『ギリシア人の物語』 塩野 七生

2019年1月9日 17:32:22

ふと思いついて、そろそろ読めるかも知れないと思い調べてみました。で、これが全3巻例によって年1冊の刊行で、3巻目が1年前、おととしの暮に出ていることが分かりました。

さいたま市の市立図書館の蔵書としては3巻とも17冊くらいの蔵書があり、それぞれだいたい7冊くらいは貸し出されないで書架にあることが分かりました。これであれば安心して借りられるし、いくらでも延長できると想定して、3巻まとめて借りました。

だいたい週1冊のペースで4週間で、1月3日に読み終えました。やはり塩野七生は見事なもので、十分堪能しました。

ギリシアのアテネとスパルタを中心とする都市国家がどのようにでき、アテネの民主政とスパルタの寡頭政がどのようなものでどのようにでき、どのように滅んでいったかの盛衰記が見事に書かれています。

アテネの有名な陶片追放というのが、具体的にどのようなものだったかも良く分かりました。

1、2巻で当時の世界帝国だったペルシャと戦った第1次・第2次ペルシャ戦役と、その後アテネとスパルタが戦い、最後にアテネが敗ける経緯が詳しく書かれています。

第3巻では戦争に負けたアテネが亡び、勝ったスパルタもその後を追うように亡びる中で、ソクラテスも死刑で死に、『そして誰もいなくなった』。ギリシアは勝者も敗者もいなくなり、テンデンバラバラの都市国家が残るだけになり、そこでようやく辺境のマケドニアの登場です。

いよいよアレキサンドロスの登場ですが、このアレキサンドロスの世界制覇は実は父親と2代がかりの偉業だったこと、息子が成人するころ丁度父親が暗殺されスムースに王位継承ができたこと、アレキサンドロスがペルシャを破り世界征服を果たした後どうやって死んだか、死んだ後残された帝国はどうなったか、という具合に全3巻が書かれています。

やはり塩野七生は戦争が好きなようで、戦争の描写はいつもながら生き生きとしています。

で、この3巻には1巻目の最初に、なぜ今ギリシャを書くのかという説明があり、3巻目の最後にこの3巻をもって塩野七生のいう『歴史エッセイ』を書くのは終わりにするという宣言が書いてあります。

著者が『調べ、考え、それを基にして歴史を再構成していく』ことと定義する『歴史エッセイ』ですが、ローマ人の物語から、その前に書いていたヴェネツィア(海の都の物語)・マキャベリ(わが友マキャヴェリ)等、ローマ人の物語のあとに書いた十字軍(十字軍物語)・イスラムが地中海を支配した時代(ローマ亡き後の地中海世界)・ルネサンスの先駆けをしたフリードリッヒ(皇帝フリードリッヒ二世の生涯)、最後にこのギリシャ人の物語と、塩野七生の代表作が全て入っています。

10代後半で地中海世界に憧れ、20代後半で地中海にたどりついて2年間地中海沿岸をさまよった後30歳になる所で執筆を始め、最初にペアを組んだ編集者とは『翻訳文化の岩波(書店)に抗してボク達は国産で行こう』と決意し、でも30歳前後のまだ何事もなしとげていない若者2人がそんなことを言ってみても誰からも相手にされないからこれは二人だけの密約とし、15年後にその編集者が若くして病に倒れ亡くなる時も、残された塩野七生が『続けます』と誓って今まで50年にわたって著述を続け、80歳になって、書くほどのものはもうすべて書き尽くした、とでも言うように終筆宣言をする、というのは何とも見事な姿です。

この『十七歳の夏-読者に』と題する塩野七生歴史エッセイ全作品のあと書きの後に、この歴史エッセイの全体像を一覧できる図が付いています。

もうこれで塩野七生の新しい物語には出会えないんだと思うとちょっと寂しい気もしますが、著作というのは有難いことにいつまでも残っているものなので、寂しかったらいつでもどれでも今までに書かれたものを読み返せば何度でも塩野ワールドを堪能できるというのは、なんともぜいたくな話です。

ということで、この年末年始の休みは非常に実りの多い休みとなりました。
もしまだ読んでない人がいたら、今度の(4月~5月の)10連休にでも読んでみてはいかがでしょうか。

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外国人労働者の死亡率

2018年12月14日 16:04:21

外国人労働者の受け入れ問題に関して、実習生が大勢死亡している等の報道がなされ、今一はっきりしなかったのですが、今朝の日経新聞の社会面(私の取っているものでは、12月14日朝刊13版の35ページ)にまとまった記事があったので紹介します。

この記事、見出しは『外国人実習生ら174人死亡』『法務省集計、10-17年 経緯不明も多く』となっていて、不自然に多くの外国人実習生が死亡しているかのような話になっています。

この記事によると

  1. 13日の野党合同ヒヤリング(野党は相変わらずこんなことをやってるんですね)で法務省は、昨年まで8年間に外国人技能実習生ら174人が事故や病気で死亡した、と言った。①
  2. 厚生労働省は昨年まで10年間で実習生を含む外国人労働者125人が労災で死亡していた、と言った。②
  3. 実習制度推進団体『国際研修協力機構』の集計によると、昨年度までの3年間に実習生88人が死亡した。③
  4. 実習生を巡っては6日に、15年~17年の3年間で69人が死亡していたことが判明。④
  5. 実習生は昨年10月末時点で約25万8千人いる。

ということのようです。

1年あたりの死亡者数は単純に年数で割り算すると
①21.75人 ②12.5人 ③29.33人 ④23人
となっていて、分母の人数が⑤の25万8千人で年々それほど大きく変動していないと考えると、これを分母として死亡率は
① 1万分の0.8 ② 1万分の0.48 ③ 1万分の1.14 ④ 1万分の0.89
になります。

直近の日本人の死亡率は、平成29年の簡易生命表の死亡率で
 15歳 男性 1万分の1.7  女性 1万分の1.0
 20歳 男性 1万分の4.2  女性 1万分の1.8
 25歳 男性 1万分の5.0  女性 1万分の2.2
ですから、これと比べると、特に外国人労働者の死亡率が高いとは言えないようですね。

外国人実習生が劣悪な労働環境で働かされているので死亡者が多い、と言うには、もう少しきちんとした調査が必要のようですね。

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『戦国時代の天皇』 末柄 豊

2018年12月14日 15:58:24

この本は今年の7月に出た本で、例によって図書館の新しく入った本コーナーでみつけました。

この『戦国時代の天皇』というのは応仁の乱(1467年)から豊臣秀吉による天下統一(1590年)までの間に天皇の位にいた後土御門(ごつちみかど)・後柏原(ごかしはら)・後奈良(ごなら)・正親町(おうぎまち)の4代の天皇のことです。

応仁の乱で室町幕府がほとんど権力を失い、その結果財力も失い、その幕府が最大のスポンサーだった天皇家も財政が窮乏した時から、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ天皇家のスポンサーになった時までの約百年、天皇は一体何をしていたのか、という話です。

この4代の最後の正親町天皇は子の親王に先立たれながらも70歳の時孫に譲位をすることができたけれど、その前の3代の天皇は譲位することができず、天皇在位のまま死を迎え、もちろん明治天皇以降は基本的に天皇在位のまま死を迎えるのが原則になりますが、この戦国時代の3代以前にこのように3代続けて天皇在位のまま死を迎えたのは7世紀の斉明・天智・天武の3代までさかのぼる、ということです。

天皇が生存中に譲位すると上皇になったり法皇になったりするのですが、この戦国時代はとにかく金がないので譲位できず、結果的に天皇のまま亡くなるということになったようです。

譲位の儀式というのは、践祚(せんそ)・即位礼(そくいのれい)・大嘗会(だいじょうえ)の3つになるわけですが、まず践祚の儀式をします。ですが、この践祚の時にはまだ前の天皇が存命だという建前で行われ、践祚のあとで前の天皇の葬儀が行われるということになっており、即ち、践祚の儀式が終わらないと既に亡くなっている前の天皇の葬儀ができない、ということのようです。

践祚の儀式のための費用が調達できないために前の天皇の葬儀ができず、死後何十日もそのままになっていたというような話があります。

践祚の方はとりあえずこれが終わらないと天皇不在になってしまうので何十日かで何としてでも行なったようですが、即位礼の方は践祚してから何十年も経たないと行われないなんてことにもなったようで、大嘗会の方はさらに大がかりで費用もかさむため、9代にわたって挙行できないなんてことにもなったようです。

このような中、財政逼迫の下で天皇は何をしていたのか、というのがこの本の内容です。
・幕府との関係のありようについて決断する
・官位の任叙について判断する
・裁判を行う
・禁裏の蔵書を整理する
という仕事と
・日記を書く
・手紙をしたためる
・親王を教え導く
・所領を立て直す
という行為について解説しています。

この中に、女官に頼まれて習字の手本にするからと何首か和歌を書いてやるんだけれど、習字の手本というのはどうせウソで、地方の有力者から天皇の直筆が欲しいと頼まれたんだろうと分かった上で騙されたふりをして頼まれてやる話があります。
また、年賀状を書く話なんかがあり、年賀状には現実を書かずひたすら願望を、それがあたかも現実であるかのように書く、なんて話もあります。年賀状の文を活字で本文中に書いてある部分と原文の年賀状の写真を見比べると、元の文がひとかたまりずつ紙の上下左右に散らばして書いてあり、こんなものを貰ったらどうやって順番を判断するんだろう、なんてことも考えました。

来年はいよいよ天皇の代替わりの年です。新天皇の即位の儀式を見る時にも参考になるかも知れません。

100ページちょっとの小さい本ですからすぐ読めます(ただし大名やお公家さんの名前がたくさん出てくるので、適当に端折って読む方が楽です)。

なかなか面白い本でした。
興味のある方は是非どうぞ。

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『漫画 君たちはどう生きるか』 羽賀 翔一

2018年11月26日 15:31:46

先週『君たちはどう生きるか』の読書感想文を投稿しましたが、それを書くときネットで検索して、あらすじを紹介しているページを見付けました。読んでみると私の読んだ『君たちはどう生きるか』とはちょっと違っていました。

このネットのページ
https://toyokeizai.net/articles/-/218524
を見直してみると、これは池上彰さんがテレビでこの本を紹介し解説した番組をまとめたもののようです。

で、そこで紹介されているあらすじは元々の『君たちは・・・』の本の中味ではなく、それを漫画化した『漫画 君たちはどう生きるか』の方のあらすじのようです。で、その漫画も家にあったと思って、早速読んでみました。

漫画化やドラマ化、映画化によって話が原作とは違ってしまうというのは良くある話ですが、この漫画も原作とは大分違っています。

原作者の吉野源三郎が戦後の再版に際してせっかく話を戦後に合わせて修正したのに、漫画ではわざわざ元の旧制中学の話に戻しています。その上で主人公の友人達が上級生に制裁を受ける話が、原作では下級生の軟弱なのに対して上級生が風紀粛清のために何人かの下級生を殴るという話だったのに、この漫画版では主人公の友人が同級生にいじめられているのを、もう一人別の友人がそのいじめっ子に立ち向かっていって取っ組み合いになり、それが先生に見つかっていじめっ子共々叱られたのを根に持ったいじめっ子がその兄である上級生に話をして、主人公の友人に仕返しをするという話になっていて、何ともつまらない話になっています。

原作では上級生が勝手に正義をふりかざして風紀粛清の名の下に暴力をふるうという話で、暗に軍部批判をしているような話なのが、漫画版では単なるいじめっ子の仕返しの暴力というつまらない話になってしまっています。まあ今となってはいじめの問題の方が軍の正義を振りかざす暴力の問題より大きな問題なんだ、ということなのかも知れませんが。

で、池上さんは原作を読んでいるのかどうか分かりませんが、このテレビ番組の主旨もあるのか原作の解説ではなくこの漫画版の解説をしているようです。

というわけで、ついでに漫画版の『君たちはどう生きるか』も読んでしまったわけですが、こちらの方はお勧めしません。

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『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎

2018年11月22日 19:14:13

この本が評判になっているというので、読んでみました。
それなりに面白かったのですが何となく違和感があり、その原因をしばらく考えていたのですがすっきりしません。著者によるとこの本は昭和12年に発刊され、版を重ねた後、戦争中は出版することができず、戦後再び出版するようになり、現在多くの版で出版されているのは37年に改訂され、さらに昭和42年に改訂されたもののようです。

もしかするとこの改訂作業が違和感の原因かも知れないと思い、昭和12年の最初の版を借りて読んでみました。昭和12年となるとさすがになかなかなく、公立の図書館では国会図書館・京都府立図書館・鳥取県立図書館にあることが分かり、地元の図書館で頼んだら鳥取県立図書館の蔵書を借りることができました。世の中便利になったものです。

昭和12年というのは、昭和10年の天皇機関説事件、昭和11年の2.26事件、昭和12年の盧溝橋事件、『国体の本義』の発行、という時代です。戦後、太平洋戦争の敗戦を受けた空想的反戦平和主義により軍国主義的、愛国主義的、天皇主義的な内容が大幅に書き換えられたのではないか、と予想したのですが大外れでした。

昭和12年というのは上述のいろいろな出来事にもかかわらず、まだこのような本の出版が可能だったということになります。

書き換えは

  • 昭和12年が昭和30年代あるいは40年代になったことにより、物価が200倍になり、カツレツが10銭から20円、コロッケが1個7銭から2つで15円になった。
  • 主人公コペル君の友人のガッチンのお父さんが「予備の陸軍大佐」だったのが「元陸軍大佐」になった。
  • 主人公コペル君の名前が潤一君から純一君になった。
  • 主人公コペル君の友人の水谷君のお父さんが『実業界で一方の勢力を代表するほどの人で方々の大会社や銀行の取締役・監査役・頭取など主な肩書だけでも10本の指では足りない』ような人から単なる『有名な実業家』になった。
  • 主人公コペル君が友人のガッチンや水谷君をもてなすためにやるラジオの野球の実況中継(の真似)が『早慶戦』だったのが『巨人対南海の日本シリーズ』になった。
  • 主人公達は中学1年生でガッチンや水谷君が上級生に殴られる話で、昭和12年版では旧制の中学で、殴った上級生は中学5年生だとなっているのが、新しい版では上級生としか書いてないので、新制中学の3年生に殴られたようになっている。

ということで、コペル君のお父さんは大きな銀行の重役だった人で2年前に亡くなり、それに伴いコペル君とお母さんは召使いの数を減らし郊外のこじんまりした家に引っ越し、ばあやと女中と4人で暮らしている、という所は変わっていません(女中はお手伝いさんに変わっていますが)。

私の予想した軍国主義的あるいは国家主義的な部分を戦後になって書き直した、あるいは削除したというような形跡は見当たりません。昭和12年版ですでに天皇制については殆ど触れていないし、国体についても何も書いてないし、軍人に対してもあまり遠慮しているような所はありません。戦後の空想的反戦平和主義ではありませんが、世界中の人が仲良くすれば素晴らしい世界ができるという空想的平和主義はしっかり書かれています。昭和12年という時点でまだこのような本を出版することができたんだというのは私にとっては意外でしたが、まだまだ大正から昭和初年にかけての自由主義的な雰囲気が残っていたということでしょうか。

私が感じた違和感というのは、昭和12年の元々の作品の一部だけをむりやり昭和30年代に書き換えたことによるものと、この昭和12年でまだまだ自由主義的な雰囲気が残っていたのに私が勝手に軍国主義的国家主義的な状況が進んでいたに違いない、と思い込んでいたことが原因だったようです。

ということで、なかなか面白い経験ができました。

昭和12年の版を読むのはちょっとメンドクサイかも知れませんが、今手に入る版とほぼ同じ内容のものが昭和12年、日中戦争が始まった後でもまだ書かれ、出版されていたんだという意識で読んでみるのも面白いかも知れません。

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『刀の明治維新』 尾脇秀和

2018年11月7日 20:07:36

この本も図書館の新しく入った本コーナーでみつけたものですが、面白い本でした。

豊臣秀吉の『刀狩り』は有名なんですが、『豊臣氏に代わった徳川氏は刀狩令における武器の「所持」の禁止政策を全く継承しなかった』という説明で、そうだったのか、とヒックリ返ってしまいました。江戸時代に百姓も町人も、博打打ちもヤクザも皆、刀を持っていたのがこれで良くわかります。それにしても秀吉の『刀狩り』は有名ですが、その後の『全く継承しなかった』というのは、聞いた覚えがないなと思いました。

で、江戸時代に『名字帯刀』という制度が定着し、それが明治の『廃刀令』で終わったのですが、その具体的意味が丁寧に説明されています。

すなわち徳川の世の中になり『刀狩り』が継承されなかった結果、武士も百姓も町人も好き勝手に刀を持つようになった。関ケ原も大阪冬・夏の陣も終わり、大きな戦争もなくなり、刀は武器ではなくファッションの一部になったということです。

で、いわゆる旗本奴(はたもとやっこ)や町奴(まちやっこ)と言われる人達を中心に、ファッションとしての帯刀が大はやりし、見栄えを良くするために『棒のような刀』と称されるように、日本刀の特徴である反りをほとんどなくし、また長さを極端に長くし、鞘の色やその他の装飾も派手にした刀が大流行した、ということのようです。

で、その後派手な格好を禁止する服装規定として、武士は刀(かたな)と脇差(わきざし)の2つを差していなければいけない、武士以外の人については2本差してはいけない、というルールができたということです。その武士の差す2つの刀のうち、一方を刀(かたな)と呼び、もう一方を脇差と呼び、武士でない者が差す1つの刀を脇差と呼ぶということで、刀(かたな)と脇差とは物としては全く差異がなく、武士以外が差すなら脇差とし、武士が2本差す時、一方を刀(かたな)と呼ぶならもう一方を脇差と呼ぶというだけのことだということです。で、武士以外の人については2本差してはいけないというだけで、1本を差す分には何の規制もないということです。

こうなると武士の2本差しというのがステータスシンボルになり、武士でないけれど、そこらの一般庶民とは別の存在なんだと主張したい(医者とか儒学者・儒医とか大庄屋とか大工の棟梁とか修験道の山伏とか陰陽師・神主とか御用町人・御用商人などの)人が何とかして2本差しで武士に準ずる存在だとみせびらかそうとしたのが、いわゆる『名字帯刀ご免』という制度です。幕府や藩から特別に許可を得て、武士でないのに武士と同様の2本差しをする、ということです。この帯刀御免もケースバイケースで様々な条件がついていて、その内容だけでも面白いものです。

一方武士以外の方は、脇差1本だけであれば好きなように差すことができ、これでヤクザも相撲取りも博打打ちも自由に刀を差すことができたわけです。

正月の挨拶回り・婚礼・葬式・お祭り等では普段刀を差さない人も刀を差すのが正式な礼装となり、男の子の成人の儀式として刀を差すというようにもなり、また旅に出る時は用心のために一本差して、という具合に、武士以外の世界でも脇差1本に関するルールが出来上がっていったようです。

で、この武士に準じる『帯刀御免』が次第に増えていって、ここで明治維新になり廃刀令になるのですが、ここでも面白い話があります。

明治新政府は旧藩の領地はとりあえずそのままにして、旧幕府の直轄地をまず自分で治めることになり、幕府により許可された『帯刀御免』を一旦全て取り消し、武士だけに(2刀の)帯刀を許すようにしました。この旧幕府の直轄地、はじめは鎮台と呼び、次に裁判所とか鎮撫総督府とよび、その後、府とか県とかよぶようになったんだけれど、裁判所といっても今の裁判をする所という意味ではなく、単に役所というくらいの意味で、府・県というのも行政区画としての府県ではなく単なる役所という意味で、これらすべてがその後の廃藩置県で整理され、旧藩の地域も含めて日本全体を整理し直してその行政区画を府県と呼び直した、なんて話も私は始めて知りました。

さてそうなると、明治以前に帯刀を許されていた人達が明治以降も帯刀を許してもらおうと動き出します。一方明治維新の文明開化で服装の洋装化が進み、洋装に2刀の帯刀というのはいかにも不都合なため、武士層を中心とした新政府の役人を中心に『帯刀しないことの許可』を求める動きが出てきて、最終的に全部ひっくるめて『廃刀令』で帯刀が全面的に禁止されるということになったわけです。

この廃刀令は『帯刀を禁ず』という形になっていますが、そこで帯刀とは2本差しのことだけでなく、脇差だけの1刀も帯刀だ、といって脇差だけの1本差しも廃刀令違反ということで、見つかったら脇差を取り上げられ没収されたということのようです。

江戸時代を通じて1本だけの脇差については何の規制もなかったのが、明治になっていきなり初めて全面的な禁止となったのでかなりの混乱が生じ、『先祖伝来の由緒ある脇差』を没収されて『何とかして返してくれ』なんて騒ぎも起こったようです。

で、この廃刀令を決めるにあたって有力な議論となったのが『切捨御免』という言葉で、『江戸時代は武士がえばっていて、百姓町人が武士に無礼なことをしたら武士は相手を即座に切り殺しても何のお咎めもないひどい世の中だった』ということなんですが、著者の調べによるとこの『切捨御免』という言葉は明治6年頃から急速に一般化した言葉で、江戸時代にはなかった言葉だということです。

福沢諭吉の『学問のススメ』でこの言葉が使われ、この本の流行と共にこの言葉も流行したということです。

もちろん江戸時代には『切捨御免』という言葉もなく、また幕末に日本中で志士という名前のテロリスト達が横行した時代を除けばこの『切捨御免』という実態も全くなかったようですから、この『切捨御免』というのはもしかすると福沢諭吉による空前絶後のフェイクだったのかも知れません。

ということで、この本は他にも面白いトピックス満載です。
お勧めします。

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『小数と対数の発見』 山本義隆

2018年10月19日 09:36:44

この本の著者の山本義隆さんというのは、その昔、東大紛争の時、東大全共闘の代表として名を馳せた人で、その後駿台予備校の物理の名物講師として大いに人気を博し、そのかたわら科学史・科学哲学史の分野で次々に著作を発表している人です。

この本はその著者の最新作で、これまでの著作が物理学の分野のものだったのが今回は数学の分野なので読んでみました。

期待通りの素晴らしい本でした。

内容について書くと長くなってしまうので端折りますが、いくつか驚いたトピックスについて触れると、

ネイピアが対数表を作った当時、三角関数表はかなりの精度のものが作られるようになっており、数の掛け算を三角関数表を使って足し算引き算で計算するという方法がすでに開発されていたということ。

最初ネイピアが対数表を発表し、それを見たケプラーがそれを使おうとして、ネイピアの対数表の詳しい仕組みが分からなかったのでケプラー自身も独自で対数表を作った、ということ。

実はネイピアの前にビェルギという人が独自に対数表を作っていたのだけど、積極的に公表しようとしなかったのでネイピアが対数表を作ったということになっていること。

ネイピアが最初に発表した対数表は現在のようにある数に対してその対数を計算して表にしたものではなく、ある角度に対してその三角関数(sin, cos, tan)の対数を計算して表にしたものだったということ。

ネイピア、ケプラー、ビェルギの対数表は全て自然対数の表であり、常用対数の表はその後でネイピアのアイデアに基づきブリッグスという人によって作られたということ。

です。

その昔初めて「対数表」という本を見た時、膨大な数字だらけの表に圧倒されましたが、その中に三角関数の対数の表が入っていて、これは一体何なんだろうと不思議だったのですが、その理由も(半世紀後になって)ようやく分かりました。

数値計算では自然対数より常用対数の方が圧倒的に便利なので、私は何となくまず常用対数が作られ、その後数学や物理の進歩の結果自然対数ができたのかと思っていましたので、それがまるで順番が逆だったというのは驚きでした。

ネイピアやケプラーの対数表が三角関数の対数の表になっているというのは、天文学で球面三角法を使うとき三角関数の掛け算をする必要があるためで、その結果ケプラーが次に三角関数抜きの対数表を作った時、『素晴らしいけれど前の(三角関数の対数の)表の方が使いやすい』と友人に言われた、なんて話も面白いものでした。

ネイピアとケプラーの対数表は三角関数の対数を計算するものなので、0~1の間の数の対数ですから普通の対数ではマイナスの数になります。そのため自然対数の底をe とした場合、ネイピアとケプラーの対数は実質的に 1/e を底とする対数となっています。

これに対しビェルギの対数は金利計算の複利の終価の表がもとになっているので、実質的に普通の自然対数の表になっています。

いずれにしても対数も指数もない時によくもまあ自然対数を考えついたものだ、と思います。しかも、ネイピア、ケプラー、ビェルギそれぞれが別々のアプローチで自然対数にたどり着いている、というのは素晴らしい話です。

ちなみにネイピアという人は、掛け算九九を知らない人でも簡単に掛け算の計算ができる、ネイピアのロッドという道具を発明し、19世紀の初めにはそれが日本にも輸入されていたなんて話もあり、面白い話でした。

数学や計算が嫌いでない人にお勧めです。

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『幕府』

2018年9月10日 19:31:53

日経新聞の土曜日の『詩歌・教養』のページにしばらく前から歴史学者の本郷和人さんの『日本史ひと模様』という連載が載っています。

毎回日本史上の一人を取り上げて論説しています。
視点がユニークで面白いので楽しく読んでいるのですが、8日の土曜日のテーマは後鳥羽上皇で、『官軍が敗れた唯一の事件』として、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱について書いています。

その中に
 <鎌倉時代、幕府なる言葉はなかった。室町時代には物知りの禅僧が中国の古典に幕府という概念を発見し紹介したが、それが流布するには至らなかった。江戸時代には幕府ではなく『柳営』という言葉が用いられた。武家政権をもっぱら幕府と称したのは、実際には明治以降の歴史学においてなのである>
という記述があります。

ちょうど今やっているNHKの大河ドラマの『西郷どん』では、9日の回は西郷どんが岩倉具視に討幕の密勅を出させる所をやっていて、確かに密勅の中味は「幕府を倒せ」ではなく「慶喜をやっつけろ」ということになっているようですが、それと同時に『幕府は腐っちょる』とか『幕府にはもう力はない』とか言っています。また当時の勤王討幕とか尊王佐幕というスローガンもあります。幕府という言葉はなかった、というコメントにはびっくりです。

とはいえ、この本郷さんという人は本物の歴史学者であることも確かで、ついでにその奥さんも本物の歴史学者だ、と私は思っています。

本郷さんの、『幕府という言葉はなかった』という言葉がどのような意味なのか、気になります。

これで『幕府』というキーワードで改めていろんな本(たとえば神皇正統記とか日本外史とか太平記とか)を確認してみるという楽しみができました。

もし興味があったらこの日経新聞の記事も読んでみて下さい。

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『細胞は会話する』 丸野内 棣

2018年7月10日 18:27:59

この本も図書館の新しく入った本コーナーでみつけたものです。

一般の生物学の解説書の一歩先まで解説している本です。
たとえばDNAの二重らせんの話、実際はその二重らせんがヒストンというタンパク質に巻き付いていて、その巻き付いたものがらせん状になっていて、それがまたらせん状になっていて・・・という所までちゃんと説明してあります。

あるいはDNAからRNAへの転写とかDNAの複製というのも、どこから始まってどのように進行するのか、それをどのようにコントロールしているのか、という話が説明してあります。

あるいはDNAのうち実際にRNAに転写されてタンパク質を作るのに使われる部分は全体の2%くらいしかない、という話の続きとして、残りの98%は遺伝子ではないけれど、その98%のうちの80%は遺伝子がどの細胞で、いつどのくらいの頻度でRNAに転写されるかという調整のためのものだ、というような話が説明されています。

DNAはRNAに転写されて様々なたんぱく質合成に使われるわけですが、実はDNAができる前はRNAだけで様々なたんぱく質合成や遺伝情報の複製に使われていたんだ、その前はPNAがたくさんできてそれがRNAに進化していったんだ、なんて話も出てきます。

細胞レベルでは嫌気性の古細菌が水素細菌を取り込んでミトコンドリアとすることにより酸素の毒性を克服し、真核細胞に進化した経緯が説明してあります。

細胞分裂・核分裂の失敗により遺伝子が倍数化して、遺伝子に余裕ができて様々な新しい進化が可能になるという話も説明されます。

この本の最後にはミツバチの生態についての章があり、単細胞生物が多細胞生物に進化し、細胞の機能分化が出来上がったんだけれど、それがミツバチの世界では多細胞生物である個々のミツバチがそれぞれ機能分化し、全体の集団としての機能を高度化させているという話が説明されています。ミツバチ集団の中の個々のミツバチの機能がどうなってるのかを調べるため、個々のミツバチにマイクロチップを埋め込んでいるという話が出てきます。しばらく前に同様の研究のために個々のミツバチにQRコードを貼り付けてその行動をトレースしているなんてニュースもありました。言われてみればもっともな話なんですが、IT技術の進歩がこんな所にまで及んでいるというのは驚くばかりです。

この本、一般に出ている生物とか細胞とか遺伝子とかの本の一歩先を行く説明で非常に面白く楽しめるのですが、残念なことにかなりふんだんに挿入されている図がちょっと小さくて老眼の私には殆ど読めません。とはいえ、図が読めなくても本文の説明だけでも十分に楽しめますが。

ということで、一般の生物学のさらに一歩先の生物学を知りたい人にお勧めの本です。

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『新聞の嘘を見抜く』 徳山喜雄 -(3)

2018年5月18日 16:01:31

この本を読みコメントを始めた時は、もう少しのんびり・じっくりコメントしようと思っていたのですが、その後事態の進展は想定以上のスピードで、もはやこれ以上のコメントは不要と思われるので、今回のコメントで終了とします。

その間新聞のファイクニュースはどんどん多くなり、また質的にもかなりひどくなり、従来のようにファイクニュースかどうか見分ける必要もなくなり、あからさまなファイクニュースあるいは願望ニュースを何の工夫もなく書き上げ、あとはそれをできるだけ広範囲にばらまくという戦略をメディアが採用することになったため、メディアのニュースは原則ファイクニュースだと考える所からスタートした方が手っ取り早いということになってしまいました。

もはやどのようにフェイクニュースをフェイクじゃなく見せるかなどという努力や工夫は消え去ってしまい、単に『大声で広範囲にばらまいて数の力で勝負』ということでは何の面白みもありません。

皮肉なことにこの本の最後の章のタイトルが『新聞はもう終わったメディアなのか』となっているんですが、たった半年で『なのか』が消え、『新聞はもう終わったメディア』になってしまったようです。

さてこのように終わってしまったメディアですが、いつの日かまた復活する日は来るのでしょうか。

ゆっくり気長に、その日の来るのを待ちたいと思います。

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