『ドイツの歴史を知るための50章』 森井 裕一編

2017年2月8日 19:17:19

明石書店から出版されている『エリア・スタディーズ』というシリーズの中の1冊で、これが151冊目ということです。

ヨーロッパはイギリスやフランスはそれぞれ国としての塊がしっかりしているので分かりやすいのですが、ドイツというのはまとまりがなく、なかなか分かりにくい国です。この本で、全体としてのドイツがようやく一つのまとまりとして理解できたように思います。

何しろドイツという国が正式にできたのは明治維新よりすこし後のことですから、それだけでもわけが分からなくても不思議じゃありません。

始めはカエサルのガリア戦役でライン川の南側・西側をガリア、北側・東側をゲルマンとして、ガリアをローマ帝国に組み込み、ゲルマンの方をローマ帝国の外側と規定して以来、ゲルマン民族の大移動を経て、カール大帝のフランク帝国ができ、それが三分され、そのうち中部フランクと東フランクの部分を合わせてローマ帝国(その後『神聖ローマ帝国』となり最終的に『ドイツ国民の神聖ローマ帝国』とよばれるようになったようです)となった国がその元となるのですが、どうしてドイツがローマ帝国になるのか、あるいはどうしてローマ帝国がドイツになるのか、というあたりも説明してあります。

イギリスやフランスであれば、イギリスやフランスという国があり、イギリス人・フランス人がいて英語・フランス語という言語があるということなのですが、ドイツの場合、神聖ローマ帝国と、それを構成する何百かの領地(王国とか侯国とか)や都市(自由都市とか司教座とか)はあるものの、1871年に普仏戦争でプロシアがフランスに勝利し、攻めていったフランスのパリ郊外のベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言するまで、ドイツという国はなかったということです。ドイツ語もドイツ国民の言葉、あるいはドイツ人の言葉というよりむしろドイツ語を話す人をドイツ人と言おう、ドイツ語を話す人の国をドイツと言おう、というくらいの位置付けです。

フランス革命とナポレオン戦争により国民国家というイデオロギーが生まれ、その影響、ドイツでは、ドイツ語を作ろう、ドイツ人を作ろう、ドイツという国を作ろうという活動が一気に進展し、その結果できたのがドイツ語でありドイツ人であり、ドイツという国になるんですが、このような経緯から、それらの範囲はうまく重なり合わないままです。

そのため、たとえばドイツ人の住む国をドイツという国にしようとすれば、とてつもない拡張政策となり、ヒトラーのやったように近隣の国々を次々に飲み込んでいく勢いになります。ドイツという国をドイツ人の住む国にしようとすれば、これまたヒトラーがやったようにドイツ人以外の民族を追放する、あるいは殺害して民族浄化をはかるというとんでもないことになるわけです。

この本はそのようにしてできた、ドイツ帝国から産業革命によりイギリスを上回る工業国となったドイツが第一次大戦で敗れ、その後復興してヒトラーのドイツとなり、世界征服を目指したものの第二次大戦でまたまた敗れ、その後東西に分割されたものが再び統一され、EUの中核として重きをなしている現在の姿まで、丁寧に説明しています。

去年の秋に出版されたものなので、ごく直近の出来事までカバーしています。ドイツという国の古代から現代にいたる全体像が良くわかります。

ドイツという国はヨーロッパの中で一体どのような国なのか、ドイツの外にいるドイツ人をどうするのか、ドイツの外にいるドイツ語を話す人々をどのように捉えたら良いか、という問題意識、逆にドイツはEUの中でも移民・難民を受け入れている国ですが、このドイツの中のドイツ人でない人、ドイツ語を話さない人をどのように扱うか、という問題も抱えている国です。

英国のEU離脱の意思表明、他のEU加盟国でのEU離脱を主張する政党の躍進という状況下、今後のEUの行方を考える上で重要な本だと思います。

お勧めします。

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ケインズ 『一般理論』の最後の部分

2017年2月8日 19:09:56

一般理論の感想文、途中で止まってしまっていますが、トランプ大統領の登場で思い出した部分があるので、コメントします。

それは、一般理論の最後の24章『一般理論の誘う社会哲学-結語的覚書』の最後の、第5節の部分です。これは時折引用されることがあるので、覚えている人も多いかも知れません。

『思想というものは、もしそれが正しいとしたら-自分の書くものが正しいと思わない著者がどこにいよう-時代を超えた力を持つ、間違いなく持つ、と私は予言する。』

『経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。』

『誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聴く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から(自分に見合った)狂気を抽き出している。』

『たとえば、経済学と政治哲学の分野に限って言えば、25ないし30歳を超えた人で、新しい理論の影響を受ける人は、それほどいない。だから役人や政治家、あるいは扇動家でさえも、彼らが眼前の出来事に適用する思想はおそらく最新のものではないだろう。』

『早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく思想である。』

これらの言葉、トランプ政権の今後4年間、あるいはトランプさんが大統領になった後のアメリカと世界を考える時、じっくり味わいたい言葉だと思います。

トランプさんの信じている経済学、政治哲学がいったい誰の、どのようなものなのでしょう。ノーベル経済学賞の受賞者を輩出しているアメリカの経済学界は、トランプさんをうまく説得できるでしょうか。

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千代田区長選の電話アンケート

2017年2月2日 13:56:08

先週の日曜、会社に電話がありました。
日曜なのになんだろう、と思って電話を取ると、千代田区長選の電話アンケートでした。

私は東京都民でもないので、この選挙の有権者でないため、本来的にアンケートに答えずに電話を切るべきだったんでしょうが、たまたま暇だったので、適当に電話のボタンを押して答えてしまいました。
千代田区は住民がかなり少ないため、無作為的に電話を掛けてうまく千代田区民の個人の固定電話に掛かる、というのはなかなか大変な話で、予定の回答数をこなすのは大変なんだろうな、と思います。
1時間ほどたったところでまた同じアンケートの電話がありましたが、最初のアンケートには答えて2番目のアンケートには答えない、というのも失礼な話なので、またまた適当に電話のボタンを押して答えてしまいました。

回答の内容はホントにいい加減なものなので、選挙情勢の分析には何の影響も与えることはないと思いますが、それでもこの2回分の回答はコンピュータで集計されて報告されることになるんだろうな、と思い、不思議な気がしました。

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a global Britain

2017年1月19日 08:51:22

イギリスのメイ首相のEU離脱に関するスピーチが話題になっていますが、そのスピーチの映像のバックの壁紙にこの言葉が書かれています。

最初は『Great Britain』と書いてあるのかと思っていたのですが、よく見ると『a global Britain』と書いてあるようです。

ここで、冠詞が定冠詞の『the』出なく、不定冠詞の『a』となっている、というのは、『これっきゃない』ということではなく、『いろいろあるうちの、一つの』という程度の意味です。
さらに『a』は英語では定冠詞ですが、すぐ隣のフランスではアクセントがついて『à』となって、前置詞になります。その意味は『…の方へ、…に向かって、』というくらいの意味です。 すなわち、イギリスは狭いEUの枠から出て、世界のイギリスになるぞ、というくらいの意味です。

なかなかカッコいいキャッチフレーズだと思うのですが、マスコミであまり取り上げられていないようなので、ちょっとコメントしました。

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『機械加工の知識がやさしくわかる本』 西村 仁

2017年1月17日 11:58:32

この本も図書館の「新しく入った本」コーナーで見つけたのですが、タイトル通り、工場などで工員さんが機械工作をしているのがどのような機械、どのような道具でどのようにやっているのか、具体的に説明してある本です(最新型の数値制御、コンピュータ制御になる前の、手動の工作機械だけですが)。

私などテレビなどで工員さんの作業を見ながら羨ましがっている者にとっては格好の本です。

旋盤・フライス盤・ボール盤などの削ったり穴をあけたりの加工、砥石などで削ったり研磨したりする加工、型で打ち抜く加工、鋳型に入れて形を作る鋳造、プラスチックなどの射出成型、金属を叩いて作る鍛造、圧延、押し出し・引き抜き加工、溶接、ロウ付け、接着、レーザー加工、放電加工、エッチング、3Dプリンタ、表面処理のいろいろなやり方、作業の前の材料取りの切断加工、これらの作業のあとのバリ取り、そして加工が設計図通りにできているか確認するための測定作業とそのためのさまざまな測定器について説明してあります。

今まできちんとした言葉の意味を知らずに何となく工作のための機械の一つ、くらいに理解していたものがきちんと分かりました。

自動車工場の映像で、車体を大きな機械の腕でつかんだと思ったら火花が出るのがスポット溶接という溶接法だ、というのも分かりました。また接着剤がいろいろありますが、接着剤でなぜ接合できるかは今でも明らかになっていないんだ、というような話も面白かったです。この話を読んで、すぐに本の出版年を確かめたのですが、2016年9月に初版が出ている本ですから、「今でも」というのは本当に「今でも」なんだろうな、と思います。

ということで、機械加工の現場に行くことはなく、テレビの映像を見て羨ましがっているだけの私のような者にとって、本当に楽しめる本でした。

同じように機械工作の世界に憧れを持っている人にお勧めします。

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原 秀男 『二・二六事件軍法会議』

2016年12月12日 20:39:54

この本の著者は、昭和11年の2.26事件の時受験勉強で上野の図書館にいて、あとから来た受験生仲間に事件のことを聞かされ、その後昭和15年に今で言えば司法試験に相当する高等文官試験司法科試験に合格し、大学をやめて陸軍の法務官になったという人です。

最初に実習生(今でいう司法修習生)として配属された近衛師団軍法会議・第一師団軍法会議で、以前から興味があった2.26事件関係の資料を見つけ、できるだけ時間を取ってそれを見て、次に本格的に配属された京都の法務部では東京で見ることができなかった、事件の概要と法律の適用をまとめた資料を見せてもらい、見せてくれた法務部長に『判決を非公開にしているのは憲法違反ではないか』と質問し、『フフッ』と笑われて返事をしてもらえなかった、とのことです。

2.26事件の軍法会議は特別の軍法会議として非公開、一審のみ弁護士なし、しかも軍人以外も事件の関係者を一緒に裁判するということで、特別の法律により行われたのですが、そこには判決を非公開にするという規定はなく、これを非公開にするのは帝国憲法に違反するのではないか、といういかにも法律の専門家らしい質問です。これに対して、京都の師団の法務部長(この人も法律の専門家の法務官です)は、憲法違反が分かっていながら軍の意向で何ともできないことを『フフッ』で示したものだと思われます。

その後著者は中国から南方に転戦し、復員後弁護士活動をしながらもずっと2.26事件の軍法会議について考えていたということです。

2.26事件の資料については、空襲で焼かれたとか終戦時に陸軍省が焼き捨てたとかGHQが持って行ったとか様々の噂があったものを、最終的に、一旦GHQに押収されたものがその後返却され、東京地検に渡されたという所まで確認し、以後東京地検の幹部に会うたびに地検にあるはずだから探して公表するように言ってきたということです。

昭和の終り頃ようやく資料が地検にあることが確認され、平成5年にようやく公開され、著者もようやく見ることができたとのことです。

著者は現役の陸軍法務官でしたから、軍の裁判・軍法会議が実際どのように行われるか、良く分かっています。

軍法会議の対象になるのは軍の刑事事件ですから、その手続きは刑事訴訟法に準じたやり方になっており、戦前のことですから戦前の刑事訴訟法の手続きに似たやり方のようです。

この刑事訴訟法、戦前と戦後では大きく変わっており、戦後の裁判については映画やテレビドラマ等で何となくわかったような気になっていますが、戦前の裁判の手続きはこれとはまるで違っていたようです。

たとえば今の刑事裁判では、検察側と弁護側で交互に被告や証人に対し尋問し反対尋問し、というのを延々と繰り返し、裁判官はそれをずっと聞いているというイメージがありますが、戦前の刑事裁判では被告や証人に対する尋問は裁判長が行ない、検察官や弁護士は裁判官の許可がなければ発言することも尋問することもできなかった、なんてことが書いてあります。このことを踏まえるか踏まえないかで、2.26事件の裁判記録に読み方も変わってくるように思います。

この裁判で事件の黒幕と言われた真崎大将と反乱側の磯部浅一の『対決』という話があり、真崎大将の側も磯部浅一の側もそれぞれまるで異なった記録を残していますが、著者によるとどちらも戦前の刑事訴訟法に準じた軍法会議ではあり得ないような話だ、ということで、それが新たに公表された記録により実際どのように裁判が行われたのかが明確になり、真崎大将も磯部浅一もどちらもとんでもない嘘を言っていたことが明らかになりました。

また2.26事件の時戒厳令が出されたと一般に解説され、普通はそんなものかと思っていますが、さすがに著者は専門家ですからそこの所もきちんと解説しています。

帝国憲法には第14条に『天皇は戒厳を宣告す』となっているのですが、それについては『戒厳の要件及び効力は法律を持ってこれを定む』となっていて、じゃぁその法律があるのかと思うと、その法律はないということです。帝国憲法ができてから2.26事件の時まで、誰もその法律を作ろうとしなかったということです。

で、そうなると帝国憲法ができる前の太政官布告の戒厳令が有効になるので、それを使ったのかと思うとそうでもなく、2.26事件の時は2.26事件のためだけに緊急勅令の形で特別の戒厳令を作り(帝国憲法では緊急時には天皇が勅令の形で法律を作り、事後的に国会で承認する手続きが定められています)、これを適用させたんだということです(2.26事件の特別の軍法会議もこれと同様、2.26事件のために特別に作られたものです)。

戒厳令というと、これが出ると戒厳司令官は何でもできる『斬り捨て御免』のようなイメージがあり、軍人達の多くはそう思っていたようですが、実はそうではなく、たとえばこの2.26事件の時の戒厳令は、一定の地域について

    • 地方行政事務と司法事務のうち、軍事に関係のあるものについて戒厳司令官が指揮できる。
      憲法で保障されている居住移転の自由、住居の不可侵、住居の秘密、所有権の不可侵、言論・著作・集合・結社の自由の諸権制を戒厳司令官が停止できる。
  • というだけのことです。

    これ以外のことについては当然憲法や他の法律が適用されるということです。当然『斬り捨てご免』なんてことになったら殺人罪が適用されます。
    2.26事件では、26日の朝、未明に事件が発生し、26日の夜にはこのあたり全てをきちんと整理して緊急勅令を出して、戒厳司令官を任命しているんですから、このあたりの法務官僚の働きは素晴らしいものです。

    香椎(かしい)浩平中将というのは、2.26事件の当時、東京警備司令部の司令官で(ですから東京で軍の反乱が起きたらまず最初に鎮圧に動き出さなければならない立場の人です)、戒厳令の発令と同時に戒厳司令官になった人ですが、この時、他の大将達が宮中と陸軍大臣官邸の間を行ったり来たりウロウロしている中、ただ一人反乱軍の青年将校達のために自分の立場を利用して最大限の支援をした人です。この人に対して、反乱軍を支援した、ということで強制捜査をすることに関して、「すべきだ」という結論の報告書と「すべきでない」という結論の報告書の両方を匂坂(さきさか)法務官が作成したということは、澤地久枝さんの『雪は汚れていた』という本に書かれていたのですが、新たに公開された2.26事件資料ではそのどちらも使われず、最後のページが破り取られた所に朱書きで『証拠不十分で不起訴』という意味の結論が書かれていたという、びっくりするような話も報告されています。

    匂坂さんはこの香椎中将の捜査を通して、真崎大将がこの事件の黒幕だったことを証明しようとしたのですが、香椎中将は強制捜査の対象とされず、事態が終息した所で軍から放り出されて終わったのですが、真崎大将の方は軍法会議に拘留され、取り調べを受け裁判を受けることになりました。この裁判の最後の判決文を書く所で、法務官として裁判官の一人だった小川関冶郎さんは有罪を主張し、これ以外の二人の軍人の裁判官は無罪を主張し、最後には裁判長である軍人が、病気を理由に裁判官を降りることによってこの真崎大将の裁判自体をなかったものにしよう、という所まで来たため、結局小川法務官が折れて『真崎大将は反乱軍を有利にするための行動をいろいろしたのは確かだけれど、反乱軍を有利にしようとしてそうしたとは言えないから無罪』という何とも不思議な判決文を書いた、などという話も詳しく説明しています。

    小川法務官の真崎大将関係の資料は、みすず書房の『現代史資料』の23巻『国家主義運動3』の中に、永田鉄山惨殺の相沢事件関係資料と一緒に入っています。
    この中には小川法務官の『2.26事件秘史』というメモも入っており2.26事件の全体像を理解するのに最高のまとめだと思います。

    いずれにしてもこの原秀男さんという人は、中国からフィリピン、オーストラリアの北部まで行って、戦争が終わり収容所に入ってからも軍法会議を続けたというなかなか骨のある本物の法律家です。

    法務官という特殊な立場にいた人の解説は他ではなかなか得られない貴重なものです。

    お勧めします。

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    佐藤優 『日本国家の神髄-禁書「国体の本義」を読み解く』

    2016年12月9日 20:16:38

    この本は副題として『禁書「国体の本義」を読み解く』となっていて、昭和12年に文部省が発行した『国体の本義』という本の解説になっています。

    以前、天皇機関説事件についていくつか本を読んだ時、この天皇機関説事件は昭和10年に起こり、その延長線上に永田鉄山斬殺事件があり、昭和11年の2.26事件があり、そして昭和12年の『国体の本義』があるということで、読んでみたいと思っていました。

    この本に『禁書』と表現されているように、戦後はGHQによりこの『国体の本義』が禁書扱いされていたようで、いろいろ本を検索してみてもまるで見つかりません。その中でみつけたのがこの佐藤優さんの本です。この本の中で佐藤さんは『国体の本義』を全文引用し、それにコメントを付けるということをやっています。

    佐藤さんの解説・コメントはかなりインパクトの強いものなので、それを読んでいると『国体の本義』の方がちょっと霞んでしまい勝ちなのですが、何とか両方読むことができます。

    改めてネットで検索すると、『国体の本義』の全文がA4で43ページになっているものがpdfファイルの形で手に入りますので、この本を読んだあと『国体の本義』だけ読み直すと良いかも知れません。もちろんこの本に引用されている部分だけを通して読んでも良いのでしょうが、ついつい余計な佐藤さんのコメントに目が行ってしまい勝ちです。

    で、以前にも書きましたが、天皇機関説事件というのは、美濃部達吉さんの天皇機関説が日本の国体にもとる重大な間違いだから、美濃部さんの本を発禁にしろ、美濃部さんを大学から追い出せ、この天皇機関説が間違いだということを政府がきちんと発表しろ、と軍や右翼の運動家、政治家などの一部が大騒ぎした、というものでした。

    その中で、そもそも日本の国体についてきちんとした説明がないからこんな事が起こるんであり、政府はきちんとした日本の国体の説明書を作り、国民に教えなければならない、という議論が出てきたわけです。

    さんざん国体を振り回して大騒ぎをしたあげく、国体がきちんと定義されていないじゃないか、と言いがかりをつけるというのは、何ともおかしな言い分なのですが、時の勢いというのはどうにもならないで、政府もこれを約束することになってしまいました。

    そんな経緯で作られた本ですから、この『国体の本義』というのはいかにもおどろおどろしい、神がかり的な、べったり右翼の国粋主義の本かと思ったら、何とまるでそんなものとは違います。

    エイヤッとまとめてしまうと、日本の国体というのは神話の時代から大家族主義で天皇家を始めとする日本人全体が一つの家族のようなもので、大昔からの天皇をはじめとする先祖の教えに従って天皇は国民のために国を守り国民を守る、国民はその天皇を助けて天皇を守り国を守る。これが大昔からの言い伝えで、それが日本の国家的信念であって国体である、ということです。

    これに対して特に欧米を中心とする諸外国の思想は基本的に個人主義であり、その上に民主主義とか自由民権思想とか、実利主義・功利主義あるいは社会主義・無政府主義・共産主義・ファシズムなどがある。そのためそのような思想をそのまま日本に持ち込んでも日本の団体とうまく折り合いがつかないで混乱が起きるばかりだ。以前、仏教や儒教を取り入れた時のように、時間をかけ、十分咀嚼し消化してから吸収すれば日本にとっても大いに役に立つことになるんだが、という位のごく真っ当な話です。

    これを説明するために、古事記・日本書紀から始まって、神皇正統記その他たくさんの書物を引用し、天皇やいろんな人の和歌を引いてこれを証明しようとしています。

    で、結局この『国体の本義』は、天皇機関説事件の時に大騒ぎをしていた人達が意図したものとはまるで違ったものになったんだと思いますが、これでまた大騒ぎが起こった、というような話は聞きません。

    もうすでに2.26事件も終わり、日本が軍主導の国になってしまっており、シナ事変も起こる直前で戦時体制に入ってしまっていたため、今更『国体』なんて話を持ち出しても誰の興味も引かなかったということでしょうか。学校の先生たちは読んだんでしょうが、一般の国民にはすでに軍や政治家やマスコミが散々振り回している国体で十分だったのかもしれません。

    なお、この『日本国家の神髄』という本ですが、何ヵ所か間違いがあります。
    前書きの最後の所、『国体の本義』の公刊が昭和12年なのに、昭和7年となっています。昭和7年だと天皇機関説事件よりも2.26事件よりも前になってしまうので、まるで話が違ってしまいます。
    また前書きと後書きの前後にそれを書いた年月が入れてあり、年の方は皇紀・平成・西暦の3本建てで表示してるのですが、この皇紀の年数が間違っています。国体に関する本だから、普通は入れない皇紀の年数をわざわざ入れているのに、それが間違っているんではどうにもなりません。

    このあたり校正ミスというか、今はやりの言葉を使えば校閲ミスということになるかと思います。

    また本文の方では、『国体の本義』のテキストを引用している部分以外の部分は『国体の本義』を単純に今の言葉に言い換えている部分、それについて説明している部分、佐藤さんが意見を言っている部分等、いくつかの部分に分かれます。

    本の初めの方ではこのあたりが明確に区別できるように書いてあるのですが、後半の方ではそのあたりの区分がはっきりしなくなり、『国体の本義』を現代語に直してある部分が佐藤さんの意見ででもあるかのような表現になってしまっています。

    これは言うなれば編集者の手抜き、ということになるのでしょうか。

    これら校閲の問題と編集の問題を除けば、非常に面白く読めます。
    普段使わない言葉も丁寧に説明してあり、わかりやすくなっています。
    日本の『国体』に関心のある人にはお勧めです。

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    山内昌之 『中東複合危機から第三次世界大戦へ』

    2016年12月5日 12:39:20

    この本は図書館で予約して何ヵ月もかかってようやく順番がきて読んだんですが、予約などせずさっさと本屋さんで買って読むべきだったなと思いました。で、読み終わって早速本屋さんで買いました。

    中東複合危機というのは、イラク・シリアで進行中のISを中心とする戦争のことで、これが第三次世界大戦につながる、あるいはもうすでに第三次世界大戦が始まっているのかも知れないという現状を踏まえ、現実にどこで何が起こっており、当事者達は何をどう考えてどうしようとしているのか、をわかりやすく解説している本です。

    シリアではアサド大統領の政府軍、反政府軍としてはIS・クルド人・スンニ派アラブ人・トルコ系民族等が入り乱れて互いに戦争しており、それがイラクに及んで、イラクではISに対してはシーア派政府軍、クルド人勢力、スンニ派民兵等が戦争をしているわけですが、やはり中心となるのはISです。これがどのようにできてきたか、何をしているのか、その戦争がモダン・プレモダン・ポストモダンの様々な形態での戦争が混在して進行しているという有り様を丁寧に説明しています。

    その説明のためにイスラム教・ムハンマド(マホメット)についても簡単に解説していますが、これがまさに簡にして要を得ている、何とも見事なものです。

    イスラム教の歴史の概略を説明して、イラクという国がどういう国か、トルコという国がどういう国か、シーア派とスンニ派とは何が違うのか等も説明しています。

    その上でISが何をしていて何をしようとしているのかを説明し、その後現実にシリア・イラクで進行中の戦争について説明しています。

    最初はアラブの春の一つとしてシリアで反政府運動が起こり、それに対してアサド政権が頑強に抵抗する中で、反政府運動の中からISが生まれ、それがアサド政権だけでなく、他の反政府勢力にも戦争を仕掛け、シリアの中で攻められるとイラクに移ってイラクでも反政府運動を拡大し、さらには中東にとどまらず、ヨーロッパ・アジアにも戦争を拡大しています。

    シリアの戦争の実態は、アサド大統領の政府軍はもはや殆ど壊滅状態で、その代わりにイランの革命防衛隊がシリア政府軍の名前で戦争している。イラクでも政府軍の指導権はこのイランの革命防衛隊が握っている。このようなイランに対して、戦争の当事者としてトルコとロシアが乗り込んで三つ巴の戦争が進行している。トルコとロシア・ロシアとイラン・イランとトルコはある場所では対立し、ある所では協力して、このシリアとイラクの地で戦争をしているわけです。
    このトルコ・イラン・ロシアが何を考えて何をしようとしてるのか、が丁寧に説明されています。

    いずれの国もそれぞれの国の事情を抱え、それぞれの国の目的を達成するために権謀術数の限りを尽くしていますので、本来単純明快な日本人にはなかなか理解が難しい所を丁寧に説明してくれます。

    この当事者3ヵ国に加え、周辺にはサウジアラビアを含む他のアラブ諸国とイスラエルがあり、さらにもっと遠くにEUとアメリカがある、というのが現在の構図のようです。

    実は上記の当事者3ヵ国に準ずる位の位置に中国がいて、シリア・イラクには中国は出てきていませんが、むしろISの方が中国に進出しつつあり、これについてはこの本の本文では書き切れないため、ごく簡単に後書きの部分で触れています。

    この本は、トルコがロシアの戦闘機を打ち落として、まだトルコとロシアの仲直りする前の時点で書かれているので、その分ちょっと状況が違っていますが、いずれにしても現在のISあるいはシリア・イラクの戦争をきちんと理解するのに格好の本です。

    お勧めします。

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    出しゃばりのアメリカと引籠りのアメリカ

    2016年11月10日 18:22:38

    アメリカという国は二つの顔を持っています。
    『出しゃばりのアメリカ』というのは、世界の警察官という名前で世界中のあらゆる事に介入して、アメリカ流の正義を実現しようとします。

    『引き籠りのアメリカ』というのは、アメリカが自分の固有のテリトリー(自分ち)だと考える南北アメリカ大陸の範囲に引き籠り、その外の事についてはアメリカの利害に関係がなければ知らん顔を決め込むというものです。

    アメリカという国は、この二つの顔が交互に出てきます。

    第一次大戦が始まった時は、まだ引き籠りのアメリカだったのでなかなか参戦しなかったのですが、途中から出しゃばりのアメリカになり参戦したので、かろうじてイギリス・フランスはドイツに勝つことができました。

    その後第一次大戦が終わり、終戦処理をして国際連盟を作るあたりまでは出しゃばりのアメリカが主導してすべてを仕切ったのですが、国際連盟がスタートする時にはもう引き籠りのアメリカに変わっていたため、国際連盟はアメリカ抜きでやらなければならないことになりました。

    その後ドイツも日本も国際連盟を抜けて国際連盟が機能しなくなり、1939年にはヨーロッパで第二次大戦が始まりました。それでもアメリカはまだ引き籠りのままでしたから、フランスはドイツに占領され、イギリスも風前の灯でした。その引き籠りのアメリカを出しゃばりのアメリカに変えたきっかけが1941年の日本軍による真珠湾攻撃です。

    以来、アメリカは出しゃばりのアメリカをずっと続けていますので、第一次大戦・第二次大戦でひどい目にあったヨーロッパや日本は、アメリカがまた引き籠りになってしまわないように最大限の努力をしてきたわけです。しかしそれももう75年も続けていることになります。引き籠りのアメリカを実際に経験している人は今では殆ど生き残っていないということです。

    今回トランプさんがアメリカの次期大統領に選ばれることになったのですが、選挙運動中の発言を見ていると、トランプさんはいよいよ引き籠りのアメリカを再現しようとしているようです。これはアメリカ以外の国々にとってははた迷惑以外の何物でもありません。とはいえ、独立した国と国の間で無理やり引き籠りを引っ張り出す有効な手段はないので皆困っています。昨日トランプさんの勝利で世界中が大混乱になっているというのもそういうことです。

    日本でも戦後1945年以来71年にわたってアメリカ軍が駐留し、日本を防御してくれていたため、反戦平和主義の人たちが日本国内でいくら反米を叫んでもその体制はビクともせず、安心していられた訳ですが、それがトランプさんが大統領になりアメリカが引き籠りになったら、まるで違った世界になる、ということです。

    いずれにしても70年以上慣れ親しんだ世界が変わるかもしれない、ということです。今まで当り前だと思っていた世界を、今まで当たり前だと思っていたことを当たり前ではないかもしれない、と一度見直してみたら面白いかも知れません。

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    第9条と修正第2条

    2016年10月24日 17:34:51

    アメリカの大統領選もあと残すところ2週間、先週は3回目のテレビ討論会がありました。

    そのしょっぱな、司会者がトランプ・クリントンの両候補に投げた質問が、銃規制の話でした。

    それに対して、トランプもクリントンも合衆国憲法修正第2条を引き合いに出しながら意見を言っていました。

    アメリカ合衆国というのは、それぞれ独立した国(States)がまとまって連邦国家(United States)を作るということでできた国ですから、その元々の憲法の規定は、その連邦国家の組織をどう作り、運営していくかということしか書いてありません。

    そこで憲法ができた後、その修正を『修正条項』という形で様々な規定を盛り込み、基本的人権もそのようにして盛り込まれたものです。
    その基本的人権の修正第2条として、銃の保持の自由が定められているわけです。修正第一条は、信仰の自由・言論の自由・集会の自由・請願の自由という一般的な人権の規定ですから、具体的な人権としてはこの銃の保持が最初のものです。

    すなわち各個人が自由に銃を持ち自分および家族を守る、というのが基本的人権の一番目ということです。

    そのためこの憲法修正第2条というのは『神聖にして犯すべからず』というもののようで、トランプさんの方はこの修正第2条は神聖にして犯すべからずなんだから銃規制などもってのほか、という議論ですし、クリントンさんの方は神聖にして犯すべからずとは言ってもそのためにアメリカ人が毎年何万人も死んでいる以上、多少の法規制は憲法違反ではない、という主張です。

    この議論を聞いて、日本国憲法第9条の議論に良く似てるなと感じました。

    この日本国憲法第9条の戦争放棄の規定も『神聖にして犯すべからず』の規定で、護憲派はこの条文をちょっとでも変更することは許されないと主張し、他方改憲派は『神聖にして犯すべからず』とは言え現実的に修正することは問題ない、と主張しているわけです。

    それにしても日本とアメリカで、アメリカは銃を持つことによって社会の安定・国の安全が保たれると考え、日本では軍隊を持たないことによって国の安全が守られると考えていて、その二つの国が最も親密な軍事同盟を結んでいる、というのも面白い話ですね。

    日本では各個人が自由に銃を持つなんてことはありませんし、それが基本的人権に反しているなんて考える人はまずいません。歴史的には豊臣秀吉の刀狩りによって武士以外から刀を取り上げ、明治政府の廃刀令で武士からも刀を取り上げ、軍人と警察官だけが刀を持つことができたのが、第二次大戦が終わり軍人がいなくなって、軍人からも刀を取り上げたということなんですが、西部劇の時代から『ライフルで家族を守るのが男の役目』というアメリカの文化とは改めてすごく違うものですね。

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