福島の原発、1号機、2号機、3号機とも建屋に人が入れるようになって、事態の収拾に向かって着実に進展しつつあるようですね。
まだいろいろ問題はあるでしょうが、一度中に入れれば、その後は2度3度と入れるようになるでしょうからこれで状況は急速に改善するんでしょうね。
ところが今の状況を、事態はより深刻になっている、と思ったり言ったりしている人がかなり多い、というのは不思議なことです。別に特別の情報があるとも思えませんし、同じニュースを同じように見聞きしているだけのはずなのに、と思います。
そこで、『どうしてだろう』と考えていて、しばらく前にようやく一つの仮説にたどりつきました。仮説ですから本当かどうかは定かではありませんが、この仮説で私は十分納得してしまったので、かなり自信があります。
その仮説、というのは私と、事態が悪くなっていると思っている人(都合により、Aさん、ということにします)とで、事態の見かたがまるで違うんだ、ということです。
私の捉え方は、今までメルトダウンで建屋に入れなかったのが入れるようになったんだから、大いに進歩だ、というものですが、Aさんの方は、今までメルトダウンしていない、と言っていたのに急にメルトダウンしている、ということになったのは事態が大幅に悪化した、ということだ、ということなんでしょうね。
このメルトダウンも、震災の直後、2か月も前のことだ、ということですから、私にとっては2か月前のことが今わかったとしても、今わかった2か月前の事態から今までの事態の改善、としか考えられないのですが、Aさんにとってはそれが2か月前のことであっても、つい最近までメルトダウンしていない、と言っていたのが急にメルトダウンしている、と変わった、としか考えられないんでしょうね。
事実(と思われていること)は2か月前のメルトダウンと今の建屋への立ち入り、ですが、思いはつい最近までの『メルトダウンしていない』から急に『メルトダウンしている』への変更、ということでしょう。
私は事実を本当のことだ、と思っているんですが、Aさんなんかはその時々の思い(メルトダウンしていないと思う、とか、メルトダウンしていると思う、とか)が真実だ、と思っているんでしょうね。
テレビのニュースでも、事実の部分は東電や保安院のお役人たちが担当して、思いの部分はニュースキャスターとか評論家とかコメンテーターとかが担当しています。事故に関する東電や保安院の説明は事実の報告に終始していますから、私にとっては非常に興味があるのですが、Aさんなんかにとってはそこに何の思いも入っていないので、『何も説明していない、隠している』ということになるんでしょうね。
事態が落ち着いてきて、マスコミやら評論家やらがあーでもない、こーでもない、と意見やら推測やら提言とかを言い始めると、私にとってはそこにほとんど事実の報告がないので単に煩わしいだけなのですが、Aさんなんかにとっては山ほどの思いがそこに込められているので『今まで隠されていたことがようやく明らかになる』『どんどん悪い話が出て来て事態はどんどん悪くなっている』と、初めて安心して心配しているんでしょうね。
こうなると、私がいくら『事故の当初から、メルトダウンの可能性については東電や保安院はちゃんと言っていたよ』といっても、Aさんなんかにとっては、『メルトダウンしていない、って言ってたじゃないか』ということになって議論になりませんね。
ここまで同じニュースの受け取り方が違うものか、というのは驚くほどです。
山本七平さんの太平洋戦争の本などを読むと、戦争では、事実と事実以外の推測とか感想とかを明確に区別していた、ということです。とはいえ、生死がかかっていない軍隊の上層部のお偉方はとてもそのようには思えませんが、少なくても生きるか死ぬかの現場ではそのような訓練が実地に行われていた、というのは本当のようです。戦争が終わってもう三分の二世紀、戦争経験者もほとんどいなくなってしまうと、このような修練もなくなってしまうんでしょうね。
厄介なのは、マスコミがこの事実と事実でないことの区別がまるでできないで、ごっちゃにして報道していることと、それに対してメディアリテラシーなどといって報道の理解の仕方について偉そうに解説する人たちもそこのところの区別がちゃんとできない人が多い、ということでしょうか。
まあ、これがわかったところで、Aさんなんかに対する私の話の仕方が変わるわけではありませんが、とりあえず私の話を分かってもらえなくてもそれはこのような受け取り方の違いによるものだ、ということで、私の説明の仕方が悪いのではないか、などと余計な反省をしなくてもいいようになるだけ、楽になりますが。