『ユダヤ古代誌』 ヨセフス

2月 6th, 2024

前回書いたユダヤ戦史を読んで、またこのユダヤ古代誌を読んでみたいと思いました。
以前読んだ時は文庫本6冊を買って読んだのですが、その本はアカラックスの会社をたたんだ時に処分してしまったので、今回は図書館で借りて読みました。とはいえこんな本を読む人も殆どいないので、自分専用の本を図書館に預けてあるのと大差ありません。いつでも自由に借りられます。

この本は全20巻を日本語に訳し6冊としたもので、最初の1巻から11巻までの旧約時代編が文庫本の1冊目から3冊目まで、12巻から20巻までの新約時代編が文庫本の4冊めから6冊目までとして、キリスト教徒が聖書を読む際の副読本として広く読まれたもののようです。

たとえば文庫本1冊目は天地創造から始まってモーセが死ぬまで、2冊目はユダヤ人がカナンを征服してイスラエル王国を作り、ダビデが死んでソロモンが王となるまで。3冊目はソロモンの即位からソロモンが死んでイスラエル王国が分裂し、バビロン捕囚とその後の帰還までが書かれています。新約時代編の方は新約聖書を理解するための背景説明として読まれたようで、4冊目には旧約聖書のいわゆる70人訳の話など、5冊目はヘロデ大王の時代、6冊目はユダヤがローマに逆らって戦争なるところまでのことが書いてあります。

前に書いたフロイトの『モーセと一神教』を読んでこのユダヤ古代誌の1冊目を読むと、確かにユダヤ教というのはモーセが作った宗教で、ユダヤ人というのはモーセの作った民族なんだなと思います。またフロイトの言うように、モーセはユダヤ人に殺され、その後主殺しの恐ろしさに脅えたユダヤ人によって殺したことをなかったことにした、というのも尤もらしい話だと思います。

モーセの死について聖書には『彼は〇〇の谷に葬られた。だが今日に至るもその墓のありかを知る者はない』と書いてありますが、ヨセフスは『突然一団の雲が彼の上に下りてきたと思うとそのまま峡谷の中に姿を消した』と書いています。モーセも死なないで姿を消して、そのまま神のもとに行ったということのようです。

ユダヤ人は周辺の人々(民族なのか種族なのか人種なのか分かりませんが)と何度も殺し合いをしていますが、基本的にその戦争は皆殺しであり、勝てば相手を皆殺しにし、負ければ自分達が皆殺しにされ、例外的に殺されなかった人によってその皆殺しの戦争が記録されるというものだということも良く分かります。

またユダヤの歴史というのが①人が神の指示に対して反抗・反逆する ②神が怒って懲らしめる ③人が謝罪して悔い改める ④神が赦す というパターンの繰り返しの歴史だということが良くわかります。

イスラエルあるいはパレスチナという地域が昔からチグリス・ユーフラテス地域とエジプトに挟まれ、その両者が相手を攻めるときにその通り道になり、そこにペルシャ人・ギリシャ人が入り込み、周辺にはアラブ人が住んでいて常に戦争を繰り返している、そういう地域だということが良くわかります。

現在進行中のイスラエル・ハマス戦争を理解する上でも参考になる1冊(6冊)です。

『現代アラブの社会思想』-池内恵

1月 10th, 2024

池内さんについては前回『シーア派とスンニ派』と『イスラーム国の衝撃』について本の感想文を書きましたが、池内さんのお仲間の篠田さんが池内さんの最初の著作で代表作だとほめていたので、念のためにこの本も読んでみました。

池内さんは大学院生の最後の年に、エジプト・ヨルダン・シリア・イラクなどの東アラブ地域を三か月かけて周って歩き、エジプトではアパートを借りて住み込んだようで、多分この本の中味が卒業論文代わりということになるんだろうと思います。

この本は2部に分かれていて、第1部はイスラム主義について説明し、第2部はイスラム諸国の終末論について説明しています。

アラブ世界では1969年の第三次中東戦争で、エジプト・シリア・ヨルダン軍がイスラエル軍に敗れ、ここからアラブの現代史が始まった、と書いてあります。日本では70年安保闘争が1970年を待たずに消滅してしまい、また同時期欧米でブームとなった学生の反米・反体制運動も敗北します。

アラブではさらに時代をリードしていたナセルが1970年に殺され、目標を見失ってしまいます。その解決策を模索してマルクス主義や毛沢東主義などを使ってみようとしたり、日本赤軍が飛び込んできたりいろいろしたけれど、結局アラブ世界は今後どのようにしていったら良いのかその解決策を作ることができず、その代わりに将来のアラブ・イスラム世界はどのような世界か、それを表現することに注力することになったとのことです。その代表的なものがカラダーウィーという人の『イスラム的解決策-義務と必要』という本で、この本の内容を池内さんは丁寧に説明しています。

勿論この『あるべき未来』はイスラム教徒の世界で、ユダヤ教徒・キリスト教徒は二級国民として生存を許されますが、そのどれでもない人達(例えば日本人など)は全く生存の余地はありません。

この『アラブ・イスラム世界のあるべき世界像を目指す』というのがイスラム主義という考え方ですが、『どのようにして』という方法論がないため、これだけでは何事も始まりません。そこで極端な考え方として、いったん現在の世界秩序を全て破壊してしまい、その廃墟の中からそのあるべき世界が生まれてくる(かも知れない、そうなってもらいたい)と考える一派が出てきて、これがイスラム原理主義だという話になります。

このカラダーウィーという人は2022年に96歳で亡くなっていますが、多くのイスラム教テロ組織の理論的指導者だった、ということです。

私はイスラム原理主義というのはイスラム教の原理主義かと思っていたのですが、実はこのイスラム主義の原理主義がイスラム原理主義なんだと初めてわかりました。

第二部では終末論についてです。キリスト教の終末論はかなり有名ですが、ユダヤ教・イスラム教にも同じような終末論があります。もともとはイランのゾロアスター教の流れをくむものらしいのですが。

で、この終末論については通俗本、俗悪本としてアラブ世界ではいろんな所にたくさん売られているようで、それを著者はせっせと買い集めて読んでいるようです。そこに書かれている天国と地獄は非常にいきいきと現実的に描かれていて、あまり理論的に考えない人にとっては面白い読み物となっているようです。このような終末論の読み物は低俗なものとして、まともな学者が読むようなものとは思われていないため、著者の部屋を訪れた研究仲間たちはこのような本を見つけると『ちょっと貸してくれ』と言って借りていくとの事です。

イスラム教の終末論には最終的には救世主が登場するけれど、その前にニセモノの救世主が現れてしばらく世界を支配し、人は皆そのニセモノを本物と思ってそのニセモノの言う通りに従うようになるとか、救世主とニセモノ救世主が何人も乱立して大混乱になるとか、もちろん天変地異もあるし、まともなイスラム教徒は一人もいなくなるとか、仏教の末法の世と同じようなこともあります。

さらにこの終末論と陰謀論が結びつき、さらにオカルトまで合体して何ともはやのトンデモ論がまことしやかに語られるという具合で、意識高い系はこれらの終末論・陰謀論・オカルトと親和性が高いんだな、と思った次第です。

イスラム主義にしても終末論にしてもかなりしっかり描かれているので、これを博士論文にしても良いんじゃないかと思ったりもしますが、本格的なアカデミズムの世界では単に誰かの本を解説するだけだったり、終末論のようなイカガワシイ世界の紹介などはちゃんとした論文とはみなされないのかも知れません。

とはいえ、飯山さんの博士論文のようなしっかりした学術論文は池内さんには書けなかったのかも知れません。

池内さんにしてみれば、自分の力作を理解できない頭の固い先生方に自分の論文を審査してもらうなんてことは屈辱だと考えて、あえて博士論文を提出しないで博士号を取ろうとしなかったのに、飯山さんに博士号持ってないことを揶揄されて、今更論文を書く事ができないんじゃなくて自分の論文を審査されるのが我慢できなかったんだなんて言ってみても、痩せ我慢の強がりだと思われるだけだということくらいは分かっていて、何ともやり場がないのかも知れません。

池内さんは大学院を出て、そのまま東大に残れたわけではなく、いくつか外部の中東関係の研究所を渡り歩き、その後、東大の先端科学技術研究センターに準教授として採用され、5年ほど前にようやく教授になったようです。中東問題がどうして先端科学技術になるのか全く分かりませんが、本筋の学部にはポジションの空きがなかったのかもしれません。そういうことも池内さんにとってはしこりになっているのかもしれません。

この感想文は、書いては見たもののブログに載せるのはやめておこうかな、と思っていたのですが、相変わらず池内さんと飯山さんのバトルは続いており、とりあえずブログに載せておこうかな、と思いました。

その後の経緯を見ていると、池内さんをはじめとする、飯山さんのいわゆるJKISWAの人々は次々にろくでもないツイッターを発信し、飯山さんに良いようにコケにされています。
なんともイヤハヤ、といったところです。

『シーア派とスンニ派』『イスラーム国の衝撃』―池内恵

12月 7th, 2023

ここの所、ネットで“いかりちゃん” こと飯山あかりさんの話題が盛り上がっています。というか、いかりちゃんが大学教授や国会議員をバッタバッタと切り捨て、これに日本保守党の百田さんや有本さんの応援団とそれに対する反対派が加わって、とんでもない大騒ぎになっています。

まあ、要は意識高い系の大学教授たちが無謀にもいかりちゃんにちょっかいを出し、いかりちゃんを誹謗中傷したコメントをツイッターで投稿し、それに対して、売られたケンカは喜んで買う、といういかりちゃんにツイッターやユーチューブでコテンパンにやられている、というバトルです。

これがちょうど百田さんや有本さんの日本保守党の立ち上げと時期的に重なってしまったので、百田さんや有本さんと親しい、いかりちゃんが重なってしまい、いかりちゃんのバックに日本保守党がついている、とかいかりちゃんが日本保守党の黒幕だ、とか意識高い系の大学教授たちが勝手に思い込んでしまい、自分たちのツイッターにちょっとでも自分たちに批判的なコメントがついていたりするとそれを日本保守党の組織的な攻撃行動だ、とみなして大騒ぎを繰り広げているわけです。

私は、東大教授の池内さんや東京外語大学教授の篠田さんのツイートを見て、また飯山さんのツイートやユーチューブを見て、飯山さんの完勝だと思っているのですが、一方でそういえばこの池内さんの本は読んだことがないな、と思って、池内さんの仲間の人たちが絶賛するものがどんなものか読んでみました。

ちょっと古い本になりますが、『シーア派とスンニ派』という新潮選書と『イスラーム国の衝撃』という文春新書です。どちらも確かに良く書かれています。シーア派対スンニ派、というのは宗教戦争でも宗派対立でもなく、それぞれの宗派を信じる社会同士の社会対立なんだ、というようなまっとうな指摘もありますが、飯山さんとくらべて池内さんの本に明確に欠けているのが、イスラム原理主義過激派テロ組織に対する恐怖感です。自分がいつテロにあって殺されるかも知れない、自分の親や子、配偶者が理由もなくいつテロにあって殺されるかも知れないという恐怖感です。あともう一つ欠けているのが、このような原理主義過激派テロ組織に国を乗っ取られ、無理やり人質にさせられているその国の住民、一般の民衆に対する目です。

テレビでイスラエル・ハマス戦争についてイスラエルを非難するコメンテーターが『確かに10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したのは許し難いけど』と前置きをすれば、あとはイスラエルを好きなように非難しても良いと思っているように、『イスラエルのガザ攻撃で何人死んだ、何人殺された』と言っていますが、これは実際はハマスがパレスチナ人を人質にとって、イスラエルの砲撃で死ぬような所に押し込めているからで、殺しているのはイスラエルではなくハマスなんだという視点を持ち合わせていません。

国境のない医師団が、イスラエルがガザを攻撃して病人や怪我人が何人も亡くなっているなんて話をしていますが、自分達がそこにいることによって病人や怪我人をイスラエルが攻撃する場所に縛り付けているんだという認識や責任感はまるでなさそうです。

日本では『一人の命は地球より重い』なんてお花畑の話を本気でする人も大勢いますが、イスラエルはもっと現実的ですから、『10人の人質が2人死んでも8人助かるんだったら、あるいは8人死んでも2人助かるんなら、10人全員殺されるよりその方が良い』と考えます。ハマスは少なくとも建前上は『人質は何人死んでも構わない、敵は何人死んでも構わない、自分達も何人死んでも構わない』『敵は殺せとコーランに書いてあるから殺すのは当然だ、自分達は殺されたら何年先になるかわからない最後の審判を待たないで、そのまますぐに天国に行けることになっているので、指定席付特急券を貰ったようなものだから、こんな素晴らしいことはない、人質が巻き添えになって死んでもこれは地震や交通事故で死んだのと同じようなものだから、この人達も天国に行けることになっているからラッキーじゃん』と考えているわけで、また『相手が神以外の誰かであったら、誰かに嘘をついても構わない、誰かとの約束を勝手に破っても構わない』と考える人達ですから、この人達を相手に戦うのは本当に大変なことです。

テレビやユーチューブでは『俺は死んでも構わない、殺されても構わない』と大見得を切って戦争反対を叫ぶ人が良くいますが、その人に対して『アンタは殺されたけりゃ好きなように殺されても良いけれど、アンタの母親、アンタの父親が殺されてもアンタは平気なのか、アンタの子供や奥さんがむごたらしく殺されても構わないのか』と質問する人がいれば良いのにと思うのですが、多分そんな事を言うと放送禁止になったり公開禁止になったりするのかな、と思います。

と思っていたら飯山さん、今度は自民党の国会議員とのバトルになってしまいました。
大変でしょうが頑張ってもらいたいと思います。

『江戸かな古文書入門』『寺子屋式古文書手習い』―吉田豊

12月 7th, 2023

さて『庭訓往来』を読むことにしたのですが、寺子屋の教材にしていたものとそれを活字にして印刷したものを比べながら読んでいけば良いのですが、もう少し何か良い方法があるんじゃないかと思ってみつけたのがこの2冊です。

この著者はいわゆる『変体かな』という言葉が嫌いで、その代わりに『江戸かな』という呼び名を使い、江戸時代の様々な出版物を読むためにはまずこの『江戸かな』を読めるようになることが必要ということで、『江戸かな古文書入門』ではまず往来物の中で比較的読みやすい『東海道名所往来』を取り上げ、漢字があまり崩されていないのでこれを読みながらふりかなの文を読む練習します。江戸時代の出版物が読みにくいのは、漢字が崩されている事、漢字やかなが続けて書かれているので一つ一つ区別するのが難しいこと、使われているかなが今私達が学習しているかなではなく『変体かな』=『江戸かな』で、これは今のかなが一音一字なのに対して一音多字(同じ読みのかながいくつもある)だということです。すなわちどこからどこまでが一字なのか、崩し字が今我々が知っている楷書体のどの字になるか、変体かなが今のどのかなにあたるのか、という所が問題となります。そのため基本的にかなだけで書かれていて一字一字が分かれている都都逸(どどいつ)の歌詞集の印刷物を読んでいます。次いでかなの勉強のために百人一首を読みます。

この百人一首ですが、これは『ひゃくにんいっしゅ』と読むのではなく『ひゃくにんしゅ』と、『一』は書いてあっても読まないことになっているという注釈がついていて、これは国語辞典の大元のような大言海にもそのように解説されているとのことで、そんなこととは全く知りませんでした。

で、この本では多く出版されている百人一首の本の中から5つの本を取り出して、一つ一つの歌に対してこの5つの本の該当のページの絵と文字を見開き2面に並べて比較するという形にしています。もちろん百首すべてこのようにするわけにはいかないので、13首だけ取り出してこのように5つの本の該当するページを比較しています。

面白いことに、どの部分を漢字にしてどの部分をかなにするかもバラバラなら、どのかなを使うかもバラバラで、ひどい時はその歌の作者の名前の読み方すらバラバラだということがわかります。

で、これらの本はある意味、書道のお手本ともなるものなので、滅多に使われない変体かなもたくさん出てきます。

この本では全ての手書きの文字について、漢字もかなも含めてそれを楷書の活字で示してくれるので、これはこの字を崩したものか、これはこの字をかなにしたものか、ということがわかるようになっています。

最後にかなを習い終わった所で、草双子の一つを読んでみます。変体かなは全部で300位あるようですが、全部覚えなくても30位覚えればたいていのものは読め、かなが読めれば全文かな付きの本も読めるだろう、あるいは全文ほとんどかなの読み物は読めるだろうということのようです。

もう一つの『寺子屋式古文書手習い』はこれもまたユニークで、最初に明治21年の三井呉服店の宣伝ビラを読む所から始まります。漢字はほぼ楷書に近い行書で、全文振りがな付きですから、多少変体かなが入っているものの殆ど読めます。

次は明治15年の小学校の教科書です。漢字はほぼ楷書で振りかなはなく、変体かなを使っている文語の文章ですが、漢字がわかるので何となく全て読めるというあんばいです。

次に草双子を一つ読むんですが、これがほとんどかなばかりで書いてあるので変体かなに慣れてくれば何とか読めます。

朝鮮・韓国のハングルの文書は要はかなばかりで書いているようなものだから読むのが大変だろう、と思っていましたが、日本でもこの頃の大衆文学はかなばかりだったんだなと思います。

続いて候文の練習として草双子の中に入っている広告の文、草双子の一部、続いて昭和22年の株主総会開催通知・昭和21年まで使われていた紙幣・明治21年の登記所の領収書・明治41年の約束手形などの中で使われていた候文を読みます。そして候文は実は今でも生きていて、候文で書かれている明治時代の法律で、今でもそのまま生き続けているものの例が示されます。

この後は年貢請取状・離縁状(いわゆる三下り半)・傷害事件関係者調書・治安の為鉄砲拝借願・組頭跡役議定證文・日光御参詣御用下役請書が、これらはさすがに活字にしたもので読んで、候文に慣れます。

最後はまた寺子屋の教材に戻って、借用金証文・奉公人請書・年頭披露状・祝言之書状・源義経の腰越状をかな付手書きで読みます。

最後に解読実習として少年の手紙・借用金証文・奉公人請状・御鷹場関連願書・五人組帳前書を手書きかな無しで読みます。

離縁状では確かにこれが明確に『再婚許可証』になっていることが確認できます。これがないと、離縁された女性が再婚しようとすると重婚罪になってしまいます。

いずれにしても江戸時代、初等教育でこんなレベルまで勉強していたのかと思うとあきれ果ててしまいます。

さてここまでやると当初の寺子屋の教材はもうすでに経験してしまったわけですが、せっかくですから『庭訓往来』、トライしてみようと思います。

『庭訓往来(ていきんおうらい)』

11月 17th, 2023

往来物について読んだので、その実物を見てみようと思いました。

往来物の代表の『庭訓往来』の入っている岩波の新日本古典文学大系の1冊を借りました。図書館で予約する時検索で出てきたので、ついでに北斎の絵本挿絵の第1巻に『絵本庭訓往来』が入っているものも借りました。で、この絵本を見てみると北斎の絵がたっぷり入っていて、その半分弱のスペースを区切って庭訓往来の文が入っています。で、これが全く読めません。全文返り点付・フリカナ付なんですが、漢字もフリカナもまるで読めません。で、もう一つ古典文学大系の方を見ると、これは活字の本ですから漢字もフリカナもちゃんと読めます。元々の和本の見開き2頁分の写真の左右に活字で訓み下し文がついて、見開き2ページになっているという体裁で、返り点等も全て訓み下し文になっています。
ところが中味がまるで読めません。本当に呆れ果ててしまいます。

こんなものを明治以前の初等教育で教えていたのかと思うとあ然としてしまいます。よくもまあこんなものを子供が読んだり書いたりできるものだと思います。

で、気を取り直して訓み下しの方を眺めてみると、手紙の中味に似たようなジャンルの言葉を並べた語彙集のような形になっていて、なるほどこういうことかと納得しました。12ヵ月それぞれ往信と返信とになっているので、ひとつひとつの手紙ではそれほど多くのジャンルをカバーできないとしても手紙全体ではかなりのジャンルをカバーできます。これが語彙集としての往来物ということになります。

古典文学大系は600頁もの本ですから、『庭訓往来』だけでなく他の同じような初等教育用教材がいくつか付いてました。

2番目が『句双紙(くぞうし)』というもので、禅寺で使われる語句集ということで、漢字1字のもの・2文字熟語、3文字熟語・4文字熟語(4言)・5言・6言・7言・8言・5言対・6言対・7言対・長句に分けて熟語・成句が並んでいます。これをきちんと学習すれば部分的に言葉を置き換えて、何となく漢詩のようなものが作れるかも知れない、と思わせるようなものです。

さらにこの本には『実語教』と『童子教』というものが入っています。この教だけ乗せてもしょうがないので、その注釈である実語教諺解と童子教諺解を入れてあります。これを見て私の知っている言葉もいくつかはこの実語教から来ていることを知りました。たとえば
 山髙きがゆえにたっとからず 樹あるをもって貴しとなす
とか
 人は死して名をとどむ。虎は死して皮をとどむ
なんてものです。
こんなものを江戸時代以前の子供は勉強していたんだなと思いました。

調べてみたら絵本庭訓往来の方はネット上にpdfがあったので、これを印刷して時間をかけて読んでみようかなと思いました。

で、この庭訓往来、1月~12月の手紙の往復と、あともう一つ、往だけの手紙計25通の手紙が載っているのでその1つ1つの手紙について読んでいこうと思いましたが、その区切りが分かりません。

日付・差出人・宛名がひとまとまりになっている部分と本文の部分がずっと続いているのですが、そのどこで手紙が終わって次の手紙が始まるのかが分かりません。

私が書いている仕事用の文書では基本的に

      日付
宛先   
      差出人
   本文

という形になっています。

またメールのやり取りでは日付はメールソフトに任せて

宛先   
      本文
  差出人

という形になります。

庭訓往来では

     本文
  日付  差出人
  宛先
     本文
  日付  差出人
  宛先
     本文
  日付  差出人
  宛先
・・・

となっているので、本文で始まって宛先までで1つの手紙ということになるようですが、私の使いなれた形とはまるで違います。

その昔、手紙の形についても習ったはずなんですが、何十年も仕事の書類とメールしか使っていないので何とも分かりません。

で、しかたなくネットで手紙の形がどうなっているか調べてみました。
それによると色々な細かい所はありますが、要は

   本文
 日付    差出人
 宛名

という形だということが分かりました。
即ち今の日本の普通の手紙の形は庭訓往来の時と同じままなんだということです。

これで安心して一通ずつちょっとずつ読み進めることができます。
さてどこまでたどり着けるか、お楽しみです。

『ニッポンの氷河時代』-大阪市立自然史博物館

11月 14th, 2023

この本はしょっぱな『現在は実は氷河時代なのである。』という文から始まります。へぇと思って読み進めてみると、氷河時代というのはちゃんとした定義があって、今のように南極やグリーンランドやその他の大地に氷河があればそれは氷河時代だという事です。

氷河時代でない、大きな氷河がどこにもない時代を『無氷河時代』と言い、地球の歴史の中でも大部分が無氷河時代で、氷河時代というのは7回以上あったけれど、そんなに何度もあったわけではない、現在の氷河時代は約258万年前に始まったんだという事です。

この氷河時代のうち、寒冷で氷河が拡大するのを『氷期』といい、それに較べて温暖な期間を『間氷期』といい、その二つが繰り返し訪れるということです。

いわゆる『氷河期』という言葉は、『氷河時代』という意味で使われたり、そのうちの『氷期』だけを意味したりしてあいまいなところがあるので、最近は『氷河期』という言葉はあまり使わないことになっているようです。

で、『現在は実は氷河時代なのである。』となるわけです。

最近80万年では10万年周期で氷期・間氷期を繰り返しているということです。私がイメージしていた氷河期というのはこの氷河時代のうちの氷期のことだったようです。

この本は2016年にこの博物館で開催された特別展『氷河時代-化石でたどる日本の気候変動-』の展示内容とその解説書『氷河時代-気候変動と大阪の自然-』を再編して本にしたもののようです。展覧会では場所的にも時間的にも制約がありますが、このように本になっていると好きな時に好きなように楽しめます。

地球の歴史を考える場合、全部で約40億年あるので、どうしても単位は億年単位になるし、恐竜が繁栄したのは約2億年前、消滅したのは6500万年前ということでそのような年数が普通なのですが、この本では20万年前とか80万年前とか、かなり直近の話が中心となっています。

大阪でも都市開発で各地でボーリング調査が行われ、掘り出された『コア』という土の柱を分析してかなりいろんな事が分かっているようです。私なんかは首都圏に住んでいるということもあり、この氷期・間氷期の海岸線の変化は関東地方のものを良く見ますが、この本では大阪周辺の地図が示されています。

大阪城のある上町台地を境に、その内側が全部海で河内湾だった時代、それが淀川・大和川のデルタによって狭められ汽水域になって河内湖になった時代、逆に氷期に大阪湾も瀬戸内海も陸地になってしまった時代、あるいは上町台地も海面下になった上町海の時代、それぞれの地形図が付いていて、それを眺めるだけでも楽しめます。

大阪は、氷期には海面が低くなり平野になり、間氷期には海面が高くなって海になったり湖になったりを繰り返しているということが良くわかります。

で、今は間氷期が始まった所のようですが、その前の氷期は7万年前から1万1700年前まで、その前の間氷期は12万5000年前から7万年前までということで、12万5000年前の間氷期には氷河が溶けて大阪城のある上町台地も海になった上町海の時代、それが2万年前には海面が120m下がって瀬戸内海や大阪湾は殆ど陸になった。それが氷期のピークでその後温暖化が進んで今のような地形になっているというわけです。

氷期になったり間氷期になったり、海面の上昇あるいは低下もありますが、気温も大きく変わります。それにつれて陸上の植物・昆虫・海中の動物層も大きく変わります。これがこのボーリングのコアを調べることで良くわかるという具合です。

とはいえ氷期に繫栄した生物が間氷期に絶滅したわけでもなく、間氷期の生物が氷期で完全にいなくなったわけでもありません。『厳しい時代を何とか生き延びればまた快適な時代が来る』という繰り返しの様子を詳しく解説してくれます。

日本は海があるのでその近くはとことん寒冷化する、ということわけではなく、温暖期の生物も生き残ることができ、また、高い山があるのでその高いところは温暖期でもそれほど暑くなるわけでなく、寒冷期の生物もかろうじて生き残ることができるようです。

この本の元となった特別展のポスターの絵が最後についています。主人公はマンモスです。マンモスは43万年前の氷期に海面が下がった時に大陸からやって来て、2万年前に絶滅するまで、40万年くらい日本にいたようですが、その間4回の氷期と4回の間氷期を過ごしています。マンモスというと氷期の生き物のような印象がありますが、実は温暖な間氷期にもちゃんと生き続けていたんだ、日本の森の中を歩いていたんだなんて話、なかなか興味深いものがあります。

ということで、山ほどの写真や図がたっぷり楽しめる本です。
お勧めします。

ピケティ 『資本とイデオロギー』

11月 14th, 2023

これはいつもの読書感想文ではありません。この本を私は読んでもいないし、読もうとも思いません。

今日たまたま駅で若干の時間ができてしまったので、久しぶりに駅中の本屋さんをのぞいてみました。その中で異彩を放っていたのがこの本です。何しろ1000頁を超えるページ数、7000円近い定価ですから一体誰がこんなものを読むんだろうと思ったのですが、考えてみたらマルクス・エンゲルスの資本論はこれよりはるかに大部のものですから、これで驚いていても仕方がないという事でしょうか。

ピケティの本は以前『21世紀の資本』を読んで、(あくまで、私にとって、ということですが)読む価値のない本だと分かっていますので、この本も最初から読もうとは思いません。しかしこの人が相変わらずこんな大部の本を書いており、それを翻訳して出版している出版社があるということにびっくりしてしまいました。さらには大型の書店ならともかく、駅中の本屋さんに置いてあったので驚きました。とは言え売れなければ返せば良いだけなので、エキナカの本屋さんにとっても大したリスクではないのかも知れませんが。

むしろ間違って買うお客さんがいたら、定価が高い分本屋さんにとっても望外の儲けになる、という話なのかも知れません。

ということで、今回は『読まない感想文』でした。

『読み書きの日本史』―八鍬友広

11月 8th, 2023

この本は図書館の、新しく入った本コーナーに入っていた本で、久しぶりの日本語の本かなと思って借りたのですが、そういえば『候文』を読んでいたので、その続きみたいなことになりました。

文書を読んだり書いたりということは今では当たり前の事ですが、少し前には当たり前のことではなかったし、今後いつまで当たり前のことかも分からないということで、まずはこれまで読んだり書いたりなりがどのように発展してきたのかから話が始まります。

読み書きには当然文字を使うわけですが、文字というのは基本的によその国で使っているものを持ってきて使いやすいように改良するということで、日本語では漢字を輸入して、そこからヒラカナ・カタカナを作り日本語の文字にしていますが、これはどこの文明でも同じであり、よその国で使っているものを使わないで独自に文字を発明したのはシュメール文明だけで、それ以外は全てどこかから持ってきている、漢字ももちろんどこかから持ってきているものだという説を紹介しています。

で、日本では漢字と中国語の文法を輸入し、日本語表記するに際し中国語の語順と日本語の語順がごっちゃになり、たとえば駅で切符を買う時使うのは自動券売機、それを使うと『ただいま発券中です』というアナウンスが出てきても何の不思議も感じない、なんて話も出てきます。

で、日本では『漢文訓読法』といって漢字表現は中国語風のままにして、読む時は日本語の語順にひっくり返して読むなんてことをやっていますが、そんな国は日本しかないという話をします。

で、日本語の漢字表記に様々な文体が登場し、最終的にそれが『候文』という変態漢文の文体にまとまるわけですが、この候文、漢字だらけで書いてありながらほとんど漢語のない和文そのものだというのが面白い所です。(ちなみにこの候文、chatGPTで説明してもらったところ、とんでもない説明が返ってきました。まだまだWikipediaのほうがしんらいできるようです。)また明治以前、口語は各地で、また社会階層でたとえば元々の住民の庶民と移住してきた武士達と話がなかなか通じなかったのに、文語はこの候文の普及によりたいていの場合意思疎通ができた。たとえば能の謡いの文言も基本候文なので、武士同志の会話もこの能の謡いを基本にした、なんて話も思い出されます。

で、この候文、日常生活で自然に身に付ける口語とは別にきちんと学習しなければ身に付きません。そこで登場したのが初等教育用の教本として使われた往来物(おうらいもの)です。元々は手紙のやり取りの文例集で、その文例の所々で単語を入れ替えていけば自分の意思を伝えることができるというわけです。この手紙のやりとりを初級の教材にするというのは日本だけでなく、いろんな国に例があるようです。

で、人の往来でなく手紙の往来ということで往来物というわけですが、手紙の型だけでなくそこに使う単語集のようなものも現れ、さらには歴史や地理・天文学について説明する初等教材も登場するのですが、それらを全て往来物と言っていたようです。

もちろん文部省もなく学習指導要領もない時代ですから、初等教育を担った寺子屋(手習所とか様々の名称で呼ばれ、明治になってようやく寺子屋に統一されたようです。)でそれぞれ自由に何を教えるか決め、教材を選びあるいは作って、教えていたようです。文語の教材も単なる手紙のやりとりだけでなく、契約書とか報告書とか通知・通達・命令なんて、まあいわゆる文学以外の全ての文書にわたっていきます。中には一揆の直訴状やその他の訴状、関ヶ原の合戦の直前に上杉の家来の直江兼続が徳川家康を罵倒して挑発した直江状などというものまで含まれます。また歴史・地理の初等教科書ももはや手紙でも何でもないものまで往来物という名前で扱っています。

この本では寺子屋(実際には手習師・手習師匠・手習子取・手習指南・手習塾・手跡指南・筆道指南などの言葉でよばれていて、この寺子屋という言葉自体明治政府が採用してようやく一般的になったもののようです)についても様々な資料を紹介しています。もちろん全国網羅的なものではなく、郷土史家が発掘した地域限定で、寺子屋がどれだけあったか、生徒は何人いて何年くらい通ったのか、教科書は何を使って何を教えたのか、識字率について、自分の名前・自分の村の名を書くことができるか、日常の帳簿を付けることができるか、手紙や契約書を書いたり読んだりできるか、公用文・公布・新聞等を書いたり読んだりできるかというレベルに関する調査についても限定的に紹介しています。それにしてもこんなデータを掘り起こして研究するなんて、人文系の研究者もなかなかやるものです。

各種資料にもとづくと、江戸時代の日本は世界的に見ても識字率が飛びぬけて高かったというのはかなり過大評価だったということのようです。

著者は教育学の専門家で、そのため明治以前の教科書・教科の科目・教え方・その効果について関心があり、この本にまとめたものです。お陰で私のような一般人もこのようなテーマに関する資料を見ることができます。

明治になり、学制が全国規模で制定されてもそう簡単には新しい教育が普及するわけでなく、一方で活版印刷が普及してきて空前の往来物のブームが来て、すぐにそれは官製の教科書にとって代われてしまったとか、徴兵制が始まりようやく全国規模で統一的な識字率の調査が可能になったとか、今では漢字の学習は楷書で行い、行書・草書は基本、学校では教えられず、卒業してから普通は学校以外で学ぶのが一般的ですが、以前学制が始まった頃はまず行書を学習し次に草書に進み、最後に楷書まで行ったり行かなかったりが一般的だったなんてことも書いてあります。

『音読』という話も出てきます。今では読むというのは黙読が普通で音読なんかするのは小学生くらいになりますが、以前は読み書きの学習では音読が普通でした。そのため電車の中で新聞を音読する年寄りがいたり、また図書館で本を音読する利用者がいたりして、図書館には至る所に『音読禁止』の張り紙があったものが今ではそんなものも見なくなったという話もあります。そう言われてみると、確かに今では文章を音読することはほとんどなくなってしまったな、と思います。

明治以降、言文一致で文章も基本全て口語になってしまいましたが、本当の所口語と文語をはっきり使い分けていた時代も、場合によってはかえって便利だったのかも知れないなと思いながら読み終わりました。
明治の前、寺子屋でどんな教材を使ってどんな勉強をしていたのか以前から知りたいと思っていたので、良い本に巡り会えたなと思いました。

興味のある人にお勧めします。

『鞭と鎖の帝国-ホメイニ師のイラン』ー高山正之

10月 27th, 2023

この本は前に紹介した『騙されないための中東入門』の一方の著者の高山正之さんの話が面白かったので、その主著であるこの本を借りて読みました。

著者が産経新聞に入社し、テヘランに特派員として赴任して、何度も殺されそうになる危機を乗り越えながら、ホメイニ革命直後からイラン・イラク戦争の期間を通じてイランのホメイニ革命の実態を自ら実体験したレポートです(ホメイニ革命は1979年、私が社会人になって3年目、仕事を覚えるのとアクチュアリーの試験に合格することが最優先でした。この本が出版されたのが1988年、私は1986年にナショナルライフ保険、今のエヌエヌ生命に転職し、この会社はいつ、どのように潰れるんだろうと思いながら会社のスタートアップの仕事をしていた頃のことです)。

ホメイニ革命が起こった当時は私はあまり政治には関心がなかったので、きちんと理解しないままで来たのですが、その後の中東問題・イスラム原理主義過激派問題を知るにつけ、その根っこにはこのホメイニ革命とそれによって生まれたホメイニ独裁のイランという国があり、ここの所をきちんと理解することが必要に違いないと思うようになり、この本を読んだ所、まさにドンピシャリ、私の知りたい所がきちんと解説されていることが分かりました。

ホメイニイラン帝国はシーア派の原理主義イスラム教だということになっていますが、ホメイニは必ずしも『イスラム教絶対』ということではなく、自らの独裁体制の為にはイスラム教にはこだわらない、柔軟性のある人(あるいはイスラム教徒からするととんでもない背教者)だということも良く分かります。

基本的に多くの革命体制は革命の乗っ取りによって成立していることは、ロシア革命でもナチス政権でもいくつもの例があります。

体制に不満を持つあるいは反対する勢力が一つ一つは小さい勢力でも、集まって反体制運動をして体制を崩壊させる。その後はその弱小勢力どうしの潰し合い・殺し合いで、最後まで残った勢力が実権を握るという過程を取りますが、もともと弱小勢力でしかなかったものですから、生き残りのために恐怖政治・暴力体制を作ります。もともと体制側にあった軍をどのように支配下に治めるか、あるいは弱体化させてそれに代わる軍事組織をどうやって作るか、国民の間の様々な組織(行政とか企業とか学校とか)にそれを支配する組織を忍び込ませ支配下に置くか等々、ホメイニはロシア革命とソ連の体制、ナチスの支配体制をよくよく研究しているようで、このあたり具体的に説明してくれているので非常に分かりやすい本です。

以前、中村逸郎さんの本で、ロシアの共産党の末端の委員会がどのような組織か読みましたが、イラクではホメイニ革命の前にすでに反体制の若者たちが『アンジョマネ』という、共産党のいわゆる『細胞』のような組織を作っていろんな組織を支配しており、ホメイニはそれを乗っ取って国民を支配する体制を作ったということも良く分かります。

著者はマキャベリの君主論の中から
『君主はどこまでも誠実で信義に厚く、裏表がなく人情にあふれ宗教心に厚い人物と思われるように心を配らなければならない。このうち最後の気質が身に備わっていると思われることほど大切なことはない。』
『君主は愛されるより恐れられる方が安全だ』
『(ローマを攻めるために象の部隊を引き連れてアルプス超えをしたハンニバルが、無数の人種の混ざりあった軍団を見事に統率したのは)非人道的なまでの残酷さのお陰だった』
というような言葉を引用し、ホメイニ体制の見事さを明確に説明しています。

またホメイニ革命のあと起こったアメリカ大使館占領事件・イランイラク戦争についても明確に説明し、これがシーア派対スンニ派の戦いではないし、実は実際の国対国の戦争でもない(戦闘ではあるものの)というあたりも明瞭に示してくれます。

国を統制するために国外に敵を作る必要があり、アメリカ大使館の占領が飽きられてくるとイラクと戦争を始める、あるいはイスラムの大義を掲げてイスラエルと戦い始めるといった具合です。

その一方、著者はイランで禁止されているドブロク作りやワイン作りを体験したこと、テヘランでどうやったら酒を飲むことができるか、毎日のような空襲警報下、安眠するためにはヨーグルトを大量に食べるといい、という事、などについても話しています。
イランで行われている残虐な処罰、処刑についても詳しく解説しています。

ホメイニというのはイスラム法学者としてはそれ程大した人ではなかったようですが、独裁者としてはヒトラーやスターリンを遥かに超えるほどの人だったということが良く分かります。

ホメイニ革命・イランイラク戦争の頃の本ですから今ではちょっと古い本ですが、中東問題・イスラム原理主義過激派の問題をホメイニ革命までさかのぼってきちんと理解するために絶好の本です。

お勧めします。

『図解 内臓の進化』―岩堀修明

10月 23rd, 2023

この本はブルーバックスの1冊ですが、前に紹介した『新・ヒトの解剖』の続きとして読みました。

この本では脊椎動物というか、その少し前を含んだ脊索動物という範囲で、内臓の進化を解説しているもので、そのため動物の進化に伴い内臓がどのように進化したか、あるいは個体発生に伴い内臓がどのように変化するか、というあたりを解説している本です。説明のためにこの本でもたっぷり図が付いていて、本文273ページに図が188あり、楽しめます。

まず最初は内臓とは何かという定義で『現在は』呼吸器系・消化器系・泌尿器系・生殖器系・内分泌系の5つが内臓だとされています。すなわち脳神経系・心臓血管の循環器系は内臓ではない、という事です。この『現在は』というのがミソで、今はそうだけど以前は違ったということのようです。確かに神経系や循環器系を入れてしまったら、全身が内臓ということになってしまいそうですね。
内分泌系が内臓だというのも、へーそうなんだ、と思います。
確かに膵臓や副腎、卵巣や精巣などは内臓と言っても良いかなと思いますが、甲状腺とか脳の松果体や下垂体も内臓だと言われると、そんなものかな?と思います。

以下この5つの内臓それぞれについて、脊索動物の中での進化の過程を説明してくれています。

まず受精卵が次々に分裂して細胞のかたまりになると、その細胞はテニスボールのように表側に集まります。そこに指を突っ込むとその部分が凹んで穴が開き、それをさらに突っ込んで反対側まで突き抜けると、テニスボールの真ん中に穴が開いたようになります。その穴が消化器で、口から食道・胃・腸・肛門という具合になります。
最初に凹んだ部分が口になり穴が突き抜けた所が肛門になるのを『前口動物』といい、昆虫などがこの部類です。逆に最初に凹んだ所が肛門になり、穴が突き抜けた所が口になるのを『後口動物』といい、脊椎動物などはこちらの部類です。
いずれにしても口から食べ物を取り込み、最後に肛門から出すというので、身体の真ん中を通る穴が消化管となり、消化器系の様々な臓器が作られます。

その消化管の最初の方に溝ができ、外に向かって穴があいて、そこにエラが出来、このエラは食べ物をこし取ったり、そこに口を通して呼吸したりということで、呼吸器系が発達します。その後エラの他に消化管の周りに浮袋ができたり、肺ができたりします。肺を持つのは魚類では『肺魚』という種類とシーラカンスなどの真鰭類(しんきるい)とよばれる魚類です。シーラカンスなどは肺を持ち、もう少しで陸上に上がることができた所でうまく行かず、その後生存競争のために深海に押し込められてしまい、せっかくの肺は脂肪の入れ物となって比重の調整に使われているということです。

肺は両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類で本格的に呼吸器として使われますが、両生類は相変わらず皮膚呼吸をし続け、種によってはせっかくの肺がなくなってしまっているとのことです。

次に来るのが泌尿器系と生殖器系です。どちらも体内のものを体外に出す仕組みで、泌尿器系の尿を体外に出す管を生殖器系の精子や卵子を出す管に流用してみたり、新たな管を作ってみたり、様々な工夫が凝らされています。

泌尿器系ではとりあえず血液の血球以外のほとんどのものを一旦全部外に出してから、その中から必要なものを吸収し直すという仕組みは良く考えたものですね。この泌尿器系と生殖器系も動物の種類によって様々に工夫されており、よくもまあこんなにいろんな仕組みがあるものだと驚くと同時に、良くもまあこんな所まできちんと調べて記録している人がいるものだと、動物学者達の努力にあきれるばかりです。

最後に内分泌系ですが、体内でホルモンを作り、それを外に出さないで体内に分泌するということですが、消化腺で作られる消化液や泌尿器で作られる尿などは体外(消化管も体外です)に出すわけで、体内に分泌するというのは、そのまま細胞のすき間に分泌し、それが毛細血管から血液に入る、あるいはリンパ管から静脈に入って最終的にホルモンの受容体まで流れていくということです。

ここで5つの内臓の説明全て終わった所で、最後にこの内臓の進化の形は一番進化した優れたものなのか検討するため、脊椎動物とはまるで別の進化を遂げてきて、ある意味進化の頂点に立つ昆虫との比較をします。昆虫で脊椎動物の内臓と同じような機能を果たす器官と脊椎動物の内臓の器官を比較すると、呼吸器系以外は非常によく似ており、全く別系統の進化をとげながら進化の行きつく先は同じようになっているという説明があります。

脊椎動物の呼吸はエラないし肺で酸素を取り込んで、それを血液に取り込んで全身の細胞の届けるという形ですが、昆虫では気管を全身くまなく張り巡らして全ての細胞が直接気管から酸素を取り入れるというとんでもない仕組みになっていて、循環器系・血液は呼吸には使われない、というはビックリです。

また内分泌系については、昆虫には神経分泌細胞というのがあって、ニューロンのような軸策を持ち、その軸索を通じてホルモンを直接標的とする器官に届けるという仕組みになっているようで、脊椎動物がホルモンを作って細胞の間に流し込んで、あとは血液が運んでくれるのに任せる、というのとはまるで違うという話も面白い話です。

説明のために図がたっぷりついていますから、それを一つ一つじっくり眺めるのも楽しめます。

動物の仕組みについて興味がある人には是非ともお勧めします。