『ナチ占領下のフランス』―渡辺和行

第二次大戦でフランスは大戦の初期にドイツに敗北し、数年間傀儡政権下にあったものが、日本の真珠湾攻撃によりアメリカが参戦し、イギリス軍と一緒になってドイツ占領下のフランスを攻撃し、パリを開放してフランスはまた独立を確保した、その前後の経緯が書いてある本です

ヴィシー政権とかペタン将軍という名前は知っていましたが、改めて全体を通してこの時期フランスがどんなことになっていたのか分かりました。

何となく、フランスがドイツに占領される中、ドゴールがフランス南部にとどまってかろうじて反ドイツで頑張っていた、という風に思っていたのですが、実はドゴールはフランスがドイツに負けた時ペタン将軍に金を出してもらってロンドンに逃げ、そこで反ドイツ運動を始め、その後アフリカのいくつものフランス植民地を一つ一つ取り戻して、最終的にイギリス・アメリカ連合軍がノルマンディーに上陸し、ドイツをフランスから追い出した時ようやくパリに戻れたという話です。

ドゴールはフランスを回復するにあたり、イギリス・アメリカ軍だけでなくフランス国内で反ドイツ運動を展開していたいくつものパルチザン組織、そして共産党と対抗しながら主導権を確立していく非常に複雑な政治的駆け引きが必要だったということも分かりました。

もともと第二次大戦が始まった後、1939年9月に独仏両国が互いに宣戦布告をした後もドイツもフランスも本格的な戦闘を始めず、『奇妙な戦争』と言われるような状況だったのが、1940年5月になってドイツはいきなりフランスに攻め入り、1ヵ月でパリを陥落させてしまいました。

フランス政府はパリを捨ててトウールに逃げ、パリが陥落してさらにボルドーに移り、第1次大戦の英雄のペタン商運を首班とする内閣を成立させました。その翌日フランスは国としてドイツに降伏し、パリ郊外では仏独休戦協定が調印され、フランス政府はヴィシーに移った、ということです。

フランスは東部とコルシカ島をイタリアに占領され、アルザス・ロレーヌはドイツに併合され、北部と西部はドイツに占領され、残った中部から南部にかけて、それまでのフランスの3分の1が自由地区としてフランス政府の統治下に置かれたということです。

一応このようにしてとりあえず国としての存在は保たれたものの、全てはドイツ占領軍とナチスの言いなりの政府であり、反政府・半ドイツのフランス人を捕まえたりフランス国籍のあるなしにかかわらずユダヤ人を捕まえてポーランドの収容所に送ったりしました。

戦後このような活動に参加した人達は解放軍と国民によって逮捕され、その後、対独協力者特別裁判所が設置された後でも12万4千件が審理され、6,700人が死刑の宣告を受け、760人が実際に刑を執行された、ということです。

ドイツに降伏した後のヴィシー政権もフランスの正当な政府であり、ここで政府の指示で動いた人達も対独協力者となってしまい、特別裁判所で裁かれることになってしまったわけです。

日本は東京裁判その他の軍事裁判で戦犯として裁かれる人も多数でしたが、フランスのように同じ国民同士で裁き合い処刑し合うことにならなくて良かったなと思います。

このあたり、フランスではできるだけ触れたくないようで、『第2次大戦でフランスはドイツに侵略されたけれど南フランスの一部でパルチザンが最後まで頑張りとおし、その後、反転攻勢に転じ、アメリカ・イギリスと一緒になってドイツ軍をフランスから追い出して独立を取り戻した』、という神話を語り続けていこうとしているようです。

今、ロシアがウクライナに攻め入ってウクライナ戦争が始まって1年ちょっとが経ちました。第二次大戦では、第一次大戦で敗れ経済的にも軍事的にも壊滅的なダメージを受けたドイツが、第一次大戦の戦勝国のフランスに攻め入り1ヵ月でパリを陥落させてフランスを降伏させた事を考えれば、プーチンが1ヵ月でキエフ(キーウ)を陥落させてウクライナを降伏させることができる、と考えたのは無理のないことかも知れません。

第二次大戦、私にとっては太平洋戦争であり、また支那事変(日中戦争)としてしか理解していなくて、ヨーロッパの戦争についてはあまり良く分かっていませんでした。ここで改めてヨーロッパの第二次大戦を読み直してみて考えさせられる事がたくさんあります。

この本も市の図書館の『ご自由にお持ち帰り下さい』コーナーにあった本で、何となく気になって持ち帰ってきたまま何年かそのままにしてあったものですが、読むことができて良かったなと思います。

フランスおよびヨーロッパの複雑さが分かる一冊です。

お勧めします。

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