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野田泉光院

火曜日, 7月 12th, 2011

以前宮本常一に関する本を読み、ついでに宮本の書いた本を読んだ話をしました(このブログで書いたつもりだったんですが、探してみたらみつかりません。書いたつもりでそのままにしてしまったんですね。宮本常一というのは日本の民俗学者というか民俗研究家で、日本の各地の暮らしぶりをその土地土地の人から聞き取るため、ほぼ日本中を津々浦々まで歩いて回った人で、その記録を本にした膨大な著作があります)。

こんなことを書くと(で、結局書かなかったんですが、たしか国富論を読んだとき、国富論が面白かったという話と宮本常一が面白かったという話をしたような気がします)、早速同じような宮本常一に関する本、宮本常一の書いた本を持って来て、「これも読め」「あれも読め」と言ってくれる親切な友人がいます(保険の業界紙の社長さんです)。

もちろん断るわけはありませんが、こちらも古文や漢文の参考書を読んでみたり「資本論」や「経済学批判」を読んでみたりで、結構読む本はいろいろあります(もちろん読む本の順番が決まっているわけではないので、行き当たりばったりで読んでいるんですが)。

で、持ってきてくれた本はしばらくデスクの上に「積ん読」ということになるのですが、ようやく一冊読み終わりました。宮本常一「野田泉光院―旅人たちの歴史1」という本です。思った通りとても面白くて一気に読んでしまいました。

この「旅人たちの歴史」というシリーズは、昔の人の旅日記を読みながら、そこから読取れることを考えてみようというシリーズで、3巻くらい出ているようです。

この第1巻の中味は、芭蕉の「奥の細道」と野田泉光院の「日本九峰修行日記」に関する解説です。

「奥の細道」の方は芭蕉の「奥の細道」と、それに同行した曽良の「随行日記」を読み比べながら、芭蕉の旅がどのようなものだったか確認するというものです。

「奥の細道」が格好良く、ワビサビの世界で実はフィクションの世界になっているのに対して「随行日記」の方はノンフィクションで現実を記録していて、江戸時代の旅が普通考えるよりはるかに豊かに自由にできること。どこへ行っても俳諧の仲間が集まってきて、飲食も宿も用意してくれる。次に行く所の知人への紹介状も用意してくれて、ほとんど金もかからずに旅ができる様子が良くわかります。

その次の野田泉光院というのは山伏というか修験道のお寺の住職さんで、56歳の時に引退してあとを譲って隠居し、それを機会に全国の山伏寺の状況を見るために旅に出た、その旅日記です。

「泉光院」というのはお坊さんとしての院号で、たとえば戒名で○○院○○居士などという場合の「院」と同じですが、お坊さんなので生きているうちから院号が付きます。要するに旅をした主人公の名前です。

九州の佐土原(宮崎のちょっと上)から始まって東北地方まで行って帰って6年ちょっとの旅で(江戸時代の話ですから九州から本州、本州から四国・九州にわたるのはもちろん船ですが、残りは全部歩きです)、その途中各国の国分寺、一の宮には原則として全てお参りし、それ以外でもお宮やお寺、名所等見物しながらあっちに行ったりこっちに行ったり、托鉢をしたりしなかったりの旅をしています。

いわゆる街道筋をはずれた道を通って、関所や番所はどれくらい通り抜けるのが難しかったのかとか、よそ者は泊めてはいけないという決まりの土地でどうやって宿を取ったのかとか、行く先々で頼まれていろんな講釈をしてるんですが、その内容が孝経だったり論語や大学だったり、あるいは茶の湯を教えたり修験道の秘伝を教えたり(秘伝だから教えられないと言うと、だから内緒で教えてくれと言われ、結局教えているようです)、ちょっと長逗留する時は障子や襖の張替えを手伝ったり、いろんなことをするんです。

茶店でお茶を飲んでお金を払おうとしたのにお金を受取ってくれなかったとか、今までずっとタダだったからタダだと思っていたのにお金を取られたとか、日記自体は非常に簡潔に書かれているようですが、そのちょっとした言葉でわかる(多分普通に読んだんじゃわからないけれど、宮本常一が読むとわかるんです)当時の暮らしの実態が、宮本常一の観察力と該博な知識で我々でもわかるように解説されていて、本当に面白い本です。

幕末維新のちょっと前の日本が、一般の民衆レベルで本当の所いかに進んでいたのか、それが明治維新・維新後の文明開化を成功させるのにどれだけ貢献したか窺わせるような解説です。

最良のガイド付きで江戸時代後期の日本の田舎を旅行しているような気分にさせてくれる本です。

もし興味があれば読んでみて下さい。お勧めです。