この本も図書館の新しく入った本コーナーで見つけたものです。
武州磯子村というのはどこだろうと思ったら、やはり横浜の磯子のことで、京浜東北線で横浜の先大船に向かって6つ目の駅の所です。京浜東北線では磯子行という電車があるので良く聞く名前ですが、『武州』というのにちょっとアレ?と思っていました。
武州、武蔵の国というのは、東京都と埼玉県になり、また一部が神奈川県になっているのですが、ほとんどが東京と埼玉ですから神奈川県の武蔵の国というのはちょっと違和感があったということです。
で、この本はこの磯子村に残されていた江戸時代の古文書を読み解きながら、江戸時代から明治にかけ、世の中が磯子村の住人からはどのように見えていたのかを考えたものです。とは言え、この時代の文書は基本的に行政文書・書簡・日記等ですから、それらを元にして物語の形に構成したものを元に説明しているので読みやすくなっています。
最初に来るのは宝永の富士山大噴火で、村が壊滅的な被害を受けてから何とか復興を遂げるまでの話。
何センチも積もった火山灰を掘り出し、その下の土の層もさらに掘り出し、そのあとの穴に掘り出した火山灰を埋め、その上から掘り出した土を重ねる『天地返し』というやり方も図入りで説明してあります。これを耕地全体で行うというのは何とも気の遠くなるような作業ですが、このようにして耕作可能な土地を作っていった、という話です。もちろんこれは畑の話で、田んぼではこの手は使えませんが。
その次は噴火もおさまってようやく復興した村の生活の話。
次に来るのが相給(アイキュウ)の村という話ですが、相給というのは一つの村に領主が、一人ではなく何人もいる状態の事です。
江戸時代、幕府は大名には領地を与え旗本には蔵米を支給するという体制と、旗本にも知行地を与えそこから年貢を取り立てさせるようにするという体制と両方あったのが、元禄10年に御蔵米地方直令という命令で蔵米取りから知行取りに変更する方針が打ち出され、蔵米取りだった多くの旗本が知行取りになった。そのため江戸近郊の村々は次々に細分されて知行地となり、中には1つの村に領主が30人もいる、なんてことにもなったとの事です。で、その領主がそれぞれの代官を置いたり別々の名主・庄屋を置いたりすることもできないので共同で名主を置くとか、土地を分割した結果そこで働く農民も分割されてしまい、1人の農民に領主・殿様が何人もいるとか、五人組も同じ領主で五人組を作ることができずにバラバラの領主で五人組を作るとか、何とも困ったことが多発し、結局の所、村の統治は名主に任せ、その名主が統一的に行政を行い、何人もの領主に報告するという体制ができ、それが地方自治の始まりとなった、ということで、その意味で大きな藩の領地であった所と天領だった所の地方自治のあり方がちょっと違うということになりそうです。
次は古着の話です。明治の文明開化で紡績業・紡織業が一気に工業化し、衣類に困ることは基本的になくなりましたが、それ以前は新しい着物というのはなかなかのぜいたく品で古着のマーケットが圧倒的に大きかったという話と、その古着のマーケットがどのように作られていたかの話です。これは磯子の話というより日本全体の古着マーケットの話です。江戸時代、酒屋と古着屋が金持ちの代表のような商売だった、というような話です。
次の第5章では江戸の下肥えビジネスについて説明されています。
下肥えの利権が長屋のおおやや差配の人たちの利権の大きな部分だったとか、下肥えを江戸市中から近郊の農村に運ぶ流通経路の運河や専用の舟についても説明されています。
次は漁業の話です。磯子の浜の漁獲・漁船等を含む漁具等がどのように魚市場に牛耳られていて、その支配権を巡って市場間で競争が行われていたか、あたりの話です。
時代が進むにつれ漁船等も整備され、魚の運搬以外にも様々に利用されるようになり、たとえば東京湾の周辺の漁港を拠点とする流通ネットワークができ、米以外の商品作物を作り始めていた農民も参加して地域間交易が次第に盛んになった。これは開国後の対外貿易の格好の準備運動になったというような話も出てきます。
一般的には明治の文明開化・産業革命がどうしても脚光を浴びてしまいますが、その前の江戸時代中期以降の日本各地での商品作物作りと、それを江戸・大阪を通さない地域間直接取引の進展をしっかり理解する必要があると思います。
次はオオカミの話。次はお伊勢参りの話です。お伊勢参りで全国から人が集まり、全国各地の事情を互いに交換することにより、各地の地域おこしが一気に進んでいきます。
それまで情報は新聞とテレビが独占していた状況にインターネットが登場し、真偽こきまぜて一気に情報が氾濫した今と同じような状況が、お伊勢参りにより生じていたのかも知れません。
第9章では黒船が登場します。武士たちが黒船との戦いを思って緊張している時に、町民百姓は黒船見物に出かけ、小船で黒船に接近する者も多かったようです。
10章では黒船と一緒に来たコレラと大地震の話です。
11章では戊辰戦争を百姓の立場から見てみます。武州世直し一揆という一揆勢と、それに対抗するために幕府によって作られた農民兵部隊との戦いの経緯について書いています。
12章ではいよいよ明治新時代、横浜製鉄所の話になります。
著者はたまたま地元の古文書を読む会に参加して江戸時代の古文書に触れ、磯子を中心に色々調べているのですが、元々中日新聞の記者をしていた人なので、磯子だけでなく日本全体あるいは世界の、江戸時代だけでなく前後の年代の歴史を通しての視点を持っている人で、そのためその幅広い視野から地元の古文書を読み取り、その意味を広い視野から解説しています。
ということで、楽しめる本です。お勧めします。