Archive for 7月, 2011

放射能牛肉

水曜日, 7月 27th, 2011

福島の放射能牛肉の話、とどまる所を知らない勢いで大騒ぎになってますね。

専門家が「その放射能レベルだったら1年間その牛肉を食べ続けたとしても問題がない」と言っているのに、単に基準値を上回るものはケシカランということで、全量買い上げで処分するということになっているようです。

私にしてみれば、放射能のレベルの問題だったらもっと放射能の低い肉と混ぜてしまえばレベルはいくらでも下げることができるので、たとえば他の県の肉と混ぜるとか、オージービーフと混ぜるとかして、ひき肉にすれば基準値を下回るようにできるし、肉も無駄にならないで済むと思うんですが、こんな考えは受け入れられないんでしょうね。

多分、そんな姑息な手段で基準値をごまかそうとしている、とか詐欺だ、とかの大騒ぎになるんでしょうね。

いずれにしても冷静な議論ができないというのは困ったものです。マスコミもセンセーショナルな報道が好きなのはしょうがないにしても、そろそろ冷静な議論もできるようにしないと、そのうち視聴者に見放されちゃうんじゃないかという気がします。

佐藤優さんのコラム

火曜日, 7月 26th, 2011

金財(週刊金融財政事情)に連載中の佐藤優さんのコラム、やはり素晴らしいですね。

3回目は『「松本復興相辞任問題」の本質』と題して、政治は言葉の芸術である、ということと、震災から立ち直るにはイデオロギー(あるいは「国民の物語」)が必要なのだ、ということを言っています。
イデオロギーを「国民の物語」と言い換えるのはびっくりですが、言われてみればその通りですね。新たな「坂の上の雲」の物語ができると良いんでしょうね。

4回目は『特捜検察の存在意義』です。特捜検察の国策捜査により逮捕され有罪になった佐藤さんだからこそ書ける、特捜部必要論です。

歴史には時として「時代のけじめ」をつけることが必要になることがあり、今のように政治がそれをする力を失っているような時は、それに代って特捜が国策捜査でそれをすることが必要になる。『特捜検察が生き残ることが結果として国家と国民の利益にかなうと筆者は考える』というのが佐藤さんの結論です。
いかにも国家主義者の佐藤さんの面目躍如といった所です。

連歌の読み方

火曜日, 7月 26th, 2011

先日野田泉光院という本の話を書きました。
この本の最初の部分のテーマは、芭蕉の奥の細道なんですが、その中に芭蕉の連歌(俳諧の連歌)の話が出ています。

連歌というのは室町時代(あるいは鎌倉時代)からのものですが、これのルールを少し変え、いろんな制限を少なくして、しかも面白さを追及したのが俳諧の連歌、略して俳諧ということです。
この俳諧の連歌の最初の一句「発句」と言われるものが、その後独立して俳句になったというわけです。俳諧の連歌の方はその後(多分明治時代に)(俳句との関連で)連句と呼ばれるようになったもののようです。

で、この連歌なんですが、五七五・七七の繰り返しになります。誰かが五七五の句を作り、それを受けて誰かが七七の句を作り、それを受けてまた誰かが五七五の句を作り・・・・という具合で、たくさんの句を連ねていくものです。
ここで五七五を受けて七七を作る方は、合わせて五七五・七七となってすんなり読めるのですが、七七を受けて五七五を作る方は、合わせたものをそのまま七七・五七五と読むのか、ひっくり返して五七五・七七と読むのか、というのがちょっと疑問でした。

この野田泉光院では宮本常一は明確に、七七に五七五を付ける時はひっくり返して五七五・七七と読むんだと言っています。これは何となく私が今まで理解していたことと一致するのですが、ちょっと確信が持てません。
以前にも何かの機会に同じことを考え、ネットでいろいろ調べてみたんですが、何ともはっきりしないまま終わってしまったことがありました。

ひっくり返して五七五・七七と読むにしても、そのまま書いてある通りに七七・五七五と読むにしても、どちらもごく自然なやり方ですから特に説明することもないということでしょうが、連歌の説明をしているサイトを見ても、もっと難しいいろいろなルールの解説はあるんですが、こんなに基本的で簡単なことの説明はなかなかありません。

でも今度こそは何とか決着をつけようと思って調べ続けて、ようやく確認できました。やはり五七五に七七を付けた時でも七七に五七五を付けた時でも、読むのは五七五・七七と短歌にする、ということのようです。

この最初にどちらか一方があって、もう一方を後から作ることを「付ける」というようです。
短歌は前半の五七五を「上(かみ)の句」、後半の七七を「下(しも)の句」といいますが、「私の作ったこの上の句に下の句を付けてごらん」とか、「私の作ったこの下の句に上の句を付けてごらん」とか言うのは、たとえば清少納言が自分は天才的にうまく答えられたと自慢して「枕草子」に書くくらい、王朝風の由緒正しい遊びだったようです。

で、この単発の「上の句に下の句を付ける」あるいは「下の句に上の句を付ける」から発展して、連続的に上の句に下の句を付け、その下の句に上の句を付け、その上の句に下の句をつけ・・・と続けていくのが連歌ということのようです。
もちろん言葉遊びですから、これだけじゃなく他にも色々なルールを追加して、そのルールを共有している仲間内で楽しむということで、いろんな流派・流儀が出てくるわけです。
芭蕉の俳諧もそれまでの連歌のルールを変更して、新しい連歌として普及させたもののようです。

このように連続して句を付けていくことに関して、句を付けるための、既に与えられた目標の句を「前句(まえく)」といい、その前句に付ける句を「付句(つけく)」とよびます。前句が五七五なら付句は七七、前句が七七なら付句は五七五です。
この付句ができた所で、今度はその付句を前句として新たな付句を付けることになります。それができたらまたこれを前句として付句を付ける・・・というわけです。

ですから前句が七七の時は付句は五七五で、この両方をセットで読むときは五七五・七七にするために付句の方が前に来て、前句の方があとに来ることになります。「前句と付句がセットで短歌にならなくちゃいけない」と芭蕉が明確に規定している、とのことです。短歌は五七五・七七で、七七・五七五じゃ短歌になりませんからね。

「前句」というのは付句を付けるために前もって与えられている句という位の意味になるようですが、前句という言葉から「前に置かれる」という気がして、前句が七七で付句が五七五の時、七七・五七五と読むのが正しいみたいな誤解も生じるのかもしれません。
実際本に書いてあるのは、縦書きならそれぞれ1行ずつ前句の左(次の行)に付句、それが前句になってその左に付句となっていますし、横書きの場合は前句の下の行に付句、それが前句になってその下の行に付句となりますから。

連歌ではなく、一つの前句を決めて、これに対して大勢の人からたくさんの付句を集めるという遊びが「前句付け」というものです。この前句も五七五でも七七でも良いのですが、七七を前句にして五七五の付句を作ってもらう方が面白いので、この方式の前句付けという遊びも江戸時代に大流行したようです。
「川柳」というのは柄井川柳という人が主催した、この七七の前句に対する五七五を集めたものです。その前句の七七は「わらいこそすれ わらいこそすれ」とか「きりたくもあり きりたくもなし」とかですから、ある意味どうでも良いようなものなんですが、そのうち前句の七七はなくても構わないということになり、「前句なしの前句付け」の川柳が五七五の形で出来上がったようです。

その意味で、俳諧の連歌のスタートの一句目の発句から始まった俳句とは、全く別物なんですね。
でもどちらも五七五ですから、やはり次第に同じようなものになるのは自然なことかも知れません。
今時俳諧の連歌をこれから始めるぞ、なんてつもりで俳句を読む人もいないでしょうし、前句はなくても前句付けだと思って川柳を作る人もいないでしょう。

いずれにしても積年の(というほど長いわけじゃありませんが)疑問が解決してメデタシメデタシです。ここに書いておけば、もう忘れることもないでしょう。

それにしてもあまりにも「当たり前と思える事」というのは、わからなくなると本当にわからなくなってしまうものですね。
何が当たり前かというのは、当人が当たり前と思っているとなかなか意識しないものですから、それだけ気をつけなければいけないなと思います。

そういえば前句付けについて、お題の七七が前句で、その付句が川柳になるのですが、川柳が上の句・お題が下の句になっているので、前句付けを「お題の前に付ける句」という意味に解釈して、お題が後句で川柳の方が前句だと説明しているサイトもありました。
前句の意味が逆転してしまっているんですが、インターネットで誰でも好きなことを発信することができる時代というのは、こういう風に話が変わってしまう危険がありますね。

記事広告

金曜日, 7月 15th, 2011

新聞を読んでいると、時々、ある特定の会社のことだけ取り上げて、ほめあげている記事にぶつかることがあります。あれっ、と思ってページの上の枠外を見ると、【記事広告】と書いてあって、やっばり、と思うことがあります。

新聞には、いかにも新聞記事のような体裁で、その実、企業の広告だ、という紙面の作り方があります。なれないとだまされてしまいますが、上の隅っこの方に【記事広告】と書いてあるだけで、だましているわけではなく正々堂々広告と言ってるじゃないか、という言い訳ができる、という仕組みです。

こんな話を持ち出したのは、九州電力のいわゆるやらせメールの話です。
いい加減そろそろもういいだろう、と思うのですが、マスコミはまだ大騒ぎをしています。

このやらせメール事件のテレビ番組、「しっかり聞きたい、玄海原発」というタイトルの県民説明番組、ということのようです。
経済産業省が主催し、企画した、経済産業省の広告(もしかすると公告という方を使うかもしれませんが、同じことです)番組です。

このときはまだ、菅さんのストレステスト発言の前の段階ですから、経済産業省は安心して原発再開の環境づくりをしていた時期です。経済産業省がこの番組を作り、その宣伝効果を高めようと思ったら、できるだけ大勢に見てもらって、特に原発再開の賛成派に大勢参加してもらって世論を盛り上げようとする、というのは当然のことです。

せっかく税金を使ってテレビの番組を作るんですから、視聴率も気になるでしょうし、マスコミの評価も気になるでしょう。でも、経済産業省というのはそういうのはあまり得意ではないでしょうから、そういうことは当然誰かに頼んでやってもらう、ということになります。もちろん広告代理店には頼んだでしょうが、それにはお金がかかります。お金がかからないで一番頼みやすいのは、この原発再開で経済産業省と利害が一致していて、経済産業省のいいなりになり、地元に影響力のある、たとえば九州電力、ということになります。

九州電力にしてみれば、お役所に逆らうことはできないし、会社にとっても悪い話ではないので、喜んで協力します、ということになるでしょう。

九州電力にしてみれば、原発再開はいいことにきまっていますから、いいことをいいことと言ってください、というのに何の躊躇もないでしょう。それで、お知らせ(協力要請)メールをもらった人も、いいことと思っているから、めんどくさいけどそれじゃあちょっと協力しようか、ということでしょう。

もし本当に九州電力が本気で『やらせメール』をさせようとしていたとしたら、メールの数は少なくとももう一桁、多分二桁くらいは軽く増やすことができたんじゃないかな、と思います。

いずれにしてもこの番組は『広告』なんですから、この化粧品を使えばだれでも美人になれる、とか、この英会話教材を使えばだれでも英語がペラペラになれる、とか言うのと同じことです。原発再開に賛成って言ってどこが悪いんでしょうか。

いずれにしても『やらせメール』と言われている人が送ったメール、必ずしもイヤイヤ書かされた、というわけでもないでしょう。素直に自分の考えとして原発再開賛成メールを書き送った人も多いと思います。そのようなメールを十把ひとからげで『やらせメール』として否定してしまう、というのはこの国には言論の自由とか、人格権という基本的人権はないのか、と思ってしまいますね。

この『やらせメール』事件で大はしゃぎしているマスコミ自体、客観性を装ったニュースであっても、街頭インタビューにしてもコメンテーター選びにしても『やらせ』のし放題だ、というのに、いつまでこんなニュースを垂れ流し続けるんでしょうね。

円高が止まらない

水曜日, 7月 13th, 2011

円高が止まりません。困ったものですね。

本来であれば日本はこれだけ震災・津波で傷めつけられて、その上今の政府や国会のていたらくですから円安になって当然のはずなんですが、それ以上にドル・ユーロが弱くなってしまって相対的に円高になってしまうんでしょうね。

ユーロはギリシャ・スペイン・ポルトガル・イタリア・アイルランドと、それこそ場合によったらユーロ存亡の危機のような状況ですし、アメリカもそのユーロの問題と債務上限引上げの問題で急速にドル安になっているし、日本の震災どころじゃないんでしょうね。

でもこれでは日本の製造業は困っちゃいますね。震災による部品不足は解消されつつあるようですが、電力不足による操業の縮小、そして円高で売ってもあまり儲からないということになったら苦しいだろうなと思います。

せっかくの円高ですから火力発電所用に化石燃料を大量に輸入するとか、被災地の農業被害の肩代わりに食料を大量に輸入したりしても、あまり大したことにはならないんでしょうね。

国債発行の問題がけりがつかないので、復興需要というのがなかなか本格的に動き出さず困ったものですね。
これが動き出せば、そのための輸入で為替も円安ドル高の方向の動きが出てくるはずなんですが。

野田泉光院

火曜日, 7月 12th, 2011

以前宮本常一に関する本を読み、ついでに宮本の書いた本を読んだ話をしました(このブログで書いたつもりだったんですが、探してみたらみつかりません。書いたつもりでそのままにしてしまったんですね。宮本常一というのは日本の民俗学者というか民俗研究家で、日本の各地の暮らしぶりをその土地土地の人から聞き取るため、ほぼ日本中を津々浦々まで歩いて回った人で、その記録を本にした膨大な著作があります)。

こんなことを書くと(で、結局書かなかったんですが、たしか国富論を読んだとき、国富論が面白かったという話と宮本常一が面白かったという話をしたような気がします)、早速同じような宮本常一に関する本、宮本常一の書いた本を持って来て、「これも読め」「あれも読め」と言ってくれる親切な友人がいます(保険の業界紙の社長さんです)。

もちろん断るわけはありませんが、こちらも古文や漢文の参考書を読んでみたり「資本論」や「経済学批判」を読んでみたりで、結構読む本はいろいろあります(もちろん読む本の順番が決まっているわけではないので、行き当たりばったりで読んでいるんですが)。

で、持ってきてくれた本はしばらくデスクの上に「積ん読」ということになるのですが、ようやく一冊読み終わりました。宮本常一「野田泉光院―旅人たちの歴史1」という本です。思った通りとても面白くて一気に読んでしまいました。

この「旅人たちの歴史」というシリーズは、昔の人の旅日記を読みながら、そこから読取れることを考えてみようというシリーズで、3巻くらい出ているようです。

この第1巻の中味は、芭蕉の「奥の細道」と野田泉光院の「日本九峰修行日記」に関する解説です。

「奥の細道」の方は芭蕉の「奥の細道」と、それに同行した曽良の「随行日記」を読み比べながら、芭蕉の旅がどのようなものだったか確認するというものです。

「奥の細道」が格好良く、ワビサビの世界で実はフィクションの世界になっているのに対して「随行日記」の方はノンフィクションで現実を記録していて、江戸時代の旅が普通考えるよりはるかに豊かに自由にできること。どこへ行っても俳諧の仲間が集まってきて、飲食も宿も用意してくれる。次に行く所の知人への紹介状も用意してくれて、ほとんど金もかからずに旅ができる様子が良くわかります。

その次の野田泉光院というのは山伏というか修験道のお寺の住職さんで、56歳の時に引退してあとを譲って隠居し、それを機会に全国の山伏寺の状況を見るために旅に出た、その旅日記です。

「泉光院」というのはお坊さんとしての院号で、たとえば戒名で○○院○○居士などという場合の「院」と同じですが、お坊さんなので生きているうちから院号が付きます。要するに旅をした主人公の名前です。

九州の佐土原(宮崎のちょっと上)から始まって東北地方まで行って帰って6年ちょっとの旅で(江戸時代の話ですから九州から本州、本州から四国・九州にわたるのはもちろん船ですが、残りは全部歩きです)、その途中各国の国分寺、一の宮には原則として全てお参りし、それ以外でもお宮やお寺、名所等見物しながらあっちに行ったりこっちに行ったり、托鉢をしたりしなかったりの旅をしています。

いわゆる街道筋をはずれた道を通って、関所や番所はどれくらい通り抜けるのが難しかったのかとか、よそ者は泊めてはいけないという決まりの土地でどうやって宿を取ったのかとか、行く先々で頼まれていろんな講釈をしてるんですが、その内容が孝経だったり論語や大学だったり、あるいは茶の湯を教えたり修験道の秘伝を教えたり(秘伝だから教えられないと言うと、だから内緒で教えてくれと言われ、結局教えているようです)、ちょっと長逗留する時は障子や襖の張替えを手伝ったり、いろんなことをするんです。

茶店でお茶を飲んでお金を払おうとしたのにお金を受取ってくれなかったとか、今までずっとタダだったからタダだと思っていたのにお金を取られたとか、日記自体は非常に簡潔に書かれているようですが、そのちょっとした言葉でわかる(多分普通に読んだんじゃわからないけれど、宮本常一が読むとわかるんです)当時の暮らしの実態が、宮本常一の観察力と該博な知識で我々でもわかるように解説されていて、本当に面白い本です。

幕末維新のちょっと前の日本が、一般の民衆レベルで本当の所いかに進んでいたのか、それが明治維新・維新後の文明開化を成功させるのにどれだけ貢献したか窺わせるような解説です。

最良のガイド付きで江戸時代後期の日本の田舎を旅行しているような気分にさせてくれる本です。

もし興味があれば読んでみて下さい。お勧めです。

佐藤優さんのエッセイ

月曜日, 7月 11th, 2011

7月に入り、週刊金融財政事情いわゆる「キンザイ」に佐藤優さんのエッセイの連載が始まりました。

例の鈴木宗男さんと一緒に逮捕されて有罪判決を受けた元外務省のお役人、いわゆるラスプーチンと呼ばれた人です。

国策逮捕で有罪になった人に連載を頼むのも、金融庁の広報誌でもあるキンザイも大したものですが、その内容は期待に違わず素晴らしいものです。

7月4日号の第1回は、現在の政界事情を見事に解き明かす1冊の本の紹介から始まります。

『個々の指導者の責任が軽くなればなるほど、自分は哀れむべき程度のくせに、人並みに国民に対して不朽の努力を捧げるために招かれていると感じているものの数も多くなってくる。』

そしてその責任を果たすために、それを邪魔する自分より前にその地位について中々そのポストを明け渡そうとしない人を引きずり下ろそうとする、ということで、小泉さん以降の頻繁な首相交代を解説しています。

その上で、その本があのヒトラーの『わが闘争』の一節だと種明かしをします。

同じ本の中から
【多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人の馬鹿者からは実に一人の賢人も生れないが、同様に百人の卑怯者からは一つの豪胆な決断も出てこない。】

という言葉も紹介されます。そしてマスコミが「誰がなっても日本は変わらない。どうしようもない」というニヒリズムを撒き散らすようになり、ヒトラーの登場につながる・・というお話です。

本物のエッセーは直接読んでみて下さい。はるかに面白いですから。

2回目の7月11日号は、沖縄の普天間問題に関して、鳩山さんのドタバタの結果、不平等の問題が差別問題に変わったということを明らかにしています。

佐藤優さんは太平洋戦争の沖縄戦の女子学生部隊の生き残りを母親にしている、半分沖縄人ですから、その議論にも説得力があります。
ここで佐藤さんが紹介しているのが、沖縄とグァムが日米の植民地となっている現状を打破するため、協力して独立運動を進めつつあるということです。

見開き2ページですから、本屋の立ち読みでも簡単に読めそうです。

もし「キンザイ」を見ることができるのであれば、是非読んでみて下さい。これから毎週このような切れ味鋭い文章が読めると思うと、楽しみです。

やらせメールとストレステスト

月曜日, 7月 11th, 2011

最近、以前に増してニュースが理解できなくなってきたようです。

その一つは九州電力の「やらせメール」の問題です。私がニュースを見る限り、九州電力のやったことは「テレビ番組があることを知らせてその番組に意見をメールで送るように連絡した」というだけのことで、何がこれ程大騒ぎをするほどの問題なのか、わかりません。

多分反原発の運動グループも同様に、仲間にメールを送って反原発の意見をメールで送るように連絡していると思うんですが、そっちの方は問題にならないんですね。

もう一つはいわゆるストレステストの問題です。

どうも原発の安全性を確認するために、今回の震災による原発事故を踏まえて新しいテストを導入しようということのようですが、そのテストのために原発が止まってしまうというのがわかりません。

今まで動いていたものを新しいテストをするからといって、その新しいテストの内容もまだ決まっていないのに、そのテストを実施するまでは原発を動かすなというのですから、大変です。

これは言ってみれば、たとえば
【自動車事故が多発するので、車の安全性を高めるため車検の内容をちょっと変更することになりました。それでその新しい車検の内容はこれから早急に検討して決めますから、それが決まって新しい車検に合格するまでは車の運転はやめて下さい。】
というようなものです。こんなことをやったら大混乱ですよね。

私が知っている保険業界の規制であれば、たとえばソルベンシーマージン規制というのがありますが、その規制を導入する時は、実際に導入する前に試行をし、その試行している事も試行の結果がどうだったかということも、当面公表しないでやっています。

それで試行の結果、どのレベルの規制であれば大丈夫か検討すると同時に、そのレベルで問題のある会社については早急に何らかの手当てをして、問題のないレベルまで改善させた上で初めて新しい基準を発表し、その基準に照らして「問題のある会社はない」という発表をしていました。

もちろんその間、保険会社の営業をストップさせる、なんてことはありません。

これと比べると今回の原発のストレステストの問題は、あまりにも唐突で準備不足のような気もします。
原発事故もようやく落着きつつある所ですから、もう少し落着いて考えても良いんじゃないかと思うのですが、そんな話は反原発の人にとっては聞く耳持たないんでしょうね。