『新 ヒトの解剖』―井尻正二 後藤仁敏

錬金術のわけの分からない話を読んでいると、もっと具体的な現実的な本を読みたくなり、普段は図書館に行っても本を借りたり返却したりするカウンターと、そのすぐ近くにある『お勧め』コーナー、『新しく入った本』コーナーくらいしか行かないのですが、久しぶりに書架に行って眺めてみました。

この本は人体の解剖の話ですから、ある意味これほど具体的・現実的な本もありません。後書きを見るとこの本は1969年に出版された『ヒトの解剖』の改訂版であり、さらにそれは1967年にブルーバックスの一冊として出版された『人体名所案内-進化のあとをたずねて』を改版したものだということです。今から計算すると、もともとは50年以上前の本ですが、人体が50年かそこらでそう変わっていることもないだろうと思って借りてみました。

この本は大学の医学部などで学生さんが勉強している解剖実習を紙の上でなぞって示してくれるという体裁の本になっています。実際に自分で解剖実習に立ち会うというのは大変そうですが、本でなぞっていくだけなら何とかなりそうです。

で、この本は人体解剖の歴史や解剖実習の対象となる献体の話から始まります。解剖実習で使われる道具類も写真で紹介してくれます。とは言え、実際はピンセット1本あれば殆どOKだということです。

実際の解剖が始まり、まずは皮を剥ぐ所から始まります。
皮を剥いだら内臓や筋肉が現れる、というわけではなく、まずは皮下脂肪が現れ、解剖実習では神経や血管を傷つけずに皮下脂肪を取り除く所から始まります。皮下脂肪を取り除いたら筋肉が現れます。この筋肉を取り除けば胴体であれば内臓が現れ、手足であれば骨が現れ、頭であれば頭骨が現れるということになります。山程の筋肉を一つ一つ確認しながら外していくということになります。胴体と頭以外(手足の部分)の所は筋肉を取り除くとあとは骨だけということになりますが、この骨というのは解剖実習とは別に『骨学実習』というもので学習するもののようです。

さて胴体の方は筋肉を取りきると、そこに現れるのが肋骨。これをハサミで一本一本切っていくと、そこに現れるのが内臓、ということにはなりません。その前に腹膜・胸膜という膜が何重にもカーテンのようになって内臓を覆い隠しており、それを取り除くことによりようやく内臓が見えてきます。ここの所が確認できたのがこの本を読んだ何よりの収穫です。テレビドラマのようなわけにはいかない事が分かります。

私は以前、鼠径部ヘルニアの手術をしたことがあり、その時、方々で癒着してしまった腹膜を力ずくで剥がすという作業をされ、えらく痛い思いをした事があるので、この腹膜には何となく思い入れがあります。また、私の父親もこの腹膜のいたるところにがんが転移して死亡した、ということもあり、何となく気になるものです。

で、この腹膜・胸膜を取り除いたあとの個々の内臓の話は今まで何度か読んだことがあります。この本では正面、お腹の側からひとつひとつ内臓を取り出していって内臓がお腹の中にどういう位置関係で収まっているか(押し込まれているか)、すなわち何を取り除いたらその奥に何が現れるか、も図解してあるので、それを眺めるだけでも面白いです。

あとは脳ですが、これは解剖実習の最初の方で頭蓋骨(普通はズガイコツと読みますが、解剖学ではトウガイコツと読む、とのことです)を一部切り離し、脳の部分だけ取り出してホルマリン漬けしておいて、あとで解剖実習するということです。

ここでも頭蓋骨を切り離してパカッと開けると、そこに脳があるというわけではなく、硬膜という丈夫な膜が脳をすっぽり包んでいて、それを切り離してやっとクモ膜・軟膜という柔らかくて薄い透明な膜に包まれた脳を見ることができるということです。

脳を取り出すにはまず左右の大脳半球のあいだの硬膜を取り、次に大脳と小脳の間の硬膜を切り、脳から出ている神経や血管を一つ一つメスで切って、最後に延髄と脊髄の境界を切断すると、ようやく脳を頭蓋骨から取り出すことができる。取り出したばかりの脳を両手で持つとホルマリンの浸透が悪い時は豆腐のような柔らかさで、表面がプリンプリンしている、それをホルマリン液に漬けると焼き豆腐ほどの固さになる、という具合に非常に具体的に書いてあります。

顔と頭の解剖では、まず頭と胴体を切り離す。
食道・気管・筋肉・神経・血管を切り離し、頭蓋の後頭部を縦にノコギリで切って、次に頭蓋と第一頸椎の間の筋肉とじん帯を水平に切れば、後頭部の骨と首の骨を胴体につけて、頭と首の前の部分を胴体から切り離すことができる。これを『首切り』でなく『首おとし』と呼ぶということです。
落とした首は筋肉・口・鼻・目・耳・歯と順番に見ていき、ついでにこれらの部分がどのように進化してきたかの説明がついています。

この本にはこのほか『男のからだ女のからだ』という章と、『労働力としての人体』なんて章があり、著者のちょっと左翼的な考え方がみられ、ちょっと毛色の変わった解剖学の本になっています。

医学部の学生さん達は皆1年がかりでこんな大変な作業をしているんだ、と思うと医学部に行かなくて良かったと思います。

人の身体に興味はあるけれどお医者さんになるのは大変そうだな、と思う人にお勧めです。

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