Archive for 6月, 2015

林 尚之『日本国憲法と美濃部達吉の八月革命説』

月曜日, 6月 22nd, 2015

このブログで『本を読む楽しみ』のカテゴリーで紹介しているものは、基本的に『本』なのですが、今回は本ではなく『論文』です。

2.26事件関係の本をいろいろ読むうちに、美濃部達吉の天皇機関説の問題がかなり重要なのかなと思うようになりました。

それで週末に何冊か図書館から本を借りてきて、これからそれを読まなければいけないんですが、遅まきながら初めて天皇機関説という問題があったということでなく、『天皇機関説事件』という事件があり、その事件が起きたのが昭和10年、すなわち2.26事件の前の年だということがわかり、なおさらちゃんと理解しなきゃと思っています。

で、図書館で本を借りる前、いろいろネットで調べていてぶつかったのがこの論文です。

『八月革命』というのは、この前衆議院の憲法審査会に出てきた憲法学者が3人とも『安保法制は違憲だ』と言った時も、そのうちの一人が話していたんですが、今の憲法学者の主流である立憲主義の憲法学者が日本国憲法の正当性を証明するためにむりやりでっち上げた革命です。すなわち昭和20年に日本が太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受諾すると言った時、そのことによって日本では革命が起き、大日本帝国憲法は文字づらはそのままで国民主権の憲法に変化した、という説です。

この説を唱えたのが美濃部達吉の弟子にあたる宮沢俊義という先生で、その弟子にあたるのが芦部信喜という人で、この人の憲法学が現在の立憲主義の憲法学者にとってバイブルになっているという関係にあります。

この立憲主義の憲法学者というのは狂信的な新興宗教の信者みたいなものですが、その彼らの先生の先生の先生がどんなことを考えていたのか、と思ってちょっと読んでみました。

まぁ論文ですからちょっと堅苦しい所もありますが、非常に分かりやすく納得できる話ばかりで、面白く読めました。本文だけで21ページですから、その気になればすぐ読めます。

で、この論文によると美濃部さんの憲法学というのは今の憲法学者達の憲法学とはまるで違って、すんなりと受け入れられます。『憲法の条文は遠き将来に至る迄も容易に改正せらるることは無いであらうが、条文は其の儘であっても憲法の実際の運用は絶えず変遷して行くのである』、すなわち憲法の条文はそのままで解釈をどんどん変更していけば良い、というようなことを言っているようです。著者の言葉によると『社会の趨勢が憲法の実質を決定している限り、憲法解釈は条文に拘わずにその社会の趨勢を読み取ることが重要であるとされたのである。』となります。

で、この美濃部さんは戦争が終わって日本国憲法を作る時に、大日本帝国憲法のままで解釈を変えるだけで十分だと言って、新たに日本国憲法を作ることに反対していました。

それが日本国憲法ができた途端、今度は日本国憲法を強力に支持するようになり、これは『転向』と呼ばれるようになったようです。

で、この日本国憲法について、現在ではアメリカから押し付けられたものだから自主憲法として作り直さなきゃとか、押し付けられたとは言え国会で日本人が議論して作られたものだからそのまま守らなきゃとか、いろいろ議論がありますが、美濃部さんの立場はそのどちらとも違い、ポツダム宣言を受諾したことによるアメリカをはじめとする占領軍の圧倒的な力を背景として押し付けられたものであることが日本国憲法の正当性の根拠だ、ということになるようです。

ここの所、美濃部さんの
【法は実力である、と言ひ、事実において規範力が有るといふのは、この意味において、疑いもなく半面の真理を包含するもので、もとより実力が即ち法であり、総ての事実に当然に規範力があるとするのは誤りであるけれども、実力が完全に貫徹せられて、有効な抵抗は全く行われなくなり、事実上の状態が正当なものとして認めらるるようになれば、その事実は即ち法となったものである】
という文章を引用しています。美濃部さんというのは、憲法学者の教条主義とは正反対の現実的な考え方をする人だったようです。

で、その後占領は解かれ、占領軍はいなくなったのですが、現在の日本国憲法の正当性の根拠は戦後70年にわたって日本国憲法と日米安全保障条約によって日本は安定しており、その両方が日本国民にも受け入れられているからということになるようです。『だから日本国憲法の最高法規制と日米安保体制とは、美濃部の主権の自己制限論では矛盾するどころか、国際条約への従属こそが憲法の最高法規制を保証する根拠となったのである。』と書いてあります。日米安保条約が日本国憲法のうしろ立てになっているということです。

この説はとても分かりやすく、納得できるものです。

この著者の林尚之さんというのは、自身を憲法学者というより歴史学者として位置づけているようで、憲法学者達がこの論文をどのように評価しているのかは分かりませんが、私にとっては訳の分からない狂信的な立憲主義の憲法学者の言い分と違って、ごく真っ当な議論であり、現在議論されている安保法制にしても憲法改正の議論にしても参考となる論文だと思います。

インターネットが進んでこのような論文まで簡単に手に入るようになったというのは有難い話です。
この論文のpdfは

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10690/1/2010000071.pdf

で取ることができます。

ちょっとメンドクサイ議論でも嫌いじゃない、という人に是非ともお勧めです。

『わが父・夢野久作』杉山龍丸

火曜日, 6月 16th, 2015

先日の『グリーンファーザーの青春譜』の続きで、同じく杉山龍丸さんの『わが父・夢野久作』を読みました。

『夢野久作全集』の刊行に合わせて、肉親から見た夢野久作の姿を描くという趣旨なんですが、夢野久作を語るにはその父杉山茂丸、さらにはその父の杉山三郎平灌園、さらにはその父の杉山啓之進までさかのぼらなければ十分に語ることができない、ということで、杉山家の6代目(啓之進)から9代目(杉山泰道=夢野久作)までを主に、10代目の杉山龍丸が語る、という本です。

幕末・明治維新から昭和初期までの期間、日本の変化に振り回されながら日本の政治・社会を振り回した一族の物語です。中でも8代目の茂丸というのはまさに怪物とでもいうような人物で、日本あるいはアジアを振り回しながら家族をトコトン苦しめ、その最も苦しい立場を受けて立ったのが9代目の泰道、夢野久作で、8代目と9代目が相次いで死んだあと、まだ10代でその後始末をさせられたのが10代目の龍丸、すなわち著者です。

旧制中学5年、まだ10代の時、2.26事件の直後に父を亡くし、その後著者は士官学校に入りプロの軍人となるのですが、『グリーンファーザーの青春譜』に何気なく書いてある『日本にも杉山家にも絶望していた』という言葉の意味がこの本を読むと何となくわかるような気がします。

この本のはじめの部分の幕末・明治維新の頃の話としては、一般に『尊王攘夷派』と『佐幕派』の争いということになっていますが、それとは別に杉山家などでは『勤王開国』という立場を取ったために、その仲間の人達は両方から狙われてさんざんな目にあった、という話があります。この話は初めて知りました。

7代目の三郎平灌園という人は水戸学の先生だったという人ですが、杉山家の苦難の歴史にはこの神がかり的な水戸学が多分に影響しているのかも知れません。

8代目の茂丸が修猷館の仲間と玄洋社を作り、欧米列強によるアジア植民地支配に対抗するため家族をほっぽり出して走りまわっている間、9代目の夢野久作は幼児の頃から祖父の7代目三郎平灌園に四書五経を叩き込まれ、良くできたご褒美にタバコを吸わされて小学生の時にはもうニコチン中毒で、小学校でも中学校でも特別にタバコを許されていた、なんてのも凄い話です。

私は夢野久作という名前は知っていますが、作品は読んだことがありません。多分、この本の中味はその作品よりさらに奇想天外の怪奇的な話になっているのではないだろうかと思います。

普通の家に生まれ普通に生活できるということがどんなに有難いことか、考えさせられる本です。

さんざん苦しめられながら、著者は淡々と愛情を持って父・祖父・曽祖父・その他一族の人々を描いています。

お勧めします。

惑星の運動

火曜日, 6月 16th, 2015

先日、『ファインマンさん 力学を語る』という、ファインマンによるニュートン力学の惑星の軌道の話の本を紹介しました。
このファインマン流の引力の法則で面白かったのが、惑星の運動で、速度ベクトルの変化を見ると、速度ベクトルが円を描いている、ということでした。
もちろんそれが原点を中心として円を描いていると、元の惑星の軌道は円を描くことになるのですが、一般的には原点でない点を中心とした円を描く、ということになるわけです。
ファインマンはこのことを基に幾何学的に惑星の軌道が楕円になる、ということを証明しているのですが、この速度ベクトルが円を描く、ということを幾何学的ではなく解析的に書くとどうなるか、やってみました。
普通、ニュートン力学の惑星の軌道の計算ではrの逆数をたとえばu=1/rとして、rに関する微分方程式をuに関する微分方程式に変換して、いろいろやった挙句、軌道が楕円になることを証明しているのですが、この速度ベクトルが円になる、という方からアプローチするとごく簡単に角度と距離の式が書け、軌道が楕円になることが証明できてしまいます。また、その結果として楕円軌道の回転の周期が楕円の長半径の3/2乗に比例することもごく簡単に証明することができます。

うまくいってうれしくなってしまったので、これをまとめてメモしておきました。

惑星の運動.docx

もし、興味があったら読んでみてください。

憲法審査会のビデオ

水曜日, 6月 10th, 2015

衆議院の憲法審査会のビデオを見てみました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44973&media_type=

例の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った、と言って話題の憲法審査会です。

2時間半とちょっと長めのビデオですが、途中コマーシャルが入るわけでもなく、また国会のいろんな委員会の中継のように野次や怒号があるわけでもなく、落ち着いて楽しめます。

憲法学者に対して国会議員は『先生』と呼び、憲法学者は国会議員に対して『先生』と呼び、もちろん学者同士も相手を『先生』と呼び、憲法学者は質問されると質問した国会議員に対して『ありがとうございます』と言い、議員は質問に答えてもらうと憲法学者に対して『ありがとうございます』と言い、静かな雰囲気で淡々と質疑が進みます。

話題の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った場面でも別に騒ぎが起きるわけでもなく静かに淡々と質疑が続いています。

もともとこの憲法審査会は『立憲主義』と『憲法審査権』『憲法裁判所』をテーマにしたもので、安保法制が合憲か違憲かをテーマとしたものではありません。

それで、3人の憲法学者はその本来のテーマに従って持論を展開して説明しているわけですが、議員の質問に移ってから、民主党の議員が安保法制が合憲か違憲かについての見解を質問してしまったので、話がおかしな方向に向かってしまった、ということです。

最初の部分の『立憲主義』のあたりも、憲法学者がいかにとんでもない議論を真面目に展開するのか知るために見る価値があると思います。

民主党推薦の小林さんという先生はとことん改憲主義者のようで、憲法9条が諸悪の根源で、何が何でも憲法9条を改正することが重要だ、という、いわゆる護憲派の人々が聞いたら涙を流すようなことを主張しています。

この小林先生という人はなかなか面白い人で、憲法に関して本質的なことを平然と説明しています。例えば、法律にはそれに違反したときに罰則や刑罰が定められていて、行政や司法がその後ろ盾になっているんだけれど、憲法は法律を超えた最高法規なので、後ろ盾になる存在はない、誰か(例えば政府)が憲法違反をしたとしても、その憲法違反をとがめ立ててやめさせる力を持った存在はない、その場合は国民主権の投票行動によってそのような政府を変えるしかない、というようなことを平然と説明します。
国際法についても、国際法の世界は戦国時代のようなもので、何が国際法に適っていて何が国際法に違反しているのか最終的な判断をする権限のある存在はない、というようなことを平然と主張しています。

民主党の議員が質問しているのは、ビデオの右下の全部で1時間48分と表示されているところで1時間35分経過、と表示されているあたりですから、時間がない人はここのところだけ見てみても面白いと思います。質問している民主党の議員の隣には辻元さんも映っています。憲法学者たちが3人そろって憲法違反だ、と言ったところでは画面は憲法学者たちを映していて辻元さんがどんな表情をしていたのかは映っていませんが。

とにかく、楽しめるビデオで、お勧めです。

『回顧90年』福田赳夫

火曜日, 6月 9th, 2015

これはあの角福戦争をやった、福田さんの回顧録です。ふだんは図書館の本棚でもこんな本は見ないのですが、先日たまたまリサイクルコーナー(ご自由にお持ち下さいコーナー)にあったのでちょっと見てみました。

目次を見ると最初の方に2.26事件、と書いてあるので、その前後を読んでみました。

この福田さんという人はたいした人で、大学を出て高文試験に合格し、昭和4年に大蔵省に入っています。その翌年にはロンドンに行き、大恐慌後のアメリカ・ヨーロッパを直接見ています。昭和8年に帰国し、税務署長を2つやって昭和9年には陸軍省担当の、今でいう主計官すなわち大蔵省で『陸軍の予算をどうするか』という担当者になっています。その立場で昭和10年の相沢中佐が永田鉄山少将を殺した時も陸軍省に駆けつけ、昭和11年の2.26事件の時も上司の大蔵大臣を殺されています。

で、目に留まったのが相沢事件の所の
【私はすぐ今の憲政記念館のあたりにあった陸軍省に駆けつけたが、部屋はもうきれいに整理されていた。永田局長の遺体はテーブルの上に安置され、顔にはガーゼのような白い布がかけられている。犯人は皇道派の相沢三郎中佐だった。統制派と皇道派との対立が頂点に達した結果の惨劇であった。】
とあった後に、
 【かくして、軍内部では皇道派の立場が強化され、対ソ強硬論、従って軍事予算獲得に積極的な主張がにわかに強まった。】
とある所です。

2.26事件は、正義感溢れる純粋な青年将校が政府の要人を殺し正義を実現しようとしたのに、統制派の軍人達によって死刑にされてしまったというような話ですが、判官びいきというか、若い人が殺されてかわいそうにというか、青年将校の理想主義というか、何となく皇道派が統制派に圧倒され苦し紛れに蜂起した、みたいに思っていたのですが、ここに書いてあるのは相沢事件のあと、少なくとも陸軍の中では皇道派の天下になっていた、ということです。

だとすると、2.26事件の青年将校の蜂起も、やぶれかぶれで一発逆転を狙った一か八かの企てではなく、皇道派が有利な状況を利用してそれを決定的な状況まで持って行ってしまおうというイケイケドンドン的な、一方的な勝ち試合のダメ押しのホームラン狙い、みたいな話になります。もしそういうことだとすると、2.26事件の青年将校達の行動にしても皇道派の将軍達の行動にしてもいろいろ納得できる話もあります。

ということで、とりあえず福田さんの話はお預けで、この一言をもとにもう一度2.26事件を読み直してみようと思います。

『グリーンファーザーの青春譜』杉山 龍丸

火曜日, 6月 9th, 2015

この本は副題に『ファントムと呼ばれた士(さむらい)たち』となっていますが、第二次大戦の日本の陸軍航空隊の話です。

著者が部隊と共に昭和19年の6月に満州からフィリピンに移動し、何度も壊滅的な被害を蒙りながらその都度立て直し、昭和20年3月に異動によりボルネオに移るまでの話が書いてあります。

陸軍士官学校を出て飛行機の整備の将校になるというのも珍しい話ですから、その整備将校として日本軍をどう見ていたか、というのも興味があります。

『整備』というのは技術が基本となりますから、すべて物事を合理的に考え、部品がなければ飛行機は直せない、燃料がなければ飛ばせないということで、それを精神論で乗り越えさせようとする参謀達とは良くぶつかることになります。
アメリカがフィリピンに反撃をはじめ、突然壊滅的な打撃を受けたあと司令部が機能停止になってしまった話なども、あからさまに書いています。

話は満州からフィリピンに向けて船に乗る所から始まります。方々で必要な部品や工具を調達し、地上部隊と一緒にフィリピンまであと2,3日という所で魚雷攻撃を受け、人員の3分の1と部品・工具の全てを失って何とかフィリピンに上陸。その後また方々に手を回して部品や工具を手に入れ、飛行機を飛べるようにする。アメリカの攻撃は熾烈を極め次々に飛行機は壊れていきますが、使える部品・部分をかき集めて一機ずつ飛行機を作っていくわけですが、それも他の部隊に取られたりアメリカの空襲で焼かれてしまったり、このあたりの話を整備将校の立場から書いている、というのは非常に面白いです。

この人は士官学校にいるころ三国同盟に反対し、戦争をやめさせるために政府の要人に話をしに行ったり、東条英機の暗殺を企てたりということもしていたようで、そんな青年将校もいたんだ、というのも興味深いです。

この人は戦争を生き残り、戦後私財をなげうってインドの緑化事業を進めたりして、インドで『グリーンファーザー』と呼ばれ、その話をグリーンファーザーという本に書いているので、それをタイトルに使っています。

『ファントム』というのは、お化けとか幽霊とかいう意味ですが、アメリカからすると日本の飛行機は空襲で全部破壊したはずなのに、いつのまにか日本の飛行機がアメリカの飛行場を空襲に来る。あの飛行機はどこから来たんだ、ということで最初『ファントム』と呼ばれ、また日本軍(あるいは著者自身)にしても全滅させられたはずの飛行機を次から次に切り貼りして復活させていったことで『ファントムと言いたかった』、ということのようです。

400頁近くのかなり読みでのある本で、所々同じ話の繰り返しもありますが、あまり気にならずに読めます。

実は途中まで読んでちょっと違和感がありました。本の文体が、若いとはいえ、戦前の軍人が書いたものとは思えません。あまりにも今風の文体になっているということです。これは編集後記に書いてありますが、文章を誰もが一読して理解できるようにするために、著者の息子の杉山満丸さん(あるいは編集者)がリライトした、ということのようです。そのため確かに、今の人が読んでもすんなり読めるような文体になっています。
この著者の『杉山龍丸』という人は、父親が『夢野久作』という筆名の有名な小説家であり、その父親は『杉山茂丸』というアジア主義者で、公式の役職にはつかなかったものの、かなり広範囲に影響力を持っていた人です。この三人をまとめて『杉山三代』という言い方もあるようです。

とまれ、技術系の将校が見た太平洋戦争、戦争に反対して東条暗殺まで企てた青年将校が、日本に絶望したままフィリピンで勝ち目のない戦争で飛行機ごと死んでいく飛行士のために、飛べる飛行機を次々に作っていくという話、読み応えあります。

本の原稿は1983年に書き終えており、著者は1986年に亡くなっています。それから30年近くたってようやく2015年に出版された、ということになります。

他にない視点からの太平洋戦争の話、お勧めします。