『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』『癌め』―江國滋

この本は江國滋さんが癌になり、入院して手術し、闘病して死に至るまでの半年間の日記とその間に詠んだ俳句集です。

この江國滋という人は、今では作家江國香織の父親だと説明されているということをどこかで読み、昔は『江國香織は江國滋の娘』と説明されていたのがいつの間にか逆転していたんだなと思い、そういえば江國滋さんというのはあまりまともに読んだ事がないなと思って借りてんだのが『俳句と遊ぶ法』という俳句の解説・入門書です。面白かったのでついでにそういえばまだ読んでなかったなと思って借りたのが、この『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』と『癌め』の2冊です。

はじめは『酌みかはさうぜ』を借りるつもりだったのが、検索したら『癌め』の方も出てきたのでついでに借りました。

『酌みかはさうぜ』は江國さんが癌の診断を受け、がんセンターに入院し手術を受け、途中で外出や外泊を許されながら結局半年後に死亡するまでの病中日記です。診断を受け手術を受けることが決まってから、子規に倣って病中日記を綴り、俳句を詠んで俳句集を作ると決めて、そのとおり実行した病中日記が『酌みかはさうぜ』の一冊で、その中で披露されている俳句を取り出して俳句集の形にしたものが『癌め』です。

本来であれば手術が終わり退院した後できちんと整理して出版する予定だったのが、その余裕もなく死亡してしまったので、とりあえず残された原稿をほぼそのまま本にしたというような本です。

江國さんの癌は食道癌で、胃は既に半分なくなっていたので結局食道と胃を取って大腸を引っ張り上げて食道につなぐ、という大手術で、肋骨の中を通すのは大変なので胸の肋骨の上を通って大腸と食道をつなぐ、というものだったようです。10時間以上の何とも大変な手術を終え、飲み食いができない日が続き、少しずつ飲んだり食べたりできかかった所で右手が痛くて上がらなくなり、結局それは癌の転移によるものだということで、その手術もしています。

最初の大腸をつなぐ手術も一度で完璧にはつながらず、何度か再手術をし、また途中で右腕の骨折もしてその手術もし、ということで大変な思いをしながらも、とりあえずいったん退院となった所で再度入院で救急車で病院に戻り、そのまま亡くなったという話を、途中、一部奥さんが口述筆記により代筆したり、最後に自分で書けなくなったところを奥さんが報告したりして、最後にこの『酌みかはさうぜ』の句で締めくくっています。

『癌め』の方はこの病中日記の中の俳句を整理して句集にしたもののようで、『酌みかはさうぜ』を読み終えてしばらくたってから読んでみました。

江國さんの句はあまり専門家らしくなく普通の言葉で分かりやすく詠まれています。一見しろうとの句かと見えるような味わい深い句がたくさんあります。

癌宣告を受けて
 『残寒や この俺がこの俺が癌』(本の9ページ)(2月6日)
 『春の宵 癌細胞と混浴す』(本の18ページ)(2月11日)
 『永き日や 聞きしにまさる 検査漬け』(本の22ページ)(2月17日)
 『三寒の 月月火水木検査』(本の22ページ)(2月17日)
とかから始まり、長引く入院生活にうんざりして
 『夏立ちぬ 腹立ちぬ また日が経ちぬ』(本の126ページ)(5月5日)
 『夏は来ぬ われは骨皮筋左衛門』(本の123ページ)(5月3日)
とか、
 『自嘲
  吉兆の かぼちゃなら食う 男かな』(本の173ページ)(6月23日)
とか、あるいは

 『「骨シンチ」の検査受く。シンチグラフィー
  シンチグラムの略にて、「アイソトープ集積像」の意味なり。たわむれに
  骨シンチ むかしは俺も 北新地』(本の158ページ)(6月5日)
なんてふざけたりもしています。

最後に
 『敗北宣言
  おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒』(本の196ページ)(8月8日)
が辞世の句となりました。

ちょっと重たい本ですが、自身の癌を正面から受け止め一喜一憂しながらどう作品に仕立てているか味わい深い本です。

お勧めします。

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