前回第一次大戦から第二次大戦にかけての時期の歴史について色々読んだという話をしましたが、その続きでもう一つ読んだ本がこの「カブラの冬」という本です。
今年は第一次大戦が始まった1914年からちょうど100年ということで、第一次大戦ブームみたいなところがあるのですが、この本も「レクチャー 第一次世界大戦を考える」というシリーズ中の1冊です。このシリーズは京都大学の人文科学研究所の共同研究班の成果報告ということです。
この本は第一次大戦で、ドイツで76万人の餓死者が出たということについて解説しているものです。第一次大戦の前線での戦死者180万人に対し、銃後の直接戦争にならなかった所で76万人もが餓死したというのは初めて聞く話なので、図書館でみつけて思わず借りてしまいました。
結局の所ドイツは政府が食料対策をほとんど取らないまま戦争に突入し、その戦争もすぐ終わると思っていので始まってからも何もせず、そのうち食料が足りなくなると大切な食料を豚の飼料にするのは勿体無いとばかりに豚を殆ど殺してしまって(それも当初は豚を殺してソーセージを作るはずだったのが、そのうち豚を殺すのが目的となってしまい、ソーセージを作る暇もなかったので大量の豚肉を腐らせてしまった、ということのようです)、今度は蛋白質と脂肪分を摂るすべがなくなってしまい、「カブラの冬」と言っていますが日本名カブハボタンあるいはスウェーデンカブという、蕪とはちょっと違ったもので、水分が多く味も悪いものを苦し紛れに食べるようになったというあたりの話が解説されています。
第一次大戦はどちらの側もすぐに片付くと思っていた(7月末から8月に戦争が始まり、双方ともクリスマスには片付くと思っていたようです)のが、塹壕を挟む睨み合いで4年もかかってしまい、最後にドイツがパリまでもう少しという所まで迫った所でドイツで革命が起こり、皇帝が逃げ出してドイツの負けとなった戦争です。もうちょっとで勝つはずだったドイツ軍にしてみればもうちょっとの所で革命を起こして負けいくさにしてしまったのはマルクス主義者とユダヤ人のせいだ、ということになって、第一次大戦後のドイツの混乱につながっていきます。
もちろんドイツ国内で飢えていた人にしてみれば、「戦争のためだ」とばかりに軍隊に食料を持っていかれ自分達は飢え死にするばかりだとなったら、「戦争はもうやめろ、食べ物寄こせ」ということになるのは当然のことですから、反政府運動は切実なものだったようです。
ドイツはヨーロッパの中では貧しい農業国だったのが、プロシャが主導権を握って急速に工業化を進め、第一次大戦の前には最先端の工業国になっていたのですが、その当時は食料の30%は輸入に頼らざるを得ないようになっていたようです。
それで不足する食料はロシアやアメリカ・カナダ・アルゼンチンなどから輸入していたのですが、まず東のロシアについては、ドイツが真っ先にロシアに攻め込んでしまったので、そこからの輸入はできなくなってしまいました。
南はフランスで、まさに塹壕を挟んで睨み合っているんですから、食料を持ってくることはできません。
頼みの綱はアメリカ・カナダ・アルゼンチンからの輸入なのですが、これをイギリスが海上封鎖して完全にストップしてしまったようです。こうなるともうどこからも食料は入ってきません。
「76万人の餓死」というのは、死者数でいえば広島・長崎よりもはるかに多い数字です。この記憶はドイツ人にとっては忘れられないもののようです。しかも第一次大戦はドイツの皇帝が逃げ出してドイツの負けが決まったのですが、とりあえず休戦して講和の交渉をするわけです。最終的に決着したのはベルサイユ条約を関係国が承認した時です。連合国側だけで条件を話し合い、半年もかかってそれが出来上がった後で初めてドイツにその条件を提示し、5日以内にそれを受け入れなければ戦争を再開するぞと言ったというんですから酷い話です。
で、休戦中でいつ戦争が再開されるかわからないからということで、その間ずっとイギリスの海上封鎖は続いていて、ドイツとしては戦争は終わったけれど封鎖は解除されないで、食料が入ってこないという状況が半年以上も続いていたようです。
ヒトラーの政策が、まず第一にドイツ人が食べ物に困らないだけの土地を獲得し、その上で植民地政策を進めようというものだったのも、この食料不足が原因なんでしょうね。
そしてイギリスの海上封鎖でトコトンやられた記憶から、ヒトラーは大陸ヨーロッパでは次々に他国を侵略しても、イギリスについてはトコトンおべっかを使い、イギリスが敵にまわるのをギリギリまで遅らせた、ということのようです。
この第一次大戦のドイツの飢餓について第二次大戦後はあまり話題にされていないようですが、第一次大戦後には日本でもかなり注目され熱心に研究されたようで、それが第二次大戦中の日本の食料の配給制その他の食料統制に生かされているのかも知れません。また日本が朝鮮・満州にあくまでこだわったのも、食料を自給できるだけの領土を確保したいということだったのかも知れません。
ということで、いろいろ考えるヒントがたくさんみつかる本でした。