しばらく前、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』に関するコメントで、この末弘巌太郎(名前はゲンタロウでなくイズタロウと読むようです)さんの『嘘の効用』という本のことが書かれているので、読んでみよう思う、と書きました。
その後すぐに図書館で予約をしたんですが、岩波文庫の『役人学三則』というものと、冨山房百科文庫の『嘘の効用』上・下とが検索で出てきて、両方借りてみました。結局の所岩波文庫の方は『嘘の効用』以外に『役人学三則』『役人の頭』『小知恵にとらわれた現代の法律学』『新たに法学部に入学された諸君へ』『法学とは何か―特に入門者のために』の6つのエッセイが入っているもので、冨山房の方はこれらを含めて法律の専門書以外の多数のエッセイを集めたものだ、ということがわかりました。
とりあえず手軽に読める岩波文庫の方を読んだのですが、冨山房の方も借りといて良かった、というのは後で書きます。
小室さんの本の中では『日本人は論理的思考が苦手だからその代わりに嘘を活用するんだ』というような説明でしたが、実際に末弘さんが言っているのは大分違います。
要するに法律というのは杓子定規の融通のきかないものなのに、それを適用する人間の方は何ともしまりのない融通無碍のつかみどころのない矛盾だらけの生き物なので、杓子定規に法律を当てはめようとするとどうしてもうまく行かないことが多い。そこで嘘を活用して、杓子定規にうまく嘘を交えて適用するとうまく人間にあてはめることができることがある。そのため法律家はすべからくうまく嘘がつけるようにすることが肝要だ、ということのようです。
この理屈は日本人のことだけを言っているのではなく、世界中どこの国の人でも同様のようです。
末弘さんはどうも大岡越前の守の大岡裁きのようなものを理想としていたようで、うまく法律を使って理想的な裁判をするためには、裁判官はできるだけ人間的になることが重要だと言い、もともと人間というのは神様が自分に似せて作ったものなので(ここの部分はキリスト教の旧約聖書の創世記の話ですから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の神話です)、人間ができるだけ人間的になるということはそれだけ神に似てくるということで、そのうえで神様になったつもりでうまく嘘をつけば、神様が裁判するのと同じような素晴らしい裁判をすることができるという、あんまり論理的ではないけれど何となく納得できそうな議論をしています。
この末弘さんのエッセイは、この『嘘の効用』の他にも、とりあえず岩波文庫に入っていたものはざっと読んだのですが、法律家にしては珍しく論理的な思考ができる人のようです。ですから上の議論も論理的な話じゃないことを承知で書いているようで、なかなか面白く読めました。
で、この岩波文庫の中の他のエッセイを読んでいて、『小知恵にとらわれた現代の法律学』(現代と言っても大正10年の講演の速記に手を入れて文章にしたものなので、その当時の『現代』です)の中で、『世論』という言葉が何回か出てきました。そこでまずはこの『世論』はセロンなんだろうかヨロンなんだろうか、と思って、念のために冨山房の方を見てみました。するとそちらの方にはちゃんと『輿論』となっていました。これで末弘さんは『輿論』と書いた所を岩波が『世論』に書き換えたんだとわかりました。『輿論』であれば話は分かります。冨山房の方も1988年の出版ですから、『世論』に変えられていても不思議じゃないのですが、『輿論』にしておいてくれたので助かりました。
当用漢字(今では常用漢字になっていますが)の登場で、新漢字・新仮名使いにするというのはなるほどこういうことなんだ、とようやく実感しました。
なおこの岩波文庫の中のエッセイのテーマが法学部とか役人とかになっているのは、末弘さんが法学部の先生であり、大学の法学部というのは法律家の育成もするけれど、国や大企業のお役人を育成することが主な目的だということを反映したもののようです。
私はこの末弘さんのいくつかのエッセイを面白く読んだんですが、今の司法試験受験者の人達はこのような本を読んでいるんでしょうか。多分読む人は少ないんじゃないかなと思います。何とも勿体ない話です。