも著者の言う通り、裁判というのは『裁判官に自分の主張をいかに分からせるか』というゲームであり、裁判官はゲームの世界の経験者でも何でもないので、その裁判官に分からせるような文書を作る必要があり、その文書が多数引用されているからです。裁判のプロセス自体は私も何度か経験があるので良く分かります。
で、資本金100万円。著者はそのうち8万円だけ出資し、給料ももらわず半年間頑張って、追い出された時の会社の評価額が20億円とか70億円。そこから自分の取り分として約6億円を取り返すまでの7年の裁判記録。この部分がなかなか面白い読み物になっています。
それにしてもこの会社、裁判の途中で会社の評価額が14億円とかに下がってしまい、最終的に倒産してしまいます。倒産に先立ち会社側は会社の切り売りを企てますが、著者の側は取りっぱぐれを防ぐために切り売り阻止の訴訟を起こします。会社側は切り売り阻止の訴訟を回避するため9億円を供託してその訴訟を取り下げてもらいます。結果として著者の側は、勝訴した場合、最大9億円までの範囲内でお金の取りっぱぐれの恐れがなくなったわけです。
私も実際何度か裁判を経験し、この、裁判に勝った結果のお金をどのように取り立てるか色々考えた事があるので、この取りっぱぐれのない状況というのは信じられないような話です。(裁判というのは勝ったからと言ってそのお金を取り立てる保証をしてくれるわけではありません。)
会社の方は裁判の代理人弁護士を次々変え、次々にヘタを打っていって、著者の方は次第に勝利に近づいていくのですが、何しろ判決はゲームの事など何も知らない裁判官が下すことになりますから気が許せません。何しろ『たった8万円出資し、半年働いただけで6億円も払うなんてそんなバカな話があるか』と言われれば確かにその通りですから。とはいえ『資本金100万円の会社がたった半年で評価額70億円の会社になる』という話自体、とんでもない話ではあるんですが。
で、著者の獲得した6億円ですが、たった半年働いただけで6億円というはすごい稼ぎだな、とも思うのですが、一方普通のサラリーマンの生涯年収の合計が退職後の年金も含めて平均4億円程度という数字と比べると、この人は一生のサラリーマンとしての仕事を半年間にやってしまったんだと考えれば、それほどビックリするほどの稼ぎということもないのかも知れないなと感じます。
という事で、まずは須田さんの『良く分からなかった』という言葉が良く理解できたということ、暇空茜さんという人がとんでもない人でとんでもない人生を送ってきた人だということが良く分かった、裁判の記録も波乱万丈で面白かったと思います。
とは言え、裁判の話は暇空茜さん側からの一方的な話しかありませんから、相手の会社側からはどう見えていたのかは分かりません。
また暇空茜さんを応援して会社を作らせ、その会社の社長として暇空茜さんを無給で働かせ、ゲームができた所で金も払わずに会社から追い出し、その後暇空茜さんと裁判で戦った人について暇空さんは、一番恨んでいる人のはずなのに、最後まで「さん」づけで呼んでいるのもちょっと不思議な話です。
あとがきに、
『ネットゲームと裁判を通して思ったことは、人と人とは分かり合えないし、話し合いで解決できない、ということだ。』
『よほどゲームを愛していなければネットゲーム廃人になんかならないほうがいい、ほかにどうしてもやりたいことがあるのでなければ学校は中退しないほうがいい、よほど許せないのでなければ裁判なんてやらないほうがいい、どうしても譲れないのでなければ、信頼できる弁護士がすすめるなら和解して終わらせた方がいい。』というのも、著者がすべてそのようにしなかったことと考え合わせると、なかなか味わい深い言葉ですです。
とまれ不思議な本ですが、何とか読むことができますし、裁判の話はなかなか面白いです。
ゲームの好きな人にはまた別の読み方があるのかもしれません。
興味があったら読んでみて下さい。