Archive for 10月, 2011

北朝鮮

月曜日, 10月 31st, 2011

小さな記事が小出しに出てくるだけなのであまり大騒ぎにはなってませんが、北朝鮮の状況はかなり深刻のような気がします。

北朝鮮は何とかして6カ国協議を再開しようとして日本以外の各国と話をしているんですが、ちっとも前に進まないようです。

従来基本的に中国依存・中国優先でロシアは二の次だったのが、ロシアにも援助を求めたものの、大して相手にされていないようです。中国も従来の北朝鮮支持に疲れたのか、あまり積極的ではありません。

そのような中での北朝鮮の各国に対するアプローチは今までにないほど積極的なのに、ほとんど何の結果にもつながっていません。

アメリカと韓国は、北朝鮮有事の際の在日米軍の参加について話していることを、あからさまに発表しています。

カダフィ大佐が殺されたニュースは、北朝鮮にどこまで伝わっているかわかりませんが、いずれは伝わるはずです。

今年の大雨は日本を含め世界各国で大きな被害を出していますが、北朝鮮も同様に大きな被害を蒙っています。

ということで、毎年のことながら北朝鮮、今年の冬は越せるのかなあと思います。

北朝鮮が崩壊したらその復興に大きなコストはかかりますが、とりあえずモヤモヤした鬱陶しさからは開放されそうです。

ユーロ危機の不安感は当分消えそうもありませんが。

ユーロ危機・・・その4

金曜日, 10月 28th, 2011

どういうわけか、昨日の首脳会議の結果、マーケットはかなり好感しているようですね。

日本の報道では「EU首脳会議」と言っていますが、英語の記事を見てみたらEuro Crisis Summitというんですね。「ユーロ危機首脳会議」です。大分感じが違いますね。

昨日の報道では、【首脳会議で、銀行が自発的に元本を50%削減することで合意した】などとあり、一体誰が何を合意したのか、さっぱりわかりませんでした。銀行が何かを自発的にやる、ということを国のトップが合意した、というのは意味がありませんから。

今朝の日経新聞を見て、ようやくわかりました。首脳会議といっても首脳が集まっていただけでなく、銀行の代表者も来ていたんですね。
国際金融協会の専務理事のダラーラさんという人が民間の銀行の代表として、EUの首脳、ドイツのメルケル首相たちと話をしたということのようです。
そして「50%削減で合意した」というのも首脳だけでなく、銀行の代表も「この線で合意した」ということのようです。

もちろん、この合意がそれぞれの銀行に対してどれだけの強制力を持つものなのかはわかりませんが。

普通、借りたお金が返せない時は、借りた方が「すいません。返せません」と言ってから、貸した方が「仕方ない。半分にまけてやるから」ということになるのですが、この「自発的に」というのは借りた方(ギリシャ)が「返せません」と言う前に、貸した方から「半分返せば良いから」と言う、ということです。そうすることによりギリシャは「返せません」と言わなくて済むということです。

「返せません」と言うと、これはデフォルト(支払不能)ということになるので、何とかしてそうならないよう【(強制的に)自発的に元本の返済を負けてあげる】ということのようです。

で、借金が半分になればそれで払えるのか・・・となると、それでも払えそうもないので、足りない分はユーロ参加国・EU参加国・その他の国が協力してギリシャに資金援助して、何とかして形の上だけでも支払不能にならないようにしよう、という涙ぐましい努力のようです。

銀行にとってみれば、貸した金が半分しか返ってこなければ、その分赤字です。その赤字で銀行が資本不足になってしまっては困るので、不足する分はそれぞれの国が公的資金をそれぞれの国の銀行に投入することにより、銀行が潰れることを防ぐ。それが「首脳が合意した」という中味のようです。

もちろんこの借金の半分棒引きは「銀行が自発的に」ということですから、銀行以外でギリシャの国債を持っている人は元本まるまる返して貰うということになるので、不公平といえば不公平な取決めなのですが、どうせ返って来ないなら半分棒引きしても良いかとか、銀行以外が持っているギリシャ国債は大した額じゃない、とかいうことなのかも知れません。
しかしこんな決め方だと頭の良い銀行は、いつの間にか国債を投信その他に移しておいて、借金の棒引きをできるだけ小さくしようと動いているのかも知れません。

もちろんマーケットが好感しているほど、これで安心できるわけではありません。またしばらくしたら、もっと皆で負担しないと間に合わないということになりそうです。
日本のバブル崩壊の時も、何度も「これでもか」「これでもか」という具合に負担が膨らんでいったことを思えば、覚悟しておく必要がありそうです。

円高はこのような状態を反映しているわけですから、日本がいくら円売り介入したとしても、日本がEU全体を救済するなんてわけにはいかないので、効果は見込めません。
財務大臣が「この円高は日本経済の実体を反映していない」などと言っているようですが、これはむしろ「EUやアメリカの経済の実体を反映している」わけですから、小手先でどうにかなるものじゃないでしょう。

ユーロ危機・・・その3

木曜日, 10月 27th, 2011

ギリシャの国債をきっかけとする「ユーロ危機」、いよいよ切羽詰まったようですね。

問題は、ギリシャの財政破綻に起因するこの問題を、誰がどれだけ負担するかということです。

もちろんきっかけはギリシャの国債の問題ですから、ギリシャの国とその国債の持ち主は負担を免れません。ギリシャの国の負担というのは、ギリシャの国民の負担ということになります。

さらにこれは通貨ユーロの問題に直結しているので、ユーロに参加しているいわゆるユーロ圏の国も負担を免れません。

さらにこれは通貨ユーロにとどまらず、欧州連合EUの問題でもありますから、ユーロに参加していないEU加盟国も負担を免れません。

さらにギリシャ国債を持っている銀行の負担が資本を脅かすようなことになると、その銀行のある国も、その銀行救済のための負担を免れません。

さらに、ユーロ参加国、EU参加国だけでは十分な資金負担ができないとなると、他の国にも資金負担を依頼しなければならなくなります。

またギリシャ国債を持っている銀行の資本不足の問題となると、その銀行のある国の銀行システムの問題となりますから、その銀行と同じ国の銀行は、ギリシャ国債を持っていないとしても資本増強のための負担を強いられます。

このように負担する方は際限もなく広がるのですが、問題は誰がどれだけ負担するかという「負担額の分担」の話になります。

誰でもできるだけ自分の負担を小さくしようと考えますので、その段階で折り合いをつけるのが非常に難しくなります。直接的な負担者が多ければ多い程、折り合いをつけるのが難しくなります。そして別々の国がからむと、それぞれの国民が利害関係者になりますので、なおさら話が厄介です。

それぞれの国の負担は、ユーロ参加国、EU参加国としての負担と、ユーロ危機で資本増強が必要な銀行を抱えた国としての負担の両方です。

イギリスではもうEUからさっさと脱退すべきだという議論が出てきているようだし、ドイツでは危なっかしい国はさっさとユーロ圏からもEUからも追い出してしまえという議論が出てきています。

今まで参加国を増やすのを急ぐあまり危なっかしい国もどんどん参加させ、危なっかしい国を追い出すルールをあまり厳密に適用してこなかったツケがまわってきたということでしょうから、そう簡単には決着がつきそうにありません。

1兆ユーロなどという金額が平然と取りざたされるようになり、しばらく前のリーマンショックよりはるかに大きな問題だということが明らかになりつつあります。
当分目が離せないですね。

渡鬼(わたおに)

金曜日, 10月 21st, 2011

『渡る世間は鬼ばかり』、略して「渡鬼(わたおに)」がまた終わったようですね。

この国民的テレビドラマ、私はそれほど熱心なファンというわけではないのですが、それでも所々見る機会がありました。

改めて「お金がかからなそうなドラマだな」と思いました。何しろいくつかの毎回おなじみのセットで、登場人物が立ったり座ったりしたまま、ひたすら長広舌の台詞を言い続けるだけのドラマですから、俳優さんの出演料以外はあまりお金がかからなそうです。

このドラマ、何がそんなに人気なんだろうと昔質問されたことがありました。二、三日くらいかけて私なりの結論を出した時には、改めて「あの時の質問に答えます」なんて程のこともないのでそのままになっていたんですが、思い出したのでここに書いてみます。

このドラマは台詞がとてつもなく長いのが一つの特徴となっているのですが、私が気がついたのは、この長い台詞、どの登場人物も全て自信たっぷりに自分勝手なんです。

その自分勝手な登場人物が自信たっぷりに自分の正しさを長々と主張するわけです。よっぽど頭の良い人じゃないと、そんなに長々と自己主張することはできませんし、普通はしゃべり始めてしばらくすると、あっちからもこっちからも他の人がしゃべり始めて、それほど長々しい台詞をしゃべることはできません。

その点このドラマではまわりの人が邪魔をしないので、心行くばかり長広舌を繰り広げることができるというわけです。

自分と同じ立場の登場人物が、普段自分が思っていてもなかなか言えないことを、自分の代わりに正々堂々と筋道立てて主張してくれるというのは、たまらない快感なのかも知れません。

と同時に、自分としては許せないような他の登場人物の自分勝手な長広舌を、さえぎることもできず延々と聞かされると、とてつもなくフラストレーションがたまってしまいます。

この両方、いずれにしても「もう一度」「もう一度」と、テレビから離れられなくなってしまうのかも知れません。

その昔このドラマが最初に始まった頃には、あまり自分勝手な自己主張というのは「はしたない」とか、「みっともない」とか思われていたと思いますが、今ではテレビをつけてもインターネットの書き込みでも、自分勝手は自己主張のオンパレードです。

その意味でこのドラマは時代をちょっと先取りしたドラマで、これが人気の秘密ではないか、と思います。

世の中自体がこのように自分勝手な自己主張だらけになってしまって、このドラマがもう一度再開するなんてことはあるんでしょうか。

カダフィ大佐の死

金曜日, 10月 21st, 2011

カダフィ大佐がとうとう死んだ(殺された)ようですね。

まだ情報がいろいろ交錯していて不確かですが、私が報道で知る限り、排水管の中に隠れていたカダフィ大佐が発見され、引きずり出された所で逃げようとして殺されたということのようです。
これでアラブ革命はなお一層激しくなりますね。

独裁者に対する反抗、革命はその独裁者が逃げ出したり捕まったりして終わることが多いのですが、独裁者が血まみれで殺されたとなると、影響力が違います。

やはり我々は偉そうなことを言っても動物ですから、血を見るとそれこそ「血が騒ぐ」ということになりそうです。

シリアその他のアラブ諸国の反政府活動がさらに過激になって、方々で血を見るようなことにならなければ良いのですが。

こんな感想も、命をかけた戦いの外にいる人間の気楽なコメンでしかないですね。

ニ一天作の五(にいちてんさくのご)

金曜日, 10月 21st, 2011

この「ニ一天作の五(にいちてんさくのご)」というのは、時代小説などを読んでいると時々出てくる台詞です。

昔、ソロバンの計算では、掛け算の九九ともう一つ、割算の九九というのがあって、このニ一天作の五がその最初の言葉です。その意味で、掛け算の場合のニニが四(にんがし)と同じような意味で、ソロバンの割算を示す言葉です。

で、このソロバンの割算の九九ですが、九九というと掛け算の九九になってしまうので、九九の代わりに割り声(わりごえ)とか八算(はっさん)とかいう呼ばれ方をしていたようです。

この九九を使う割算は、1桁の数で割る割り算(たとえば123,456,789÷7など)で使うのですが、割る数の方が2桁以上になると、この「ニ一天作の五」のほかに「見一無頭作九一(けんいちむとうさくきゅうのいち)」等という呪文がもう一組必要になります。

これは「見一」から「見九」まで、割る数の頭の数字ごとに9種類あるんですが。

で、これらの割り算は時代小説では時々みかけることはあるものの、私が学校や会社で習ったソロバンの割算は筆算(紙の上に手書きでやる普通の計算)と同じやり方の割算で、掛け算九九は使いますが、割算九九は使いません。

それでこの「ニ一天作」方式の割算は江戸時代までのもので、明治になって西洋式の数学が入ってきた段階で変わってしまったものかと思っていたのですが、何と昭和30年・31年にソロバンの割り算のやり方が今の方式に統一されることになり、それまでは「ニ一天作」方式が標準的だったということがわかりました。

で、この「ニ一天作」方式をやってみたのですが、これがまた素晴らしく良くできています。通常筆算で割算する時は商(割り算の答)を一桁ずつ決めていくんですが、これが大き過ぎたり小さ過ぎたりでなかなか決めるのが厄介です。ところがこの「ニ一天作」「見一無頭」方式だと、ほとんど頭を使わずに自動的に決まっていきます。これは私にとって新鮮な感激でした。

こんな素晴らしい計算方式を昭和30年代に捨ててしまったのは、本当に勿体ないと思います。

「ニ一天作」を使う、割る数1桁の方はいろいろ解説があって、すぐにわかったのですが、「見一無頭」の方はネットで調べてもいろいろ書いてはあるもののきちんとした説明がなく、結局江戸時代のベストセラーの数学の教科書の「塵劫記(じんこうき)」まで行ってしまったのですが、そこまで行って計算例を確かめてみて、十分納得がいきました。

基本的にはソロバンを使う計算ですが、筆算に置き換えることもできます。
いまやケータイにも電卓がセットされていて、筆算で割算するというのも滅多にないかも知れませんが、興味があったら試してみて下さい。十分楽しめると思います。

必要だったら、いくらでも説明します。

ユーロ危機

金曜日, 10月 21st, 2011

【この記事はもっと前に書いたのですが、どういうわけか下書きのままで公開されていませんでした。いまさらですが、公開することにしました。】

フランスとベルギーにまたがる銀行の「デクシア」というのが破綻し、ようやくマスコミもギリシャ危機・ユーロ危機というのがユーロ圏内の弱い国の問題ではなく、強い国の大銀行の問題だということをはっきり言うようになりました。

すなわち「怠け者のギリシャ人を助けるのに、どうして俺達の税金を使うんだ」ということから、「えばりくさっているフランスの大銀行を助けるのに、どうして俺達の税金を使うんだ」ということになったわけです。

日本でも1990年のバブル崩壊以後、住専の問題だ、ノンバンクの問題だ、信金の問題だと言い続け、実際は大銀行を助けるかどうかの問題だとはっきり言うまで何年もかかりました。

日本のバブル崩壊では、日本人の税金を日本の大銀行を助けるのに使ったわけですが、EUの場合はたとえばドイツ国民の税金をフランスの大銀行を助けるのに使うというわけですから、なおさらすんなりとは行きません。

とはいえ「助けない」というわけにはいかないので、ここは各国の納税者が「納得できないけど仕方ない」とあきらめてくれるのを待つしかないということになります。

時間がかかります。それまでひょっとしてとんでもないことが起こらないように、慎重な舵取りが必要です。

日本では幸いたっぷり時間をかけて軟着陸に成功し、その分そこからのテイクオフにも時間がかかっていますが、ヨーロッパははたしてそのような落着いた対応をとることができるんでしょうか。当面、目が離せませんね。

やらせメール問題の枝野さん

月曜日, 10月 17th, 2011

枝野さん、また大騒ぎしていますね。

まあ九州電力の報告書が世論を逆なでするような内容だったようで、それに素直に反応して一般受けするようなパフォーマンスをしているんでしょうが、これが弁護士で国会議員なのかと思うと、何ともアキレハテル思いです。

九州電力のやらせメール事件の第三者調査委員会で、知事の発言がこのやらせメールの始まりだ、と決め付けたのに、九州電力の報告書でそのように書いてない、というのが不満だったようです。

神様でも裁判所でもない単なる第三者の集まりがちょっと調べただけで、それが真実に違いない、それを採用しないのはケシカランというのもあまり合理的ではありません。

また九州電力からみれば外部の第三者である知事さんを「やらせの大元」と決め付けて、国に対する報告書にそのように書いてしまうことの法律的な問題点をどう考えているんでしょうね。
知事さんが「そんな事言ってない」と言えば、それこそ名誉毀損の裁判になる話です。

マスコミが無責任に「悪いのはこいつだ」と決め付けるのと、企業が正式の報告書に書くこと、特に自分の企業やその中の人について書くのでなく、外部の第三者について書くことの重みの違いが、枝野さんにはわからないのでしょうか。
わかっていてやっているんだったらこれは小泉さんパリのポピュリズム政治家、ということになるんでしょうが。

小沢さんの裁判-その2

月曜日, 10月 17th, 2011

小沢さんの裁判、緊急入院した小沢さんも無事出席できたようですね。

そこで流された石川議員の隠し録りの録音、私は検察の取調べの録音かと思っていたのですが、そうではなく任意の事情聴取の際の録音のようですね。

産経新聞のサイトに出ているものを読んでいるのでかなりバイアスがかかっているかも知れませんが、小沢さんに有利になる内容とは思われませんね。

和気藹々と石川さんが検事と話していたり、石川さんが自分で「どうがんばっても有罪は避けられない」と言ってみたりして、途中で机をバンと力いっぱい叩くという所が出てきて、これが検事の威圧的な取調べかと思ったら、叩いたのは石川さんで、それも石川さんに不利な証言をしている別の人のことを「我慢ならない」ということのようですから、取調べの問題というより、石川さんが自由に振舞っていたことの証明になってしまったようです。

これでさらに小沢さん側が苦しくなったのを反映したのか、小沢さんの弁護士が大声を張り上げて、かなりのパフォーマンスをしたようです。

前回の小沢さんの裁判に関するコメントで、「小沢さんに対して厳し過ぎるんじゃないか」という意見を貰いました。考えてみると確かにこれが小沢さんじゃない別の政治家だったら、「良くあることだ」と取上げることもしなかったかも知れません。

私にとってはやはり「小沢さん」というのは角さんのイメージとセットされてしまっていて、「角さんの秘蔵っ子と言われていたのが、何たるザマだ!」ということで、小沢さんに対して点が辛くなってしまうのかも知れません。

角さんが小沢さんを可愛がっていたというのは事実でしょうが、本当にどのように評価していたのかは今となってはわかりようがありませんから、それを元に過剰に期待して、その分過剰に失望して評価が厳しくなるというのは、確かに問題があるんでしょうね。

いずれにしても200人もの小沢グループの議員と言われる人達も、ここまで来てまだ本気で小沢さんと心中するまで付いて行くと思っている人も多くはないでしょうから、もうそろそろ小沢さんを「普通の政治家」としてみるようにしなきゃいけないな、と反省しました。

Facebook 始めました

金曜日, 10月 14th, 2011

Facebookがはやっているのは知っていますが、特にそれを使う気にもならず、オープンにするならインターネットで完全にオープンにすれば良いし、オープンにしないなら誰が入ってくるかわからないFacebookでオープンにすることもないし、と思うのですが、友人に熱心に勧められて、始めてみることにしました。

何年か前Mixiも同様に、何人かの友人に熱心に勧められて始めたのですが、FacebookもMixiも同じようなものだろうと思っていました。

Mixiの場合、すでにMixiに入っている人からの紹介メールがあって初めてMixiに入るということになるので、Facebookもそうかなと思っていたら、そんなメンドクサイことはなく、いきなり勝手にFacebookのサイトに登録して始めることができると聞かされて、やってみました。

名前と生年月日、メールアドレスとパスワード等を入れれば、もうそれでOKです。とりあえずそれだけじゃちょっとソッケナサスギルカナ?と思って、ついでに会社名だけ入れておきました。

するといきなり出てきたのは、「これこれの人達は知り合いじゃありませんか。お友達になりませんか。」というお誘いの画面です。

このFacebookというのは、このようにしてFacebookに参加している人達を「お友達」という形でつなげていく仕組みのようです。で、そこに勝手に出てきた人達が皆、良く知った人達です。

私もインターネットでいろいろやっているので、それを検索して見つけようと思えばそのような「お友達候補者リスト」を作るのはそれほど難しいことではないかも知れませんが、それにしてもそのスピードの早いこと、数の多いことには驚きます。常日頃からこの「お友達候補者リスト」を作るために、ネット上の情報の検索をしているんでしょうね。

この「お友達候補者リスト」は膨大にあるようで、「知り合いじゃありませんか」というお誘いは入れ代わり立ち代りいくらでも出てきて、そのうち知らない人の方が多いようになりましたが、どんどん新しい人が出てきます。

とりあえずFacebookを始めるように勧めてくれた人達とはお友達になったのですが、そうすると今度は「お友達のお友達はお友達だ」とばかりに、「この人とあなたには共通のお友達がいますから、この際直接のお友達になりませんか」というお誘いの画面が出るようになります。お友達のお友達はお友達だ・・・という具合に増やしていったら、あっという間にとんでもないことになりそうです。

それとは別に「お友達探し」ということで、メールアドレスで探したり、出身地・現住所・出身大学・高校・会社名等でいくらでもお友達候補が検索できて、そこで出てきた人の写真その他で「あっあいつだ」となったらすぐに「お友達になろう」という手続きでお友達になれるという仕組みです。

そしてそのオトモダチ達がFacebookで何をした、何と言ったということをこちらが頼みもしないのに報告してくれるというわけですから、その報告をチラチラ見るだけでいくらでも時間がかかりそうです。

いずれにしても、とんでもない世界ですね。

「Facebookは実名で参加するから安心」という話もありましたが、これも本人の意識の問題で、別に嘘の名前で登録しても大丈夫のようです。本人確認の手続きはありませんでした。

最初に登録して使えるようになるのに、登録したメールアドレスにFacebookが送信するメールについてくるボタンを押す必要があるので、メールアドレスは必要ですが、そのメールアドレスで誰の名前で(どんな名前で)Facebookに登録するか、チェックする手段はありません。

まだお友達がほとんどいない時点で、早くもFacebook経由でスパムメールも来ています。

これから何が起こるのか、もう少し見てみようと思います。