このブログで『本を読む楽しみ』のカテゴリーで紹介しているものは、基本的に『本』なのですが、今回は本ではなく『論文』です。
2.26事件関係の本をいろいろ読むうちに、美濃部達吉の天皇機関説の問題がかなり重要なのかなと思うようになりました。
それで週末に何冊か図書館から本を借りてきて、これからそれを読まなければいけないんですが、遅まきながら初めて天皇機関説という問題があったということでなく、『天皇機関説事件』という事件があり、その事件が起きたのが昭和10年、すなわち2.26事件の前の年だということがわかり、なおさらちゃんと理解しなきゃと思っています。
で、図書館で本を借りる前、いろいろネットで調べていてぶつかったのがこの論文です。
『八月革命』というのは、この前衆議院の憲法審査会に出てきた憲法学者が3人とも『安保法制は違憲だ』と言った時も、そのうちの一人が話していたんですが、今の憲法学者の主流である立憲主義の憲法学者が日本国憲法の正当性を証明するためにむりやりでっち上げた革命です。すなわち昭和20年に日本が太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受諾すると言った時、そのことによって日本では革命が起き、大日本帝国憲法は文字づらはそのままで国民主権の憲法に変化した、という説です。
この説を唱えたのが美濃部達吉の弟子にあたる宮沢俊義という先生で、その弟子にあたるのが芦部信喜という人で、この人の憲法学が現在の立憲主義の憲法学者にとってバイブルになっているという関係にあります。
この立憲主義の憲法学者というのは狂信的な新興宗教の信者みたいなものですが、その彼らの先生の先生の先生がどんなことを考えていたのか、と思ってちょっと読んでみました。
まぁ論文ですからちょっと堅苦しい所もありますが、非常に分かりやすく納得できる話ばかりで、面白く読めました。本文だけで21ページですから、その気になればすぐ読めます。
で、この論文によると美濃部さんの憲法学というのは今の憲法学者達の憲法学とはまるで違って、すんなりと受け入れられます。『憲法の条文は遠き将来に至る迄も容易に改正せらるることは無いであらうが、条文は其の儘であっても憲法の実際の運用は絶えず変遷して行くのである』、すなわち憲法の条文はそのままで解釈をどんどん変更していけば良い、というようなことを言っているようです。著者の言葉によると『社会の趨勢が憲法の実質を決定している限り、憲法解釈は条文に拘わずにその社会の趨勢を読み取ることが重要であるとされたのである。』となります。
で、この美濃部さんは戦争が終わって日本国憲法を作る時に、大日本帝国憲法のままで解釈を変えるだけで十分だと言って、新たに日本国憲法を作ることに反対していました。
それが日本国憲法ができた途端、今度は日本国憲法を強力に支持するようになり、これは『転向』と呼ばれるようになったようです。
で、この日本国憲法について、現在ではアメリカから押し付けられたものだから自主憲法として作り直さなきゃとか、押し付けられたとは言え国会で日本人が議論して作られたものだからそのまま守らなきゃとか、いろいろ議論がありますが、美濃部さんの立場はそのどちらとも違い、ポツダム宣言を受諾したことによるアメリカをはじめとする占領軍の圧倒的な力を背景として押し付けられたものであることが日本国憲法の正当性の根拠だ、ということになるようです。
ここの所、美濃部さんの
【法は実力である、と言ひ、事実において規範力が有るといふのは、この意味において、疑いもなく半面の真理を包含するもので、もとより実力が即ち法であり、総ての事実に当然に規範力があるとするのは誤りであるけれども、実力が完全に貫徹せられて、有効な抵抗は全く行われなくなり、事実上の状態が正当なものとして認めらるるようになれば、その事実は即ち法となったものである】
という文章を引用しています。美濃部さんというのは、憲法学者の教条主義とは正反対の現実的な考え方をする人だったようです。
で、その後占領は解かれ、占領軍はいなくなったのですが、現在の日本国憲法の正当性の根拠は戦後70年にわたって日本国憲法と日米安全保障条約によって日本は安定しており、その両方が日本国民にも受け入れられているからということになるようです。『だから日本国憲法の最高法規制と日米安保体制とは、美濃部の主権の自己制限論では矛盾するどころか、国際条約への従属こそが憲法の最高法規制を保証する根拠となったのである。』と書いてあります。日米安保条約が日本国憲法のうしろ立てになっているということです。
この説はとても分かりやすく、納得できるものです。
この著者の林尚之さんというのは、自身を憲法学者というより歴史学者として位置づけているようで、憲法学者達がこの論文をどのように評価しているのかは分かりませんが、私にとっては訳の分からない狂信的な立憲主義の憲法学者の言い分と違って、ごく真っ当な議論であり、現在議論されている安保法制にしても憲法改正の議論にしても参考となる論文だと思います。
インターネットが進んでこのような論文まで簡単に手に入るようになったというのは有難い話です。
この論文のpdfは
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10690/1/2010000071.pdf
で取ることができます。
ちょっとメンドクサイ議論でも嫌いじゃない、という人に是非ともお勧めです。
今回書かれていることは、現代の憲法学者も同じことを言っている方が多いかと思います。
たとえば、芦部さんの弟子で名古屋大学の浦部さんの教科書が明快です。
学者のインチキは確かにあると思いますが、今回のお話は憲法の教科書を複数お読みいただきたいと感じました。
それと、8月革命説は宮沢の保身だという研究もあったかと。
8月革命説がインチキということは大多数の憲法学者の認識にあるんじゃないかと思います。
法は「力」が作りますが「力」が安定して「力」であるためには「法」に従うというのが法治主義の本音で「法」に従わないと、むき出しの「力」だけが跋扈しますが「民主主義社会」では安定しません。
「自由法学」は「力」が圧倒的にである場合にのみ成り立つのかなと思います。
『美濃部説』さま、
コメントありがとうございます。
私は芦部さんの『憲法』しか読んだことがありません。
友人の弁護士に『勉強しろ』と貰ったもので、読んでみたらあまりにも支離滅裂で、結局14回にわたってこのブログで感想文を連載してしまいました。
このブログの右側上の方に『ブログ内検索』という部分がありますが、その下のボックスに『芦部さん』とでも入れて検索していただけるとそれらの投稿のリンクが出てきますので、よろしかったら読んでみてください。
14回にわたってトコトン憲法学者や法律家の悪口を書いています。
もちろん私がいくら悪口を言ったところでどこからも何の反応もありませんが。
で、若手の弁護士が安倍さんにプレゼントしたり国会で小道具に使われたりして、いまだに芦部さんの『憲法』が圧倒的な存在であり続けているんだな、と思い、特にほかの本を読む理由も感じませんでした。
この前の憲法審査会の憲法学者の発言や、日本弁護士連合会の意見書などを見ると、いまだに芦部さんの立憲主義の熱心な信徒は圧倒的に多いような気がします。
今調べたら、浦部さんという先生の憲法の本も何冊か市の図書館にあるようです。
もしよかったら、どの本を読んだらいいか、教えてください。