Archive for 8月, 2024

『ハマス・パレスチナ・イスラエル-メディアが隠す事実』ー飯山陽

金曜日, 8月 23rd, 2024

これは飯山さんも『ハマス本』と言っているように、ハマスとそれを取り巻くパレスチナ・イスラエル、そしてイラン・アラブ諸国等々の様々な関係を明瞭に説明してくれている本です。

もちろんこれは昨年10月7日のハマスによるイスラエル大規模テロを契機として、それまで飯山さんが書いた物、その後書いたものをまとめたものです。中ではこのテロに関してとんでもない解説をしている中東研究者やジャーナリスト等も実名を挙げてコテンパンに批判しています。

このような中東研究者やジャーナリスト新聞やテレビなどを見聞きしていると殆ど理解できない話が、飯山さんの手にかかると魔法のように明瞭に理解できるというわけです。

この本で飯山さんはハマスとパレスチナを明確に区別することを求めています。飯山さん以外の連中が何とかしてハマスとパレスチナを一緒くたにして話をごまかそうとするのと正反対です。この本を読むとパレスチナ、特にガザに住むパレスチナ人がハマスの人質だということが良く分かります。イスラエルがハマスを攻撃する時、ハマスは人質のパレスチナ人を人間の盾として使い、殺されたパレスチナ人をイスラエルに殺された、残虐なイスラエルだ、と大騒ぎします。一方パレスチナ人に対してはこれで殺されれば『天国への特急指定席券を貰ったようなものでおめでたい』と言う、完全に二重基準だということが良く分かります。

このハマスとパレスチナ人の関係はイランでも同様で、イランの最高指導者をはじめとする革命政権の人達と、一般のイラン国民との関係と全く同じで、革命政権はイラン国民を人質として使っていることが良く分かります。

ここでも多くのイスラム・中東学者・ジャーナリスト・マスコミは、革命政府とイラン人の区別を全くしないで、革命政府の言うことをイラン人全体の総意だという言い方しかしないで、革命政府が恐怖政治でイラン人を支配しているという構造を隠しています。

ガザのパレスチナ人がガザに閉じ込められているということに関しても、閉じ込めているのはイスラエルによってだけでなく、エジプト側の国境ではエジプトによって閉じ込められており、さらに何よりハマスによって閉じ込められているんだという構造も学者やマスコミは全く説明しません。ハマスは国境の検問所という関所で物資を強奪し、通行料を取って大儲けをしています。

このような基本的な構造を知ってか知らずか、岸田外交はハマスと対立している西岸地域のパレスチナ自治政府に対してハマス擁護の発言をしたり、全てのバックで世界征服を目標としているイラン革命政権と仲良くしている姿を見せたりして、イスラエルには不信の念を抱かせ、アラブ諸国には疑念を抱かせ、イランからさげすまれ、アメリカや欧州各国からは疑いの目で見られているという姿を明らかにしています。

ハマスのやっているのは弱者ビジネス、ガザに住むパレスチナ人をイスラエル人にいじめられている可哀そうな人だと全世界に宣伝し、世界中から寄付金や支援金を集め、これをパレスチナ人に渡る前に横取りして、パレスチナ人に渡らないようにする、というビジネスです。横取りするのは、お金を渡してパレスチナ人が可哀そうな人でなくなっては困るからです。可哀そうな人が可哀そうな人であり続ける限り世界中からお金が集まって、それを横取りすることでハマスは贅沢な暮らしができる、というわけです。このような弱者ビジネスは『弱者は正義』のスローガンで正当化しています。

このような弱者ビジネスの仕組み、ハマスとパレスチナ人との関係、イラン人と革命政府の別を踏まえると、中東の本当の姿が見えてきます。今までに見えていたものとは全く別の世界が見えてきます。

お勧めします。

エクセルファイルの保存の仕方

火曜日, 8月 20th, 2024

山の日(8月11日)を挟む3連休、家に籠ってクーラーを効かせ漫然としてツイッターを見ていたら、こんなツイートに出会いました。

『何度でも言うけど、こんなことを気にしている人は仕事できない人として認定です』

その下にはエクセルシートの画像と一緒に、元となったツイートが付いています。そこには・・

『何度も言うけど、エクセルの資料を提出する時に、カーソルをA1セルに置いて保存していない人は仕事ができない人として認定です』と書いてあります。

仕事できる人認定がまるっきり逆なのでちょっと興味があり、このツイートに付いているたくさんのコメントをちょっと見てみました。

幸いなことに私はもう仕事できる人として認定してもらう立場でもなく、また他の人をそのように認定しなければならない立場でもないので気軽なものです。

で、この『カーソルをA1セルに置いて保存する』というプロトコルはどうやらかなり一般的なもののようで、『大昔新入社員の時にそう言われた事がある』とか、『カーソルがA1に置いてないエクセルファイルを開くと一瞬イラッとする』とか、『保存する前に全てのシートでカーソルをA1に置いて、最後に最初のシートを開いてから保存するマクロを作っている』とかのコメントがありました。

逆に『そんな事を気にする方がおかしい』、『場合によっては却って不都合な場合もある』、『そんな事より中味が大事』というようなコメントもあり、『民間どおしのやりとりなら問題ないが、相手がお役所だとこれをしていないと嫌な顔をされる』なんてコメントもありました。

私はエクセルができる前からのユーザーですが、こんな話は初めて聞いたので『へ~~』とあきれ返った次第です。それにしてもこんな話でツイッターがこんなに盛り上がるとは驚きですね。

で、山ほどのコメントの中に『マクロを作れば』というコメントに対して、最初に『A1で保存しないと』と言っている(とみられる)人が、『基本マクロは使いません』と言っているのを見つけました。

マクロを使わない、ということはあまり計算をすることがなく、エクセルを清書用ツールとして使っているんだろうな、と思いました。通常、清書用のツールはワードを使うけれど、ワードはたくさんの表・大きな表を使うのにあまり便利じゃないので、その場合にはエクセルを使うということなのかなと思い、そういえばワードではカーソルはどうなっているんだろうと調べてみました。

ワードでももちろん編集用にカーソルが用意されていますが、カーソルをどこにおいて保存しても、そのファイルを改めて開いてみると通常カーソルはファイルの1頁目の左上に置かれる形で開きます。即ちエクセルを清書用のツールとして使っている人は、ワードと同じ動き方をエクセルにもさせようとしていた、ということのようです。

一方エクセルを計算用のツールとして使っている人にとって、カーソルをA1に置くというのは何の意味もありません。重要なのはどのようなパラメータを使い、どのような計算をして、どのような計算結果が得られたかということですから、そのような部分を表示している所にカーソルを合わせるかも知れません。

となると問題は、清書用のルールと計算用のツール両方に同じエクセルという名前をつけて同じソフトを使っているということなのかも知れません。
 
エクセルでもソフトの仕様としてファイルを開いた時にカーソルが常にA1にくるようにもできたでしょうが、そうしなかったのは計算用ツールとしてのユーザーに配慮した、という事でしょうか。

そう言えばエクセルにはもう一つユニークな使い方があります。『エクセル方眼紙』とも呼ばれますが、エクセルシートをセルの幅・高さを小さくして方眼紙のようにしておいて、そのセルをいくつか結合してそこに見出しや入力フィールド、出力フィールドを配置する、帳票設計用のツールとしての使い方もあります。

私は何度か見たことがあるだけで、このような使い方を活用するまでには至らなかったのですが、この場合でも多分それなりのルールとかプロトコルとかがあったのかなと思います。

私のエクセルの使い方は簡単な表計算用として使うこと以外に、デルファイで計算作業をする際、パラメータの入力や計算結果の出力の為にエクセルを使う、というやり方で使っています。デルファイが今イチ一般的なソフトにはならなかったので、今では徐々にデルファイをパイソンに変換しつつあります。

もう一つ大切な使い方が画面印刷の台紙としての使い方です。昔は画面印刷(PrintScreen)はファンクションキーを押すだけで画面が印刷できたのですが、今では画面イメージがクリップボードにコピーされるだけで印刷はしてくれなくなってしまいました。そのためそれを印刷するために専用のエクセルファイルを作成し、そのエクセルファイルを開くと画面印刷でクリップボードにコピーした画像を自動的にシートにコピーし、印刷してくれるという具合にしました。印刷が終わったらこのエクセルファイルを保存しないで終了させれば、何度でも同じファイルで別々の画面印刷をすることができるという具合です。

これほど多様な使い方のできるエクセルを1つの名前で呼んでいるというのが、そもそもちょっと無理があるのかも知れませんね。