Archive for 10月 21st, 2011

渡鬼(わたおに)

金曜日, 10月 21st, 2011

『渡る世間は鬼ばかり』、略して「渡鬼(わたおに)」がまた終わったようですね。

この国民的テレビドラマ、私はそれほど熱心なファンというわけではないのですが、それでも所々見る機会がありました。

改めて「お金がかからなそうなドラマだな」と思いました。何しろいくつかの毎回おなじみのセットで、登場人物が立ったり座ったりしたまま、ひたすら長広舌の台詞を言い続けるだけのドラマですから、俳優さんの出演料以外はあまりお金がかからなそうです。

このドラマ、何がそんなに人気なんだろうと昔質問されたことがありました。二、三日くらいかけて私なりの結論を出した時には、改めて「あの時の質問に答えます」なんて程のこともないのでそのままになっていたんですが、思い出したのでここに書いてみます。

このドラマは台詞がとてつもなく長いのが一つの特徴となっているのですが、私が気がついたのは、この長い台詞、どの登場人物も全て自信たっぷりに自分勝手なんです。

その自分勝手な登場人物が自信たっぷりに自分の正しさを長々と主張するわけです。よっぽど頭の良い人じゃないと、そんなに長々と自己主張することはできませんし、普通はしゃべり始めてしばらくすると、あっちからもこっちからも他の人がしゃべり始めて、それほど長々しい台詞をしゃべることはできません。

その点このドラマではまわりの人が邪魔をしないので、心行くばかり長広舌を繰り広げることができるというわけです。

自分と同じ立場の登場人物が、普段自分が思っていてもなかなか言えないことを、自分の代わりに正々堂々と筋道立てて主張してくれるというのは、たまらない快感なのかも知れません。

と同時に、自分としては許せないような他の登場人物の自分勝手な長広舌を、さえぎることもできず延々と聞かされると、とてつもなくフラストレーションがたまってしまいます。

この両方、いずれにしても「もう一度」「もう一度」と、テレビから離れられなくなってしまうのかも知れません。

その昔このドラマが最初に始まった頃には、あまり自分勝手な自己主張というのは「はしたない」とか、「みっともない」とか思われていたと思いますが、今ではテレビをつけてもインターネットの書き込みでも、自分勝手は自己主張のオンパレードです。

その意味でこのドラマは時代をちょっと先取りしたドラマで、これが人気の秘密ではないか、と思います。

世の中自体がこのように自分勝手な自己主張だらけになってしまって、このドラマがもう一度再開するなんてことはあるんでしょうか。

カダフィ大佐の死

金曜日, 10月 21st, 2011

カダフィ大佐がとうとう死んだ(殺された)ようですね。

まだ情報がいろいろ交錯していて不確かですが、私が報道で知る限り、排水管の中に隠れていたカダフィ大佐が発見され、引きずり出された所で逃げようとして殺されたということのようです。
これでアラブ革命はなお一層激しくなりますね。

独裁者に対する反抗、革命はその独裁者が逃げ出したり捕まったりして終わることが多いのですが、独裁者が血まみれで殺されたとなると、影響力が違います。

やはり我々は偉そうなことを言っても動物ですから、血を見るとそれこそ「血が騒ぐ」ということになりそうです。

シリアその他のアラブ諸国の反政府活動がさらに過激になって、方々で血を見るようなことにならなければ良いのですが。

こんな感想も、命をかけた戦いの外にいる人間の気楽なコメンでしかないですね。

ニ一天作の五(にいちてんさくのご)

金曜日, 10月 21st, 2011

この「ニ一天作の五(にいちてんさくのご)」というのは、時代小説などを読んでいると時々出てくる台詞です。

昔、ソロバンの計算では、掛け算の九九ともう一つ、割算の九九というのがあって、このニ一天作の五がその最初の言葉です。その意味で、掛け算の場合のニニが四(にんがし)と同じような意味で、ソロバンの割算を示す言葉です。

で、このソロバンの割算の九九ですが、九九というと掛け算の九九になってしまうので、九九の代わりに割り声(わりごえ)とか八算(はっさん)とかいう呼ばれ方をしていたようです。

この九九を使う割算は、1桁の数で割る割り算(たとえば123,456,789÷7など)で使うのですが、割る数の方が2桁以上になると、この「ニ一天作の五」のほかに「見一無頭作九一(けんいちむとうさくきゅうのいち)」等という呪文がもう一組必要になります。

これは「見一」から「見九」まで、割る数の頭の数字ごとに9種類あるんですが。

で、これらの割り算は時代小説では時々みかけることはあるものの、私が学校や会社で習ったソロバンの割算は筆算(紙の上に手書きでやる普通の計算)と同じやり方の割算で、掛け算九九は使いますが、割算九九は使いません。

それでこの「ニ一天作」方式の割算は江戸時代までのもので、明治になって西洋式の数学が入ってきた段階で変わってしまったものかと思っていたのですが、何と昭和30年・31年にソロバンの割り算のやり方が今の方式に統一されることになり、それまでは「ニ一天作」方式が標準的だったということがわかりました。

で、この「ニ一天作」方式をやってみたのですが、これがまた素晴らしく良くできています。通常筆算で割算する時は商(割り算の答)を一桁ずつ決めていくんですが、これが大き過ぎたり小さ過ぎたりでなかなか決めるのが厄介です。ところがこの「ニ一天作」「見一無頭」方式だと、ほとんど頭を使わずに自動的に決まっていきます。これは私にとって新鮮な感激でした。

こんな素晴らしい計算方式を昭和30年代に捨ててしまったのは、本当に勿体ないと思います。

「ニ一天作」を使う、割る数1桁の方はいろいろ解説があって、すぐにわかったのですが、「見一無頭」の方はネットで調べてもいろいろ書いてはあるもののきちんとした説明がなく、結局江戸時代のベストセラーの数学の教科書の「塵劫記(じんこうき)」まで行ってしまったのですが、そこまで行って計算例を確かめてみて、十分納得がいきました。

基本的にはソロバンを使う計算ですが、筆算に置き換えることもできます。
いまやケータイにも電卓がセットされていて、筆算で割算するというのも滅多にないかも知れませんが、興味があったら試してみて下さい。十分楽しめると思います。

必要だったら、いくらでも説明します。

ユーロ危機

金曜日, 10月 21st, 2011

【この記事はもっと前に書いたのですが、どういうわけか下書きのままで公開されていませんでした。いまさらですが、公開することにしました。】

フランスとベルギーにまたがる銀行の「デクシア」というのが破綻し、ようやくマスコミもギリシャ危機・ユーロ危機というのがユーロ圏内の弱い国の問題ではなく、強い国の大銀行の問題だということをはっきり言うようになりました。

すなわち「怠け者のギリシャ人を助けるのに、どうして俺達の税金を使うんだ」ということから、「えばりくさっているフランスの大銀行を助けるのに、どうして俺達の税金を使うんだ」ということになったわけです。

日本でも1990年のバブル崩壊以後、住専の問題だ、ノンバンクの問題だ、信金の問題だと言い続け、実際は大銀行を助けるかどうかの問題だとはっきり言うまで何年もかかりました。

日本のバブル崩壊では、日本人の税金を日本の大銀行を助けるのに使ったわけですが、EUの場合はたとえばドイツ国民の税金をフランスの大銀行を助けるのに使うというわけですから、なおさらすんなりとは行きません。

とはいえ「助けない」というわけにはいかないので、ここは各国の納税者が「納得できないけど仕方ない」とあきらめてくれるのを待つしかないということになります。

時間がかかります。それまでひょっとしてとんでもないことが起こらないように、慎重な舵取りが必要です。

日本では幸いたっぷり時間をかけて軟着陸に成功し、その分そこからのテイクオフにも時間がかかっていますが、ヨーロッパははたしてそのような落着いた対応をとることができるんでしょうか。当面、目が離せませんね。