『英語ヒエラルキー』―佐々木テレサ 福島青史

この本はEMI学部(英語で授業をし留学し英語のコミュニケーションで多文化共生を実現するグローバル人材を作る学部)に入った筆者が、大学で劣等感にさいなまれ、コロナもあって就活もうまく行かず、大学院に進んで日本語科で自分と同じようにEMIに進学した学生たちをインタビューして、彼らが何を考えてEMI学部に入ったのか、学部でどのように考えどのようにしたか、卒業してから何をしているのかどう考えているかをまとめ、修士論文にしたものを新書として出版した、というものです。

高校時代周囲と比べて断トツに英語ができて、その優越感から自分はグローバル人材になるのにふさわしいと思ってEMI学部に入学したら、周りにはハーフやら帰国子女やらの英語ペラペラばかり揃っていて、英語だけの授業に付いていくこともできず、陽キャ(明るくて陽気な性格)のパリピ(Party People皆で集まってパーティーのようにわいわい騒ぐのが大好きな人達)の中で劣等感にさいなまれ、その中で留学先を決めなければならなく、イギリスやアメリカに行く自信がなく、英語は通じるけれど英語圏ではないフィンランドとかを留学先に選び、あるいはオーストラリアを留学先に選び、最初の語学学校で英語以外禁止のはずが大勢の中国人留学生たちは好き勝手に中国語で盛り上がっていて疎外感にさいなまれ、1年位暮らしてどこまで英語がスキルアップしたのか分からないまま帰国し、また残りの期間を日本にいながら英語漬けで勉強し、就活では劣等感から得意なはずの英語をアピールすることができず、うまく就職したら今度は周囲から日本語がおかしいと言われ、どこがおかしいのか聞いてもちゃんと答えて貰えず、書いた文章は勝手に直され、会社の中で何をしたら良いかも分からず、多文化共生どころか自分が生まれ育った日本文化の中にも入れない、という生徒達のナマの姿を書いています。

筆者自身自分の日本語に自信が持てず、こんな状態で本など書いて良いのだろうかと思いながら書いているためか、インタビューはもろ文字起こしのような形で

『何か私すごい、中高まではすごい、もうとんでもなくレベチ(レベル違いの人)で、英語ができる人だったんだよね、学校の中では無敵だった、英語に関しては』

という生徒が、大学に入ってみると

『まず授業、何言っているか全然分からないし、テストの点とかで(友達の)韓国や他の国の子がもうほぼ英語ネイティブで、テストの点とかでもマウント取ってきてめっちゃ嫌だった』

『エッセイ2回も出したんだけど、1回目のエッセイで私『ちゃんと書いて下さい』みたいなコメント付けられて、『Your essay is annoying』みたいな事書かれて、『ちゃんと調べてから来てください』ってこともめっちゃ書かれて心すごい折れて』

『様々なコンプレックスが生み出され、それが解消されないまま今に至っています。コンプレックスが開発された場所、大学です。』

そして、苦労して会社に入ると今度は日本語がきちんと使えなくて苦労します。

何か言おうとして日本語が出てこない、とか、敬語の使い方が不安だ、とか、他人から『何を言おうとしているのか分からない』と言われたり、また他人の書いたものについて『書いてあることが何を言おうとしているのか分からない』という事がおきます。

即ち普通の日本人として高校卒業後日本の大学に行ったり社会に出たりすればごく自然に身に付くと思われる日本語によるコミュニケーション能力が身に付いていないという現実に直面します。大学に進学しアルバイトと遊びと就活しかしないで4年を過ごした者が、知らず知らずのうちに身に付ける知識・能力が、大学でEMI学部に入り英語漬けの日々にドップリ浸かり、劣等感にさいなまれて4年間を過ごすうちに全く身に付いていないということのようです。

高校まで学んだ基礎知識をもとに大学生あるいは社会人としてようやく総合的な理解力・判断力を身につけるはずの4年間を、英語に溺れアップアップしているうちに何も身につけずに過ごしてしまうということでしょうか。そう考えると何も学ばずに遊ぶために大学に通っているようにしか見えない4年間というのもそれなりに重要な学習をしている、ということなのかも知れません。

いずれにしてもEMIのグローバル人材というのが、英語により日本人以外の人とのコミュニケーションをはかるという意味だということ、そのグローバル人材になるために英語について自信満々だった学生を劣等感のかたまりにしてしまい、母語である日本語による日本人とのコミュニケーションも阻害してしまうというのは面白いことです。

とはいえ高校で断トツに英語ができて早稲田のEMI学部に入った、という事ですから、1~2年日本の会社で暮らせば日本語のコミュニケーションも十分できるようになるんだろうと思います。

自信たっぷりだった若者が一気に劣等感のかたまりになり悩むというのは、私のような年寄りにとっては、ほほえましい見物で『ガンバレー』と言いたい気分です。

筆者も筆者がインタビューする学生たちも『多様な文化を受け入れるグローバル人材』というものを、『日本人以外の人と英語でコミュニケーションできる人』というように捉えているのはチョットどうかなと思いますが、そのうちホントに日本で英語圏でもない人々とコミュニケートする機会があれば、本当のグローバル人材になってくれるのかも知れません。

パリピとかレベチとか陽キャ、陰キャ、純ジャパなど、新しい言葉に出会えるだけでも十分読んでみる価値があると思います。

お勧めします。

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