Archive for 2月, 2014

ビットコイン(2)

水曜日, 2月 26th, 2014

ビットコインの取引所の一つが支払不能になったようです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140226/t10015536281000.html

この会社は渋谷にあるマウントゴックスという会社で、取引量世界一、ということですが、日本人の顧客はほとんどいないようで、主にアメリカ人その他が顧客のようです。

取引所、というのはビットコインを売ったり買ったりするところかと思っていたのですが、ビットコインの預かり(ビットコインの預金のようなものでしょうか)もやっていて、その預かったビットコインが消えてしまった、ということのようです。

ハッカーの攻撃でビットコインを盗まれてしまった、とか、預けたビットコインを引き出す時に何回も引き出すことができたんだ、とか、いろんな話があって本当のところはよくわかりません。で、その消えてしまったビットコインが74万ビットコイン、今の相場が大体1ビットコイン=500ドル=5万円くらいなので、74万ビットコイン=350百万ドル=350億円というくらいの話です。
現在発行済みのビットコインは1,200万ビットコインくらいですから、その6%位にあたります。
この盗難が、過去2年にもわたってずっと続いていた、ということですから、このマウントゴックスという会社の管理体制はどうなっていたんだろう、と思います。また、問題がビットコイン自体に内在するものなのか、あるいはマウントゴックスという会社の預金管理のシステムの問題なのかもよくわかりません。もちろん、ビットコインの関係者はビットコイン自体のシステムの問題ではない、と言っていますが。もちろんこれらすべてが嘘で、単なる預金の持ち逃げ、ということなのかもしれません。

これでビットコインの全体の信用がなくなってしまうと、盗まれていないビットコインも無価値になってしまい、ビットコインを大量に持っている人も、ビットコインの仲介で儲けている他の取引所も困ってしまうので、みんなでよってたかってこのマウントゴックスの救済にあたろうとしているようです。

その救済策のドラフトなるものがネットで公表されています。
http://ja.scribd.com/doc/209098983/MtGox-Situation-Crisis-Strategy-Draft-With-No-black-Bars

これがなかなか面白いので、興味があったら見てみてください。
この中にStrategy Timelineというのがあって、Now(というのがいつなのかわからないのですが)から日本時間2月25日朝までに救済資金をかき集め、日本時間2月25日朝に状況を公表して1カ月間の取引停止を発表し、その後体制整備を進め、その状況はFacebookやTwitterその他で進捗状況を逐次公表し、4月1日以降に新しい名前で取引を再開する、という計画が書いてあります。
今回の事態の公表が日本時間2月26日朝ですから、1日遅れでこのスケジュール通りに進行しているのかもしれません。
事態を放置するとビットコイン全体の信用が失われてしまうから、ビットコインの大口取引者、大手の取引所は救済のためにビットコインを贈与する、マウントゴックスの株式と交換にビットコインを払い込む、ビットコインだけじゃどうしようもないので現金も投入する、という形で協力しなければならない、と言っています。

ある意味既に起こってしまったことではありますが、その既に起こってしまったことに対するコンティンジェンシープランになっています。
うまくこの通りに行くかどうかはわかりませんが、プラン自体はなかなか良くできたプランだと思います。
今後の事態の推移がこのプラン通りになるのか、あるいはどうにもならないのか、興味を持って見ていきたいと思います。

ビットコイン

月曜日, 2月 17th, 2014

ビットコインの話題がニュースで時々取上げられます。

私はこれに非常に興味があって、どうなるか見ています。

いわゆるバブルの歴史の本を読むと、オランダのチューリップバブルにしても、バブルの名の元となったイギリスの南海泡沫会社(South Sea Companies)の話にしても、書いてあることはわからないでもないんですが、でも実際の所、実体がわからない、何の裏付けもないものを対象にして、どうしてバブルが発生するんだろうと不思議でした。

今回のビットコインも実体がない・何の裏づけもない・単に売り買いができて、とてつもなく値上がりしている、さらにもっと値上がりしそうだ、ということで、まさにチューリップや南海泡沫会社の株と同じことです。

このビットコインの成り行きをずっと見ていれば、もう少し具体的・現実的にバブルの正体がわかるのではないかと楽しみにしています。

ハレーの生命表

金曜日, 2月 14th, 2014

「ハレー」というのは、あのハレー彗星のハレーです。
この人が史上はじめて実際の死亡データにもとづいて生命表を作り、その生命表を使って生命年金の計算をした、その論文を紹介します。

例によって訳文と、それに若干の説明を追加しています。

年金の計算では、まず単生の年金を計算し、次に二人の連生の年金を計算し、調子にのって三人の連生年金の計算までしているのですが、さすがにそこの部分はあまりにも込み入っていて、また訳す意味もあまりなさそうなので省略しましたが、それ以外は全訳です。

とにかく史上初の生命表がどのようにして作られ、どのように使われようとしていたかがわかる論文です。

単に「ハレーが最初に生命表を作った」では収まり切れない面白い話がいろいろみつかります。

良かったら読んでみて下さい。

http://www.acalax.info/bbs/halley.pdf

A4 20ページになるため、pdfファイルにしてあります。好きなようにダウンロードしてお読み下さい。

久しぶりのアクチュアリー関係の資料なので、ブログと練習帳掲示板と両方にこの記事を載せておきます。

反ユダヤ主義

金曜日, 2月 7th, 2014

さて一連のドイツの歴史の本の締めくくりは村山雅人著「反ユダヤ主義」(講談社選書メチェ)です。

私は今まで反ユダヤの代表のヒトラーはオーストリアの出身で、オーストリアで大人になったのにどうしてドイツで反ユダヤになったんだろうと思っていましたが、まるでまちがってました。

オーストリアこそ反ユダヤの本家本元だということがこの本に書いてあります。

1866年に普墺戦争でプロシアに負けたオーストリアは1867年に立憲君主制の国になり、新しい憲法でどの民族も同等だということになって、形式上ユダヤ人の差別はなくなりました。そこでユダヤ人は大手をふって社会の上層部に進出し、主導的な位置につきます。と同時に、東ヨーロッパからは貧しいユダヤ人が移ってきて、社会の最下層を形成します。

オーストリアという多民族国家ではドイツ人は人種的には少数民族でありながら、国の主導権を握っていたのが今度は上下からユダヤ人に圧迫されるようになり、上の方のユダヤ人に対する反発から反ユダヤ主義が一気に高まり、その結果もっとも貧しい最下層のユダヤ人がいじめられたということのようです。社会の上層でドイツ人達に同化しつつあったユダヤ人も、東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人と同一視されるのを嫌って、これも反ユダヤ主義の一つになったようです。

「世紀末」という言葉があります。各世紀(100年紀)の終わりを指す言葉ですが、どの世紀か言わないで単に「世紀末」というと19世紀末のことで、特に19世紀末のウィーンのことを指すようです。このような反ユダヤ主義がもえあがったのがその19世紀末のウィーンだったということです。

自由主義・資本主義・社会主義・共産主義がすべてユダヤ人と結びつけられて、反ユダヤ主義はこれらすべてに反対の立場をとりました。またユダヤ人の国を作ろうというシオニズム運動も、上層のユダヤ人による反ユダヤ主義の一つという側面もあるようです。

このオーストリアの状況と比べると、ドイツの反ユダヤは大したことがなかったようで、ヒトラーもオーストリアのウィーンで大人になり、本家本元の反ユダヤ主義をしっかりと叩き込まれて、その後第一次大戦後のドイツで反ユダヤ主義を実践したということのようです。

ヨーロッパではドイツというのはそれなりに大きな存在で、オーストリアというのは何となくその一部というか、ドイツになれなかったドイツ、というか、付録みたいな気がしていたんですが、この本ではっきりと独立した存在としてオーストリアが浮かびあがってきたような気がします。

反ユダヤ主義、ユダヤ人差別を理解するためにお薦めの1冊です。

中世への旅 農民戦争と傭兵

木曜日, 2月 6th, 2014

ここの所ちょっとドイツの歴史の本を読むことが続いていて、週末に図書館に行っても各国史のドイツの棚に行くことが多くなりました。そうなると次々に面白い本に出合うようになるもので、前回の「カブラの冬」もそうですが、今回紹介する「中世への旅 農民戦争と傭兵」という本もそのようにしてみつけました。

ドイツの歴史を読むと、中世から近世にかけてドイツでは農民戦争と30年戦争があり、ドイツ国中が大変な被害をこうむり人口が1/3ほど減少し、近代化が何百年か遅れたなんてことが書いてあります。

農民戦争というのは、1524-25年に起こったドイツの全地域くらいの規模の農民一揆あるいは反乱なのですが、1年くらいであっけなく鎮圧されてしまったものです。ルターがローマ法王に反旗を翻したのを見て、ドイツの農民も領主に対して反旗を翻したのですが、そのルターは「宗教上のことなら自分がローマ法王に逆らうのは正しいけど、世俗的なことで農民が領主に逆らうなんてことは許されない。領主に逆らう農民は皆殺しにしてしまえ」なんてことを言った、という話もあります。

30年戦争というのはその100年くらい後(1618-48年)の話なのですが、ドイツの各地の領主が新教側と旧教側に分かれて延々と30年にわたって戦争を続け、その戦争にフランス・スペイン・デンマークなども途中から参加して、オーストリアの神聖ローマ皇帝共々わけのわからない戦争が繰り返され、ほとんどドイツ全土が戦争で荒らされたということです。

初めのうちは新教と旧教の戦いだったのが、途中からは領土争いの戦争の大義名分のために新教・旧教の争いが使わるなんてことになっていたようで、結果としてドイツは統一されずに各地の領主がそれぞれ独立して好きなように領土を支配するということになり、イギリスやフランスが国としてまとまって強国となっていくのに、ドイツはその後数百年プロシャが中心となってドイツ帝国を作るまでテンデンバラバラな国のままという体制を作り上げた戦争だということです。

この程度のことは歴史の概況書を見ればたいてい書いてあるのですが、その具体的な姿が何ともピンと来なくて一体何が起こったんだろうと思っていました。

そこでこの「農民戦争と傭兵」という本です。この本で農民戦争でも30年戦争でも、実際に戦ったのは農民出身の傭兵だということがわかります。

ヨーロッパで傭兵というのはスイス人の傭兵が有名ですが、ドイツで傭兵の需要が高まったとき、ドイツの農民も傭兵に応募し、スイス人傭兵からノウハウを学び取り、ドイツ人の勤勉さを発揮して急速に一丁前の傭兵になったようです。

で、農民戦争でも領主に反抗して立ち上がった農民に対して領主側で実際に戦ったのは、領主に雇われた、この農民出身の傭兵だったようです。

この傭兵が長い槍を持って集団で歩兵として向かってくると、重い鎧に身を固めて馬に乗って長い槍を抱えている中世の騎士達はまるで歯が立たなかったようで、ここで中世の騎士の時代は終わったようです。

30年戦争でも、戦争する双方にこの農民出身の傭兵が雇われ、その傭兵たちが戦い、またそこにフランス人やスペイン人の傭兵も加わったということのようです。

この傭兵がまたすさまじいもので、確かに集めるときは高給を約束して集めるんですが、領主の方ではその給料の不払いも平気でするし、また戦争が終わって傭兵が必要なくなると容赦なく突然解雇ということになったようです。

傭兵の方も給料が払ってもらえないとか、突然解雇されても行く所がないということになると、次に傭兵の募集があるまでの食いつなぎに、あるいは傭兵の募集地までの旅費稼ぎにと、自分たちでまとまって勝手に近くの村や町に押しかけて行って略奪し、強姦し、なぶり殺し、とやりたい放題のようです。

もちろんやられる農民の方もそれがわかっているので、相手が弱そうならその傭兵集団をなぶり殺しにするという具合に農民と農民が殺し合い、たまたま略奪された村で生き残った農民がいたとしても、もはや小人数で村を守っていくことができないとなったら仕方なく傭兵になるなんてこともあったようです。

もちろん傭兵として戦争して、ある都市を攻めて、勝ったら当然のこととしてその都市を略奪するということのようですから、無事に生き延びて大金持になり領主になった傭兵もいるようです。

この傭兵たちの具体的な姿が語られて、ようやく農民戦争や30年戦争がイメージできるようになりました。

農民戦争のことはたまたま農民蜂起が全国的な規模に広がったものの、全体としての方針もなく指導者もいないので、一度は領主をやっつけても簡単に領主に騙されてやっつけられてしまったり、農作業の季節になるとソワソワと落ち着きがなくなって領主側にやられてしまうなんてこともあったようで、日本の室町時代・戦国時代を思い浮かべながら読みました。

私がその時代のことを何となくわかっているような気がするのも大量の歴史小説を読んでいるからで、ドイツにも同様なものがたくさんあり、この傭兵が主人公になっているものも多いようですが、それを読むわけにもいかないので、この本でまとまって解説されているのでよくわかりました。

日本の歴史を考えるうえでもヒントになる事柄の多い本でした。