Archive for 11月, 2006

【国家の品格】

水曜日, 11月 8th, 2006

総理大臣が小泉さんから安倍さんに交代し、話題も「国家の品格」から「美しい国日本」に移っています。そろそろ藤原正彦さんの「国家の品格」についてコメントしても良い頃かなと思います。
この本がベストセラーになって大きな話題になったのは知っていますが、特に読みたいとも思いませんでした。しかし何人かの知り合いからはなぜ読まないんだと責められました。

この本は数学者の書いた本がベストセラーになったという大変珍しい本です。世間一般では大学で数学を専攻した人もその延長線上で数学者になった人も同じよ うなものだと思っているようです。私も他の多くのアクチュアリーと同様、大学で数学を専攻しています。大学で数学を専攻した人間が仲間の数学者の書いた本 がベストセラーになったのにどうして読もうとしないのか、ということのようです。

私は別に自分を数学者だと思ってもいないし仲間とも思っていないのですが、気を取り直して読んでみることにしました。

この本ではまず最初に論理的思考は危険だ、論理的に考えるべきではないということを言います。一般には数学というのは論理や理屈の総元締めみたい に思われていますので、そこの専門家である数学者がこんなことを言うと読者はびっくりし、そして多分嬉しくなってしまうんだろうと思います。論理的な思考 を筋道をたどりながら正確に理解することも必要ないし、議論の辻棲が合っているか整合性が取れているかなど、頭の疲れる作業はもうしなくても良いと言われ るわけですから、こんな楽なことはありません。

その後に来るのは「美しい情緒と形」という何度も繰返されるキャッチフレーズを初めとする、様々な言葉の羅列です。私は情緒という言葉に美しいという形容詞がついたのは初めて見るので、これがどんな意味を持つのか全くわかりません。

この本ではもう既に論理的に考えてはいけないと言っているので、もちろん言葉の意味の説明などどこにもありません。何となく言葉のイメージのつな がりで話が展開されていき、様々なことが説明なしに断定されます。日本は素晴らしいという断定だったり、日本はダメだという断定だったりします。その過程 で「武士道」という言葉も何の説明もなしに登場し、最終的に「国家の品格」という言葉が語られます。そして「日本は世界一素晴らしい国だ」「世界を救うの は日本人だ」という結論になります。もちろんその論理的説明などありません。

もちろん話の展開が辻棲が合っているかとか、論理的整合性があるかなどと考えてはいけません。意味不明の何となく感じの良い言葉が次々に展開さ れていくのを、理屈抜きにイメージを感じながら漂っていけば良いということですから、ここはどんな意味だろうとか、前の文とのつながりはどうなっているん だろうなどと考える必要もありません。こんな楽な読書はありません。

多分多くの読者は様々な言葉に自分なりの意味をつけ、文章も自分なりに理解しながら読んでいるんだろうと思います。

本自体は言葉の意味の説明もしないし論理的な文章も否定していますから、言葉や文章にどんな意味を感じたとしても「それは違う」などと否定される心配はありません。好きなように読めば良いんです。

私の本の読み方は意味不明の言葉に自分勝手に何らかの意味をつけ、意味不明の文章を自分勝手に解釈するというやり方ではありません。素直に意味不 明の言葉は意味不明と読み、意味不明の文章は意味不明と読むことにしていますので、この本は私にとって途中から意味不明になり、そのまま意味不明のまま読 み進めたら意味不明のまま終わってしまったということです。

読み終わって何のメッセージも伝わって来ませんので、面白いもつまらないもない‥なのでこれがどうしてこんなに大人気になったんだろうと思いました。

そしてこの何もないのが大人気の理由なんだと思ったりしました。

文章を読んでその意味を理解しなければならないという必要もないし、文章の論理的構造がどうなっているのか、どのように議論が展開されているか理 解しなければならないということもな<、単に気持の良い言葉の羅列を眺めているだけで良い。これで本をまるまる一冊読み終わったという充実感を感じ ることができるというわけですから、これは多くの読者にとって嬉しいかも知れません。

さらに断定というのは、何が断定されていようと何となく元気になります。たとえば意味のわからない外国語の歌が気持の良いリズムで歌われるのを聞くようなもので、そのリズムに乗るだけで気持が良くなります。

考えてみれば小泉さんも「ワンフレーズポリティックス」とかいって意味不明の言葉を一言だけ言って、その意味の説明もしないで放っておく。他の人 が勝手にその意味を考えるに任せるというスタイルでした。また議論の辻棲が合わなくても以前言っていたことと違うことを言っても嘘をついても平然としてい ました。この本の人気は小泉さんの人気と同じことなのかも知れません。

「国家の品格」が「美しい国日本」に代わって、これもまた良<意味のわからない言葉です。安倍さんはこれ以外にも色々新しい言葉を意味を明確にしないで使っているようです。しばらくは安倍さんの人気はこのまま続くのでしょうか

とはいえいくらしんどいといっても、論理的思考なしではいつまでも続けられません。いずれは気を取り直して、ちょっとしんどくても明確な意味のある言葉で論理的な議論が行なわれる時代がまた来るんだろうと思います。それまでまだ何年もかかるのかも知れません。
実はこの本にはもうーつしかけがあります。というのはこの本は講演をもとにしているという注意書きです。講演であればいちいち言葉の意味の定義を したりしないし、きちんとした論理的な記述などする時間的余裕はないと言ってしまえばそれまでです。私の上に書いた感想などそれだけで吹っ飛んでしまいま す。そこまで考えるのはちょっとウガチすぎかなとも思いますが、この点も含めてなかなか興味深い本でした。