Archive for 12月, 2024

『独裁者の学校』―エンリッヒ・ケストナー

水曜日, 12月 18th, 2024

トランプ氏が撃たれたという衝撃的なニュースでびっくりしてその後のニュースをチェックしていて、その翌日に図書館に行った所、『新しく出た本』のコーナーにこの本がありました。

珍しく岩波文庫の赤帯の本で、どうして今更、岩波文庫が新しく出た本なんだろうと思い、手に取ってみました。

著者のエーリッヒ・ケストナーは、ドイツの児童文学者として有名な人です。

私が高校生の頃(ですから今から半世紀以上前のことですが) 、岩波書店が児童文学にかなり力を入れ、ドリトル先生のシリーズとかアーサー・ランサム全集とかを続々と出版していました。その中にケストナーの児童文学の全集もありました。

私の行っていた高校は中高一貫の学校で、図書室は中高共通でした。この図書室が、多分中学生向けに購入したと思われるこれらの児童文学のシリーズを高校生が横取りしてしまい、何人かの高校生の仲間で次々に回し読みしてなかなか中学生には順番が回らないようでした。私もこの中の一人としていろんな児童文学を読み、ケストナーであれば『二人のロッテ』とか『飛ぶ教室』とか読みました。その後児童文学以外の作品もあることが分かり『雪の中の三人男』とか『一杯のコーヒー』とか読んで、どちらかというと好きな作家です。

とは言え、たしかかなり前に死んだ人のはずですから、何で今更新しく出た本なんだろうと思って奥付を見てみると、2024年2月15日第一刷発行となっているので、新刊であることは確かです。

読み終わって『あと書き』を読むと、この本は日本では1959年にみすず書房から翻訳出版されており、この岩波文庫版はエーリッヒ・ケストナー没後50年を期して新訳として出版されたということです。

この作品は戯曲、すなわち舞台劇の台本です。戯曲というのはあまり読んだ事がないのですが、読んでみました。

全9場の舞台で、第1場は大統領宮殿の広間。今まさに(多分憲法改正により)大統領が終身大統領になろうとしていて、大統領本人の最後の1票を除いて全国民がすでにその終身大統領に賛成しており、宮殿前の広場、あるいはラジオを通して全国民が最後の大統領の受諾演説を待っているという所です。

実はもう最初の大統領は死んでおり、今はもう3人目位の替え玉が大統領を演じていて、それをコントロールしているのが陸軍大臣・首相・主治医・首都防衛司令官・監察官のチームで、もともとの大統領の夫人と息子は信ぴょう性を増すためそのまま生かされて、大統領を本物であるかのように見せるために使われています。

替え玉第3号は終身大統領の受諾を宣言し、広場の国民の歓呼の声にこたえる為広間からバルコニーに出ます。そこに銃弾が撃ち込まれます。大統領は顔に軽いけがをし、暗殺未遂犯はすぐに射殺され、第3号は身の安全を示すために再びバルコニーに姿を現し、終身大統領就任と暗殺未遂失敗を祝って政治犯千人を釈放すると発表します。

第2場では、大統領執務室に戻った大統領替え玉第3号、はシナリオにない政治犯千人の釈放を勝手に発表した事を責められ、主治医に感染予防だと言われて注射され、殺されてしまいます。

第3場はいよいよ表題の『独裁者の学校』で、次の替え玉になる大統領達が4号から12号まで大統領宮殿とは別の宮殿で暮らしています。そこを仕切っているのが教授と呼ばれる人、というわけです。替え玉たちは大統領の身振り手振り立居振舞い、演説の口調を本物と同じにするように訓練を受けながら自分の出番を待っています。

この替え玉のうち7号は実は反政府運動のリーダーで、政府によりロンドンでホテルから落とされて死んだことになっているけれど、実は別人が殺されその死んだ人になり替わっていつの間にか替え玉の一人になっていて、有能なので教授の助手のような立場で替え玉達を仕切っていました。

で、6号が次の大統領替え玉として連れて行かれてしばらくしてついにクーデターが起こり、政権が転覆します。

替え玉7号はクーデターのリーダーとして勝利宣言し、大統領宮殿の広間に入ってきます。そこで改めて全国民に勝利宣言しようとして、軍がクーデターを乗っ取ろうとしていることを知ります。軍が要求する軍人中心の内閣人事を拒否しようとする7号は宮殿のバルコニーに出て国民に語りかけようとしますが、そこに集まっているはずの国民は誰一人いません。スピーカーから大勢がいるような声が流されているだけです。第7号はバルコニーから身を投げ、代わって首都防衛司令官が大統領就任を宣言します。反革命のテロリストにより背後から撃たれて死んでしまった救国の英雄第7号を悼んで盛大に国葬を執り行うことを命じ、7号が途中まで演説していた勝利宣言のテープを処分することを命じて、新たに大統領となった首都防衛司令官は広間を出ていきます。

ケストナーはこの戯曲をナチスがドイツを支配し始めた1936年に構想を始め、途中ナチスの隆盛により一時中断し、ヒトラーが死んだ1945年に再開し1955年に完成したということです。

支配者の国民煽動のツールとしてはラジオ・テープレコーダー・拡声器くらいだけですが、民衆の歓喜の声をテープレコーダーから拡声器で再生して場を盛り上げたり不都合な部分を消してからラジオに流すなど、情報操作のやり方がいろいろ披露されています。今のようなテレビやネットを使った情報操作はないものの十分効果的な操作が可能です。

現在、世界各国で独裁者が国民を蹂躙して政権を維持しています。そのうち何人かは近いうちに引きずり降ろされることになりそうですが、その後また代わりの独裁者が出て来て独裁体制は続くというシナリオは十分考えられます。

ケストナーは前書きで『この本は脚本であり、二枚目も登場しなければ機知に富んだ会話なども入る余地はない。偉大さと罪深さ、苦悩と浄化といった崇高な作劇の物差しなど無視するしかない』と言っています。実際読んでみると、ただただ暗然と、救いようのなさに途方に暮れるしかありません。

しかし今のような時代だからこそ、この本を、ヒトラーの死によって完成された新しい本として読んでみる価値があると思います。

楽しい読書を期待する人にはお勧めしません。
気の弱い人にもお勧めしません。

『弱者の帝国』-ジェイソン・C・シャーマン

火曜日, 12月 17th, 2024

この本でいう『弱者』というのはヨーロッパ諸国のことです。
いわゆる軍事革命論と言うそうですが、『ヨーロッパがアメリカ・アジア・アフリカを制覇し、世界全体を支配するに至ったのは高性能の兵器、それを用いた優れた組織、それを用いて海外の敵と戦って勝ったためだ。ヨーロッパ人はヨーロッパの中で互いに戦争し、その競争を生き延びる過程で学んだ戦争の技術を持っていたため、ヨーロッパ外の国でもそれを用いて世界を制覇したんだ』というような、一般に受け入れられている議論を、これは全く誤りで、歴史的事実とも異なるということを実証している本です。

確かにヨーロッパ諸国は互いに戦争し合い、その過程で軍事技術を高度化し、大軍を使ってする戦争という方法を開発してきましたが、それはヨーロッパ外でのヨーロッパ勢の戦争あるいはその地球の征服とは全く関係がないという話を、アメリカ・アジア・アフリカ・中近東(オスマン帝国)のそれぞれについて実証的に解説してくれている本です。

ヨーロッパは戦争に強かったわけではなく、武器(大砲や機関銃)の優位もあっという間に追いつかれてしまい、ヨーロッパの外では大軍を使った戦争をしたわけでもなく、ヨーロッパ外の地域に進出できたのは、まずヨーロッパ人が現地人に臣従する形で関係を構築し(イギリスの中国進出の際、イギリスは中国皇帝に臣下の礼をとった、というのはよく知られています。)、現地勢力間の争いに乗じて勢力を強めていった、とか、現地勢力は内陸の支配に関心を持っていて、もっぱら海運・港湾等にしか関心を持たない西洋諸国には無関心だった、とか、武器も西洋諸国が大砲等を持っていてもすぐに真似されたり、現地勢力が西洋人を傭兵として使ったりして、優位性はすぐになくなってしまった、とか、そんな話ばかりで、たとえばオスマン帝国が負けたのは、クリミアでロシアに負け、また第一次大戦でドイツ側についたために英仏に負けた位の話だ、とか、一つ一つもっともな話です。

ところがこんな話は日本人やアジア人が主張してもヨーロッパ人は聞く耳を持たないでしょうから、ヨーロッパ人のちゃんとした学者が客観的に説明してようやく欧米人の耳にも入るんだろうなと思います。

アメリカの話では、疾病と現地勢力同志の争いがヨーロッパ人の優位の原因だったこと、アジアではヨーロッパ人はもっぱら香辛料貿易にしか関心がなかったこと、オランダとイギリスの東インド会社は主権国家ならぬ主権会社という存在だったとか、どちらの会社も実態は破産状態で、イギリスは仕方なく国家で東インド会社を国有化して破産を回避し、アヘン戦争でようやく収支を立て直したとか、アフリカでも現地勢力の奴隷売買を利用してヨーロッパ人がヨーロッパ・アメリカへ黒人奴隷を輸出したんだとか、具体的な話がきちんと紹介されています。

日本が太平洋戦争に負けて常勝日本の神話から脱却したように、ヨーロッパもようやく最強神話から覚めようとしているのかも知れません。

南北アメリカ・南アジア・アフリカ・中近東にわたってバランスよく何が起こっていたのか、解説してくれる本です。

ヨーロッパの中で帝国主義、『帝国だということが大国の証だ』なんて考えが広まって、小国のベルギーまでアフリカに大植民地を作ろうとしたなんて話もなかなか面白い話です。とはいえ、考えてみればイギリスも、イギリス本土だけなら大して大きな国ではないのにあの大英帝国を作った、と思えば、ベルギーが大帝国になることを夢見たとしても不思議じゃないかもしれません。

この本を読んで、ヨーロッパ各国による大植民地時代というのは本当は何だったのか、考え直してみるのもいいかもしれません。

お勧めします。

『デジタル時代の恐竜学』 河部 壮一郎

水曜日, 12月 11th, 2024

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーにあった本で、2024年4月10日に出版されています。

皆んな大好きな恐竜の世界で、CT・スキャナー・MRI・3Dプリンター・フォトグラメトリ・コンピュータシミュレーションなどがどのように使われているかという話を、実際に恐竜の骨をCTスキャナーを使って研究する、日本でも草分けのような著者がその魅力と楽しさを教えてくれます。

著者は恐竜研究をするにあたりテーマを探していて、国立博物館の先生から『飛ぶ鳥と飛ばない鳥で脳の形は違うのだろうか』というテーマを与えられました。

これを面白いと思った著者は、そのため生物の勉強から始め、脳に関する勉強を始めます。で、ある日ダチョウの生首を手に入れた著者は、これをCTスキャンにかけて脳の形を調べたいと言って、医学部のCT装置を使わせてもらうことになります。

もちろん化石になってしまうと骨しか残っていないので脳自体は残っていないけれど、脳が入っていた骨があればそこに入っていた脳の形や大きさはわかります。でも脳は骨で囲まれてしまっているので、細かい所は骨を割って開いてみなければ分かりません。しかしCTスキャナーで断面図を作ることができれば貴重な化石を壊さないで骨で囲まれた脳のスペースを細かく調べる事ができるし、そのデータを元に3Dプリンタ―で脳を作ることができれば、さらにいろんな研究ができるということです。

さらには化石は重く、壊さないように慎重に運ばなければならないのに、CTスキャンでデジタルデータにしてしまえば実物は動かさなくても自由にどこにでも運べるし、必要であれば縮小したり拡大したりしながら3Dプリンターで立体模型も簡単に作ることができます。

武漢コロナが大流行した時、海外旅行はおろか国内旅行もなかなか思い通りにできない時代、筆者は化石のCTスキャナ画像あるいは脳のMRI画像と格闘します。CTにしろMRIにしろ普段我々が目にするのは綺麗に色付けされた立体画像ですが、元々は白黒の画像が何千枚も重なったものです。これを白黒の濃淡や他の手掛かりで一つ一つ組織を区別していき、それに色を付けていきます。すなわち気の遠くなるような塗り絵の世界です。

多分病院などで取るCTやMRIはあらかじめ人体の構造やいろんな組織の画像のサンプルがあるのでそれを作ってコンピュータでこの色付け作業をしてくれるんでしょうが、化石の世界ではあらかじめどのような骨がどのように配置されているか分からないので、基本的に全て手作業でこの塗り絵を行ったようです。

この塗り絵の作業が全て終わってそのデータをコンピュータで処理すると、ようやく綺麗に色付けされた画像を見ることができ、どの方向からどのように切った断面図でも、表にある余分なものに隠されている内部の姿も自由に見ることができる。インターネットを使ってデータを送れば世界中のどこにいる人とも同じ画像を見ながら会話することができる。あるいは砂に埋もれ、あるいは岩に押しつぶされ骨以外のものと一体となってしまっている化石から骨の部分だけデータとして取り出し、現物を壊すことなく骨の部分だけの模型を自由に作ることができる、というわけです。何十メートルもの大きさの恐竜も縮小してしまえば手の上に載せることができる模型にすることができます。

武漢コロナもこう考えると著者たちを足止めして塗り絵に専念せざるを得なくしたということで、あながち悪いことばかりでもなかったかも知れません。

いろんな最新の技術が大昔の恐竜の研究にどのように生かされているか、ワクワクするような本です。お勧めします。

『ウイルスとは何か』『進化38億年の偶然と必然』 長谷川政美

火曜日, 12月 10th, 2024

この本は武漢コロナが世界的に大流行した時に、そもそもウイルスとは何かについて解説するために書かれたものです。

この長谷川政美さんについては、前に書いた『敗者の歴史』を読んでいる時に副読本として『進化の歴史』というネット上で公開されている本のようなものを読み、そこから芋づる式に検索してこの本に出合ったものです。

この『進化の歴史』というサイトは全51話を1つづつ1つのサイトのページとして「進化」について説明しているもので、1話あたりA4縦で印刷すると大体5ページ位のものです。

全部印刷してほぼ読み終わった所で、これだけのものだから本になっているに違いないと思って調べてみると、確かに『進化38億年の偶然と必然』というタイトルで本になっていました。

さいたま市の図書館にはなかったので、他の市の図書館から借りてみたのですが、内容はネットのものと同じで、すでにネットの方で全て読み終わっていたので本の方はあまり読むこともなく、本になっていることの確認、ということになってしまいました。

ネットのサイトの方は『進化の歴史』
 https://kagakubar.com/evolution/〇〇.html
  〇〇は02~51 最初だけevolution01.html
というもので、第2話から第51話が/evolution/〇〇.html(〇〇は01~51)
第1話だけ/evolution01.html となっています。

それぞれの話には左側にそれ以前の話のサイトへのリンクが張ってあります。
最後の51話のサイトを見れば第1話から第50話のサイトへのリンクが張ってあり、目次のような役割を果たしているという具合です。

この長谷川さんという人は物理を勉強し、その後統計数理研究所という所に入り、生物学の学者は実際の生き物を研究したりせいぜい細胞や細胞内の化学反応を研究する人が殆どで、ゲノムを大量に複製してその大量のデータを統計的に処理して遺伝子を研究するなんてことをする人がまだあまりいなくて、物理の研究でやっていたデータの統計処理の手法がうまく使えて、いつのまにか生物学者の遺伝子分類学の専門家になってしまった、という事でした。

統計数理研究所というのは、高橋洋一さんも入りそこなった所で、どちらかというと人の行動とか寿命・死亡率とか経済学の方の統計の研究をする所かと思っていたので、生物学もやっているんだと初めて知りました。

で、この本ではダーウィンおよびウォレスの進化論とはどういうものかから始まって、いろんな植物の分類の話から最新の遺伝子の働きの仕組みまで、面白い話題が盛りだくさんに書かれています。

興味深かったのが『DNAは生物の設計図ではない。むしろレシピのような物だ』という言葉です。設計図のように厳密なものではなく、むしろレシピのようにかなり大まかな指図であって、細かい所はその時その時の状況によって自由に適当に決まっていけば良い、ということだと思います。

で、この本(というかネットの記事)が面白かったので、例によって芋づる式でこの著者の本を検索してみつけたのがこの『ウイルスとは何か』です。

武漢コロナの世界的なパンデミックを背景に、このコロナウイルスをはじめとしたウイルス全般について遺伝子学の立場から解説したのがこの本です。

普通、生物の進化というのは何十年もかけて生物がどのように変化するか調べるものですが、ウイルスの世界ではそれこそ時々刻々に変化するのを、たとえばこの武漢コロナについては世界中の大学や研究機関が寄ってたかって次々に遺伝子を解析し、その結果を相互に交換し合っているんですから、専門家にとっては面白くてたまらないだろうな、と思います。

この本ではウイルスには実は7種類のウイルスがあって、本体がRNAのもの、DNAのもの、それも一本鎖のもの、二本鎖のもの、そのままタンパク質合成に使えるもの、転写してから使うもの、いったん核のDNAに組み込んでから使うもの、等々の違いがあるという事。コウモリは多数が一ヵ所にまとまって暮らしていて、多くのウイルスが宿主のコウモリに悪さをしないように進化していて、そのウイルスがたまたまほかの生物に感染すると大変なことになる、など、丁寧に解説されています。

ウイルスは細胞に感染しないと生きていけないんですが、ミトコンドリアもそれだけで細胞として、ミトコンドリアに感染するウイルス、というのもあるようです。となると葉緑体に感染するウイルスもいるんでしょうね。

生物の進化がスピードだということからすると、ウイルスこそ進化の最先端ということなのかも知れません。

この2つの本、お勧めです。