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『ロシア綿業発展の契機』

水曜日, 6月 18th, 2014

ある集まりでこの本を紹介されました。

『ロシア綿業発展の契機—ロシア更紗とアジア商人』塩谷昌史著、知泉書館

いかにも学術専門書で、250ページくらいの本が4,500円もしますからちょっと普通は買おうとは思いませんが、中味をちょっと見るとソ連になる前のロシアの綿業の発展史が書いてあり、まだ新しい本で、ちょっと読んでみようと思いました。

とは言えちょっと高い本なので図書館で借りようと思って調べたら、さいたま市の図書館にはありません。埼玉県の公立図書館にもなさそうなので、とりあえず東京都立図書館にあることを確認して、図書館に予約を入れました。都立図書館かどっかから借りてくれるのに当分時間がかかるだろうとのんびり待っていたら、何と地元の図書館で買ってくれました。多分こんな専門書を読む人はほとんどいないでしょうから、これでいつでも借りて読むことができます。

で、読んでみた所これが何とも面白い本なので、紹介しようと思います。

この本のしょっぱなに著者の歴史研究に対する姿勢が「視角と方法」としてまとまっています。何とここに柳田國男・渋沢栄一・宮本常一など、日本の民俗学の人々が登場し、日本中世史の網野善彦が出てきたと思ったら、今度は「文明の生態史観」の梅棹忠夫が出てきて、「地中海」のブローデルが出てきたと思ったら、川北稔の「砂糖の世界史」が出てきて、上山春平の「照葉樹林文化」、中尾佐助の「栽培植物の起源」が出てきて川勝平太の「鎖国」の話が出てくるといったあんばいで、普通の歴史の本とはちょっと違います。

この部分、多分この本を読む読者ならだいたい知っているだろうことを想定して大雑把に書いているんですが、これをもう少し敷衍して丁寧に説明したら、これだけでたとえば新書版の1冊くらいの面白い本になるんじゃないかなと思いました。

で、この本のテーマとする、ソ連になる前のロシアの産業史なんですが、私の知っているロシアはナポレオンがモスクワまで攻めて行って、あとちょっとの所で寒さにやられて逃げ帰って(1812年)から、日露戦争で日本が勝って(1905年)、第一次大戦のさ中に革命が起こってソ連ができる(1917年)というくらいのイメージしかなく、あとは点景として屋根の上のバイオリン弾きという話があったな、くらいのものなので、その当時のロシアで産業革命が具体的にどのように進行したのかというのは非常に面白い話でした。

ソ連では1917年の革命で共産主義国になるには、その前は資本主義国でなければならないという共産主義の考え方から、1860年の農奴解放によってそれまでの封建制から資本主義になったということになっていたのですが、この本は1830年頃から1860年頃までを中心に扱っていて、その頃すでにロシアで産業革命が起こり資本主義国になっていたという話になっています。

「綿業」なんていうと綿製品を作る所の話かと思ってしまうのですが、この本はその作る所から、それを流通、特に周辺諸国に輸出する所、輸出された国でそれが消費される所まで、それぞれ章を立てて説明しているのも面白い話でした。

その最初の綿製品を作る所の話も、綿花から綿糸を作り(紡績)それを布にして(織布)それに色模様を付け(捺染・染色)売るということになります。ロシアはもともと綿花なんかできない土地ですから、初めは布を買ってきて染色するだけだったり、糸を買ってきて織るだけだったりするわけですが、そのうち全工程を一貫してしてやりたくなるとか、産業革命でイギリスから安い綿糸・綿布が購入できるようになるとか、アメリカの綿花が大量に輸入できるようになるとかで、この綿工業が大いに栄えることになります。

染色の工程も昔は木版刷りだったのを機械化して銅製のドラムで刷るようにすると、綿布1枚染めるのに2人で6時間かかった仕事が1人で4分でできてしまうようになり、その分染色する布を大量に織らなきゃならない、その分大量の糸を作らなきゃならない…という具合に、芋ずる式に全工程が機械化され、その動力として蒸気機関等が導入されるようになるという話や、染色のための化学知識が必要になり、機械を動かすための工学の知識が必要になり、企業全体の管理をするための経営や会計の知識が必要になって工員や経営者の子弟に教えるための学校ができるとか、産業革命による社会全体の変化がダイナミックに描かれています。

ともすると蒸気機関が発明されて産業革命が起きたなんて具合に思い勝ちですが、そうではなくまず産業革命が起こって、そこで動力が足りなくなって蒸気機関が必要になる、というあたりも具体的に生々しく説明されています。

ロシアの綿製品は西ヨーロッパへの輸出に失敗したため、質が劣るもののように西ヨーロッパでは思われていたけれど、実はロシアは清・中央アジア・西アジア(トルコやペルシャ)に向けて主に輸出していたんだとか、好みの問題で西アジアでは負けたけど中央アジアや中国への輸出に関してはイギリスとも競合して負けてないとか、ロシアは昔は中国・中央アジア・西アジアから綿糸や綿織物を輸入していたのが、大変な思いをして産業革命を起こし、逆にそれらの国に綿製品を輸出するようになったとか、興味深い話がたくさんあります。

これらの研究の元となった資料が実は当時ロシアの政府の刊行物その他で、それはサンクトペテルブルクの図書館に行けば簡単に手に入れることができるとか(この本はそのような統計データにもとづく具体的な生産量や売買高などのグラフがふんだんに付いています。専門書なのでその出所も脚注にいろいろ書いてありますが、ほとんどロシア語ですからその部分は読み飛ばすことができます)、ロシアの歴史研究家は多くがモスクワにいる(サンクトペテルブルクにはいない)ので、日本の研究家も必ずしも不利ではないとかの話も面白いですし、織物の染色は脱色してから染色する、その技術をどのように取得するかとか、綿織物の輸出を始める前、中国との交易では茶の輸入が急増し、毛皮の輸出は頭打ちになって厖大な貿易赤字が生じ、代わりの輸出品がどうしても必要だったんだ(イギリスは茶の輸入が急増し、代わりに輸出するものがなくなってしまったので苦しまぎれにアヘンを売ることにして、それがアヘン戦争につながったわけですが、アヘンより織物の方が良いですねよね)とか、とにかくいろんな話が盛りだくさんに詰め込まれています。

隣国との交易・流通についても、ロシアでは川は冬には凍ってしまうので、冬以外の季節でないと使えないとか、通常陸路の輸送はラクダを使うのだけれど、毛の生え変わる季節は体力が落ちて使いものにならないとか、夏場は猛暑と害虫の発生でキャラバンを使うことができなかったとか、鉄道が敷かれる前は基本的に長距離の物の輸送は1年単位のサイクルだった(海運でもインド洋の貿易風の向きは1年サイクルで東向き・西向きに変わるので、それに合わせて船を動かした)、全ては蒸気機関の発明により蒸気機関車・蒸気船の登場で、「年単位」のサイクルが「いつでも」になってしまったなんてのも、面白い話です。

こんな話に興味があったら、読んでみて下さい。
時には専門書も面白いかも知れません。