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がんばれホリエモン

木曜日, 3月 9th, 2006

あいかわらず途切れることなく垂れ流される一方的な検察情報によって、世間的にはホリエモンの有罪はほとんど誰もが疑わない状況になってしまいました。

この期に及んでまだ「頑張れホリエモン」なんて言っても誰も聞いてくれないからやめといた方が良いという忠告も貰ったのですが、やはりホリエモンには最後 の最後まで頑張ってもらいたいし、今の所期待に応えてホリエモンも頑張ってくれているので、この間にこのコメントを書いておこうと思います。

ホリエモンも単なる金儲けだけ考えるのであればここで頑張っても何の意味もないので、さっさと検察のシナリオに乗って有罪でも何でもできるだけ早 く裁判を終わらせてしまって、再帰をはかる方が良いに決まっています。風評の流布とか粉飾決済とかであれば大した罪にはならないでしょうから。

でもそれじゃあ何の解決にもなりません。ここでホリエモンが頑張り続けることによって、何年もかけて「風評の流布とは何がいけないのか」「粉飾決算でやってよいことは何か・やってはいけないことは何か」という議論を本気ですることができると思います。

検察当局が本気でかかっていますから、多分一審ではホリエモン有罪ということになるでしょうが、その後の高裁・最高裁での議論の過程で、日本の法律家・会計学者・経済学者・経営学者の力量が問われることになるでしょう。

そのような貴重なチャンスを逃してしまうのは何とも勿体無いなと思い、やはり「頑張れホリエモン」と言わないではいられなくなります。

もしかするとホリエモンの独特のやり方でこの裁判の進行をエンターテイメントにすることができれば、さらに素晴らしいことです。日本中が楽しみながら法律・経済・会計・経営の勉強をすることができるんですから。

とはいえ「頑張れ」と応援だけしているのも他人まかせすぎるような気もするので、ここでちょっとホリエモンに代表される「時価総額経営」というのは一体何なんだろうか、考えてみたいと思います。

1年前のフジテレビとライブドアの騒動の時は、何だかわけのわからないことをするなと思っていたのですが、その後の経緯を見ながら考えていたら、この「時価総額経営」というのも1つの新しい経営の考え方かも知れないなと思うようになりました。

私の考えた所をここに書いてみます。忌憚のない意見を頂けると有り難いです。

今更説明するまでもないことですが、時価総額というのは株式の時価総額、あるいは会社全体の買い取り価格ということです。さらに言えば、会社の持 つ資産と負債の全てを、会計のルールで表面に出て来るものも出てこないものもひっくるめて全てを時価評価して、資産の評価値が負債の評価値をどれだけ上 回っているかという金額です。その意味でトコトン究極の時価会計ということができます。

資産から負債を引いたものが自己資本ですから、究極の自己資本と言っても良いものです。

自己資本というのは、資本金と利益のたまったものの総額ですから、これは多い方が良いに決まっています。会社をやる以上、儲からなくてはいけない。儲かる会社が良い会社だ。儲かる会社は自己資本が大きくなるというわけです。

会社は株主のものだという考え方に立てば、株主が投資した資本金に対して利益を増やして、株主の持分を増やすことが良い経営だということになります。

会社は株主だけのものじゃない、もっとたくさんの利害関係者、即ち株主・取引先・顧客・従業員・国等のためのものだという考え方に立っても、会社 が儲けてそれを株主に配当し、取引先にも儲けさせ、顧客にはより良い商品・サービスをより安く提供し、従業員にももっと給料を払い、国にももっと税金を払 うという方が、会社が儲からなくてそんなことが何もできないより良いに決まっています。

従来型の会計・経営の考え方はこのような利益主導の考え方で、自己資本が増えることは良いことではあるけれど、それはあくまで利益で増えることが良いことなんであって、資本金を増やして自己資本を増やすというのは、別に経営の成果でも何でもないという考え方でした。

増資で資本金を増やして自己資本を増やすのは、借金して総資産を増やすのと同じようなもので、別に偉くも何ともない。場合によっては利益の取り分が減ってしまうから良くないことかも知れない、というのが従来型の考え方です。

この考え方の裏には無意識的に(あるいは意識的に)、経営者は株主のために(あるいは株主その他の利害関係者のために)会社の利益を増やすのが役目だという考え方がありそうです。

「資本と経営の分離」という言葉はかなり以前からありますが、その意味では上記の考え方はあくまで経営者は資本家の下、資本家のために働く存在ということになります。

本当の意味で資本と経営の分離と考えるのであれば、経営者は株主(あるいは全ての利害関係者)のために仕事をするのではなく、自分自身のために仕事をする。そのために会社を経営するのかも知れません。

世の中は金持ちが得をするようにできています。何か買うにもお金持ちの方が安く買えたりします。うまい儲け話もお金持ちだけに参加資格があったりします。

そう考えると経営者にとって、会社はお金持ちだというだけで価値があることになります。そのお金が利益で増えたお金なのか、増資で増えたお金なのか、借金で増えたお金なのかに関わりなく、とにかくお金があるということだけで値打ちがあるということです。

この典型的なのが銀行等の金融機関です。「資産量世界一の銀行」などとえばっているのは実はほとんどは借金(銀行預金も銀行から見れば借金です)ですが、それが多いことが銀行のランクになっています。

ライブドアはフジテレビとの騒動で、ニッポン放送買収のためにまず800億円資本金を増やしました。その後フジテレビとの和解でさらに400億円 フジテレビに出資させました。何ヵ月かのやりとりで1,200億円も自己資本を増やしたということです。別に何を作ったわけでも販売したわけでもないの に、これだけ増やしてしまったわけです。

従来型の会計理論では何の儲けにもなってないじゃないかということになりますが、時価総額経営の立場からは、あっという間に自己資本を増やして素晴らしい成果だということになるのかも知れません。

ライブドアが非難されるのが株式の分割です。たとえば1株1万円の株を100分割したら、1株100円になるはずなのに、そうならないで1株 1,000円になってしまう。分割前1株(=1株×1万円=1万円)持ってた株主は、分割後100株(=100株×1,000円=10万円)持っているこ とになるので、100分割で持ち分が10倍になってしまう大儲けという話です。

株主も持ち分が10倍になるけれど、時価総額も10倍になります。時価総額ベースの自己資本が10倍になるということです。

この株式分割で株価が100分の1にならないのは、株式分割の直後売り買いできる株式数が少なくなるので値段が十分下がらないんだという解説が良 くありますが、そのあとに続く売り買いできる株式数が元の100倍になった後でも、株価が100分の1まで下がらないのはどうしてかという解説はあまり聞 きません。しょせん解説というのは説明できる(あるいは説明しやすい)ことだけ説明して、説明できない(あるいは説明しにくい)ことは知らん顔をするとい う傾向が強いものですから、こんなものかも知れません。時価総額経営の立場から言うと、株式の分割で時価総額が増えるからその分株価が下がらないんだとい うことができそうです。

「会社は誰のものか」という議論があります。「会社は株主のもの」だという考え方、「株主だけでなく取引先・顧客・従業員・国のもの」だという考 え方もあります。もう一つの考え方が「会社は経営者のもの」だという考え方もありそうです。この考え方に立てば経営者が会社という装置を使って思うように 経営するためには、お金があることが重要になります。即ち、時価総額経営ということになります。

従来の会計学は会社は株主のものだ、あるいは会社は利害関係者全員のものだという立場から組立てられています。これを会社は経営者のものだという 立場に立って組立て直してみると、新しい会計学ができるのかも知れません。その立場からすると、従来の会計で粉飾決算と言われた取引もまっとうな取引だと いうことになるのかも知れません。

今回のライブドア事件をきっかけに時価総額経営と経営者資本主義(会社は経営者のものだという考え方)と、そのような考え方にもとづく会計について考えてみると面白いのではないでしょうか。

会社の中で経営者が圧倒的な地位を占め、株主がそれに対して何も言えないような形の企業(たとえば浮動株が多くて主要株主がいないような会社、株 主は株価の値上がりと配当のことしか考えていなくて、経営者を監督しようなどと最初から考えないような会社など)では、むしろこのような見方の方がぴった り来るのかも知れません。そしてそのような会社は実はかなり多くなっているのではないでしょうか。

三洋電機が今の株価の何分の1かで新株を発行して生き残りを計るとか、三菱銀行が多額の増資をして公的資金を返済するとか、株主の立場に立つので はなく、経営者の立場に立った自己資本増強がよく見られます。ライブドアの場合、その会社自体は時価総額経営で会社は経営者のものだという経営をしなが ら、いろいろな会社を買収して、その会社に対しては会社は株主のものだという経営をしようとしている。これがライブドアの行動に関する違和感、いごこちの 悪さの元なのかも知れません。

会社のガバナンス(統治権)と経営手法と会計ルールはセットになるものです。

経営者資本主義、時価総額経営とセットになる会計ルールはどのようなものになるのでしょうか。