Archive for 1月, 2019

「韓国は一個の哲学である」 小倉紀蔵

月曜日, 1月 28th, 2019

この本は『韓国とは<道徳志向性国家>である』という言葉から始まっています。そしてすぐに道徳志向的な国ではあるが、道徳的だ、ということではない、と言っています。

『道徳』というのは、今ではなかなか分かりにくい言葉ですが、多分、今の言葉に直すと『正義』ということになると思います。すなわち韓国という国は『正義』を大声で主張する国だ、ということです。
このあたりの意味を1冊を使って解説しています。

この本では『韓国』という言葉を、李氏朝鮮から大韓帝国となり大日本帝国と一緒になって、35年後に第二次大戦の終了で大韓民国および北朝鮮人民共和国になった国、の意味で使っています。

言葉としては多分『朝鮮』と言った方が良いんでしょうが、この『韓国』の人達は、自分達が使ったり日本人以外の外人が使う分にはこの言葉に抵抗はないけれど、日本人が『朝鮮』という言葉を使うのは非常に抵抗があるようで、その余計な手間を省くには『韓国』という言葉を使うのが一番良いみたいです。

で、この本の著者が『韓国』と言っているので、私も『韓国』ということにします。

で、この『韓国』は韓国独特の韓国朱子学という理論体系が国の形となっているため、この本もこの韓国朱子学の解説となっています。

朱子学というのは儒教の発展の過程で生まれた哲学で日本にも当然伝えられましたが、後醍醐天皇がこの哲学に夢中になって建武の中興で日本中を混乱させた程度の被害で済んでおり、江戸時代も形式上は徳川政権によって朱子学が国あるいは幕府の正統的な学問ということになってはいてもかなりおとなしいものになっていて、大した害悪をもたらすものにはならなかったようです。

それが韓国では李氏朝鮮500年とそれが韓国になったその後の100年を通して、いまだに大きな混乱を引き起こし続けているというようなことの解説です。

儒教というのはもともと『仁』とか『義』とか『忠』とか『孝』とかいう言葉で語られる世界なのですが、朱子学というのは『理』と『気』という言葉が出てきて、世界の全てはこの理と気で説明される、ということになります。

その詳しい内容はこの本を読んでいただくのが一番良いと思いますし、私なんかにはそう簡単に説明できる話ではありません。でも韓国のあれこれについて多くの不思議な(あるいは理解不能の)話はこの本を読むことによって『そういう事か』という位には分かるようになるはずです。

いくつもの疑問が解消されたのですが、面白い発見もいくつかありました。

1つは『恨(はん)』という言葉ですが、これは韓国がどういう国であるかを示す言葉なんですが、これを普通の日本語の訓読みで『うらみ』と理解するのは間違いだ、ということです。この言葉は『あこがれ』という意味なんだという説明です。何かに憧れ、その対象と一体になりたいと切望しながら、それが達成されない悲しさ・辛さ・やるせなさ等々を表すのがこの『恨(はん)』という言葉なんだ、ということで、なるほどなぁと思いました。

もう一つは韓国人の日本人の認識についてですが
1.日本人は非道徳的だ
2.日本人は金の奴隷である
3.日本人は性の奴隷である
4. 日本人は権威に弱い
5. 日本人は義理を知らない
6. 日本人には情がない
7. 日本人には主体性がない
8. 日本人には文化がない
9. 日本には学ぶべきことはない
10. 日本はない

というのが韓国人の日本人に関する認識だ、という指摘です。
『これらに反する日本人像を公式に語ることは、韓国人にとってはひとつの冒険なのである』と説明しています。

この1~10の元となるのが『日本あるいは日本人は邪悪な存在だ』という公理です。『公理』というのはそれが正しいも正しくないもなく、当り前、当然の話で、そこから論理的にいろいろ演繹して議論する、その『元』です。

で、この公理から上の1~10が導かれるのですが、それと同時に邪悪な日本に引換え韓国はいかに正義の存在か、ということも証明される、という具合になっています。

そんなことなら最初から『韓国は正義だ』というのを公理にしてしまえば良いようなものですが、それじゃ当り前過ぎて面白くないので、『日本は邪悪だ』から『韓国は正義だ』を証明する方が説得力がある、ということのようです。

で、この『日本は邪悪だ』という公理ですが、公理ですから証明することはできないのですが確認することはできて、日本がいろんな事でうまく行っている時は『悪いことをやっているからうまく行っているに違いない』という話になり、何かうまく行かないような時は『悪いことばっかりやっているからバチが当たったんだ』という話になり、いずれにしても『やっぱり日本は邪悪な存在だ』という公理を再確認するという話になります。この公理を否定することはできそうにありません。何とも厄介な話です。

最後にこれは同じ著者の別の本『韓国、愛と思想の旅』からの引用ですが、次のようになります。
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たとえば下宿に住んでいた頃(著者は韓国の大学に留学して韓国に住んでいたことがあります)、同室の学生が『韓国ラーメン、ナンバーワン』とうるさく言うのに閉口した。韓国にはラーメン屋というのは皆無も同然なので(この文章は多分20年位前のものなので、今ではラーメン屋もたくさんあるのではないかと思います)、ここで『ラーメン』というのはインスタントラーメンのことなのだが、学生は韓国のインスタントラーメンは世界一なのだ、と主張する。それでは日本のインスタントラーメンを食べたことがあるか、と問うと、いや、ないと答える。それではどうして韓国ラーメンが世界一だとわかるのか、と問えば、日本のラーメンは食べたことがないが、韓国ラーメンの方がうまいに決まってる、なぜなら韓国ラーメンは世界一だからだ、と答える。

こんな理屈にまともに付き合っていられない、と考える人は韓国という国と付き合うことはできないのである。
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ちょっと引用が長くなりましたが、これが韓国流思考法の一例だということです。

この本はこのような韓国を理解しようとして体当たりし、のたうち回って韓国と対決して著者が書いたもので、後書きには
『今でも夜更けなどひとりで机に向かっている時、<韓国>という言葉をひとことつぶやくと、あやうく心乱れ叫び出しそうになる。雪舞うソウルの銀色の夜の底を<理>と<乱>のはざまを、疾駆しようともがくのだ』
とあります。

この本は哲学の本ですから簡単に読める本ではありません。しかし韓国という得体の知れないものを理解する手がかりとして素晴らしい解説書です。中国に生まれた儒教が日本では葬儀に関する部分以外は大した影響を残していないのに、韓国では国を挙げての大混乱を引き起こし、今でも混乱させ続けているのは何故か考えるヒントにもなると思います。

韓国という訳の分からない国を少しでも理解したい、と思う人にお勧めです。

『ギリシア人の物語』 塩野 七生

水曜日, 1月 9th, 2019

ふと思いついて、そろそろ読めるかも知れないと思い調べてみました。で、これが全3巻例によって年1冊の刊行で、3巻目が1年前、おととしの暮に出ていることが分かりました。

さいたま市の市立図書館の蔵書としては3巻とも17冊くらいの蔵書があり、それぞれだいたい7冊くらいは貸し出されないで書架にあることが分かりました。これであれば安心して借りられるし、いくらでも延長できると想定して、3巻まとめて借りました。

だいたい週1冊のペースで4週間で、1月3日に読み終えました。やはり塩野七生は見事なもので、十分堪能しました。

ギリシアのアテネとスパルタを中心とする都市国家がどのようにでき、アテネの民主政とスパルタの寡頭政がどのようなものでどのようにでき、どのように滅んでいったかの盛衰記が見事に書かれています。

アテネの有名な陶片追放というのが、具体的にどのようなものだったかも良く分かりました。

1、2巻で当時の世界帝国だったペルシャと戦った第1次・第2次ペルシャ戦役と、その後アテネとスパルタが戦い、最後にアテネが敗ける経緯が詳しく書かれています。

第3巻では戦争に負けたアテネが亡び、勝ったスパルタもその後を追うように亡びる中で、ソクラテスも死刑で死に、『そして誰もいなくなった』。ギリシアは勝者も敗者もいなくなり、テンデンバラバラの都市国家が残るだけになり、そこでようやく辺境のマケドニアの登場です。

いよいよアレキサンドロスの登場ですが、このアレキサンドロスの世界制覇は実は父親と2代がかりの偉業だったこと、息子が成人するころ丁度父親が暗殺されスムースに王位継承ができたこと、アレキサンドロスがペルシャを破り世界征服を果たした後どうやって死んだか、死んだ後残された帝国はどうなったか、という具合に全3巻が書かれています。

やはり塩野七生は戦争が好きなようで、戦争の描写はいつもながら生き生きとしています。

で、この3巻には1巻目の最初に、なぜ今ギリシャを書くのかという説明があり、3巻目の最後にこの3巻をもって塩野七生のいう『歴史エッセイ』を書くのは終わりにするという宣言が書いてあります。

著者が『調べ、考え、それを基にして歴史を再構成していく』ことと定義する『歴史エッセイ』ですが、ローマ人の物語から、その前に書いていたヴェネツィア(海の都の物語)・マキャベリ(わが友マキャヴェリ)等、ローマ人の物語のあとに書いた十字軍(十字軍物語)・イスラムが地中海を支配した時代(ローマ亡き後の地中海世界)・ルネサンスの先駆けをしたフリードリッヒ(皇帝フリードリッヒ二世の生涯)、最後にこのギリシャ人の物語と、塩野七生の代表作が全て入っています。

10代後半で地中海世界に憧れ、20代後半で地中海にたどりついて2年間地中海沿岸をさまよった後30歳になる所で執筆を始め、最初にペアを組んだ編集者とは『翻訳文化の岩波(書店)に抗してボク達は国産で行こう』と決意し、でも30歳前後のまだ何事もなしとげていない若者2人がそんなことを言ってみても誰からも相手にされないからこれは二人だけの密約とし、15年後にその編集者が若くして病に倒れ亡くなる時も、残された塩野七生が『続けます』と誓って今まで50年にわたって著述を続け、80歳になって、書くほどのものはもうすべて書き尽くした、とでも言うように終筆宣言をする、というのは何とも見事な姿です。

この『十七歳の夏-読者に』と題する塩野七生歴史エッセイ全作品のあと書きの後に、この歴史エッセイの全体像を一覧できる図が付いています。

もうこれで塩野七生の新しい物語には出会えないんだと思うとちょっと寂しい気もしますが、著作というのは有難いことにいつまでも残っているものなので、寂しかったらいつでもどれでも今までに書かれたものを読み返せば何度でも塩野ワールドを堪能できるというのは、なんともぜいたくな話です。

ということで、この年末年始の休みは非常に実りの多い休みとなりました。
もしまだ読んでない人がいたら、今度の(4月~5月の)10連休にでも読んでみてはいかがでしょうか。