Archive for the ‘時事雑感’ Category

『独裁者の学校』―エンリッヒ・ケストナー

水曜日, 12月 18th, 2024

トランプ氏が撃たれたという衝撃的なニュースでびっくりしてその後のニュースをチェックしていて、その翌日に図書館に行った所、『新しく出た本』のコーナーにこの本がありました。

珍しく岩波文庫の赤帯の本で、どうして今更、岩波文庫が新しく出た本なんだろうと思い、手に取ってみました。

著者のエーリッヒ・ケストナーは、ドイツの児童文学者として有名な人です。

私が高校生の頃(ですから今から半世紀以上前のことですが) 、岩波書店が児童文学にかなり力を入れ、ドリトル先生のシリーズとかアーサー・ランサム全集とかを続々と出版していました。その中にケストナーの児童文学の全集もありました。

私の行っていた高校は中高一貫の学校で、図書室は中高共通でした。この図書室が、多分中学生向けに購入したと思われるこれらの児童文学のシリーズを高校生が横取りしてしまい、何人かの高校生の仲間で次々に回し読みしてなかなか中学生には順番が回らないようでした。私もこの中の一人としていろんな児童文学を読み、ケストナーであれば『二人のロッテ』とか『飛ぶ教室』とか読みました。その後児童文学以外の作品もあることが分かり『雪の中の三人男』とか『一杯のコーヒー』とか読んで、どちらかというと好きな作家です。

とは言え、たしかかなり前に死んだ人のはずですから、何で今更新しく出た本なんだろうと思って奥付を見てみると、2024年2月15日第一刷発行となっているので、新刊であることは確かです。

読み終わって『あと書き』を読むと、この本は日本では1959年にみすず書房から翻訳出版されており、この岩波文庫版はエーリッヒ・ケストナー没後50年を期して新訳として出版されたということです。

この作品は戯曲、すなわち舞台劇の台本です。戯曲というのはあまり読んだ事がないのですが、読んでみました。

全9場の舞台で、第1場は大統領宮殿の広間。今まさに(多分憲法改正により)大統領が終身大統領になろうとしていて、大統領本人の最後の1票を除いて全国民がすでにその終身大統領に賛成しており、宮殿前の広場、あるいはラジオを通して全国民が最後の大統領の受諾演説を待っているという所です。

実はもう最初の大統領は死んでおり、今はもう3人目位の替え玉が大統領を演じていて、それをコントロールしているのが陸軍大臣・首相・主治医・首都防衛司令官・監察官のチームで、もともとの大統領の夫人と息子は信ぴょう性を増すためそのまま生かされて、大統領を本物であるかのように見せるために使われています。

替え玉第3号は終身大統領の受諾を宣言し、広場の国民の歓呼の声にこたえる為広間からバルコニーに出ます。そこに銃弾が撃ち込まれます。大統領は顔に軽いけがをし、暗殺未遂犯はすぐに射殺され、第3号は身の安全を示すために再びバルコニーに姿を現し、終身大統領就任と暗殺未遂失敗を祝って政治犯千人を釈放すると発表します。

第2場では、大統領執務室に戻った大統領替え玉第3号、はシナリオにない政治犯千人の釈放を勝手に発表した事を責められ、主治医に感染予防だと言われて注射され、殺されてしまいます。

第3場はいよいよ表題の『独裁者の学校』で、次の替え玉になる大統領達が4号から12号まで大統領宮殿とは別の宮殿で暮らしています。そこを仕切っているのが教授と呼ばれる人、というわけです。替え玉たちは大統領の身振り手振り立居振舞い、演説の口調を本物と同じにするように訓練を受けながら自分の出番を待っています。

この替え玉のうち7号は実は反政府運動のリーダーで、政府によりロンドンでホテルから落とされて死んだことになっているけれど、実は別人が殺されその死んだ人になり替わっていつの間にか替え玉の一人になっていて、有能なので教授の助手のような立場で替え玉達を仕切っていました。

で、6号が次の大統領替え玉として連れて行かれてしばらくしてついにクーデターが起こり、政権が転覆します。

替え玉7号はクーデターのリーダーとして勝利宣言し、大統領宮殿の広間に入ってきます。そこで改めて全国民に勝利宣言しようとして、軍がクーデターを乗っ取ろうとしていることを知ります。軍が要求する軍人中心の内閣人事を拒否しようとする7号は宮殿のバルコニーに出て国民に語りかけようとしますが、そこに集まっているはずの国民は誰一人いません。スピーカーから大勢がいるような声が流されているだけです。第7号はバルコニーから身を投げ、代わって首都防衛司令官が大統領就任を宣言します。反革命のテロリストにより背後から撃たれて死んでしまった救国の英雄第7号を悼んで盛大に国葬を執り行うことを命じ、7号が途中まで演説していた勝利宣言のテープを処分することを命じて、新たに大統領となった首都防衛司令官は広間を出ていきます。

ケストナーはこの戯曲をナチスがドイツを支配し始めた1936年に構想を始め、途中ナチスの隆盛により一時中断し、ヒトラーが死んだ1945年に再開し1955年に完成したということです。

支配者の国民煽動のツールとしてはラジオ・テープレコーダー・拡声器くらいだけですが、民衆の歓喜の声をテープレコーダーから拡声器で再生して場を盛り上げたり不都合な部分を消してからラジオに流すなど、情報操作のやり方がいろいろ披露されています。今のようなテレビやネットを使った情報操作はないものの十分効果的な操作が可能です。

現在、世界各国で独裁者が国民を蹂躙して政権を維持しています。そのうち何人かは近いうちに引きずり降ろされることになりそうですが、その後また代わりの独裁者が出て来て独裁体制は続くというシナリオは十分考えられます。

ケストナーは前書きで『この本は脚本であり、二枚目も登場しなければ機知に富んだ会話なども入る余地はない。偉大さと罪深さ、苦悩と浄化といった崇高な作劇の物差しなど無視するしかない』と言っています。実際読んでみると、ただただ暗然と、救いようのなさに途方に暮れるしかありません。

しかし今のような時代だからこそ、この本を、ヒトラーの死によって完成された新しい本として読んでみる価値があると思います。

楽しい読書を期待する人にはお勧めしません。
気の弱い人にもお勧めしません。

『ハマス・パレスチナ・イスラエル-メディアが隠す事実』ー飯山陽

金曜日, 8月 23rd, 2024

これは飯山さんも『ハマス本』と言っているように、ハマスとそれを取り巻くパレスチナ・イスラエル、そしてイラン・アラブ諸国等々の様々な関係を明瞭に説明してくれている本です。

もちろんこれは昨年10月7日のハマスによるイスラエル大規模テロを契機として、それまで飯山さんが書いた物、その後書いたものをまとめたものです。中ではこのテロに関してとんでもない解説をしている中東研究者やジャーナリスト等も実名を挙げてコテンパンに批判しています。

このような中東研究者やジャーナリスト新聞やテレビなどを見聞きしていると殆ど理解できない話が、飯山さんの手にかかると魔法のように明瞭に理解できるというわけです。

この本で飯山さんはハマスとパレスチナを明確に区別することを求めています。飯山さん以外の連中が何とかしてハマスとパレスチナを一緒くたにして話をごまかそうとするのと正反対です。この本を読むとパレスチナ、特にガザに住むパレスチナ人がハマスの人質だということが良く分かります。イスラエルがハマスを攻撃する時、ハマスは人質のパレスチナ人を人間の盾として使い、殺されたパレスチナ人をイスラエルに殺された、残虐なイスラエルだ、と大騒ぎします。一方パレスチナ人に対してはこれで殺されれば『天国への特急指定席券を貰ったようなものでおめでたい』と言う、完全に二重基準だということが良く分かります。

このハマスとパレスチナ人の関係はイランでも同様で、イランの最高指導者をはじめとする革命政権の人達と、一般のイラン国民との関係と全く同じで、革命政権はイラン国民を人質として使っていることが良く分かります。

ここでも多くのイスラム・中東学者・ジャーナリスト・マスコミは、革命政府とイラン人の区別を全くしないで、革命政府の言うことをイラン人全体の総意だという言い方しかしないで、革命政府が恐怖政治でイラン人を支配しているという構造を隠しています。

ガザのパレスチナ人がガザに閉じ込められているということに関しても、閉じ込めているのはイスラエルによってだけでなく、エジプト側の国境ではエジプトによって閉じ込められており、さらに何よりハマスによって閉じ込められているんだという構造も学者やマスコミは全く説明しません。ハマスは国境の検問所という関所で物資を強奪し、通行料を取って大儲けをしています。

このような基本的な構造を知ってか知らずか、岸田外交はハマスと対立している西岸地域のパレスチナ自治政府に対してハマス擁護の発言をしたり、全てのバックで世界征服を目標としているイラン革命政権と仲良くしている姿を見せたりして、イスラエルには不信の念を抱かせ、アラブ諸国には疑念を抱かせ、イランからさげすまれ、アメリカや欧州各国からは疑いの目で見られているという姿を明らかにしています。

ハマスのやっているのは弱者ビジネス、ガザに住むパレスチナ人をイスラエル人にいじめられている可哀そうな人だと全世界に宣伝し、世界中から寄付金や支援金を集め、これをパレスチナ人に渡る前に横取りして、パレスチナ人に渡らないようにする、というビジネスです。横取りするのは、お金を渡してパレスチナ人が可哀そうな人でなくなっては困るからです。可哀そうな人が可哀そうな人であり続ける限り世界中からお金が集まって、それを横取りすることでハマスは贅沢な暮らしができる、というわけです。このような弱者ビジネスは『弱者は正義』のスローガンで正当化しています。

このような弱者ビジネスの仕組み、ハマスとパレスチナ人との関係、イラン人と革命政府の別を踏まえると、中東の本当の姿が見えてきます。今までに見えていたものとは全く別の世界が見えてきます。

お勧めします。

エクセルファイルの保存の仕方

火曜日, 8月 20th, 2024

山の日(8月11日)を挟む3連休、家に籠ってクーラーを効かせ漫然としてツイッターを見ていたら、こんなツイートに出会いました。

『何度でも言うけど、こんなことを気にしている人は仕事できない人として認定です』

その下にはエクセルシートの画像と一緒に、元となったツイートが付いています。そこには・・

『何度も言うけど、エクセルの資料を提出する時に、カーソルをA1セルに置いて保存していない人は仕事ができない人として認定です』と書いてあります。

仕事できる人認定がまるっきり逆なのでちょっと興味があり、このツイートに付いているたくさんのコメントをちょっと見てみました。

幸いなことに私はもう仕事できる人として認定してもらう立場でもなく、また他の人をそのように認定しなければならない立場でもないので気軽なものです。

で、この『カーソルをA1セルに置いて保存する』というプロトコルはどうやらかなり一般的なもののようで、『大昔新入社員の時にそう言われた事がある』とか、『カーソルがA1に置いてないエクセルファイルを開くと一瞬イラッとする』とか、『保存する前に全てのシートでカーソルをA1に置いて、最後に最初のシートを開いてから保存するマクロを作っている』とかのコメントがありました。

逆に『そんな事を気にする方がおかしい』、『場合によっては却って不都合な場合もある』、『そんな事より中味が大事』というようなコメントもあり、『民間どおしのやりとりなら問題ないが、相手がお役所だとこれをしていないと嫌な顔をされる』なんてコメントもありました。

私はエクセルができる前からのユーザーですが、こんな話は初めて聞いたので『へ~~』とあきれ返った次第です。それにしてもこんな話でツイッターがこんなに盛り上がるとは驚きですね。

で、山ほどのコメントの中に『マクロを作れば』というコメントに対して、最初に『A1で保存しないと』と言っている(とみられる)人が、『基本マクロは使いません』と言っているのを見つけました。

マクロを使わない、ということはあまり計算をすることがなく、エクセルを清書用ツールとして使っているんだろうな、と思いました。通常、清書用のツールはワードを使うけれど、ワードはたくさんの表・大きな表を使うのにあまり便利じゃないので、その場合にはエクセルを使うということなのかなと思い、そういえばワードではカーソルはどうなっているんだろうと調べてみました。

ワードでももちろん編集用にカーソルが用意されていますが、カーソルをどこにおいて保存しても、そのファイルを改めて開いてみると通常カーソルはファイルの1頁目の左上に置かれる形で開きます。即ちエクセルを清書用のツールとして使っている人は、ワードと同じ動き方をエクセルにもさせようとしていた、ということのようです。

一方エクセルを計算用のツールとして使っている人にとって、カーソルをA1に置くというのは何の意味もありません。重要なのはどのようなパラメータを使い、どのような計算をして、どのような計算結果が得られたかということですから、そのような部分を表示している所にカーソルを合わせるかも知れません。

となると問題は、清書用のルールと計算用のツール両方に同じエクセルという名前をつけて同じソフトを使っているということなのかも知れません。
 
エクセルでもソフトの仕様としてファイルを開いた時にカーソルが常にA1にくるようにもできたでしょうが、そうしなかったのは計算用ツールとしてのユーザーに配慮した、という事でしょうか。

そう言えばエクセルにはもう一つユニークな使い方があります。『エクセル方眼紙』とも呼ばれますが、エクセルシートをセルの幅・高さを小さくして方眼紙のようにしておいて、そのセルをいくつか結合してそこに見出しや入力フィールド、出力フィールドを配置する、帳票設計用のツールとしての使い方もあります。

私は何度か見たことがあるだけで、このような使い方を活用するまでには至らなかったのですが、この場合でも多分それなりのルールとかプロトコルとかがあったのかなと思います。

私のエクセルの使い方は簡単な表計算用として使うこと以外に、デルファイで計算作業をする際、パラメータの入力や計算結果の出力の為にエクセルを使う、というやり方で使っています。デルファイが今イチ一般的なソフトにはならなかったので、今では徐々にデルファイをパイソンに変換しつつあります。

もう一つ大切な使い方が画面印刷の台紙としての使い方です。昔は画面印刷(PrintScreen)はファンクションキーを押すだけで画面が印刷できたのですが、今では画面イメージがクリップボードにコピーされるだけで印刷はしてくれなくなってしまいました。そのためそれを印刷するために専用のエクセルファイルを作成し、そのエクセルファイルを開くと画面印刷でクリップボードにコピーした画像を自動的にシートにコピーし、印刷してくれるという具合にしました。印刷が終わったらこのエクセルファイルを保存しないで終了させれば、何度でも同じファイルで別々の画面印刷をすることができるという具合です。

これほど多様な使い方のできるエクセルを1つの名前で呼んでいるというのが、そもそもちょっと無理があるのかも知れませんね。

『現代アラブの社会思想』-池内恵

水曜日, 1月 10th, 2024

池内さんについては前回『シーア派とスンニ派』と『イスラーム国の衝撃』について本の感想文を書きましたが、池内さんのお仲間の篠田さんが池内さんの最初の著作で代表作だとほめていたので、念のためにこの本も読んでみました。

池内さんは大学院生の最後の年に、エジプト・ヨルダン・シリア・イラクなどの東アラブ地域を三か月かけて周って歩き、エジプトではアパートを借りて住み込んだようで、多分この本の中味が卒業論文代わりということになるんだろうと思います。

この本は2部に分かれていて、第1部はイスラム主義について説明し、第2部はイスラム諸国の終末論について説明しています。

アラブ世界では1969年の第三次中東戦争で、エジプト・シリア・ヨルダン軍がイスラエル軍に敗れ、ここからアラブの現代史が始まった、と書いてあります。日本では70年安保闘争が1970年を待たずに消滅してしまい、また同時期欧米でブームとなった学生の反米・反体制運動も敗北します。

アラブではさらに時代をリードしていたナセルが1970年に殺され、目標を見失ってしまいます。その解決策を模索してマルクス主義や毛沢東主義などを使ってみようとしたり、日本赤軍が飛び込んできたりいろいろしたけれど、結局アラブ世界は今後どのようにしていったら良いのかその解決策を作ることができず、その代わりに将来のアラブ・イスラム世界はどのような世界か、それを表現することに注力することになったとのことです。その代表的なものがカラダーウィーという人の『イスラム的解決策-義務と必要』という本で、この本の内容を池内さんは丁寧に説明しています。

勿論この『あるべき未来』はイスラム教徒の世界で、ユダヤ教徒・キリスト教徒は二級国民として生存を許されますが、そのどれでもない人達(例えば日本人など)は全く生存の余地はありません。

この『アラブ・イスラム世界のあるべき世界像を目指す』というのがイスラム主義という考え方ですが、『どのようにして』という方法論がないため、これだけでは何事も始まりません。そこで極端な考え方として、いったん現在の世界秩序を全て破壊してしまい、その廃墟の中からそのあるべき世界が生まれてくる(かも知れない、そうなってもらいたい)と考える一派が出てきて、これがイスラム原理主義だという話になります。

このカラダーウィーという人は2022年に96歳で亡くなっていますが、多くのイスラム教テロ組織の理論的指導者だった、ということです。

私はイスラム原理主義というのはイスラム教の原理主義かと思っていたのですが、実はこのイスラム主義の原理主義がイスラム原理主義なんだと初めてわかりました。

第二部では終末論についてです。キリスト教の終末論はかなり有名ですが、ユダヤ教・イスラム教にも同じような終末論があります。もともとはイランのゾロアスター教の流れをくむものらしいのですが。

で、この終末論については通俗本、俗悪本としてアラブ世界ではいろんな所にたくさん売られているようで、それを著者はせっせと買い集めて読んでいるようです。そこに書かれている天国と地獄は非常にいきいきと現実的に描かれていて、あまり理論的に考えない人にとっては面白い読み物となっているようです。このような終末論の読み物は低俗なものとして、まともな学者が読むようなものとは思われていないため、著者の部屋を訪れた研究仲間たちはこのような本を見つけると『ちょっと貸してくれ』と言って借りていくとの事です。

イスラム教の終末論には最終的には救世主が登場するけれど、その前にニセモノの救世主が現れてしばらく世界を支配し、人は皆そのニセモノを本物と思ってそのニセモノの言う通りに従うようになるとか、救世主とニセモノ救世主が何人も乱立して大混乱になるとか、もちろん天変地異もあるし、まともなイスラム教徒は一人もいなくなるとか、仏教の末法の世と同じようなこともあります。

さらにこの終末論と陰謀論が結びつき、さらにオカルトまで合体して何ともはやのトンデモ論がまことしやかに語られるという具合で、意識高い系はこれらの終末論・陰謀論・オカルトと親和性が高いんだな、と思った次第です。

イスラム主義にしても終末論にしてもかなりしっかり描かれているので、これを博士論文にしても良いんじゃないかと思ったりもしますが、本格的なアカデミズムの世界では単に誰かの本を解説するだけだったり、終末論のようなイカガワシイ世界の紹介などはちゃんとした論文とはみなされないのかも知れません。

とはいえ、飯山さんの博士論文のようなしっかりした学術論文は池内さんには書けなかったのかも知れません。

池内さんにしてみれば、自分の力作を理解できない頭の固い先生方に自分の論文を審査してもらうなんてことは屈辱だと考えて、あえて博士論文を提出しないで博士号を取ろうとしなかったのに、飯山さんに博士号持ってないことを揶揄されて、今更論文を書く事ができないんじゃなくて自分の論文を審査されるのが我慢できなかったんだなんて言ってみても、痩せ我慢の強がりだと思われるだけだということくらいは分かっていて、何ともやり場がないのかも知れません。

池内さんは大学院を出て、そのまま東大に残れたわけではなく、いくつか外部の中東関係の研究所を渡り歩き、その後、東大の先端科学技術研究センターに準教授として採用され、5年ほど前にようやく教授になったようです。中東問題がどうして先端科学技術になるのか全く分かりませんが、本筋の学部にはポジションの空きがなかったのかもしれません。そういうことも池内さんにとってはしこりになっているのかもしれません。

この感想文は、書いては見たもののブログに載せるのはやめておこうかな、と思っていたのですが、相変わらず池内さんと飯山さんのバトルは続いており、とりあえずブログに載せておこうかな、と思いました。

その後の経緯を見ていると、池内さんをはじめとする、飯山さんのいわゆるJKISWAの人々は次々にろくでもないツイッターを発信し、飯山さんに良いようにコケにされています。
なんともイヤハヤ、といったところです。

『シーア派とスンニ派』『イスラーム国の衝撃』―池内恵

木曜日, 12月 7th, 2023

ここの所、ネットで“いかりちゃん” こと飯山あかりさんの話題が盛り上がっています。というか、いかりちゃんが大学教授や国会議員をバッタバッタと切り捨て、これに日本保守党の百田さんや有本さんの応援団とそれに対する反対派が加わって、とんでもない大騒ぎになっています。

まあ、要は意識高い系の大学教授たちが無謀にもいかりちゃんにちょっかいを出し、いかりちゃんを誹謗中傷したコメントをツイッターで投稿し、それに対して、売られたケンカは喜んで買う、といういかりちゃんにツイッターやユーチューブでコテンパンにやられている、というバトルです。

これがちょうど百田さんや有本さんの日本保守党の立ち上げと時期的に重なってしまったので、百田さんや有本さんと親しい、いかりちゃんが重なってしまい、いかりちゃんのバックに日本保守党がついている、とかいかりちゃんが日本保守党の黒幕だ、とか意識高い系の大学教授たちが勝手に思い込んでしまい、自分たちのツイッターにちょっとでも自分たちに批判的なコメントがついていたりするとそれを日本保守党の組織的な攻撃行動だ、とみなして大騒ぎを繰り広げているわけです。

私は、東大教授の池内さんや東京外語大学教授の篠田さんのツイートを見て、また飯山さんのツイートやユーチューブを見て、飯山さんの完勝だと思っているのですが、一方でそういえばこの池内さんの本は読んだことがないな、と思って、池内さんの仲間の人たちが絶賛するものがどんなものか読んでみました。

ちょっと古い本になりますが、『シーア派とスンニ派』という新潮選書と『イスラーム国の衝撃』という文春新書です。どちらも確かに良く書かれています。シーア派対スンニ派、というのは宗教戦争でも宗派対立でもなく、それぞれの宗派を信じる社会同士の社会対立なんだ、というようなまっとうな指摘もありますが、飯山さんとくらべて池内さんの本に明確に欠けているのが、イスラム原理主義過激派テロ組織に対する恐怖感です。自分がいつテロにあって殺されるかも知れない、自分の親や子、配偶者が理由もなくいつテロにあって殺されるかも知れないという恐怖感です。あともう一つ欠けているのが、このような原理主義過激派テロ組織に国を乗っ取られ、無理やり人質にさせられているその国の住民、一般の民衆に対する目です。

テレビでイスラエル・ハマス戦争についてイスラエルを非難するコメンテーターが『確かに10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したのは許し難いけど』と前置きをすれば、あとはイスラエルを好きなように非難しても良いと思っているように、『イスラエルのガザ攻撃で何人死んだ、何人殺された』と言っていますが、これは実際はハマスがパレスチナ人を人質にとって、イスラエルの砲撃で死ぬような所に押し込めているからで、殺しているのはイスラエルではなくハマスなんだという視点を持ち合わせていません。

国境のない医師団が、イスラエルがガザを攻撃して病人や怪我人が何人も亡くなっているなんて話をしていますが、自分達がそこにいることによって病人や怪我人をイスラエルが攻撃する場所に縛り付けているんだという認識や責任感はまるでなさそうです。

日本では『一人の命は地球より重い』なんてお花畑の話を本気でする人も大勢いますが、イスラエルはもっと現実的ですから、『10人の人質が2人死んでも8人助かるんだったら、あるいは8人死んでも2人助かるんなら、10人全員殺されるよりその方が良い』と考えます。ハマスは少なくとも建前上は『人質は何人死んでも構わない、敵は何人死んでも構わない、自分達も何人死んでも構わない』『敵は殺せとコーランに書いてあるから殺すのは当然だ、自分達は殺されたら何年先になるかわからない最後の審判を待たないで、そのまますぐに天国に行けることになっているので、指定席付特急券を貰ったようなものだから、こんな素晴らしいことはない、人質が巻き添えになって死んでもこれは地震や交通事故で死んだのと同じようなものだから、この人達も天国に行けることになっているからラッキーじゃん』と考えているわけで、また『相手が神以外の誰かであったら、誰かに嘘をついても構わない、誰かとの約束を勝手に破っても構わない』と考える人達ですから、この人達を相手に戦うのは本当に大変なことです。

テレビやユーチューブでは『俺は死んでも構わない、殺されても構わない』と大見得を切って戦争反対を叫ぶ人が良くいますが、その人に対して『アンタは殺されたけりゃ好きなように殺されても良いけれど、アンタの母親、アンタの父親が殺されてもアンタは平気なのか、アンタの子供や奥さんがむごたらしく殺されても構わないのか』と質問する人がいれば良いのにと思うのですが、多分そんな事を言うと放送禁止になったり公開禁止になったりするのかな、と思います。

と思っていたら飯山さん、今度は自民党の国会議員とのバトルになってしまいました。
大変でしょうが頑張ってもらいたいと思います。

ピケティ 『資本とイデオロギー』

火曜日, 11月 14th, 2023

これはいつもの読書感想文ではありません。この本を私は読んでもいないし、読もうとも思いません。

今日たまたま駅で若干の時間ができてしまったので、久しぶりに駅中の本屋さんをのぞいてみました。その中で異彩を放っていたのがこの本です。何しろ1000頁を超えるページ数、7000円近い定価ですから一体誰がこんなものを読むんだろうと思ったのですが、考えてみたらマルクス・エンゲルスの資本論はこれよりはるかに大部のものですから、これで驚いていても仕方がないという事でしょうか。

ピケティの本は以前『21世紀の資本』を読んで、(あくまで、私にとって、ということですが)読む価値のない本だと分かっていますので、この本も最初から読もうとは思いません。しかしこの人が相変わらずこんな大部の本を書いており、それを翻訳して出版している出版社があるということにびっくりしてしまいました。さらには大型の書店ならともかく、駅中の本屋さんに置いてあったので驚きました。とは言え売れなければ返せば良いだけなので、エキナカの本屋さんにとっても大したリスクではないのかも知れませんが。

むしろ間違って買うお客さんがいたら、定価が高い分本屋さんにとっても望外の儲けになる、という話なのかも知れません。

ということで、今回は『読まない感想文』でした。

『鞭と鎖の帝国-ホメイニ師のイラン』ー高山正之

金曜日, 10月 27th, 2023

この本は前に紹介した『騙されないための中東入門』の一方の著者の高山正之さんの話が面白かったので、その主著であるこの本を借りて読みました。

著者が産経新聞に入社し、テヘランに特派員として赴任して、何度も殺されそうになる危機を乗り越えながら、ホメイニ革命直後からイラン・イラク戦争の期間を通じてイランのホメイニ革命の実態を自ら実体験したレポートです(ホメイニ革命は1979年、私が社会人になって3年目、仕事を覚えるのとアクチュアリーの試験に合格することが最優先でした。この本が出版されたのが1988年、私は1986年にナショナルライフ保険、今のエヌエヌ生命に転職し、この会社はいつ、どのように潰れるんだろうと思いながら会社のスタートアップの仕事をしていた頃のことです)。

ホメイニ革命が起こった当時は私はあまり政治には関心がなかったので、きちんと理解しないままで来たのですが、その後の中東問題・イスラム原理主義過激派問題を知るにつけ、その根っこにはこのホメイニ革命とそれによって生まれたホメイニ独裁のイランという国があり、ここの所をきちんと理解することが必要に違いないと思うようになり、この本を読んだ所、まさにドンピシャリ、私の知りたい所がきちんと解説されていることが分かりました。

ホメイニイラン帝国はシーア派の原理主義イスラム教だということになっていますが、ホメイニは必ずしも『イスラム教絶対』ということではなく、自らの独裁体制の為にはイスラム教にはこだわらない、柔軟性のある人(あるいはイスラム教徒からするととんでもない背教者)だということも良く分かります。

基本的に多くの革命体制は革命の乗っ取りによって成立していることは、ロシア革命でもナチス政権でもいくつもの例があります。

体制に不満を持つあるいは反対する勢力が一つ一つは小さい勢力でも、集まって反体制運動をして体制を崩壊させる。その後はその弱小勢力どうしの潰し合い・殺し合いで、最後まで残った勢力が実権を握るという過程を取りますが、もともと弱小勢力でしかなかったものですから、生き残りのために恐怖政治・暴力体制を作ります。もともと体制側にあった軍をどのように支配下に治めるか、あるいは弱体化させてそれに代わる軍事組織をどうやって作るか、国民の間の様々な組織(行政とか企業とか学校とか)にそれを支配する組織を忍び込ませ支配下に置くか等々、ホメイニはロシア革命とソ連の体制、ナチスの支配体制をよくよく研究しているようで、このあたり具体的に説明してくれているので非常に分かりやすい本です。

以前、中村逸郎さんの本で、ロシアの共産党の末端の委員会がどのような組織か読みましたが、イラクではホメイニ革命の前にすでに反体制の若者たちが『アンジョマネ』という、共産党のいわゆる『細胞』のような組織を作っていろんな組織を支配しており、ホメイニはそれを乗っ取って国民を支配する体制を作ったということも良く分かります。

著者はマキャベリの君主論の中から
『君主はどこまでも誠実で信義に厚く、裏表がなく人情にあふれ宗教心に厚い人物と思われるように心を配らなければならない。このうち最後の気質が身に備わっていると思われることほど大切なことはない。』
『君主は愛されるより恐れられる方が安全だ』
『(ローマを攻めるために象の部隊を引き連れてアルプス超えをしたハンニバルが、無数の人種の混ざりあった軍団を見事に統率したのは)非人道的なまでの残酷さのお陰だった』
というような言葉を引用し、ホメイニ体制の見事さを明確に説明しています。

またホメイニ革命のあと起こったアメリカ大使館占領事件・イランイラク戦争についても明確に説明し、これがシーア派対スンニ派の戦いではないし、実は実際の国対国の戦争でもない(戦闘ではあるものの)というあたりも明瞭に示してくれます。

国を統制するために国外に敵を作る必要があり、アメリカ大使館の占領が飽きられてくるとイラクと戦争を始める、あるいはイスラムの大義を掲げてイスラエルと戦い始めるといった具合です。

その一方、著者はイランで禁止されているドブロク作りやワイン作りを体験したこと、テヘランでどうやったら酒を飲むことができるか、毎日のような空襲警報下、安眠するためにはヨーグルトを大量に食べるといい、という事、などについても話しています。
イランで行われている残虐な処罰、処刑についても詳しく解説しています。

ホメイニというのはイスラム法学者としてはそれ程大した人ではなかったようですが、独裁者としてはヒトラーやスターリンを遥かに超えるほどの人だったということが良く分かります。

ホメイニ革命・イランイラク戦争の頃の本ですから今ではちょっと古い本ですが、中東問題・イスラム原理主義過激派の問題をホメイニ革命までさかのぼってきちんと理解するために絶好の本です。

お勧めします。

『騙されないための中東入門』―高山正之 飯山陽

火曜日, 10月 3rd, 2023

この本は飯山さんの本の最新刊として予約してあったのがようやく届いたので読んでみました。とはいえその後飯山さんは『愚か者』という本を出版しているので、もはや最新刊ではなくなってしまいましたが。

かなり待たされたような気がしましたが、発行が今年の2月ということですから、約半年しか待っていません。

もう一人の著者の高山さんという人は産経新聞の人で、イランのホメイニ革命の直後にテヘランに特派員として行き、またそれ以外にもイスラム諸国に何度も取材に行って何度も殺されかけている人です。

で、この本は飯山さんと高山さんの二人による対話形式の本になっています。
2人の著者の冷静で論理的、客観的な視点から、中東・イスラム諸国、ついでにロシア・中国等について話が展開されています。

トルコはオスマン帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
イランはペルシャ帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
ロシアはロシア帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
中国は中国4,000年の歴史の栄光をいつの日にか復活したい。
というような、それぞれ本音の部分であまり人には言いたくないような話をあけすけに暴露しています。

ロシアはヨーロッパからすると長く奴隷の輸入元であり、キリスト教を輸入して独立国家になったと思ったらモンゴル人に隷属させられ、それを跳ね除けピョートル大帝等の努力により産業革命も始まりヨーロッパの一流国になったかならないか、という所で日ロ戦争に負けてしまい、その後の革命を共産党により乗っ取られてしまい、それが崩壊して共産党支配も終わった所で、今度はプーチンによる独裁政治の時代になっているという話です。

日ロ戦争では中東やアジアの国では『日本は良くやった』という声しか聞きませんが、ロシア人にとってはようやく白人社会の一流国になったと思ったら、有色人種の日本に負けやがって白人の恥さらしだと言われるようになって、日本には恨み骨髄ということです。私も『よくやった』というのは知っていましたが、『恨み骨髄』のほうは意識していなかったので、なるほど、と思いました。

中国は4,000年とは言っているものの、歴代の王朝は殆ど異民族の中華支配であって、中華民族の王朝は漢と明の2代しかない、それを『4,000年の歴史』と言って、いかにもずっと中華民族が中国を支配してきたかのような幻想を振りまいている。中国人は異民族により支配されることに慣れ切っているので、現在も多くの中国人は誰かが早く中国共産党(中共)を倒して新しい中国の支配者になってくれないかな、と願っている、なんて事も書いてあります。

中ロにとっては二度の元寇・日清戦争・日ロ戦争と何度も日本を占領しようとして負けており、第二次大戦でも日本占領をねらっていたスターリンをはねつけてしまった。習近平としては、ここで日本に勝てばフビライも西太后もニコライ二世もスターリンもなし得なかった偉業を達成することになるというので、台湾そして日本占領を望んでいるという話です。

この本は中東の本ですから、いわゆる『アラブの春』についても書いてあります。『アラブの春』は中東諸国で民衆が立ち上がって強権的な独裁者を倒したということで一時もてはやさされましたが、その実態は独裁者が倒された革命をイスラム過激派原理主義者が乗っとって独裁を始めた、その結果民衆の生活はかえって苦しくなっている、ということで、一部の国ではそのイスラム原理主義政権を倒すために再革命が起こっているというような話です。

イスラム教のシーア派とスンニ派についても普通イスラム教には2つの流派があって、、、と説明されるけれどそれは違っていて、シーア派もスンニ派も自分達だけが正しいイスラム教徒であって相手の方は異端であって存在を認められない者達だと、キリスト教の宗教戦争時の、カトリックとプロテスタントのような話です。ヨーロッパではこの新教と旧教の争いで人口の何分の1かを失う戦争が起こり、一段落するまで数百年かかっています。このシーア派とスンニ派の争いも、直接相手を殺しあう、ということではなく、自分の都合によりシーア派がスンニ派を利用したりスンニ派がシーア派を利用したりすることも平気ですから、ちょっとわかりにくくなっています。

キリスト教には『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』というような考え方がありますが、イスラム教にはそのような区別がないので、この問題の解決は遥かに難しいかも知れません。

ロシアは日本に負けて白人世界の恥さらしと書きましたが、実はナチスドイツがあのような軍事大国になったのは、第一次大戦後最初にソ連がナチスドイツの軍備拡張に協力したからだ、ドイツは第一次大戦の戦犯として様々な制約を受けていたのに、あっという間にあれだけの軍事大国になったのはロシア(ソ連)の協力あってのことだ、ということはロシアでは一切触れず、ひたすらナチスドイツを倒したのはロシア(ソ連)だと言い続けているのは、その事を表に出したくない、ということなんでしょうね。

最後の後書きにアンネ・フランクのことが書いてあります。
アンネの一家はドイツからオランダに逃げてきて、その時点で無国籍者になっています。それをオランダ国籍を与えようという話が起こって、それに対してオランダの法務大臣が『アンネはオランダのアンネではなく世界のアンネなんだ』なんて訳の分からない事を言って反対したという事があって、朝日新聞の天声人語では『国籍は大事か』なんて記事を書いているんだけれど、これはトンチンカンな記事であって、アンネを捕まえて収容所送りにしたのは実はオランダ警察であって、その事を蒸し返してオランダがナチスに協力したなんて話を思いだしてもらいたくない法務大臣が訳の分からない事を言って反対した。朝日の記者はこのあたり何も分かっていないというような事が書いてあります。

フランスもドイツに占領されていた時、大量のユダヤ人を収容所送りにしたことを極力蒸し返されたくないので、その過去については一切触れず、フランスは最後までナチスドイツに抵抗してドイツを負かしたという話にしたがっているのと同じことです。

国にはそれぞれ歴史があり、栄光の時代・屈辱の時代があります。もう一度栄光の時代を取り戻したい、屈辱の時代はできれば忘れてしまいたい、誰にも思い出してもらいたくない、というのはごく自然な感情ですが、人は常にこの感情に動かされているものだという事を忘れないようにしないといけないですね。

とまれ中東・イスラム諸国・中国・ロシア、その他の様々な問題について、高山さんと飯山さんが楽しそうに話しているので楽しんで読めます。
お勧めします。

中国

火曜日, 8月 29th, 2023

中国の不動産会社の破産や投資信託の不払いで中国は大変だというコメントが蔓延しています。
はじめは何となくそうかな、と思っていたのですが、その後、ちょっと違うかなと思うようになったのでコメントします。

中国、というのは現在、中国共産党が支配している中華人民共和国のことです。日本などの一般の民主主義国では国は国民のための国ですが、中国は支配している共産党のための国です。共産党のためであれば国民の犠牲は厭わない国です。

不動産会社が破綻したり投資会社の不払いで損をするのは国民なので、一般の民主主義国では破綻処理とか投資家保護とかいろいろしますが、中国では不動産会社の破綻や投資信託の不払いで損をするのは、その余裕のある金持ちだけです。金持ちが損をしても、金持ちでない国民からするとザマーミロということで、何も困ることはありません。とすれば中国を支配する共産党としても、金持ちをわざわざ保護する理由はありません。金持ち以外の国民のうっぷん晴らしに、金持ちに損をさせたままにしておくことです。

その意味では不動産会社の破産も投資信託の不払いも株価の下落も特に気にするような話ではなさそうです。

しかし不動産会社の破綻や投信の不払いで困るのは、金持ちだけでなく、地方政府や軍まで被害を被る、となると話は別です。まあ地方政府だけならともかく、地方政府の損がその地方の一般の国民にしわ寄せされるとか、軍の損が軍人一般の損になるとなると、政情不安ということになります。

不動産会社の破綻や投信の不払いがどこまでいったら一般国民にまで影響を与えるようになるのかわかりませんが、当面様子見を続ける必要がありそうですね。

中国は、共産党にホコ先が向かってこない限り、国民が何億人死のうと平気な国です。
この基本を忘れちゃいけないですね。

Chat-GPTと量子コンピュータ

水曜日, 5月 24th, 2023

Chat-GPTでAIを相手に遊ぶ、ということがはやっているようです。
ネットに出てくるchat-GPTへの『こう質問したらこう回答があった』という記事はなかなか面白いものです。

その内容については物笑いの種でしかないものですが、驚いたことに日本語としては殆ど違和感のない見事な日本語になっています。

様々な詐欺メールは、まず第一に『日本語がおかしい』という所でチェックされ、怪しいなと警戒するのが普通です。
今後このchat-GPTのようなAIシステムを利用しておかしな日本語がまっとうな日本語になって現れるようになると、詐欺メールの判定がちょっと難しくなりますね。

AIの進化、面白がってばかりもいられませんね。

もう一つ、『量子コンピュータ』というものがいよいよ実用化されようとしているようですね。

こうなると、いわゆる暗号化で、この暗号はコンピュータを使っても解読するのに何百年もかかる、と言われていたものが、ほんの数分で解読できるという世界が来てしまうのかも知れません。

今までのコンピュータセキュリティの世界が大幅に変わってしまうのかも知れません。
暗号が解読されるようになってもわざわざ大金をかけて解読なんてしないだろうと思ってそのまま使い続けるか、量子コンピュータを使っても解読するのに何百年もかかような暗号システムに作りなおすか、あるいは暗号システムとは全く別の何らかのシステムに乗り換えるか、いずれにしても厄介な話です。

通信の暗号化の話はこれで良いのですが、ビットコインなどのいわゆる暗号通貨、あるいは暗号資産と言われるものはどうなってしまうんでしょう。

システムを新しいものに替えると言っても、今既に暗号通貨として流通してしまっているものを新しいシステムに移し替えるというのは新しいシステムを作るよりはるかに難しいことになりそうです。

かと言って、これを機に暗号通貨が一気に終焉するというわけにもいかないでしょう。

私が生きている間にその行向が見えてくるんでしょうか。
楽しみですね。