Archive for 8月, 2022

PC移行

火曜日, 8月 23rd, 2022

私が今メインで使っているPCはWindows8.3のPCなんですが、近頃『Windows8.3のサポート期間終了のお知らせ』というメッセージが出るようになりました。とはいえ終了は来年の1月ですからまだ十分時間的余裕があるというか、そろそろ準備を始めなければというか、微妙なタイミングです。

今の所お金を貰ってコンサルティングをしている以上新しいPCを買うかな、としたらどんなものにしようかな、と思ってフト気が付いたら、2年前、会社を閉めるとき、こんなこともあろうかと思って、新しいPCを会社のお金で買って用意していたことを思い出しました。

その新しいPCはMacのPCでその上でWindowsを走らせる事ができるようにしてあるもので、これを使ってMacPCの経験もすることができるしWindowsの移行もできると思っていました。

その後会社を閉める作業と大宮にオフィスを用意して引っ越しをする作業に予想以上に手間取り、それが一段落した1年前から、ようやく暇を持て余すようになったので新しいPCで遊んでみようかと思っていたら、足の骨折と個人事業の確定申告・修正申告・経理システム作りに手間がかかって、新しいPCはe-Taxの申告書作りと虎ノ門ニュース視聴専用のようになってしまい、それ以外はこれまで使っていたWindows8.3のPCをもっぱら使っていました。

で、Windows8.3が使えなくなるということになると、ほぼ自動的に新しいPCを用意してそこにWindowsの10あるいは11を入れて、その他のソフトも新しいPCに移行して、と考えていたのですが、新しいPCが既にあるということになると、じゃあそのPCに今のPCから必要なものを全て移行しようかと思って、その作業のリストアップを始めました。

インターネットのブラウザとメールは当然移さなければならないんですが、他にもファイル転送のffftpとかdelphiの開発環境や、今いろいろいじくって遊んでいるPython関係などいろいろあるな、まあ時間がかかるけど1つ1つ移していけば何とかなるか、と思っていました。

ブラウザは、以前はFirefoxを使っていたのですが、いつのまにか試しに使ってみたgoogle chromeの方で殆ど作業しているのでそれを移そうかと思ったのですが、移行に必要な設定ファイルを見てみたらとてつもないボリュームのファイルとなっていて、chromeは一体何をやっているんだろうと思い、この際昔使っていたFirefoxに戻すことにしました。

メールは以前からThunderbirdを使っていて、新しいPCにも試しにいくつかのアカウントを設定してのですが、これに今使っている他のメールアドレスのアカウントを追加することにしました。この機会に今は殆ど使っていないアカウントは新しいPCには入れないことにしました。

ffftpは新しいPCには同じソフトの最新のバージョンをインストールして使うことにしたんですが、新しいPCでアカウントを設定する所でそれぞれのアカウントのパスワードを再確認して改めて入力しなければなりません。と思ったら、こちらも設定ファイルをコピーするだけで一発で移行作業が終わりました。

ブログの更新はブラウザ上で行っているので、特に移行作業は不要です。

で、他のソフト等ですが、良く考えてみたら別に新しいPCに移さなくても今までのPCで作業ができないわけじゃないし、入出力で必要な場合は新しいPCと今のPCでUSBメモリーでファイルをコピーして受け渡しすれば良いじゃあないかと思いついて、これで行くことにしました。これで今まで溜め込んでた有象無象のデータはそのまま今のPCとその外付けハードディスクに残して、必要に応じて新しいPCにコピーすれば良いし、最後に仕事を辞める時が来たらPCごと全て消去すれば良いと思いつきました。PCを使ったいろんな作業でdelphiを使っているものは今まで通り今のPCでやれば良いし、これでかなり気が楽になりました。

勿論このやり方は一時しのぎの時間稼ぎの先延しでしかないのは分かっていますが、私自身いつまで今のまま仕事を続けるか、続けることができるのかも分かりませんので、ここはこれが正解かなと思っています。一時しのぎでしのぎきれなくなったらその時はその時です。

まあその時にはPCの移行なんてしんどい作業をする気力はもう残っていないでしょうから、その時は全て捨てるということになるんでしょうね。そう思ったら何やらその日が待ち遠しいような気になりますね。

『孔子画伝』加地伸行

火曜日, 8月 16th, 2022

孔子が死に、司馬遷が史記を書いて孔子の伝記を記述し、それを元にその伝記の様々な場面を絵にするということが始まり、断片的な絵ではなく、孔子の生涯を通した絵による伝記、すなわち『絵伝』が作られるようになり、それが『聖蹟図』と呼ばれるようになったようです。種々様々な聖蹟図が作られたようですが、その一つに何延瑞(カテイズイ)という人の作ったものがその後マネされて流布したようです。絹の布にカラーで描かれたものですが、それを元に1500年代に薩摩の島津家久が日本の画家にカラーで描かせたものもあるようです。

これは現物は見つかっていないけれど、それの白黒写真を日本で出版した物が残っているようです。また、なくなったと思われた『何延瑞本』を元にした絹本が孔府で見つかったということです。

で、この本ではこのカラー版の何延瑞本と白黒の家久本の図像に加地さんが解説を加え、適宜その他の聖蹟図からの画像も加えています。

2ページ見開きでカラーの何延瑞本の画を写し、次の2ページで家久本の画とその他の画、そして加地さんの解説という4頁1単位の構成です。

この本は加地さんの『孔子』でも文庫版あとがきで、『この「孔子画伝」を本書と併せて読んで頂ければ幸いである。』と紹介しています。

画伝は基本的に史記の孔子伝によっていて、他に様々なものから題材を取っていて、ほとんどが今までの孔子関係の本で既に読んだものですが、初めて見るものに一つ、『丘陵の歌』というものがありました。流浪の果て、最後に魯国に帰る時に、孔子が生涯を顧みてこの歌を作ったという事ですが、孔子が作った歌というものは初めて見ました。

4字×16句(あるいは(4字+4字)×8句)といった形のもので、孔叢子(クゾウシ)という本に載っているもののようです。長年がんばってきたけれど、なかなかうまく行かなかったなあ、というようななかなか味わい深い歌です。

全体の構成は
 第1画 孔子の母親が尼山に向かって子供ができるよう祈る
 第2画 母親のところに麒麟がやってきて、生まれて来る子は王になる、と
     お告げを告げる
 第3画 誕生日には5人の神仙と2匹の龍が現れる

から始まって

 第35画 孔子の死後、弟子達は墓の近くで3年(実質2年)の喪に服し、子
      貢だけはその倍の6年(実質4年)の喪に服した。
 第36画 その後、戦国時代を経て秦が天下を統一し、始皇帝の死後、項羽と
      劉邦が秦を倒し、最終的に劉邦が勝って漢帝国をつくり、その初
      代皇帝高祖(劉邦)が旅の途中孔子の廟に立ち寄って羊・牛・豚
      を一頭ずつ捧げて盛大に祀った、
という場面で終わっています。

第2画、第3画はキリスト教の、マリアへの受胎告知・イエスの誕生日に東方から三人の博士がやって来て礼拝した、という話と何やら似た話ですね。

何延瑞本のカラーの絵と家久本と、基本的に同じ構図の絵なんですが、日本で日本の画家、等林が描いたというだけで、微妙に違っているのも見所です。この等林という画家がどのような人なのか、というも良くわかっていない人のようです。

私は基本的に絵(がたくさん入っている)本が好きで、国富論の訳を選ぶ時も挿し絵がたくさんあるものを選んだり、一遍上人の絵伝『一遍聖絵(イッペンヒジリエ)』を読んだり(見たり)しているんですが、この『孔子画伝』も面白く読めました。

絵がたくさん入っている本が好きな人にお勧めです。

『古代中国の日常生活』-荘奕傑

月曜日, 8月 15th, 2022

一連の孔子関係の本を読んで、その頃の中国というのは、人々はどういう生活をしていたんだろう、と思っていたら、お誂え向きに図書館の『新しく入った本』コーナーにこの本が入ってました。

元の題は『24 Hours in Ancient CHINA』 という本で、このCHINAの所が、Athens, Rome, Egyptになる本と合わせて4冊のシリーズ本のようです。CHINA以外の本も翻訳されているかどうかはわかりませんが、とりあえずはCHINAだけあればOKです。(ネット調べたらローマとエジプトについては訳があるようです。と思って図書館で借りてみたら、エジプトの方はこのシリーズの本の訳ですが、ローマの方は別の本の訳が似たような題になったもののようです。)

著者は荘奕傑(ソウエキケツ)という人で、ケンブリッジ大学で考古学の博士号を取り、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学研究所で中国考古学の准教授をしている人で、中国・東南アジアの古代史の専門家のようです。

舞台にしているのは紀元17年、前漢と後漢の間にはさまれた新という、王莽(オウモウ)の時代ですから、孔子の時代よりはかなり後になりますが、まだ古代ではあります。司馬遷の時代より100年位後になります。

この年のある日の24時間に、様々な仕事をしている人々が何を考え何をしていたかを1時間単位に24人登場させて、その社会を表現しています。

登場人物は、医者・墓泥棒・産婆・馬丁・主婦・青銅器職人・運河労働者・教師・織り子・墓の彫刻師・製塩職人・祭官・烽火台長・穀物貯蔵庫の管理人・伝書使・農夫・労役刑徒・レンガ職人・料理長・后付きの女官・史官・舞人・王女付き女官・兵士と、普通なかなか歴史の本には出てこない人達です。
とはいえ山ほどの資料の中から少しずつ情報を集めれば、それなりに当時の様々な人々の日常生活を描き出すことができるようです。

これらの人々が何を心配し、何に不満を持ちながらそれぞれの役割を果たしていたかを、活き活きと書いてあります。

孔子の時代はこれより数百年前の時代ですが、それでも孔子の時代を思い浮かべるのがかなりやりやすくなります。

この時代、まだ基本的には農業の時代で殆どの人は農民だったわけですが、それでもこれだけ様々な役割の人がいたということは改めて大変なことです。

ということで、孔子や論語を読む参考資料としてお勧めします。

不動産の登記

水曜日, 8月 3rd, 2022

クライアントの決算の作業が一段落して、懸案の不動産の登記をしました。

今住んでいるマンションを買って住宅金融公庫のローンを組んで、その後営々と返済を続けていたのが返済が終わって、取扱をしていた銀行からは抵当権をはずす登記が必要だ、という通知が来ています。

このローンは都合により2本に分かれており(固定金利の部分と変動金利の部分)、返済完了の時期も違っています。そのためそれぞれに返済の都度、銀行からは通知が来ています。普通はそのまま銀行に手続きをしてもらうなり、自分で司法書士を探して手続きをしてもらうなり、ということになるようですが、私としては不動産の登記というのはこんな事でもないとなかなか経験できないし、抵当権設定の登記は当面そのままにしておいても、マンションを売るとか新たに抵当に入れて金を借りるとか、そんな事がなければ別に差支えはないので、そのうち暇になったら自分で手続きをしてみようと思ってそのままにしていました。とはいえ、私が覚えている間にけりをつけておかないと面倒なことになります。

会社の解散・清算の手続きが終わり、そろそろこれに取り掛かろうかと思っていた時に、骨折やらなにやらでなかなか手につかなかったのですが、クライアントの3月決算の作業も一段落してようやくこれに取り掛かる事にしました。

まずは現状の登記の内容を確認するために法務局に行って全部事項証明書(いわゆる登記簿謄本)を取って見てみました。幸い自転車で数分の所にさいたま地方法務局があるので、すぐに取ることができます

また住宅ローンを完済した事を証明するための書類も銀行に頼んで送ってもらう必要があります。あとはネットでこの抵当権の登記の抹消の登記申請をするための書式と手続きについて調べました。

まずは2本のローンをまとめて一度に処理することができるかという事から分かりません。また所有者の私の住所が、住み始めてから今まで何度か変わっていて、登記簿の記載とは違ってしまっています。と言っても引っ越ししたわけではなく住居表示が変わっただけですが・・・。

登記は現住所で手続きしなければならないのに、登記簿には昔の住居表示で表示されています。で、銀行から必要書類が届いた所で財務局の相談窓口に電話して教えて貰うことになりました。この相談窓口もコロナ以降、対面の相談はなくなって、全て電話相談になっています。

まず2本のローンをまとめて一度に処理するというのはすぐにダメと言われ、それぞれのローンについて別々に登記申請書を作らなければならない、ということでした。ということは、登記費用も倍かかる、ということになります。

住所の問題は、まず区役所に行って、昔の住居表示が今の住居表示になった証明書を出してもらって、その住居表示の変更の登記申請書を作って、これを抵当権抹消の登記申請書と一緒に出すことが必要だ、ということでした。

区役所に行ってその証明書を出してもらったら、何と書類が3つも出てきました。
単にこれこれの住居表示が今ではこれこれの住居表示になっている、という証明書ではなく、

1. 与野市大字上落合〇〇番地を与野市上落合△△番地とする、という住居表示変更証明
2. 市の合併に伴い、与野市をさいたま市にするという証明書
3. 行政区を設置して、さいたま市上落合をさいたま市中央区上落合にするという行政区設置証明書

の3枚でした。

こうなると住所変更の登記の方も1枚で良いのか3枚必要なのか、ということになり、また電話相談で、登記申請書は1枚で証明書は3枚付ければいい、という確認をしました。

銀行から送られてきた書類には委任状が入っていて、私が住宅金融公庫改め独立行政法人住宅金融支援機構の委任を受けて登記の手続きをする、その私の住所氏名を書き加えよ、ということになっています。

またローン返済が終わった「抵当権解除証書」というのがあり、これこれのローンの返済が終わったということは書いてあるのですが、その抵当権を設定している不動産の表記の所は現状の登記簿の記載と合わないといけないので、自分で登記簿を見ながら書くように、と指示があります。

とは言え、登記簿の内容を全て書き写すわけにはいかないので、これについても電話相談で何をどう書けば良いか教えて貰います。

実は登記簿には不動産番号というのが付いていて、抵当権抹消の登記申請書などではこの13桁の番号を書けばほぼOKなので、これを使えるかと思ったら、この番号は登記関係でしか使うことができないので、抵当権解除証書では使うことができないので、登記簿からこれこれを書き移すように、と6個の項目を指定してもらいました。

2つのローンそれぞれに対する抵当権解除証書にこの項目を書き移し、必要書類を封筒に入れたり、登記申請書にホチキス止めをしたりして印鑑を押し、捨て印を押して、法務局に提出しました。8月2日に登記申請して、問題なければ8月18日に完了する予定です。

とりあえずこれが終わってヤレヤレです。

個人の戸籍関係の書類や会社の登記簿等の書類はこれまでも何度も見てきましたが、不動産関係の登記書類をちゃんと見るのは初めてのことなので、なかなか面白い経験ができました。