Archive for 1月, 2014

カブラの冬

木曜日, 1月 30th, 2014

前回第一次大戦から第二次大戦にかけての時期の歴史について色々読んだという話をしましたが、その続きでもう一つ読んだ本がこの「カブラの冬」という本です。

今年は第一次大戦が始まった1914年からちょうど100年ということで、第一次大戦ブームみたいなところがあるのですが、この本も「レクチャー 第一次世界大戦を考える」というシリーズ中の1冊です。このシリーズは京都大学の人文科学研究所の共同研究班の成果報告ということです。

この本は第一次大戦で、ドイツで76万人の餓死者が出たということについて解説しているものです。第一次大戦の前線での戦死者180万人に対し、銃後の直接戦争にならなかった所で76万人もが餓死したというのは初めて聞く話なので、図書館でみつけて思わず借りてしまいました。

結局の所ドイツは政府が食料対策をほとんど取らないまま戦争に突入し、その戦争もすぐ終わると思っていので始まってからも何もせず、そのうち食料が足りなくなると大切な食料を豚の飼料にするのは勿体無いとばかりに豚を殆ど殺してしまって(それも当初は豚を殺してソーセージを作るはずだったのが、そのうち豚を殺すのが目的となってしまい、ソーセージを作る暇もなかったので大量の豚肉を腐らせてしまった、ということのようです)、今度は蛋白質と脂肪分を摂るすべがなくなってしまい、「カブラの冬」と言っていますが日本名カブハボタンあるいはスウェーデンカブという、蕪とはちょっと違ったもので、水分が多く味も悪いものを苦し紛れに食べるようになったというあたりの話が解説されています。

第一次大戦はどちらの側もすぐに片付くと思っていた(7月末から8月に戦争が始まり、双方ともクリスマスには片付くと思っていたようです)のが、塹壕を挟む睨み合いで4年もかかってしまい、最後にドイツがパリまでもう少しという所まで迫った所でドイツで革命が起こり、皇帝が逃げ出してドイツの負けとなった戦争です。もうちょっとで勝つはずだったドイツ軍にしてみればもうちょっとの所で革命を起こして負けいくさにしてしまったのはマルクス主義者とユダヤ人のせいだ、ということになって、第一次大戦後のドイツの混乱につながっていきます。

もちろんドイツ国内で飢えていた人にしてみれば、「戦争のためだ」とばかりに軍隊に食料を持っていかれ自分達は飢え死にするばかりだとなったら、「戦争はもうやめろ、食べ物寄こせ」ということになるのは当然のことですから、反政府運動は切実なものだったようです。

ドイツはヨーロッパの中では貧しい農業国だったのが、プロシャが主導権を握って急速に工業化を進め、第一次大戦の前には最先端の工業国になっていたのですが、その当時は食料の30%は輸入に頼らざるを得ないようになっていたようです。
それで不足する食料はロシアやアメリカ・カナダ・アルゼンチンなどから輸入していたのですが、まず東のロシアについては、ドイツが真っ先にロシアに攻め込んでしまったので、そこからの輸入はできなくなってしまいました。
南はフランスで、まさに塹壕を挟んで睨み合っているんですから、食料を持ってくることはできません。

頼みの綱はアメリカ・カナダ・アルゼンチンからの輸入なのですが、これをイギリスが海上封鎖して完全にストップしてしまったようです。こうなるともうどこからも食料は入ってきません。
「76万人の餓死」というのは、死者数でいえば広島・長崎よりもはるかに多い数字です。この記憶はドイツ人にとっては忘れられないもののようです。しかも第一次大戦はドイツの皇帝が逃げ出してドイツの負けが決まったのですが、とりあえず休戦して講和の交渉をするわけです。最終的に決着したのはベルサイユ条約を関係国が承認した時です。連合国側だけで条件を話し合い、半年もかかってそれが出来上がった後で初めてドイツにその条件を提示し、5日以内にそれを受け入れなければ戦争を再開するぞと言ったというんですから酷い話です。

で、休戦中でいつ戦争が再開されるかわからないからということで、その間ずっとイギリスの海上封鎖は続いていて、ドイツとしては戦争は終わったけれど封鎖は解除されないで、食料が入ってこないという状況が半年以上も続いていたようです。

ヒトラーの政策が、まず第一にドイツ人が食べ物に困らないだけの土地を獲得し、その上で植民地政策を進めようというものだったのも、この食料不足が原因なんでしょうね。

そしてイギリスの海上封鎖でトコトンやられた記憶から、ヒトラーは大陸ヨーロッパでは次々に他国を侵略しても、イギリスについてはトコトンおべっかを使い、イギリスが敵にまわるのをギリギリまで遅らせた、ということのようです。

この第一次大戦のドイツの飢餓について第二次大戦後はあまり話題にされていないようですが、第一次大戦後には日本でもかなり注目され熱心に研究されたようで、それが第二次大戦中の日本の食料の配給制その他の食料統制に生かされているのかも知れません。また日本が朝鮮・満州にあくまでこだわったのも、食料を自給できるだけの領土を確保したいということだったのかも知れません。

ということで、いろいろ考えるヒントがたくさんみつかる本でした。

第一次世界大戦

金曜日, 1月 17th, 2014

さて芦部さんの憲法が一段落した所で、前にちょっとだけ紹介したライアカット・アハメド著「世界恐慌」をじっくり読もうとして、まずはその準備としていくつかの本を読みました。

この「世界恐慌」は第一次世界大戦が始まる所から、ヒトラーが政権を握り、第二次大戦に向かって戦時体制になる所あたりまでをテーマにしています。考えてみると、この本を本当に理解するには私は第一次大戦についてあまり良くわかっていないということに気付き、改めてこれについてもう少し理解することが必要だと思うに至りました。

第二次大戦は我々日本人にとっては太平洋戦争であったり、大東亜戦争であったり日中戦争であったり、かなりいろいろな情報に接します(毎年8月になるとテレビでもいろんな番組が組まれます)が、第一次大戦は、ヨーロッパでドイツとフランス・イギリスが戦っている間に日本は中国や太平洋にあるドイツの利権を横取りしたり、ヨーロッパの工業生産力が破壊された機会に日本の工業生産を伸ばして輸出で大儲けしたり、戦後ドイツのインフレとマルク安でドイツに留学した日本の貧乏学生が王侯貴族のような生活を楽しむことができたとか、かなり限定的な知識しかありません。

そこで何冊か読んだんですが、やはり焦点となるのはドイツですからまず読んだのは坂井栄八郎著「ドイツ史10講」(岩波新書新赤版)です。この本はカエサル(シーザー)のゲルマン戦争から現代までを10回の講義で終わらせてしまうという大胆な本ですが、その分中心的な流れが良くわかります。これで全体像をつかんだ後、いよいよ第一次大戦から第二次大戦までの時代についてもう少し読むのに、この本でも紹介されていて、またこの本の著者の坂井栄八郎さんの先生にあたる林健太郎さんの書いた本を2冊、「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」(中公新書)と「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)を読みました。

「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」の方は、第一次大戦が始まる所からヒトラーが政権を取るまでのドイツの歴史(特に社会・政治・経済面の)、「両大戦間の世界」は同じ期間の、ドイツを含むヨーロッパの各国(イギリスやロシアを含む)の歴史について書いてあります。

これで良くわかったのは、ヨーロッパの第二次大戦というのは、第一次大戦の続きの戦争であって、二つの戦争というより20年の休戦期間を挟む、1つの30年戦争と考えた方が良いということです。

たまたま太平洋戦争と時期が一緒になってしまったので、両方合わせて第二次大戦ということになってますが、実際はヨーロッパの第一次大戦の続きの戦争と、アジアの日中戦争・大東亜戦争・太平洋戦争を合わせた戦争と、二つの戦争と考えた方が良いのかも知れません。

いずれにしても第一次大戦の戦費のための国債発行や借り入れ、戦後の復興のための国債発行や借り入れ、通貨の発行や賠償金の支払い・取立て、そのための国債発行・借り入れ、その結果としてのインフレや財政破綻・銀行破綻・大恐慌がこの「世界恐慌」という本のテーマなんですから、このあたりの経済・社会・政治的な経緯を大づかみで理解することはこの本をちゃんと読むのに必要な条件だと思います。

これらの本のついでに、最後に大澤武男著「ユダヤ人とドイツ」(講談社現代新書)という本まで読みました。この本はユダヤ人がローマ帝国と戦ったユダヤ戦争に負けてエルサレムから追い出される所から始まるのですが、やはり中心となるのは第一次大戦の頃からヒトラーによりユダヤ人が皆殺しになる頃までの期間です。

今までドイツのユダヤ人問題についてはあまり良く知らなかったので、興味深い本でした。ヒトラーのユダヤ人政策の殆ど(シナゴーグの破壊や放火、ユダヤ人の住居や財産の没収、集団強制居住、人権の剥奪、強制労働)が、実はルター(あの宗教改革のルターです)が「ユダヤ人と彼等の虚偽について」という本の中で主張していることの引き写しだというのも初めて知りました。こうなるとユダヤ人問題というのも根が深いですね。

ヒトラーのユダヤ人殺しも、実は最初は身ぐるみ剥いで追い出すというやり方で、皆殺しまではいかなかったのが、実際やってみると非常に手間暇がかかることがわかり、それでもドイツだけのことなら何とかなりそうだったのが、ポーランドを占領してみたらそこでドイツとはケタ違いに多勢のユダヤ人を見つけてしまい、それを同様に身ぐるみ剥いで追い出すというのは現実的に不可能だとわかって皆殺しに方針変更した、という経緯も良くわかりました。

で、ユダヤ人問題の方ですが、第一次大戦後のドイツの政財界に登場する人物も、この人はユダヤ人、この人もユダヤ人と書いてあり、暗殺された人も何人もいるのですが、ユダヤ人だからといって殺されたわけではない、と書いてあります。

ワイマール憲法を作った人もユダヤ人で、第一次大戦の戦後処理のためのベルサイユ条約のドイツの賠償額をできるだけ少なくする交渉を任されたのもユダヤ人です(この人はドイツのために頑張ったのですが、そもそもベルサイユ条約自体を認めない右翼からすると、そのような交渉をすること自体が許せないということのようです。第一次大戦後の3年半でドイツで右翼のテロで暗殺されたのは、この交渉を任された人が354人目だということで、平均すると毎週2人ずつ暗殺されている計算になり、大変なことだなと思いました。とは言え日本でも幕末の頃はこれ位、あるいはもっと多数の暗殺があったのかも知れませんが)。

それで気が付いたのは、この本の前に読んだ「ワイマール共和国」でも「両大戦間の世界」でも、誰がユダヤ人で誰がユダヤ人でないか、ということについてはほとんど書いてなかったような気がします(私が見落としていただけかも知れませんが)。

このあたりわざわざそれを書くことにより、ユダヤ人差別のきっかけとなる可能性もあるんでしょうが、それを書かないことによりユダヤ人問題をきちんと理解できなくなる可能性もあるなと、この種の差別の問題の難しさを感じました。