『幕府』

2018年9月10日 19:31:53

日経新聞の土曜日の『詩歌・教養』のページにしばらく前から歴史学者の本郷和人さんの『日本史ひと模様』という連載が載っています。

毎回日本史上の一人を取り上げて論説しています。
視点がユニークで面白いので楽しく読んでいるのですが、8日の土曜日のテーマは後鳥羽上皇で、『官軍が敗れた唯一の事件』として、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱について書いています。

その中に
 <鎌倉時代、幕府なる言葉はなかった。室町時代には物知りの禅僧が中国の古典に幕府という概念を発見し紹介したが、それが流布するには至らなかった。江戸時代には幕府ではなく『柳営』という言葉が用いられた。武家政権をもっぱら幕府と称したのは、実際には明治以降の歴史学においてなのである>
という記述があります。

ちょうど今やっているNHKの大河ドラマの『西郷どん』では、9日の回は西郷どんが岩倉具視に討幕の密勅を出させる所をやっていて、確かに密勅の中味は「幕府を倒せ」ではなく「慶喜をやっつけろ」ということになっているようですが、それと同時に『幕府は腐っちょる』とか『幕府にはもう力はない』とか言っています。また当時の勤王討幕とか尊王佐幕というスローガンもあります。幕府という言葉はなかった、というコメントにはびっくりです。

とはいえ、この本郷さんという人は本物の歴史学者であることも確かで、ついでにその奥さんも本物の歴史学者だ、と私は思っています。

本郷さんの、『幕府という言葉はなかった』という言葉がどのような意味なのか、気になります。

これで『幕府』というキーワードで改めていろんな本(たとえば神皇正統記とか日本外史とか太平記とか)を確認してみるという楽しみができました。

もし興味があったらこの日経新聞の記事も読んでみて下さい。

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『細胞は会話する』 丸野内 棣

2018年7月10日 18:27:59

この本も図書館の新しく入った本コーナーでみつけたものです。

一般の生物学の解説書の一歩先まで解説している本です。
たとえばDNAの二重らせんの話、実際はその二重らせんがヒストンというタンパク質に巻き付いていて、その巻き付いたものがらせん状になっていて、それがまたらせん状になっていて・・・という所までちゃんと説明してあります。

あるいはDNAからRNAへの転写とかDNAの複製というのも、どこから始まってどのように進行するのか、それをどのようにコントロールしているのか、という話が説明してあります。

あるいはDNAのうち実際にRNAに転写されてタンパク質を作るのに使われる部分は全体の2%くらいしかない、という話の続きとして、残りの98%は遺伝子ではないけれど、その98%のうちの80%は遺伝子がどの細胞で、いつどのくらいの頻度でRNAに転写されるかという調整のためのものだ、というような話が説明されています。

DNAはRNAに転写されて様々なたんぱく質合成に使われるわけですが、実はDNAができる前はRNAだけで様々なたんぱく質合成や遺伝情報の複製に使われていたんだ、その前はPNAがたくさんできてそれがRNAに進化していったんだ、なんて話も出てきます。

細胞レベルでは嫌気性の古細菌が水素細菌を取り込んでミトコンドリアとすることにより酸素の毒性を克服し、真核細胞に進化した経緯が説明してあります。

細胞分裂・核分裂の失敗により遺伝子が倍数化して、遺伝子に余裕ができて様々な新しい進化が可能になるという話も説明されます。

この本の最後にはミツバチの生態についての章があり、単細胞生物が多細胞生物に進化し、細胞の機能分化が出来上がったんだけれど、それがミツバチの世界では多細胞生物である個々のミツバチがそれぞれ機能分化し、全体の集団としての機能を高度化させているという話が説明されています。ミツバチ集団の中の個々のミツバチの機能がどうなってるのかを調べるため、個々のミツバチにマイクロチップを埋め込んでいるという話が出てきます。しばらく前に同様の研究のために個々のミツバチにQRコードを貼り付けてその行動をトレースしているなんてニュースもありました。言われてみればもっともな話なんですが、IT技術の進歩がこんな所にまで及んでいるというのは驚くばかりです。

この本、一般に出ている生物とか細胞とか遺伝子とかの本の一歩先を行く説明で非常に面白く楽しめるのですが、残念なことにかなりふんだんに挿入されている図がちょっと小さくて老眼の私には殆ど読めません。とはいえ、図が読めなくても本文の説明だけでも十分に楽しめますが。

ということで、一般の生物学のさらに一歩先の生物学を知りたい人にお勧めの本です。

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『新聞の嘘を見抜く』 徳山喜雄 -(3)

2018年5月18日 16:01:31

この本を読みコメントを始めた時は、もう少しのんびり・じっくりコメントしようと思っていたのですが、その後事態の進展は想定以上のスピードで、もはやこれ以上のコメントは不要と思われるので、今回のコメントで終了とします。

その間新聞のファイクニュースはどんどん多くなり、また質的にもかなりひどくなり、従来のようにファイクニュースかどうか見分ける必要もなくなり、あからさまなファイクニュースあるいは願望ニュースを何の工夫もなく書き上げ、あとはそれをできるだけ広範囲にばらまくという戦略をメディアが採用することになったため、メディアのニュースは原則ファイクニュースだと考える所からスタートした方が手っ取り早いということになってしまいました。

もはやどのようにフェイクニュースをフェイクじゃなく見せるかなどという努力や工夫は消え去ってしまい、単に『大声で広範囲にばらまいて数の力で勝負』ということでは何の面白みもありません。

皮肉なことにこの本の最後の章のタイトルが『新聞はもう終わったメディアなのか』となっているんですが、たった半年で『なのか』が消え、『新聞はもう終わったメディア』になってしまったようです。

さてこのように終わってしまったメディアですが、いつの日かまた復活する日は来るのでしょうか。

ゆっくり気長に、その日の来るのを待ちたいと思います。

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『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン

2018年5月18日 16:00:50

図書館のお勧めの本コーナーでこの本をみつけました。
何年か前大騒ぎになった本です。あまりの大騒ぎに私は本も映画も見ていません。

えらく分厚い本だなと思って手にとってみると『ビジュアル愛蔵版』とあり、本に出て来る美術品・建物・場所・シンボルその他を写真等でできるだけ全て挿入しているということで、600頁を超える単行本ですが、カラー写真がたくさん入っているので楽しそうで、読んでみようかと思いました。

非常に面白い本で、全体600頁のうち570頁までが、ある晩の夜10時から翌日の昼頃までにあてられています。その間主人公は殺人の犯人と疑われパリを逃げ回り、ロンドンに逃げ、ロンドンでも逃げ回りながら謎解きをします。

いくつかの殺人が行われるのですが、その直接の犯人は最初から姿を現しますが、その黒幕の本当の犯人は、本の真ん中くらいでようやく主人公の友人として主人公を助ける切り札の立場で登場し、それが実は本当の犯人だ、ということが分かるのが540頁、全体の9割が過ぎた所だというのもなかなかの構成です。

本の中味にはキリスト教にかかわる様々な異端・異説・伝説・秘密結社・修道会・十字軍・レオナルド・ダヴィンチ、ニュートンその他がぎっしり詰まっていて、キリスト教のそのような話に興味がある人にはたまらなく興味深く読めます。600ページの大冊がハラハラドキドキしながら一気に読めてしまい、久しぶりに読み終わった直後に2度読みしてしまいました。

極上のエンタテインメント・ノベルです。
まだ読んでいない人は読んでみてはいかがでしょう。

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『広田弘毅』

2018年4月23日 11:06:04

玄洋社について調べている中、急に広田弘毅についてきちんと読んでみようと思い、次の3冊を読みました。

『広田弘毅-「悲劇の宰相」の実像』 服部龍二(中公新書)
『黙してゆかむ-広田弘毅の生涯』 北川晃二(講談社)
『落日燃ゆ』 城山三郎(新潮社)

中公新書のものは小説ではなく政治学者による研究書、という位置づけなので、各種資料からの引用により広田弘毅の人物像を描こうとしています。
他の2冊は伝記小説で、特に『落日燃ゆ』は人気小説家によるベストセラーです。

『黙してゆかむ』と『落日燃ゆ』では広田弘毅は玄洋社員ではない、と書いてありますが、中公新書の方では根拠を示して広田弘毅の言葉を引用しながら、玄洋社員だったと言っています。

玄洋社というのは福岡の政治結社の一つで、超国家主義の団体だ、ということになっています。広田弘毅が玄洋社員だったかどうかというのは、広田弘毅が東京裁判で死刑になった一因が玄洋社員だったことにある、ということになっているので、北川さんや城山さん等は、広田は玄洋社員ではなかったけれど東京裁判では玄洋社員だったと誤認されて死刑になった、と言いたいのかな、と思います。

で、この3冊ですが、まず中公新書の方、客観的な事実にもとづいて書かれていますので、広田弘毅を取り巻く環境を知るには良く役に立ちます。特に中国やロシアの状況については役に立ちます。

ただし、広田弘毅が外務大臣になり総理大臣になり、また外務大臣になり、また元首相として政府にアドバイスした期間について、軍部に対抗できず、ずるずると引きずられるままだった優柔不断の政治家だった、という評価についてはちょっと違うんじゃないかなと思います。

この本の著者は私より20年近く若い人なので当時の状況が(特に戦前の陸軍がどのようなものであったのか)良く分かっていないのか、あるいは学者の立場で考えているので現実の政治家の立場が分かっていないのかな、と思います。

『黙してゆかむ』の著者は修猷館の広田の後輩にあたる人で、広田が総理大臣になった時に在校生として学校を挙げて、あるいは福岡県挙げてお祝いし、誇らしく思ったということですから、尊敬すべき郷里の大先輩の伝記を書いた、ということのようです。本は伝記小説の形になっていますが、伝記としては異例なほどその当時の政治情勢、軍事情勢(特に国内の政治、軍事的な情勢)について丁寧に説明されています。

『落日燃ゆ』はさすがにベストセラー作家による伝記小説ですから読みやすいのですが、広田弘毅を取り巻く状況等についてはあまり説明はなく、その分小説として楽しむことができます。

楽しい小説としてそのまま終わるのかなと思っていた所、最後の東京裁判の所以降については一番丁寧に書かれているようです。

これはこの本の『あと書き』の部分に書いてありますが、広田弘毅の遺族は基本的に広田弘毅に関する取材に協力しない、広田弘毅について語らない、というスタンスを取っていて、城山三郎も困っていてそれを作家仲間の大岡昇平に話した所、大岡昇平は広田弘毅の長男とは子供の頃から親友だから任せろと言ったということで、その結果遺族からかなり詳しい話を取材することが出来たんだろうと思います。

で、いずれにしても広田弘毅が玄洋社員であったかなかったかにはかかわらず、広田弘毅という人は玄洋社精神によって生き、玄洋社精神によって進退し、玄洋社精神によって死んでいった人なんだろうと思います。

玄洋社というのは幕末の筑前勤皇党の流れをくむ政治結社ですから、2.26事件の直後に陸軍がその先どうなるか分からない状況での大命降下に対して、近衛文麿のように逃げるという選択肢はなく総理大臣に就任し、また東京裁判においても罪を免れるよりむしろ天皇の代わりに処刑されることにより天皇を守ることを選択した、ということだと思います。

裁判でしゃべったかしゃべらなかったか、についても『落日燃ゆ』にあるように、取り調べの段階では検事や弁護士には何ごとも丁寧に説明したけれど、裁判の席上自己の弁護のためには無言で通した、ということだと思います。

総理大臣になる所でも、近衛文麿が逃げたので広田弘毅が受けて総理大臣になり、東京裁判でも近衛文麿が(捕まる直前に自殺して裁判を受けることから)逃げたので広田弘毅が裁判を受け、裁判をする側が文民を一人有罪にして死刑にする方針であることが分かると、自分がその一人になると決めて死刑になった、ということだと思います。

玄洋社というのは政治結社といってもリーダーの命令一下メンバーが一致して皆で何らかの行動をする、というものでなく、メンバーがそれぞれ独立して何かの行動をし、それに参加・協力したい他のメンバーがそれぞれの判断で参加する、という形のもので、このやり方は政治結社としては問題がありそうですが、その分個々のメンバーの行動の仕方という点ではなかなか興味深いものがあります。この広田弘毅という人の生きざまもその一つです。

ということで、なかなか面白かったので、紹介します。
出来ればこの3冊をこの順に読むといいと思います。

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『事大主義の復活』

2018年3月29日 16:09:42

金正恩の中国訪問、ようやく映像その他が出てきましたね。

映像を見る限り、北朝鮮は中国に全面降伏して中国を宗主国とする従属国になったようです。これでとりあえず身の安全だけは中国に保証して貰ったという所でしょうか。

事大主義というのは朝鮮の何千年の歴史を貫く政治思想です。事大(じだい)というのは大(だい)に事(つかえ)る、と読みます。力のある強国に無条件に従って忠実な属国として生き残りをはかるという考え方です。

朝鮮は明治30年に大韓国(後に大韓帝国)として独立するまでずっとこのような中国を宗主国とする従属国だったという歴史がありますから、ここでまた昔に戻るということでしょうね。

それにしても、属国になるにしてもその相手としてアメリカもロシアもあると思うのですが、よりにもよって中国を宗主国とするというのは、これも歴史と伝統のなせる業なんでしょうか。なにしろ今まで宗主国となるのはずっと中国だったわけですから。

もっともアメリカもロシアも民主主義国なので命の保証をしてもらえないかも知れないけれど、中国は民主主義国ではないから、習近平に頼めば命の保証だけはして貰える、と思ったのかも知れませんね。ただしその保証料がどれだけ高いものになるかはこれからのお楽しみでしょうけど。
韓国ドラマを見れば、属国だった朝鮮が宗主国の中国にいかにひどい目にあったか、という設定だらけです。

韓国では、この前文在寅大統領が訪中した時の冷遇に比べて今回の金正恩の厚遇が甚だしすぎるなんて話も出ているようですが、北朝鮮は属国、韓国は属国にならずに独立国であるかのようにえらそうにふるまっている、となったら、扱いの違いは当然のことかも知れません。

文在寅さんはもともと北朝鮮寄りの人ですから、今回の北朝鮮の行動を見て韓国も同じように中国の属国になろうとして動き始めるんでしょうね。

当初のアメリカの軍事力によって北朝鮮問題を解決するというのとはやり方が違ってしまいますが、これはこれで一つの解決かも知れません。北朝鮮が中国に従属するとなった以上、核兵器は全て北朝鮮から中国に運び出されてしまうでしょうし、核開発関係の施設は全て中国の管理下に移されるでしょうから、暴発の危険がかなり低くなりますね。

ミサイルは残るかも知れませんが、金正恩がいつまでも我慢できるとは思えないので、それはいずれ日本やアメリカを狙うのでなく、中国を狙うようになるんでしょうね。

中国の属国になるというのはかなり大変なことだとはいえ、北朝鮮の国民にとっては今よりはかなり状況が改善されるんでしょう。

韓国については属国が宗主国より豊かな生活をしているなんてことは許されないでしょうから、ちょっと辛い思いをすることになるかも知れませんね。

中国と北朝鮮・韓国の関係は興味深く見ていきたいですね。

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『イタリアの歴史を知るための50章』

2018年3月14日 10:49:56

これは明石書店のエリアスタディーズのうちの1冊として、去年の12月に出たばかりの本です。例によって図書館の『新しく入った本』コーナーでみつけました。

イタリアの歴史は塩野七生さんの『ローマ人の物語』のあたりは楽しく読んだのですが、その後ローマ帝国が東に移って東西に分かれ、その後西ローマ帝国が滅亡して以降はいろんな国が乱立し良く分からなかったのですが、この本ですっきりしました。

中世の都市国家の話の所で『ポポロ』という言葉が出てきて、以前憲法学者の樋口陽一さんの本を読んだ時に『市民』と『人民』という言葉の使い分けをしていたのが何のことか分からなかったのが、ようやく分かりました。即ち大雑把に言うと、『市民』というのは都市の市民権を持ち、納税や兵役の義務を負う代わりに参政権その他の権利を持っている少数の人達。『人民』というのは、その都市に住んでいるだけで何の権利も義務もない一般庶民のことだと分かって、樋口さんの言っていたのが、憲法の基本的人権というのがその『市民』に関するものなのか、『人民』全員に関するものなのかという話なんだとようやく納得しました。日本では『市民』も『人民』も同じようなものですが、やはり中世の都市国家を経験してきているヨーロッパの国々では、この言葉の違いに敏感なんでしょうね。

イタリアは明治維新の頃、小さな国に分かれていたのがようやく統一されてイタリア王国になっているんですが、これもたまたまあれよあれよという話だった、ということです。その当時、元々はまずは北イタリアだけでも統一しようとしていた所、南の方もあっという間に統一できてしまい、間に挟まった教皇領もついでに統一してイタリア王国になったんだというあたりも面白い話でした。

第二次大戦で『日独伊が敗戦国』というのが日本では一般的な認識ですが、イタリアではイタリアは敗戦国ではなく戦勝国だ、と認識されているというのも初耳でした。

イタリアはムッソリーニのファシスト党の下、ドイツ・日本と手を組んで戦争をしてたのですが、その途中でイタリアの王様はムッソリーニを捕まえて閉じ込めていたのをヒトラーのナチスがそれを取り返して北イタリアに新しい国を作り、イタリア国内ではムッソリーニ対レジスタンスという戦争をやっていて、結局レジスタンス側が連合国軍(アメリカやイギリス)と一緒になってムッソリーニを倒した。だからイタリアは連合国側で、戦勝国だということになるようです。すなわち日本とドイツは連合国に敗れた、ムッソーリニのファシストはイタリア人のレジスタントに敗れた、というわけです。

そのムッソリーニのファシズムについても、ファッシとかファッショというのは暴力団とか警防団とかの『団』という意味の言葉で(ファッショの複数形がファッシだということです)、ムッソリーニのファシスト党というのはもともとイタリア戦闘ファッシ(戦闘団)という名前だったとか、そのファシスト党には地方の親分みたいな人もたくさんいて、それぞれの地方で労働組合運動に殴り込みをかけたりしていて、必ずしもムッソリーニにおとなしく従っていたわけではなく、ヒトラーのナチスとはまるで違うものだというのも面白かったです。

少し前に読んだ『ファシズム』に関する本ではまるでわからなかったのが、この『暴力団の団のことだ』という説明で一気にすっきりしました。

というわけで、かなり内容豊富で読むのは大変ですが、読みやすそうな所だけ目を通すというのでも楽しく読めると思います。私としては思いがけない収穫が盛りだくさんの本でした。

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『新聞の嘘を見抜く』 徳山 喜雄 -(2)

2018年2月21日 17:47:33

さて前回は『プロローグ』の所のコメントで終わってしまいましたが、今回はいよいよ本文に入ります。
第一章は『「ポスト真実」時代の新聞』というタイトルです。まずはpost-truthという言葉の説明から入ります。

2016年のオックスフォード大学の出版局によるWord of the Yearになったこの言葉の意味を
 『世論形成において客観的事実の説明よりも、感情に訴える力が影響する状況』(15頁)とか、
『世界は客観的な事実や真実が重視されない時代、換言すれば「自ら望んでいるストーリー」だけを読みたいという時代に踏み込んだかのようである。』(16ページ)と説明しています。

このような意味づけは確かに良く見かけるものですが、これもどちらかと言えばマスコミやジャーナリズムの世界で使われている説明だと思います。

私の考えではこの言葉は、『もはや新聞が報道する「真実」も専門家と称する人達が主張する「真実」も殆ど信用されなくなり、本当の「真実」を求めて他のメディア、他の人達の言うことに耳を傾ける人が多い』ということだろうと思います。

新聞人からすると『自分達が報道しているのが真実だ』というスタンスを変えるわけにはいかないので、新聞の報道する真実が信頼されなくなっていることを、読者が真実を求めなくなっている、とすり替えて説明しているもののようです。
まぁ長期間マスコミにいると、自らの存在を否定するような話を簡単には受け入れられないんでしょうが。

で、この言葉を軸に、イギリスのEU離脱の国民投票と、アメリカ大統領選のトランプ氏当選の報道についてコメントしています。

EU離脱の国民投票では、多分離脱反対の結果になるだろうと(欧米のメディアを含めて)誰でもが思っていたことも『「日本のメディア」に流れる空気はEU残留派の勝利であった』(17頁)などと、わざわざ「日本のメディア」と限定し、日本のメディアだけがダメだったかのように書いてあります。

そして結果として離脱賛成派の勝利について、『EU離脱報道には欠陥があり、世論をミスリードした』(18頁)と書いています。ここで著者お得意の新聞各紙読み比べをやっているんですが、『毎日新聞が「離脱だ」と言い切っているのは間違いだ。読売新聞が「英国の脱退方針が決まった」と書いてあるのは冷静で正確だ』(18頁)と書いてあるのにはあきれ果てますね。法的拘束力のない国民投票でもちろん離脱が決まったわけでもないですが、脱退方針が決まったわけでもないんですから、毎日新聞も読売新聞も同じようなものです。やはり朝日新聞に長くいたため論理的思考能力が欠けているんでしょうね。

次はアメリカ大統領選のトランプ勝利ですが、『当初は泡沫候補扱いでまともに相手にされていなかった不動産王のトランプ氏が共和党の大統領候補になり、その果てに大統領になってしまった。殆どの既存メディアはこれを予測できず、産経が言うようにまさに「敗北」した。換言すれば、嘘を報じてきたのである、ひどい誤報である。』(21頁)

『嘘』と言いながらすぐに『誤報』と言い換えて、嘘の印象をやわらげる、というのも一つのテクニックかも知れません。
で、トランプさんの選挙運動中のマスコミとのやりとりについて、『メキシコ不法移民を「麻薬密売人」「強姦犯」と決めつけ、国境に壁を築き、この建設費はメキシコに払わせるとするトランプ氏をメディアは厳しく批判したにも関わらず、その効果はなく、酷評した相手に逆手に取られ逆襲されることになった。批判した相手を結果として応援するような報道ならしない方が良いということになる。』(23頁)

この最後の文章、ここではからずも本音が出てしまいましたね。ネットの世界で良く言われる『報道しない自由』というものです。安倍さんに都合の良いこと、自民党にとって都合の良いことは無視して報道しない。安倍さんに不利なこと、自民党にとって不利なことは針小棒大に膨らませて大きな記事にする。日本では憲法で言論の自由が保証されていて、その中には嘘をつく自由も含まれると解釈されていますから、この『報道しない自由』も憲法で保証されているんでしょうか。これをこのようにあからさまにしてしまっては、報道の自殺のようなものです。新聞の報道は新聞社にとって都合のいいことのみの報道だ、と言っているようなものですから。
まさかこんなことを、これほど明確に書いてしまうとは、何ともはやビックリです。

ここでなぜか清沢洌が登場し、そのジャーナリズム批判が紹介されています。ここで著者が書いてあるのも何となくおかしな話なのですが、コメントは実際に清沢洌の書いたものを読んでからにしたいと思います。

いろんな人を引き合いに出して、自分の言いたいことはこんな人もこんな人も言っている、という言い方をするのは良くあるやり方ですが、ここでキッシンジャーが登場して、読売新聞のインタビューに答えて『(インターネットによって情報を記憶する必要がなくなった。)記憶しなければ人は考えなくなる。その結果知識を受容する能力が著しく損なわれ、何もかも感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしか見られなくなってしまった』(30頁)なんて文章が引用されていたりします。これは電子メディアと民主主義の関係を語ったという注がついていますが、著者がITやインターネットが嫌いだ、というだけのことのようです。

このキッシンジャーの言葉については、それじゃぁ紙や字がない方が良かった(紙や文字がない時代には、口承で覚えるしかなかったんですから)ということなのか、新聞などない方が良いと言いたいのか、とツッコミを入れたくなります。どうもこの本の著者は、気が付かないまま自己否定するのが好きなようです。

ということで、今回はこのへんまで。

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『新聞の嘘を見抜く』 徳山 喜雄

2018年2月19日 18:38:36

この本は新聞がフェイクニュースを量産し、新聞が信用されないようになっており、インターネットがマスコミに代わって様々なニュースを提供するようになっている状況を踏まえ、インターネットには新聞以上にフェイクニュースが溢れており、やはり新聞の方が信頼できるメディアだ、ただし新聞のニュースも正しく理解するためにはそれなりの新聞の読み方があるので、その新聞の読み方を説明し、インターネットに溢れる嘘に惑わされる事なく、また新聞にも登場するフェイクニュースもきちんと見極めることができるようにする為にはどうしたら良いか、というようなことを宣伝文句にする本です。

著者は長く朝日新聞に所属し、AERAにも所属していた人という人ですから、最初からこんな本を読むつもりはなかったのですが、先日かなり久しぶりにたまたま本を買うために本屋さんに行った所この本を見つけ、パラパラめくってみた所、この本の著者の意図とは全く違う視点で読んでみると面白いかも知れないなと思いました。

朝日新聞の記事など紙面で読むことは殆どありませんし、ネットで読むような時も日々様々なニュース記事に紛れて一過性の読み飛ばしになってしまいますが、このように印刷されて本になっているとじっくり読むことができますし、本に赤字で書き込みしてツッコミを入れることもできます。この本を材料に、朝日新聞流のフェイクニュースの作り方を分析してみようと思いました。

もちろんこんな読み方は著者の意図とはまるで違った話になってしまうんですが、本が印刷されて販売されてしまった以上、その本を買ってどう料理するかというのはこっちの勝手です。

ということで、買うつもりのなかったこの本を買って読んでみることにしました。

で、まずは『プロローグ』から順番に読んでいくんですが、その2ページ目(本の8ページ)に
『日本において現代の新聞の原型ができたのは明治初めで、150年ほどにわたってほぼ同様のビジネスモデルで貫かれてきた。この過程で出来上がった報道スタイルは作為あるいは不作為の嘘をつき、社会や読者を翻弄してきたという歴史もある。』

なんと、日本の新聞の歴史は嘘・フェイクニュースの歴史だ、と真正面から言っています。これには本当にびっくりしたんですが、この部分についてコメントしている記事は見たことがありません。本の前書きの部分なので、ちゃんと読んでいる人はあまりいないのかも知れません。

もしこの本の主張がこの通りだとすると、私の意図とは違ってしまうので困ったな、と思ったのですが、やはり本文に入ると、その内容は私の想定した通りのもので、インターネットにはファイクニュース・嘘が満ち溢れている、新聞の記事にも時として間違いやミス・誤報はあるけれど嘘をついているわけではない、インターネットの嘘に騙されずに本当の事を知りたければ新聞を読むしかない、という事が書いてあります。

これからじっくりとコメントしていきたいと思いますが、その前にこのプロローグの終りの所に、新聞の読み方に関して『私は複数の新聞を読み比べ、切り口の違い、使っているデータ(事実)の違い、解釈の違いなどを丹念にみていくことを薦めている』(本の10ページ)と言っています。

これはまぁある意味その通りだとは思うのですが、どうしてその対象を新聞に限定してしまうのか、複数の新聞だけでなく他のインターネットの記事も同様に読み比べる方がさらに良いのではないか、と思うのですが、著者は『インターネット=嘘』という前提に立っているので『インターネットの記事も』なんてことは思いもしないんでしょうね。その代わり、新聞の方では朝日・毎日・東京新聞もちゃんとした新聞として取り扱っているようです。

という所で、次からはいよいよ本文に入ります。

まともな本だと思って読むと何の意味もない本ですが、私のように読むつもりになるとかなり面白い本だと思います。そのような人におススメです。

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『帳簿の世界史』 ジェイコブ・ソール

2018年2月1日 09:37:42

先日、簿記・会計の本を二冊読んだ話をしました。

すると友人が、今、税理士さんの間で話題になっている本がある、と教えてくれたのがこの『帳簿の世界史」という本です。

良く見たら、本のタイトルが誤訳です。

元のタイトルは『The Reckoning – Financial Accountability and the Rise and Fall of Nations』というもので、直訳すれば
『(国の決算の)見積り -(国の)財政の説明責任と国々の盛衰』
というくらいの意味です。

本の中では『複式簿記は大切なもので、簡単ではないけれど、これをちゃんとする国は栄え、できない国は亡びる』というテーマを、いわゆる西洋流の世界史をからめて繰り返し繰り返し唱えています。

とはいえちゃんとした複式簿記の説明があるわけでもなく、具体的な帳簿の説明があるわけでもなく、簿記や会計に関する本だと思って読むとガッカリするかも知れません。元のタイトルにもあるように、国の財政状況を(複式簿記を使って)きちんと把握し、その内容を(国王や国民に対して)きちんと説明できるようにすることがいかに大事なのか、ということを、イタリア→スペイン→オランダ→フランス→イギリス→アメリカと、世界史(西洋史)の流れに沿って説明している本です。様々なトピックスが盛りだくさんに出てくるので、それなりに面白い本ではあります。

この本で、実はアメリカの植民地開発が文字通りベンチャービジネスであり、出資者に会計報告するためにアメリカでは植民の初期の頃から簿記についてはきちんと対応していた人が多かったという話がありましたが、この『ベンチャービジネス』という視点は面白かったです。

本の最後に付録として日本の事情について『帳簿の日本史』というタイトルで編集部の作った6ページばかりの小論が付いています。編集部がまとめているのですが、速水融・山口英男・由井常彦というそうそうたる3氏に協力してもらったということで、この部分はなかなか面白いものでした。律令制が始まった時代からの流れを概説し、江戸時代には日本にもちゃんと複式簿記のシステムがあり、そのため明治になって西洋流の複式簿記が入ってきたとき、それへの移行もあまり困難なく実施できたという話も入っています。

挿絵もかなり多く入っており、私にとっては世界最初のアクチュアリーといわれるオランダのヨハン・デ・ヴィットが、その兄と一緒に国民に私刑で殺され逆さ吊りにされている場面の絵(オランダ、アムステルダムの国立美術館蔵の『デ・ヴィット兄弟の私刑』という絵です)は初めて見るもので、興味深いものでした。

西洋史の流れを国の決算・債務の増減という立場からまとめ直した、といった本です。
なかなか面白い読み物です。

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