Archive for 6月, 2014

『統計学でリスクと向き合う』

月曜日, 6月 23rd, 2014

ここの所二度ほど統計学に関する本を紹介しました。
どちらも統計学をきちんと学ぶための本ではなかったので、今度は三度目の正直です。
以前小室さんの『数学嫌いな人のための数学』の本を持ってきてくれた友人が他にもいろいろ持ってきてくれて(自分の家の本を整理していて、その中からいくつかみつくろって私の所に持ってくるようです)、その中に『統計学でリスクと向き合う』という本がありました。東洋経済新報社から2003年に出ている本で、著者は宮川公男さんです。
この本はまともに統計のことを知りたい人にはお勧めできます。もちろん教科書ではないので、全般的知識を得るには不十分ですが、統計学とはどういうものかの感覚をつかむには良くできた本だと思います。

特に最初の部分で、『平均とは何か』『比率とは何か』ということについてきちんと説明しているのはとても良いと思います。

ともするとこのあたりは、誰でもわかっているようなつもりで省略してしまい勝ちなのですが、ここの所をきちんと押さえることによってその後の部分が理解しやすくなると思います。

話題はいろいろ飛びますが、具体的に統計の手法・考え方が使われる場面で、統計の立場から何をどのように考えるのかが説明されます。

統計では『第一種の誤り(正しいことを間違っていると判断してしまうこと)』と『第二種の誤り(間違っていることを正しいと判断してしまうこと)』という言葉が使われますが、この第一種の誤りと第二種の誤りにどのように対処していくか、というのがこの本の全体を通したテーマになっています。この考え方を使って著者自身ガンの手術を受けるか受けないか考えて、結局医者の強い勧めにも関わらず手術を拒否して、結果的にその後長く生きることができた、なんて話も入っています。

FPの人達が得意な、金利で元金が倍になるまでの年数と利率の関係を示す『72の法則』というのがありますが、この本では『70のルール』として出ています。70でも72でも同じようなものですが、私も最初70のルールの方で覚えたものですからちょっと懐かしい思いがします。72の方が割り算に便利なので、ちょっと使いやすいですが。

日経平均の話、囲碁のハンデ(同じ力量同士の対戦で、コミをいくつにしたら良いか)の話、統計学という言葉が生まれた時の論争(スタチスチックと読む漢字を作ろうとした話)等もあり、最後には統計で嘘をつくという話で、統計数字の扱いには細心の注意が必要だというのが結びの言葉になっています

この本を読んで興味がわいたら、ちゃんとした教科書で勉強すると良いですが、この本だけ読んでも十分価値があると思います。

『ロシア綿業発展の契機』

水曜日, 6月 18th, 2014

ある集まりでこの本を紹介されました。

『ロシア綿業発展の契機—ロシア更紗とアジア商人』塩谷昌史著、知泉書館

いかにも学術専門書で、250ページくらいの本が4,500円もしますからちょっと普通は買おうとは思いませんが、中味をちょっと見るとソ連になる前のロシアの綿業の発展史が書いてあり、まだ新しい本で、ちょっと読んでみようと思いました。

とは言えちょっと高い本なので図書館で借りようと思って調べたら、さいたま市の図書館にはありません。埼玉県の公立図書館にもなさそうなので、とりあえず東京都立図書館にあることを確認して、図書館に予約を入れました。都立図書館かどっかから借りてくれるのに当分時間がかかるだろうとのんびり待っていたら、何と地元の図書館で買ってくれました。多分こんな専門書を読む人はほとんどいないでしょうから、これでいつでも借りて読むことができます。

で、読んでみた所これが何とも面白い本なので、紹介しようと思います。

この本のしょっぱなに著者の歴史研究に対する姿勢が「視角と方法」としてまとまっています。何とここに柳田國男・渋沢栄一・宮本常一など、日本の民俗学の人々が登場し、日本中世史の網野善彦が出てきたと思ったら、今度は「文明の生態史観」の梅棹忠夫が出てきて、「地中海」のブローデルが出てきたと思ったら、川北稔の「砂糖の世界史」が出てきて、上山春平の「照葉樹林文化」、中尾佐助の「栽培植物の起源」が出てきて川勝平太の「鎖国」の話が出てくるといったあんばいで、普通の歴史の本とはちょっと違います。

この部分、多分この本を読む読者ならだいたい知っているだろうことを想定して大雑把に書いているんですが、これをもう少し敷衍して丁寧に説明したら、これだけでたとえば新書版の1冊くらいの面白い本になるんじゃないかなと思いました。

で、この本のテーマとする、ソ連になる前のロシアの産業史なんですが、私の知っているロシアはナポレオンがモスクワまで攻めて行って、あとちょっとの所で寒さにやられて逃げ帰って(1812年)から、日露戦争で日本が勝って(1905年)、第一次大戦のさ中に革命が起こってソ連ができる(1917年)というくらいのイメージしかなく、あとは点景として屋根の上のバイオリン弾きという話があったな、くらいのものなので、その当時のロシアで産業革命が具体的にどのように進行したのかというのは非常に面白い話でした。

ソ連では1917年の革命で共産主義国になるには、その前は資本主義国でなければならないという共産主義の考え方から、1860年の農奴解放によってそれまでの封建制から資本主義になったということになっていたのですが、この本は1830年頃から1860年頃までを中心に扱っていて、その頃すでにロシアで産業革命が起こり資本主義国になっていたという話になっています。

「綿業」なんていうと綿製品を作る所の話かと思ってしまうのですが、この本はその作る所から、それを流通、特に周辺諸国に輸出する所、輸出された国でそれが消費される所まで、それぞれ章を立てて説明しているのも面白い話でした。

その最初の綿製品を作る所の話も、綿花から綿糸を作り(紡績)それを布にして(織布)それに色模様を付け(捺染・染色)売るということになります。ロシアはもともと綿花なんかできない土地ですから、初めは布を買ってきて染色するだけだったり、糸を買ってきて織るだけだったりするわけですが、そのうち全工程を一貫してしてやりたくなるとか、産業革命でイギリスから安い綿糸・綿布が購入できるようになるとか、アメリカの綿花が大量に輸入できるようになるとかで、この綿工業が大いに栄えることになります。

染色の工程も昔は木版刷りだったのを機械化して銅製のドラムで刷るようにすると、綿布1枚染めるのに2人で6時間かかった仕事が1人で4分でできてしまうようになり、その分染色する布を大量に織らなきゃならない、その分大量の糸を作らなきゃならない…という具合に、芋ずる式に全工程が機械化され、その動力として蒸気機関等が導入されるようになるという話や、染色のための化学知識が必要になり、機械を動かすための工学の知識が必要になり、企業全体の管理をするための経営や会計の知識が必要になって工員や経営者の子弟に教えるための学校ができるとか、産業革命による社会全体の変化がダイナミックに描かれています。

ともすると蒸気機関が発明されて産業革命が起きたなんて具合に思い勝ちですが、そうではなくまず産業革命が起こって、そこで動力が足りなくなって蒸気機関が必要になる、というあたりも具体的に生々しく説明されています。

ロシアの綿製品は西ヨーロッパへの輸出に失敗したため、質が劣るもののように西ヨーロッパでは思われていたけれど、実はロシアは清・中央アジア・西アジア(トルコやペルシャ)に向けて主に輸出していたんだとか、好みの問題で西アジアでは負けたけど中央アジアや中国への輸出に関してはイギリスとも競合して負けてないとか、ロシアは昔は中国・中央アジア・西アジアから綿糸や綿織物を輸入していたのが、大変な思いをして産業革命を起こし、逆にそれらの国に綿製品を輸出するようになったとか、興味深い話がたくさんあります。

これらの研究の元となった資料が実は当時ロシアの政府の刊行物その他で、それはサンクトペテルブルクの図書館に行けば簡単に手に入れることができるとか(この本はそのような統計データにもとづく具体的な生産量や売買高などのグラフがふんだんに付いています。専門書なのでその出所も脚注にいろいろ書いてありますが、ほとんどロシア語ですからその部分は読み飛ばすことができます)、ロシアの歴史研究家は多くがモスクワにいる(サンクトペテルブルクにはいない)ので、日本の研究家も必ずしも不利ではないとかの話も面白いですし、織物の染色は脱色してから染色する、その技術をどのように取得するかとか、綿織物の輸出を始める前、中国との交易では茶の輸入が急増し、毛皮の輸出は頭打ちになって厖大な貿易赤字が生じ、代わりの輸出品がどうしても必要だったんだ(イギリスは茶の輸入が急増し、代わりに輸出するものがなくなってしまったので苦しまぎれにアヘンを売ることにして、それがアヘン戦争につながったわけですが、アヘンより織物の方が良いですねよね)とか、とにかくいろんな話が盛りだくさんに詰め込まれています。

隣国との交易・流通についても、ロシアでは川は冬には凍ってしまうので、冬以外の季節でないと使えないとか、通常陸路の輸送はラクダを使うのだけれど、毛の生え変わる季節は体力が落ちて使いものにならないとか、夏場は猛暑と害虫の発生でキャラバンを使うことができなかったとか、鉄道が敷かれる前は基本的に長距離の物の輸送は1年単位のサイクルだった(海運でもインド洋の貿易風の向きは1年サイクルで東向き・西向きに変わるので、それに合わせて船を動かした)、全ては蒸気機関の発明により蒸気機関車・蒸気船の登場で、「年単位」のサイクルが「いつでも」になってしまったなんてのも、面白い話です。

こんな話に興味があったら、読んでみて下さい。
時には専門書も面白いかも知れません。

『嘘の効用』

水曜日, 6月 4th, 2014

しばらく前、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』に関するコメントで、この末弘巌太郎(名前はゲンタロウでなくイズタロウと読むようです)さんの『嘘の効用』という本のことが書かれているので、読んでみよう思う、と書きました。

その後すぐに図書館で予約をしたんですが、岩波文庫の『役人学三則』というものと、冨山房百科文庫の『嘘の効用』上・下とが検索で出てきて、両方借りてみました。結局の所岩波文庫の方は『嘘の効用』以外に『役人学三則』『役人の頭』『小知恵にとらわれた現代の法律学』『新たに法学部に入学された諸君へ』『法学とは何か―特に入門者のために』の6つのエッセイが入っているもので、冨山房の方はこれらを含めて法律の専門書以外の多数のエッセイを集めたものだ、ということがわかりました。

とりあえず手軽に読める岩波文庫の方を読んだのですが、冨山房の方も借りといて良かった、というのは後で書きます。

小室さんの本の中では『日本人は論理的思考が苦手だからその代わりに嘘を活用するんだ』というような説明でしたが、実際に末弘さんが言っているのは大分違います。

要するに法律というのは杓子定規の融通のきかないものなのに、それを適用する人間の方は何ともしまりのない融通無碍のつかみどころのない矛盾だらけの生き物なので、杓子定規に法律を当てはめようとするとどうしてもうまく行かないことが多い。そこで嘘を活用して、杓子定規にうまく嘘を交えて適用するとうまく人間にあてはめることができることがある。そのため法律家はすべからくうまく嘘がつけるようにすることが肝要だ、ということのようです。

この理屈は日本人のことだけを言っているのではなく、世界中どこの国の人でも同様のようです。

末弘さんはどうも大岡越前の守の大岡裁きのようなものを理想としていたようで、うまく法律を使って理想的な裁判をするためには、裁判官はできるだけ人間的になることが重要だと言い、もともと人間というのは神様が自分に似せて作ったものなので(ここの部分はキリスト教の旧約聖書の創世記の話ですから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の神話です)、人間ができるだけ人間的になるということはそれだけ神に似てくるということで、そのうえで神様になったつもりでうまく嘘をつけば、神様が裁判するのと同じような素晴らしい裁判をすることができるという、あんまり論理的ではないけれど何となく納得できそうな議論をしています。

この末弘さんのエッセイは、この『嘘の効用』の他にも、とりあえず岩波文庫に入っていたものはざっと読んだのですが、法律家にしては珍しく論理的な思考ができる人のようです。ですから上の議論も論理的な話じゃないことを承知で書いているようで、なかなか面白く読めました。

で、この岩波文庫の中の他のエッセイを読んでいて、『小知恵にとらわれた現代の法律学』(現代と言っても大正10年の講演の速記に手を入れて文章にしたものなので、その当時の『現代』です)の中で、『世論』という言葉が何回か出てきました。そこでまずはこの『世論』はセロンなんだろうかヨロンなんだろうか、と思って、念のために冨山房の方を見てみました。するとそちらの方にはちゃんと『輿論』となっていました。これで末弘さんは『輿論』と書いた所を岩波が『世論』に書き換えたんだとわかりました。『輿論』であれば話は分かります。冨山房の方も1988年の出版ですから、『世論』に変えられていても不思議じゃないのですが、『輿論』にしておいてくれたので助かりました。

当用漢字(今では常用漢字になっていますが)の登場で、新漢字・新仮名使いにするというのはなるほどこういうことなんだ、とようやく実感しました。

なおこの岩波文庫の中のエッセイのテーマが法学部とか役人とかになっているのは、末弘さんが法学部の先生であり、大学の法学部というのは法律家の育成もするけれど、国や大企業のお役人を育成することが主な目的だということを反映したもののようです。

私はこの末弘さんのいくつかのエッセイを面白く読んだんですが、今の司法試験受験者の人達はこのような本を読んでいるんでしょうか。多分読む人は少ないんじゃないかなと思います。何とも勿体ない話です。

『漢籍と日本人』

火曜日, 6月 3rd, 2014

今日お客さんの所へ行こうとして、この『漢籍と日本人』というタイトルのポスターが目に入りました。ちょっと気になって良く見ると、天理図書館とか天理ギャラリーとか書いてあります。

天理図書館といったら、国宝級の昔の本などを山ほど持っている所ですから何だろうと思ったら、そのポスターの置いてあるビルが実は天理教の東京本部のビルで、その最上階にギャラリーがあり、そこでこの展示をしてるんだということがわかりました。

『入場無料』に惹かれて覗いてみると、何ともはや、昔の漢文の本がずらりと並んで、ヲコト点と返り点とかいろんな説明がついています。

天理の図書館というのは宝の山だということは以前からいろんな本で知っていましたが、個人的な楽しみで奈良まで行くわけにもいかず、行っても解説なしでいろいろ読むこともできないので、学者や作家が行っていろいろ調べ物をしたことを本に書いてもらってそれを読むくらいしかできないものだ、と思っていました。

それがこんな形で、東京に居ながら直接見ることができるというのは大発見でした。

この手の展示は年に3回行われていて、天理の図書館から展示物を持ってきて、人も来て展示をして、その間は休みなしで毎日展示しているけれど、それ以外の時はこのギャラリーには何もないし誰もいないので、何も見ることができないということで、ちょうどその展示をしている時にぶつかったのはラッキー以外の何物でもありません。

たまたま今、今野真二さんの本を読んでいて(これはまた別途書くつもりです)、この人の本は基本的に全て日本語をどう書きどう読むかという読み書きの歴史を解説していて、古事記・万葉集の頃から平安・室町・江戸・明治・現代に至るまで、人々が日本語を書くためにどのように工夫してきたか、読むためにどのように工夫してきたかを漢字・仮名遣い・振り仮名等々、さまざまな切り口で説明してくれています。

漢籍というのももともとは中国語の本ですが、それが日本に来て日本人が日本語として読む、ということで、このような漢籍のサンプルがいくつも今野真二さんの本の中で出てきていますので、まさにちょうど良いタイミングでこの展示にぶつかったということになります。

ギャラリーの入り口には、以前の展示のカタログなども在庫があるものについて展示してあり、全部で7冊も買ってしまいましたが、それでも計2千円、何とも安いものです。

今回の展示のカタログも買ってきたんですが、全部で500部しか印刷しなくて、うち150部は図書館に取っておくので、販売するのは350冊だけだからもうすぐ売り切れますよ、と言われて慌てて買いました。とはいえ、お客さんはほとんどいないのでまだ数冊はあるので今日明日は大丈夫ですよ、と言われてしまいました。

神田に通勤するようになってもう14年になりますが、こんな場所があったなんてまるで知りませんでした。

もし興味がある人がいたら、是非行ってみて下さい。

千代田区神田錦町 1-9 東京天理ビル9階 天理ギャラリー
最寄り駅はJR:神田・御茶ノ水  地下鉄:小川町・淡路町・大手町・神田
の各駅です。

今の『漢籍と日本人』は5月18日から6月15日まで。
会期中無休 入場無料 9時半~17時半まで
   展覧会の案内は http://www.tcl.gr.jp/tenji/k83.htm にあるようです。

ご参考まで。