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反ユダヤ主義

金曜日, 2月 7th, 2014

さて一連のドイツの歴史の本の締めくくりは村山雅人著「反ユダヤ主義」(講談社選書メチェ)です。

私は今まで反ユダヤの代表のヒトラーはオーストリアの出身で、オーストリアで大人になったのにどうしてドイツで反ユダヤになったんだろうと思っていましたが、まるでまちがってました。

オーストリアこそ反ユダヤの本家本元だということがこの本に書いてあります。

1866年に普墺戦争でプロシアに負けたオーストリアは1867年に立憲君主制の国になり、新しい憲法でどの民族も同等だということになって、形式上ユダヤ人の差別はなくなりました。そこでユダヤ人は大手をふって社会の上層部に進出し、主導的な位置につきます。と同時に、東ヨーロッパからは貧しいユダヤ人が移ってきて、社会の最下層を形成します。

オーストリアという多民族国家ではドイツ人は人種的には少数民族でありながら、国の主導権を握っていたのが今度は上下からユダヤ人に圧迫されるようになり、上の方のユダヤ人に対する反発から反ユダヤ主義が一気に高まり、その結果もっとも貧しい最下層のユダヤ人がいじめられたということのようです。社会の上層でドイツ人達に同化しつつあったユダヤ人も、東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人と同一視されるのを嫌って、これも反ユダヤ主義の一つになったようです。

「世紀末」という言葉があります。各世紀(100年紀)の終わりを指す言葉ですが、どの世紀か言わないで単に「世紀末」というと19世紀末のことで、特に19世紀末のウィーンのことを指すようです。このような反ユダヤ主義がもえあがったのがその19世紀末のウィーンだったということです。

自由主義・資本主義・社会主義・共産主義がすべてユダヤ人と結びつけられて、反ユダヤ主義はこれらすべてに反対の立場をとりました。またユダヤ人の国を作ろうというシオニズム運動も、上層のユダヤ人による反ユダヤ主義の一つという側面もあるようです。

このオーストリアの状況と比べると、ドイツの反ユダヤは大したことがなかったようで、ヒトラーもオーストリアのウィーンで大人になり、本家本元の反ユダヤ主義をしっかりと叩き込まれて、その後第一次大戦後のドイツで反ユダヤ主義を実践したということのようです。

ヨーロッパではドイツというのはそれなりに大きな存在で、オーストリアというのは何となくその一部というか、ドイツになれなかったドイツ、というか、付録みたいな気がしていたんですが、この本ではっきりと独立した存在としてオーストリアが浮かびあがってきたような気がします。

反ユダヤ主義、ユダヤ人差別を理解するためにお薦めの1冊です。