Archive for 5月, 2023

『ナチ占領下のフランス』―渡辺和行

木曜日, 5月 25th, 2023

第二次大戦でフランスは大戦の初期にドイツに敗北し、数年間傀儡政権下にあったものが、日本の真珠湾攻撃によりアメリカが参戦し、イギリス軍と一緒になってドイツ占領下のフランスを攻撃し、パリを開放してフランスはまた独立を確保した、その前後の経緯が書いてある本です

ヴィシー政権とかペタン将軍という名前は知っていましたが、改めて全体を通してこの時期フランスがどんなことになっていたのか分かりました。

何となく、フランスがドイツに占領される中、ドゴールがフランス南部にとどまってかろうじて反ドイツで頑張っていた、という風に思っていたのですが、実はドゴールはフランスがドイツに負けた時ペタン将軍に金を出してもらってロンドンに逃げ、そこで反ドイツ運動を始め、その後アフリカのいくつものフランス植民地を一つ一つ取り戻して、最終的にイギリス・アメリカ連合軍がノルマンディーに上陸し、ドイツをフランスから追い出した時ようやくパリに戻れたという話です。

ドゴールはフランスを回復するにあたり、イギリス・アメリカ軍だけでなくフランス国内で反ドイツ運動を展開していたいくつものパルチザン組織、そして共産党と対抗しながら主導権を確立していく非常に複雑な政治的駆け引きが必要だったということも分かりました。

もともと第二次大戦が始まった後、1939年9月に独仏両国が互いに宣戦布告をした後もドイツもフランスも本格的な戦闘を始めず、『奇妙な戦争』と言われるような状況だったのが、1940年5月になってドイツはいきなりフランスに攻め入り、1ヵ月でパリを陥落させてしまいました。

フランス政府はパリを捨ててトウールに逃げ、パリが陥落してさらにボルドーに移り、第1次大戦の英雄のペタン商運を首班とする内閣を成立させました。その翌日フランスは国としてドイツに降伏し、パリ郊外では仏独休戦協定が調印され、フランス政府はヴィシーに移った、ということです。

フランスは東部とコルシカ島をイタリアに占領され、アルザス・ロレーヌはドイツに併合され、北部と西部はドイツに占領され、残った中部から南部にかけて、それまでのフランスの3分の1が自由地区としてフランス政府の統治下に置かれたということです。

一応このようにしてとりあえず国としての存在は保たれたものの、全てはドイツ占領軍とナチスの言いなりの政府であり、反政府・半ドイツのフランス人を捕まえたりフランス国籍のあるなしにかかわらずユダヤ人を捕まえてポーランドの収容所に送ったりしました。

戦後このような活動に参加した人達は解放軍と国民によって逮捕され、その後、対独協力者特別裁判所が設置された後でも12万4千件が審理され、6,700人が死刑の宣告を受け、760人が実際に刑を執行された、ということです。

ドイツに降伏した後のヴィシー政権もフランスの正当な政府であり、ここで政府の指示で動いた人達も対独協力者となってしまい、特別裁判所で裁かれることになってしまったわけです。

日本は東京裁判その他の軍事裁判で戦犯として裁かれる人も多数でしたが、フランスのように同じ国民同士で裁き合い処刑し合うことにならなくて良かったなと思います。

このあたり、フランスではできるだけ触れたくないようで、『第2次大戦でフランスはドイツに侵略されたけれど南フランスの一部でパルチザンが最後まで頑張りとおし、その後、反転攻勢に転じ、アメリカ・イギリスと一緒になってドイツ軍をフランスから追い出して独立を取り戻した』、という神話を語り続けていこうとしているようです。

今、ロシアがウクライナに攻め入ってウクライナ戦争が始まって1年ちょっとが経ちました。第二次大戦では、第一次大戦で敗れ経済的にも軍事的にも壊滅的なダメージを受けたドイツが、第一次大戦の戦勝国のフランスに攻め入り1ヵ月でパリを陥落させてフランスを降伏させた事を考えれば、プーチンが1ヵ月でキエフ(キーウ)を陥落させてウクライナを降伏させることができる、と考えたのは無理のないことかも知れません。

第二次大戦、私にとっては太平洋戦争であり、また支那事変(日中戦争)としてしか理解していなくて、ヨーロッパの戦争についてはあまり良く分かっていませんでした。ここで改めてヨーロッパの第二次大戦を読み直してみて考えさせられる事がたくさんあります。

この本も市の図書館の『ご自由にお持ち帰り下さい』コーナーにあった本で、何となく気になって持ち帰ってきたまま何年かそのままにしてあったものですが、読むことができて良かったなと思います。

フランスおよびヨーロッパの複雑さが分かる一冊です。

お勧めします。

『書物』―森銑三、柴田宵曲

水曜日, 5月 24th, 2023

これは『書物』というタイトルで、書物好きの2人の著者が書物にまつわるあれこれについて自由に書いているエッセイ集です。

第二次大戦が始まって紙が不足して出版するのが難しくなった頃の昭和19年に初版が出て、戦争が終わってどんな本でも飛ぶように売れた頃の昭和23年に1編削って16編書き加えた形で再版され、その後それぞれの著者の分がそれぞれの全集に収められていたのを、その後50年経って初版再版に入っていたものを全てまとめて1997年に岩波文庫から出版され、それをさらに25年経ってから私が読んでいる、という何とも気の抜けた話です。

テーマは本にまつわる様々なことで、書名についてとか読む場所とか本の貸し借りとか、自著とか辞書とか貸本屋とか図書館とか、活字本でない木版本・写本とか古本屋とか、とにかく様々です。まだテレビがなくラジオが普通に聞けるようになった頃で、面白い本の著者をラジオの前で何か喋らせたら、とか、空襲で本が焼けてしまった話とか、盛りだくさんです。

登場人物もたくさんいて、私も名前だけ知っている人や名前も知らない人がたくさん出てきます。一方の著者は図書館に勤めたり大きな文庫の整理をしたりした人で、もう一方の著者は俳人としても有名な人で、いずれも自分で著作するより数多い書物を楽しむことを第一とした人のようで、本当に本が好きな人だなということが良くわかります。

この本は図書館のお勧めコーナーにあった本で、手術のための入院で気楽に読める本が良いかなと思っていた時にちょうど見つけて、予定通り気楽に読めました。どこから読んでもどこを読んでも同じように楽しめます。
本にまつわるいろんな人のいろんなエピソードもふんだんに書かれてあり、楽しめました。

1つだけあれ、と思ったのは
『「だれでも作れる俳句」というのは良い本だそうだが、正しくは「作られる俳句」たるべきで「作れるは片言(かたこと)である」』
という部分があり、言葉の使い方に几帳面な人だな、と思ったのですが、私の感覚では『作れる』の方が自然で『作られる』の方が不自然のような気がします。例の『れる-られる』問題なのですが、本当はどうなんでしょうか。

この本では時節がら『事変前』とか『事変後』とか普通に出てきます。これは満州事変の事なのか、支那事変のことなのか、どっちの事なのかなと思ったり、多分今では『終戦後』という所だと思われる所、『停戦後』という言葉を使っています。当時このような言い方があったのかなと思います。

著者自身
『「書物に興味を持って書物と共に暮らしている二人の男のたわごと」ともいうべき見事無用の所が出来上がった。「書物」という書名が漠然としているように、この書の内容も漠然としている。徹頭徹尾たわごとに終始している。とりとめもない事ばかりを述べている。・・・かような書物を作ったことにどう意義があるのかそれは私らにも分からない。始末の悪い書物を拵えてしまったものだと今になって思っている。』
なんて書いているように見事にどうでもよい本で、そのどうでも良い所が本好きには堪らないということで、再版が出てから半世紀もたって岩波文庫に入り、4分の3世紀も経って私が読んでいるという事で、本当に何やってんだかと思ってしまいます。

本好きでとりとめなくどうでもよい本に興味がある人にお勧めです。

Chat-GPTと量子コンピュータ

水曜日, 5月 24th, 2023

Chat-GPTでAIを相手に遊ぶ、ということがはやっているようです。
ネットに出てくるchat-GPTへの『こう質問したらこう回答があった』という記事はなかなか面白いものです。

その内容については物笑いの種でしかないものですが、驚いたことに日本語としては殆ど違和感のない見事な日本語になっています。

様々な詐欺メールは、まず第一に『日本語がおかしい』という所でチェックされ、怪しいなと警戒するのが普通です。
今後このchat-GPTのようなAIシステムを利用しておかしな日本語がまっとうな日本語になって現れるようになると、詐欺メールの判定がちょっと難しくなりますね。

AIの進化、面白がってばかりもいられませんね。

もう一つ、『量子コンピュータ』というものがいよいよ実用化されようとしているようですね。

こうなると、いわゆる暗号化で、この暗号はコンピュータを使っても解読するのに何百年もかかる、と言われていたものが、ほんの数分で解読できるという世界が来てしまうのかも知れません。

今までのコンピュータセキュリティの世界が大幅に変わってしまうのかも知れません。
暗号が解読されるようになってもわざわざ大金をかけて解読なんてしないだろうと思ってそのまま使い続けるか、量子コンピュータを使っても解読するのに何百年もかかような暗号システムに作りなおすか、あるいは暗号システムとは全く別の何らかのシステムに乗り換えるか、いずれにしても厄介な話です。

通信の暗号化の話はこれで良いのですが、ビットコインなどのいわゆる暗号通貨、あるいは暗号資産と言われるものはどうなってしまうんでしょう。

システムを新しいものに替えると言っても、今既に暗号通貨として流通してしまっているものを新しいシステムに移し替えるというのは新しいシステムを作るよりはるかに難しいことになりそうです。

かと言って、これを機に暗号通貨が一気に終焉するというわけにもいかないでしょう。

私が生きている間にその行向が見えてくるんでしょうか。
楽しみですね。

『古事記と日本書紀』-神野志隆光

火曜日, 5月 23rd, 2023

『古事記』と『日本書紀』とは日本の神話と神代からの歴史をまとめた書物として説明されているものですが、この本ではこれらの本がどのように日本で読まれ続けてきたのか説明してくれています。

はじめに本居宣長の『古事記伝』の話をして、この本は本居宣長が古事記の説明をするというより、古事記にまとめられるそれ以前の古事記の姿を探し求めるというものだ、ということになるようです。文字になる前の言葉を、文字になった後の古事記や日本書記の中から探しだそうということのようです。そして『もののあわれ』というものがその本質だ、ということが説明されます。

次の章では中世の日本書記の理解について、その当時の中国の文献・仏教の文献を使いながら、神道・仏教・儒教・道教も本質は同じなんだとして理解しようとしていたことが説明されます。

次の章では古事記・日本書紀は日本の神話、というよりむしろ天皇の神話なんだという話があり、次の章では古事記の神話、次の章では日本書紀の神話が紹介されます。

ここで今まで私は古事記と日本書紀、どちらも神話の部分は同じようなことが書かれているものだと思っていましたが、実はかなり違うものだということが説明されます。

イザナキ・イザナミ神話では、火の神を産んだ時イザナミが死んでしまい、黄泉の国へ行ってしまったので、イザナキはそのあとを追っていくんだけれど、イザナミの恐ろしい姿を見て逃げ出したという話は古事記の話で、日本書紀ではイザナミは死なず、その後もイザナキと一緒に国造りをする、とか、高天原(タカマガハラ・タカアマノハラ)に神々が生まれ、イザナキ・イザナミが国作りをするというのは古事記の神話の話で、日本書紀には高天原は登場しない、天の世界が高天原とよばれることはない、というのもビックリする話です。

さらには『アマテラス』というは古事記では神話の世界の主人公的役割を果たす重要な神ですが、日本書紀では『日の神』として登場するだけで大した役割を果たすわけではないという話にもびっくりします。

これほど根本的な違いがあるにもかかわらず古事記の世界と日本書紀の世界を一つの世界として統一し、さらに中国の思想や仏教の世界まで一緒に一つの世界として統一し、さらには天皇家の様々な祭祀とそこで唱えられる祝詞(のりと)の世界まで含めて統一してしまおうと言うのが今までの考え方で、そのために非常に豊かな神話の世界が出来上がったのだけれど、これは改めて別々の神話だという視点で見直す必要があるのではないか、というのが著者の言い分です。

まあ、同じような事柄について二つの異なる説明がある場合、どちらかが正しくてそうでないほうが間違っている、と言えない時に、何とかして両方を立てて統合したくなる、というのはごく自然なことなので、これも仕方のないことなのかもしれませんが。

こう言われてしまうと今まで漠然と日本の神話として考えていたものが古事記の世界なのか、日本書紀の世界なのか、祝詞の世界なのか、一体何だったのか改めて読んでみたいという気持になります。

今まで自分の考えていたこと、知っていたことは一体何だったんだろうと思わせる不思議な本です。またひとつ大きな課題がみつかってしまいました。古事記にしろ日本書紀にしろ、万葉仮名付きの漢文あるいは変体漢文の世界ですから、読むのは結構大変そうです。

さてどうなりますやら。

入院・手術・退院のお知らせ

木曜日, 5月 18th, 2023

先週5月10日~12日、近くの日赤病院に入院し、手術してきました。

約2年前、ちょうど2回目の東京オリンピックの開会式の頃骨折で入院して、開会式は病院のベッドで見ていたのですが、それから2年近く、その手術で骨を留めるために埋め込んだ金属板(プレート)とネジ(ビス)を取り外す手術を行うための入院です。

本来であればこの手術は最初の手術から1年から1年半経過した所で行うことになっているんですが、病院としてはこの手術にはあまり乗り気でなく、そこを無理を言っての手術となりました。

手術が遅くなったのは、一つには例によって武漢コロナのせいで不要不急の手術はしない、という原則で延び延びになってしまったという事と、コロナの収束に伴ってこの不要不急の手術が復活してきて、先延ばしにされた手術のために全身麻酔の順番がなかなか回ってこなかった、ということが原因です。

もう一つの原因は、病院のスタンスとして高齢者の場合(どうも老人とか年寄りという言葉は今やほぼ禁句になってしまったようで、私などは基本的に高齢者とよばれるようです)、手術に伴ってトラブルが発生した場合、手術によるメリットよりそれらのトラブルによるデメリットの方が大きくなる可能性があり、『必要でない手術はしない』という考え方のようです。

『金属板(プレート)とネジ(ビス)と言っても材料が良くなっていて、CTやMRIの検査を受けるのに何の支障もないし空港などのセキュリティーチェックのゲートで止められることもないので、あえて取る必要もないでしょう』というのも説得力があります。リスクの方は、手術の際神経や血管を傷つけてしまう可能性もないではないし、またリンパ管を切断してまた足がむくんでパンパンに膨れ上がってしまうかもしれないし、へたをすると全身麻酔からうまく覚めないかも知れないし、手術から2年近くたって骨としっかりくっついてしまってうまく取れないかもしれない、無理やり取ろうとしたら逆に新たに骨折してしまうかも知れない、というような事です。

確かに2年近くも身体の一部だったものをわざわざ取り外すこともないかとも思うのですが、やはり異物が身体の中に入っているというもちょっと嫌なので、死ぬ前に身綺麗にしておこうということで取ってもらうことにしたわけです。また私は普段からあぐらを組んで座ることが普通なのですが、左足を下にする時はちょうどその金属板の上に座るということになり、やはりちょっと痛みがあります。

で、水曜日の朝10時に入院、麻酔医との面接や手術前のシャワーなどがあり1日目終了。2日目は朝から点滴、朝食・昼食抜きで11時半いよいよ手術です。手術は2時間くらいで終わったようで、麻酔から覚めたらあとはベッドでおとなしくしているだけです。3日目は朝食後朝9時半に退院ですからあっという間の入・退院です。

9時半の退院で10時には自宅に帰りつき、あとはのんびりしているだけです。念のため土日は自宅でおとなしくしていて、月曜からオフィスに出ています。

入院しても手術を受ける2時間を除けば特にすることもないので、本を読もうと思って持って行ったのが、
・ 『古事記と日本書紀-『天皇神話』の歴史』 という講談社新書
・ 『ナチ占領下のフランス-沈黙・抵抗・協力』 という講談社選書メチエの1冊
・ 『書物』 という岩波文庫の一冊
・ 『量子の道草』 という物理学・量子力学のいくつもの式をめぐるエッセイ
の4冊です。

どちらも読みさしの本を持って行って、あわよくば読了を狙ったものです。

改めてこのように列挙してみると見事に支離滅裂な品揃えになっていて、笑ってしまいますね。
このうち2冊、『古事記と日本書紀』の本と『ナチ占領下のフランス』は無事読了しました。『量子の道草』というのは最初から読了するのはほとんど期待していません。『書物』というのは図書館に返さなければならないので、近日中に読了する予定です。

いずれにしても読み終わった所で順次感想文をこのブログに載せる予定です。しばらくお待ち下さい。

ということで、ゴールデンウイーク明けに入院と手術を受けて無事カンバックした事の報告です。