先日野田泉光院という本の話を書きました。
この本の最初の部分のテーマは、芭蕉の奥の細道なんですが、その中に芭蕉の連歌(俳諧の連歌)の話が出ています。
連歌というのは室町時代(あるいは鎌倉時代)からのものですが、これのルールを少し変え、いろんな制限を少なくして、しかも面白さを追及したのが俳諧の連歌、略して俳諧ということです。
この俳諧の連歌の最初の一句「発句」と言われるものが、その後独立して俳句になったというわけです。俳諧の連歌の方はその後(多分明治時代に)(俳句との関連で)連句と呼ばれるようになったもののようです。
で、この連歌なんですが、五七五・七七の繰り返しになります。誰かが五七五の句を作り、それを受けて誰かが七七の句を作り、それを受けてまた誰かが五七五の句を作り・・・・という具合で、たくさんの句を連ねていくものです。
ここで五七五を受けて七七を作る方は、合わせて五七五・七七となってすんなり読めるのですが、七七を受けて五七五を作る方は、合わせたものをそのまま七七・五七五と読むのか、ひっくり返して五七五・七七と読むのか、というのがちょっと疑問でした。
この野田泉光院では宮本常一は明確に、七七に五七五を付ける時はひっくり返して五七五・七七と読むんだと言っています。これは何となく私が今まで理解していたことと一致するのですが、ちょっと確信が持てません。
以前にも何かの機会に同じことを考え、ネットでいろいろ調べてみたんですが、何ともはっきりしないまま終わってしまったことがありました。
ひっくり返して五七五・七七と読むにしても、そのまま書いてある通りに七七・五七五と読むにしても、どちらもごく自然なやり方ですから特に説明することもないということでしょうが、連歌の説明をしているサイトを見ても、もっと難しいいろいろなルールの解説はあるんですが、こんなに基本的で簡単なことの説明はなかなかありません。
でも今度こそは何とか決着をつけようと思って調べ続けて、ようやく確認できました。やはり五七五に七七を付けた時でも七七に五七五を付けた時でも、読むのは五七五・七七と短歌にする、ということのようです。
この最初にどちらか一方があって、もう一方を後から作ることを「付ける」というようです。
短歌は前半の五七五を「上(かみ)の句」、後半の七七を「下(しも)の句」といいますが、「私の作ったこの上の句に下の句を付けてごらん」とか、「私の作ったこの下の句に上の句を付けてごらん」とか言うのは、たとえば清少納言が自分は天才的にうまく答えられたと自慢して「枕草子」に書くくらい、王朝風の由緒正しい遊びだったようです。
で、この単発の「上の句に下の句を付ける」あるいは「下の句に上の句を付ける」から発展して、連続的に上の句に下の句を付け、その下の句に上の句を付け、その上の句に下の句をつけ・・・と続けていくのが連歌ということのようです。
もちろん言葉遊びですから、これだけじゃなく他にも色々なルールを追加して、そのルールを共有している仲間内で楽しむということで、いろんな流派・流儀が出てくるわけです。
芭蕉の俳諧もそれまでの連歌のルールを変更して、新しい連歌として普及させたもののようです。
このように連続して句を付けていくことに関して、句を付けるための、既に与えられた目標の句を「前句(まえく)」といい、その前句に付ける句を「付句(つけく)」とよびます。前句が五七五なら付句は七七、前句が七七なら付句は五七五です。
この付句ができた所で、今度はその付句を前句として新たな付句を付けることになります。それができたらまたこれを前句として付句を付ける・・・というわけです。
ですから前句が七七の時は付句は五七五で、この両方をセットで読むときは五七五・七七にするために付句の方が前に来て、前句の方があとに来ることになります。「前句と付句がセットで短歌にならなくちゃいけない」と芭蕉が明確に規定している、とのことです。短歌は五七五・七七で、七七・五七五じゃ短歌になりませんからね。
「前句」というのは付句を付けるために前もって与えられている句という位の意味になるようですが、前句という言葉から「前に置かれる」という気がして、前句が七七で付句が五七五の時、七七・五七五と読むのが正しいみたいな誤解も生じるのかもしれません。
実際本に書いてあるのは、縦書きならそれぞれ1行ずつ前句の左(次の行)に付句、それが前句になってその左に付句となっていますし、横書きの場合は前句の下の行に付句、それが前句になってその下の行に付句となりますから。
連歌ではなく、一つの前句を決めて、これに対して大勢の人からたくさんの付句を集めるという遊びが「前句付け」というものです。この前句も五七五でも七七でも良いのですが、七七を前句にして五七五の付句を作ってもらう方が面白いので、この方式の前句付けという遊びも江戸時代に大流行したようです。
「川柳」というのは柄井川柳という人が主催した、この七七の前句に対する五七五を集めたものです。その前句の七七は「わらいこそすれ わらいこそすれ」とか「きりたくもあり きりたくもなし」とかですから、ある意味どうでも良いようなものなんですが、そのうち前句の七七はなくても構わないということになり、「前句なしの前句付け」の川柳が五七五の形で出来上がったようです。
その意味で、俳諧の連歌のスタートの一句目の発句から始まった俳句とは、全く別物なんですね。
でもどちらも五七五ですから、やはり次第に同じようなものになるのは自然なことかも知れません。
今時俳諧の連歌をこれから始めるぞ、なんてつもりで俳句を読む人もいないでしょうし、前句はなくても前句付けだと思って川柳を作る人もいないでしょう。
いずれにしても積年の(というほど長いわけじゃありませんが)疑問が解決してメデタシメデタシです。ここに書いておけば、もう忘れることもないでしょう。
それにしてもあまりにも「当たり前と思える事」というのは、わからなくなると本当にわからなくなってしまうものですね。
何が当たり前かというのは、当人が当たり前と思っているとなかなか意識しないものですから、それだけ気をつけなければいけないなと思います。
そういえば前句付けについて、お題の七七が前句で、その付句が川柳になるのですが、川柳が上の句・お題が下の句になっているので、前句付けを「お題の前に付ける句」という意味に解釈して、お題が後句で川柳の方が前句だと説明しているサイトもありました。
前句の意味が逆転してしまっているんですが、インターネットで誰でも好きなことを発信することができる時代というのは、こういう風に話が変わってしまう危険がありますね。