中国

8月 29th, 2023

中国の不動産会社の破産や投資信託の不払いで中国は大変だというコメントが蔓延しています。
はじめは何となくそうかな、と思っていたのですが、その後、ちょっと違うかなと思うようになったのでコメントします。

中国、というのは現在、中国共産党が支配している中華人民共和国のことです。日本などの一般の民主主義国では国は国民のための国ですが、中国は支配している共産党のための国です。共産党のためであれば国民の犠牲は厭わない国です。

不動産会社が破綻したり投資会社の不払いで損をするのは国民なので、一般の民主主義国では破綻処理とか投資家保護とかいろいろしますが、中国では不動産会社の破綻や投資信託の不払いで損をするのは、その余裕のある金持ちだけです。金持ちが損をしても、金持ちでない国民からするとザマーミロということで、何も困ることはありません。とすれば中国を支配する共産党としても、金持ちをわざわざ保護する理由はありません。金持ち以外の国民のうっぷん晴らしに、金持ちに損をさせたままにしておくことです。

その意味では不動産会社の破産も投資信託の不払いも株価の下落も特に気にするような話ではなさそうです。

しかし不動産会社の破綻や投信の不払いで困るのは、金持ちだけでなく、地方政府や軍まで被害を被る、となると話は別です。まあ地方政府だけならともかく、地方政府の損がその地方の一般の国民にしわ寄せされるとか、軍の損が軍人一般の損になるとなると、政情不安ということになります。

不動産会社の破綻や投信の不払いがどこまでいったら一般国民にまで影響を与えるようになるのかわかりませんが、当面様子見を続ける必要がありそうですね。

中国は、共産党にホコ先が向かってこない限り、国民が何億人死のうと平気な国です。
この基本を忘れちゃいけないですね。

『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』『癌め』―江國滋

8月 10th, 2023

この本は江國滋さんが癌になり、入院して手術し、闘病して死に至るまでの半年間の日記とその間に詠んだ俳句集です。

この江國滋という人は、今では作家江國香織の父親だと説明されているということをどこかで読み、昔は『江國香織は江國滋の娘』と説明されていたのがいつの間にか逆転していたんだなと思い、そういえば江國滋さんというのはあまりまともに読んだ事がないなと思って借りてんだのが『俳句と遊ぶ法』という俳句の解説・入門書です。面白かったのでついでにそういえばまだ読んでなかったなと思って借りたのが、この『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』と『癌め』の2冊です。

はじめは『酌みかはさうぜ』を借りるつもりだったのが、検索したら『癌め』の方も出てきたのでついでに借りました。

『酌みかはさうぜ』は江國さんが癌の診断を受け、がんセンターに入院し手術を受け、途中で外出や外泊を許されながら結局半年後に死亡するまでの病中日記です。診断を受け手術を受けることが決まってから、子規に倣って病中日記を綴り、俳句を詠んで俳句集を作ると決めて、そのとおり実行した病中日記が『酌みかはさうぜ』の一冊で、その中で披露されている俳句を取り出して俳句集の形にしたものが『癌め』です。

本来であれば手術が終わり退院した後できちんと整理して出版する予定だったのが、その余裕もなく死亡してしまったので、とりあえず残された原稿をほぼそのまま本にしたというような本です。

江國さんの癌は食道癌で、胃は既に半分なくなっていたので結局食道と胃を取って大腸を引っ張り上げて食道につなぐ、という大手術で、肋骨の中を通すのは大変なので胸の肋骨の上を通って大腸と食道をつなぐ、というものだったようです。10時間以上の何とも大変な手術を終え、飲み食いができない日が続き、少しずつ飲んだり食べたりできかかった所で右手が痛くて上がらなくなり、結局それは癌の転移によるものだということで、その手術もしています。

最初の大腸をつなぐ手術も一度で完璧にはつながらず、何度か再手術をし、また途中で右腕の骨折もしてその手術もし、ということで大変な思いをしながらも、とりあえずいったん退院となった所で再度入院で救急車で病院に戻り、そのまま亡くなったという話を、途中、一部奥さんが口述筆記により代筆したり、最後に自分で書けなくなったところを奥さんが報告したりして、最後にこの『酌みかはさうぜ』の句で締めくくっています。

『癌め』の方はこの病中日記の中の俳句を整理して句集にしたもののようで、『酌みかはさうぜ』を読み終えてしばらくたってから読んでみました。

江國さんの句はあまり専門家らしくなく普通の言葉で分かりやすく詠まれています。一見しろうとの句かと見えるような味わい深い句がたくさんあります。

癌宣告を受けて
 『残寒や この俺がこの俺が癌』(本の9ページ)(2月6日)
 『春の宵 癌細胞と混浴す』(本の18ページ)(2月11日)
 『永き日や 聞きしにまさる 検査漬け』(本の22ページ)(2月17日)
 『三寒の 月月火水木検査』(本の22ページ)(2月17日)
とかから始まり、長引く入院生活にうんざりして
 『夏立ちぬ 腹立ちぬ また日が経ちぬ』(本の126ページ)(5月5日)
 『夏は来ぬ われは骨皮筋左衛門』(本の123ページ)(5月3日)
とか、
 『自嘲
  吉兆の かぼちゃなら食う 男かな』(本の173ページ)(6月23日)
とか、あるいは

 『「骨シンチ」の検査受く。シンチグラフィー
  シンチグラムの略にて、「アイソトープ集積像」の意味なり。たわむれに
  骨シンチ むかしは俺も 北新地』(本の158ページ)(6月5日)
なんてふざけたりもしています。

最後に
 『敗北宣言
  おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒』(本の196ページ)(8月8日)
が辞世の句となりました。

ちょっと重たい本ですが、自身の癌を正面から受け止め一喜一憂しながらどう作品に仕立てているか味わい深い本です。

お勧めします。

『トウガラシの世界史』―山本紀夫

8月 10th, 2023

この本も図書館の『お勧めコーナー』で見かけて借りて読みました。
最初この本が出た時興味があったのですが、何となく読みはぐっていたもので、やはり面白い本でした。

トウガラシとはどういう物か、から始まって、中南米でのトウガラシの食べられ方、ヨーロッパへどう渡ってどう食べられているか、アフリカにはどう渡ったのか、東南アジアにはどう渡ってどう食べられているか、中国では、韓国ではと来て、最後に日本では、となっています。

香辛料をインドから直接輸入しようとしてヨーロッパの大航海時代が始まったのですが、コロンブスのアメリア発見とバスコダガマのインド航路の発見で、中南米との通路・インドとの通路ができたことで中南米の植物が利用可能となったこと、コショウなどの香辛料は限られた地域でしか栽培できないのに、トウガラシはどこでも栽培できるため世界中に広まったこと、ヨーロッパに渡ったトウガラシからハンガリーであまり辛くないパプリカが生まれたこと、パプリカにはビタミンCが大量に入っていて、それを見つけたセントジェルジはノーベル賞を取ったこと、たった数百年で世界中でトウガラシを大量に食べるようになったのに対し、日本では七味唐辛子の中に入ったくらいだなんて話が入っています。

中南米では栽培種のトウガラシだけでなく野生のトウガラシもいまだに利用されているとか、トウガラシの辛さの単位は人間の舌で、トウガラシ抽出液を水で何倍まで希釈した時に辛さが認識できなくなるかで測るとか、バスコダガマのインド航路は2回目からはブラジル経由で喜望峰に行ったということで、立ち寄ったブラジルでトウガラシを積み込み、それをインド・インドネシアで降ろしてコショウに積み替えたのかも知れないとか、ヨーロッパがアジアからアメリカにサトウキビを持ち込み、そのサトウキビ栽培のために大量のアフリカ人奴隷をアフリカからアメリカに運んだ、その代わりにトウモロコシを中南米からアフリカに運んだなんて話もありました。

また『赤とんぼ羽をもぎればトウガラシ』という句がありますが、『朝顔につるべ取られてもらひ水』で有名な加賀の千代女がこの句について『俳諧はものを憐れむを本とす』と言って『トウガラシ羽をはやせば赤とんぼ』と手直しした、なんて話もあります。すなわちこの頃までには日本でも既にトウガラシがごく一般的なものになっていたという事です。

お勧めします。

『トコトンやさしいコラーゲンの本』―野村義宏

8月 7th, 2023

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーで見つけて借りてきました。
コラーゲンという、何となく分かったようで分からないようなものについて、きちんと整理して理解してみようと思ったわけです。

DNAの二重らせんというのは良く知られた話ですが、コラーゲンというのはタンパク質のひもが三重らせんになっていて、それも三重らせんになっている部分となっていない部分がある、ということで様々な構造を作ることができるということです。
DNAは基本的に細胞の核の中にあって、部分的にRNAにコピーされるという機能ですが、コラーゲンは細胞の中でその元がつくられるけれど、基本的に細胞の外で最終的に完成され活用されるということ、コラーゲン分子の並べ方により一次元のひも状、二次元のシート状、三次元のかたまり状と様々な形態となるということ。骨というのはコラーゲンのかたまりの中にカルシウムを混ぜて固くしたもので、骨から中に入っているカルシウム等を取り除くと形は保たれるもののぐんにゃりと曲げることができるコラーゲンのかたまりになることなど、面白い話が盛りだくさんです。

単細胞生物が多細胞生物に進化する時、いくつもの細胞を一つにまとめておくための基盤となる構造が必要となります。そこで動物はコラーゲンを利用することとし、コラーゲンの上に細胞を並べることにより体をつくった。植物の場合はコラーゲンの代わりにセルロースを利用し、細胞のまわりに細胞壁を作ってそれをつなげることにより体を作り、高い木を作るための強度が必要になって、そこにリグニンを利用した、ということ。コラーゲンにはいくつもの種類があり、また温度特性も様々に異なるため様々な用途に利用されている事。コラーゲンをバラバラにしたゼラチン、これをさらに分解したコラーゲンペプチドまで広げるとさらに利用範囲が増えることになります。

たとえば写真フィルムにはゼラチンが使われているのですが、この写真用ゼラチンには厳しい国際規格があって、これは日本主導で制定されたものだということです。

またレンチンするまでは固まっていて、レンチンすると液体になる食品もゼラチンを使っていて、コンビニ食品の種類を増やしています。

またコラーゲンはきちんと並べると透明になり、角膜はコラーゲンでできている、なんて話もびっくりです。

また子供が生まれる時の胎盤というのもいろんな種類のコラーゲンの宝庫だ、という話も納得がいきます。

コラーゲンは動物の種類ごとに違いがあり、その違いを使い分けることにより、利用範囲が広がること、哺乳類のコラーゲンは一般に牛や豚の肉を取ったあとの皮から取る事、魚類のコラーゲンは一般にウロコから取る事等、面白い話満載です。

コラーゲン、というのは美容の話だけではない、ということで、ちょっと面白い話の好きな人にお勧めです。

『古文書「候文(ソウロウブン)」入門』

8月 7th, 2023

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーにあったものを借りてきました。

候文というのは国語でいう古文でも漢文でもない、江戸時代の前から明治時代まで、手紙・命令・報告・その他に広く使われていた日本語の文語文の一つの形態ですが、慣れれば何となく読めるということで、あまりきちんとした解説を読んだことがありません。

で、この本は、その候文の解説なんですが、辞書というか単語集といった体裁の本ですから全体を読むというよりはこのような本がある、必要に応じて参照することができるという事が分かった、というのが重要です。

候文というのは、漢文のような返り点付きの漢字句をふんだんに含んだ日本語で、候文独特の敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)がたくさんあります(まあ候文の候というのも敬語の一つでもありますが)。また(普通の漢文ではまず目にすることのない)候文独特の単語もいろいろあります。

運が良ければ返り点が付いていますが付いていない場合も多く、自分で返り点をつけてひっくり返して読む必要があります。場合によっては返り点をつけてひっくり返すべきところ、ひっくり返さないまま書いている、なんてこともあります。

また送り仮名に使われる仮名の代わりの漢字もいろいろあります。たとえば「者」⇔「は」、「而」⇔「て」、「与」⇔「と」、「茂」⇔「も」なんて具合です。

しかしそこらへんを踏まえて読めば読めないことはないのですが、本当にそれで良いのかちょっと心許ないところがあります。その点こんな本があると助かります。

この本は私が普段利用している図書館の蔵書ですから、借りるにしても他の図書館から配送してもらう手間と時間は省略できそうです。多分ほとんど他の人が借りるなんてことはなさそうなので、いつでも好きな時に借りられそうです。有難い話です。

『ロシアを決して信じるな』―中村逸郎

8月 3rd, 2023

この本の著者の中村逸郎さんという人はロシアの専門家として、特にウクライナ戦争が始まってからテレビで引っ張りだこの人気者で、ネットのYouTubeでも人気の人です。

ネットの番組では、登場するコメンテーターが『新刊が出ます』とか『出ました』とか言って自著を宣伝することが良くあるのですが、この中村さんの場合『絶賛在庫中です』なんて言っていたので読んでみたのがこの本です。

まあ2021年の著書ですから『新刊』というわけにいかないとしても、それほど古い本ではありません。

で、読んでみると、次から次へと信じられないようなエピソードだらけです。ですが基本的に全て著者自身が経験し、あるいはロシア人から直接聞いた話ばかりです。

これらの話を読んで呆然としてしまいました。今までいろんな国、いろんな時代の人の話を読んできましたが、このロシアとロシア人というのは全く理解不能な国、および人々じゃないかと思いました。

で、図書館で検索してこの人の本を借りて読んでみることにしました。今度は年代順に
1)東京発モスクワ秘密文書
2)ロシア市民 ― 体制転換を生きる
3)帝政民主主義国家ロシア
4)虚栄の帝国ロシア
5)ロシアはどこへ行くのか
6)ろくでなしのロシア
7)シベリア最深紀行
の7冊です
最初に読んだ『ロシアを決して信じるな』はこれらの本の総集編のようなものです。

この中村さんという人のアプローチは非常にユニークで、個別具体的に一人一人のロシアの住人に話を聞いて、人々がどのように生活し、どのような問題を抱え、どのように考えているか、という話を次々に紹介してくれています。話を聞くために相手との信頼関係を作り上げる為、十分な時間をかけているようです。

最初の『東京発モスクワ秘密文書』は、ソ連の崩壊前のモスクワで、共産党が全てを仕切っていて、全ては国有で住民は国営企業で働いている、という時代です。

住民はアパートに住んでいますが、一家族で70~80㎡くらいの3Kくらいの部屋に住んでいたり、あるいはそののような部屋の各室にそれぞれ別々の家族が住んでいて、台所とバス・トイレは共有になっている、なんていう具合です。場合によると自分の家族の部屋に行くために他人の家族の部屋を通らなければならない、なんてこともあります。そのアパートも第二次大戦後すぐ、あるいはロシア革命後すぐに作られて、いずれにしてももう十分年数の経った建物が、殆どまともな修繕工事をしないまま使い続けられているものです。いくらでも不具合が生じてきます。

国有財産のアパートに不具合が生じても、住民は勝手に修理するわけにはいきません。国営の修繕工事会社に修理を依頼するのですが、住民が連絡したからってすぐに来てくれるわけではありません。

法律も裁判所もあるにはあるのですが、法律があるからと言って自動的に誰かが動いてくれるわけではなく、裁判で判決が出てもそれで誰かが動いてくれるわけでもありません。

で、住民は区役所に行っても修繕会社に直接言っても、裁判所に行ってもどうにもならないので、結局共産党の地区委員会に相談に行きます。共産党の地区委員会の決定があれば、区役所も修繕会社も動いてくれます。

著者は最初共産党がどのように機能しているのか、クレムリンに見に行くことはできないので共産党の末端の地区組織の書類を見ればその中に党中央からの極秘指令のようなものもみつかるかも知れないと期待していたけれど、著者が苦労して集めた309文書5000ページの資料にはそのようなものは皆無で、資料の中身は全て住民の苦情相談の内容と、その解決方針だけだったということです。これが極秘資料だ、というのも共産党の秘密情報が入っているから、というより、苦情処理の案件で、関係住人の個人情報が満載だからだ、ということのようです。

著者は途方に暮れ、たまたま同じホテルにいた高名な学者に相談した所、著者の手に入れた資料こそ重要なものだと教えられたということです。同様の文書はソ連時代はいくらでもあったと思われるものの、ソ連が崩壊し共産党がなくなって、もはやどこにも残っていないだろうということでした。

次の『ロシア市民 ― 体制転換を生きる』というのは、ソ連が崩壊し共産党がなくなった、混乱の時代の話です。

ソ連がなくなって私有財産が認められるようになり、国有財産だった土地が市の所有になったり、アパートの所有権も一部住民のものになったりしてきたものの、住民の暮らしは苦しくなる一方で、一部新興の財閥企業や進出してきた外資系企業に関わることができた人々はバブルを謳歌したりしていますが、その他の人々はそれまでより苦しい生活を余儀なくされています。国有だった土地がいつの間にか新興財閥の物になり、その不動産開発のために周辺のアパートが倒れそうになるとか、新しくできたアパートが周りに鉄柵を張り巡らしたことにより他の住民は通り抜けができなくなったり、その中に囲われてしまった公園を使うことができなくなってしまったり、アパートの水道が勝手に途中で止められたり、スチームの暖房が途中までしか来ないで、何年も暖房なしでモスクワの冬を過ごさなければならないとかの話が次々と紹介されます。前のように苦情相談窓口の共産党地区委員会もなくなってしまっているので、何とも大変な話です。

次の『帝政民主主義国家ロシア』でいよいよプーチンの登場です。

ゴルバチョフ・エリツィンの混乱の時代をこえ、エリツィンの指名を受けてプーチンが大統領になります。とは言え、選挙では公約は一切発表しない、という選挙です。大統領になったプーチンは政治的経験も後ろ盾になる勢力も皆無という状況で、出身のサンクトペテルブルグの人脈を使って権力基盤を作っていき、それと同時に国民からの直接の支持を獲得するため『慈父のような皇帝プーチン』というイメージ戦略を採用します。

全国に皇帝プーチンに対する直訴を受け付ける機関を作り、だれでも自分の意見・悩み・困っている事を皇帝プーチンに直接ぶつけることができるようにしたわけです。とは言え実際にプーチンが話を聞くわけではなく、一人30分まで、という範囲内でお役人が話を聞いて、それをプーチンに届けるということですが、悩みを抱える住民にとってみればたった30分でも自分の話をお役人が聞いてくれ、それが直接プーチンに届くかも知れないということは、それだけで大いに期待できることのようです。

で、ここで著者は何とその直訴の受付をする窓口の役所に入り込み、直訴する順番を待っている人、お役人に話をし終わって出てきた人、直訴を受付け話を聞いたお役人等々から直接話を聞くというとんでもない事をします。

ロシア人は自分ではどうにもならない問題を抱え、いつか慈父のような公明正大な皇帝があらわれ、社会の不公正を正し、自分の抱える問題を解決してくれるに違いないという希望に向かって生きているようです。

次の『虚栄の帝国ロシア - 闇に消える「黒い」外国人たち』というのは、ロシアにおける黒人問題です。黒人と言ってもアフリカ系の黒人の話ではなく、ロシア人に比べると肌の色が多少とも黒い、中央アジアやカフカスからの不法出稼ぎ労働者の話です。ソ連が崩壊し、旧ソ連のロシア周辺諸国はとんでもなく悲惨な状況に陥り、それでもロシア自体は外資系企業の進出、ソ連時代の国有財産をかすめ取った新興財閥、石油や天然ガス等の資源開発で部分的にバブル経済になっていて、それを狙って周辺諸国から不法出稼ぎ労働者が大挙して押しかけているという話です。『不法』というのは、正規の手続きを踏もうとするととてつもなくお金と時間がかかるので、否応なく不法にならざるを得ない。不法であるため鉄道に乗るにもロシアで働くにも、方々で警官や駅の職員やお役人のピンハネの対象となり、それで本来の報酬の1割くらいしか手許に残らないとしても国に残って働くより何倍もの報酬が得られる、という事で、自国で校長先生をしていたような人まで出稼ぎで建築労働者として働いている、なんて話です。ロシアでは、いかにもロシア人を雇っているかのようなふりをして実際はほとんど不法出稼ぎ労働者を働かせ、コストを浮かすと同時に名義貸しをしてもらっている友人・知人のロシア人に不労所得を分け与えていて、それもロシアのバブルの一部になっている、なんて話です。

次の『ロシアはどこへ行くのか』は、プーチンの2期の大統領の任期が終わり、プーチンはメドヴェージェフを後継の大統領にし、自分はメドヴェージェフの指名を受けて首相になる時の話です。

プーチンは大統領を下りるにあたって自分の政党『統一ロシア』を作り、選挙で圧倒的な第一党になり、その第一党のオーナーになるけれど、自分は党員にはならない。その議会選挙の次の大統領選挙では自分の後任のメドヴェージェフに圧倒的な勝利を得させる。その二つの選挙の不正工作について実際にかかわった市役所の職員の話を紹介しています。大統領選の時は不正をやり過ぎてあまりにもメドヴェージェフが勝ってしまったので不正工作を少し戻した、なんて話もあります。いずれにしても役所と選挙管理委員会ぐるみの不正選挙の話が詳しく紹介されます。

次の『ろくでなしのロシア』というのは、ロシア正教会の話です。プーチンは憲法改正を終え、無事、大統領に返り咲いています。これまでの話でロシアという国のろくでなさにトコトン呆れ果ててしまった著者は、ロシアの中でも真っ当な部分を求めてロシア正教会を訪れます。そこで著者が目にしたのは何と正面に飾られた聖人プーチンの肖像画だったという話です。

ロシア正教会は帝政ロシアの国教として、ロシア全土の3分の1を所有するような存在だったのが、ロシア革命により殆ど全ての財産を国有化されていたのが、プーチンによってまずは国有化されていた土地は全て返すことになり(とはいえ国有化から100年近くも経っており、ソ連が潰れてからも何年も経っているわけで、すでに他の企業に売却済みだったり工場が建ってしまっていたりしてそう簡単には元に戻れないようですが)、また様々な税法上の優遇措置を受けて一気にロシア最大の財閥となっており、プーチンは議会・政府に続いて正教会まで手に入れてしまったという事です。ロシア正教会は聖職者たちももはやビジネスマンとなってしまっているという話です。

ろくでなしのロシアがここまで浸透している事に呆れ果て、著者はついにロシアの心のふるさとシベリアに赴きます。ロシア正教会の聖地となっている村、イスラム教の村、トナカイの群れを追って日本の半分位の距離を毎年南北に行き来している遊牧民の村、シャーマンがまだまだ健在の村、第二のエルサレムと言われるロシア正教会の教会とイスラム教のモスクとユダヤ教のシナゴーグがすぐ近くに建っていて聖職者同士、仲良くしている村、ドイツ・ポーランドあたりから逃げてきたプロテスタントの村で、カトリックの神父に来てもらって、ポーランド語のカトリックの祈祷書を読み、カトリック教会の讃美歌をポーランド語で歌い、終わった後でみんなでロシア語で民謡を歌うなんて話や、イスラム教徒の村で住人のイスラム教徒のタタール人が、村にモスクがないので普段はロシア正教会の教会に行く、なんて話や、ロシア正教会で宗教改革があった時、それを受け入れずに奥地に逃げ込んだ人たちの村で、ロシア人になるのを拒否するためにロシア正教会に入るのを拒否する人達、その村のさらに奥地で誰とも交流せず一人で暮らし、ついにはロシア語すら忘れてしまった人の小屋も訪ねます。

ろくでなしのロシアとは全く違うロシアの原風景に心癒された著者ですが、ここで不思議な体験をします。シャーマンの村を訪ねた時、シャーマンの小屋で何枚も写真を撮っていたら、いきなりボタンが効かなくなり写真を撮る事ができなくなります。このシャーマンの威力は日本に帰ってからも続き、著者がこの部分の原稿を編集者に送った所、そのメールがどういうわけか未送信とみなされて2時間おきに繰り返し送信され、回復するのに2週間ほどかかり、いったんそれが収まった後、試しにもう一度シャーマンに関する簡単なメモを送ったらこれも2時間おきに繰り返し送信され、直るのにまた2週間かかった。これに懲りて最終的な原稿はUSBメモリーに入れて郵送したところ、編集者が写真のうちのいくつかを涙を飲んで削除したら削除してない文章の方が全部削除されてしまった、なんて不思議な話も付いています。

これで最後が私が最初に読んだ『ロシアを決して信じるな』になるのですが、何ともすさまじいロシアです。

最後にこれらの話に登場するロシア人の言葉を紹介します。
『ロシアは予見できない国です。予想だにしなかった不思議なことが突然起こり、時には他人の悪意による行いで生活が歪められたりします。思い通りに行かないことばかりで、他人への期待はいとも簡単に裏切られてしまいます。だからロシアではあなたはびっくりしたり失望したりすることばかりに見舞われます。そのために逆に言えば人間の倫理や善意を問う文学や哲学思想が多くなるのです。』
『私達が予想不可能な国に住むことになってしまったのは、過去から何かを学び、それを将来に生かしたり未来を予測したりしなかったからです。悪意・絶望・怒り・幻滅・恥辱という人間の感情により歴史が歪められてきました。』
『結局私達ロシア人のいない所が良い場所なのです。』
『こんな悲惨な状況はそう長く続くわけはない、もっと悪くなるだけだ。』
『モスクワ市内の狭い裏通りをロシア人の男性が運転するロシア製の無骨なデザインの車が走っていました。前方を二台の自動車が快走しており、それぞれの車の運転手は神と悪魔だったらしい。その道の先は行き止まりになっていました。神は急に右折して大きな通りに向かいましたが、悪魔はその手前を左折し路地に迷い込みました。あとを追うロシア人はこの2台の車の動きを見定めてからどちらに曲がるべきか迷うことはありませんでした。神を追うかのように右方向にウィンカーを出しておいて、実際には悪魔の方に左折しました。神に敬意を払う素振りを見せておきながら本音では悪魔に魅了されているからです。』

というものです。

西ヨーロッパの近代社会というのは、絶対王政の下で市民社会が発展し、絶対王政の崩壊と共にそれが国民国家になる、というプロセスを通して出来上がっています。ロシアの場合、ロシア帝国の下で市民社会が出来上がりつつあった時にロシア革命がおこり、共産党により市民社会が潰されてしまい、そのまま現在に至っているということだと思います。
とすると、社会の近代化を経験できない国というのは多少ともこのような面があるのかな、と思います

私は若い時ドストイエフスキーの作品をいくつも楽しんで読んだことがあります。この中村さんの8冊を読んで、その当時の私はまるっきり読み違えていたのではないか、と思わずにいられません。
この感想文を書いて、しばらくほとぼりをさました後で改めてこの8冊をゆっくり読み直し、その後ドストイエフスキーの本を読み直してみようと思います。ドストイエフスキーの本はどれも長いものが多いのですが、少なくとも比較的短い『罪と罰』くらいは読み直し、どれ位違った世界が見えるか確かめてみたいと思います。

ということで、この8冊、おすすめです。8冊すべてだと多すぎる、という場合はこの最新の『ロシアを決して信じるな』だけでも、おすすめです。

飯田橋の警視庁

7月 4th, 2023

飯田橋の警視庁に行ってきました。
事の経緯は以下のとおりです。

6月24日の土曜日、JR総武線の各駅停車で新小岩から新宿に行き、埼京線に乗り換えようと思って下りた所で何となく違和感を感じ、何だろうと思ったら眼鏡を忘れたことに気がつきました。

持っていた袋の中にもポケットの中にも見当たらず、またその眼鏡をかけていない事も確認し、さては電車の中に置き忘れたに違いないと思いました。
眼鏡については掛けてないのに掛けていると思って外そうとしたり、掛けているのに掛けてないと思って探し回ったり、ということが何度もありますので、そのあたりはちゃんと確認しています。

白内障の手術をして、手元の書類を見たりi-padやパソコンの画面をみるには眼鏡は不要なのですが、駅の時刻表の案内などを見る時は眼鏡がないと見づらいので眼鏡をかける事にしています。

で、家に帰れば白内障の手術が終わってから作った新しい眼鏡もあるので、失くした眼鏡はそのままでも良いか、と思ってそのままにしていました。

でも週明けの水曜日になって、帰宅時に大宮駅に行った時、やはり忘れ物として探してもらった方が良いかなと思い直し、駅の改札口の駅員さんに問い合わせてみました。

もし誰かがみつけて駅に届け出ていたとすると、届けた人の落とし物を拾った手続きとか、それを預かった駅員さんの預かる手続き、それを別の所に送る手続きなどいろいろ手間をかけている事になるので、こちらで何もしないとその手間を全て無駄にしてしまうので、それも失礼なものだなと思ったわけです。

で、改札口の駅員さんがいろいろ問い合わせてくれた結果、それらしき眼鏡が高円寺の駅で届けられ、その後東京駅に送られて、その後警視庁に送られているようだということで、画像で確認することはできないので直接警視庁に行って確認してください、という事でした。

そこで出てきたのが、『飯田橋の警視庁』に行って下さいという話です。

刑事もののドラマなどで『警視庁』が出てくると、良く出てくる警視庁のビルはたしか霞が関とか桜田門とかの地名で、飯田橋じゃあないよな、と思ったのですが、駅員さんがあまりにも当然のことのように『飯田橋の警視庁』と言っているので、これは帰ってネットで調べてみようと思って帰ってきました。
家で調べてみると『飯田橋の警視庁』というのは正式には『警視庁遺失物センター』という場所のようだということが分かりました。

翌日の木曜日は晴れでかなり暑くなる予想だったのですが、外に出てみると思ったより空気が涼しく、これだったら大丈夫かなと思って飯田橋に出かけました。
飯田橋にはハローワークがあって、アカラックスの会社をやっていた時に何度か行ったことがあるんですが、飯田橋の駅を出てバカでかい交差点の歩道橋を渡って、そのハローワークに行くちょっと手前の小道を左に入ると、すぐにこの『遺失物センター』の建物があります。

たとえば本などであればタイトルで特定したり、あるいは電子機器等であればメーカーや機種名を指定したりすればよいのですが、眼鏡ではそのような特定の指定の仕方ができないので、例えば眼鏡のツルのメッキが剥げているとか、レンズのコーティングがかなり剥げてまだらになっているなんて説明をし、また写真はないかと言われて、マイナンバーカードと期限切れの免許証を出したりしてその写真で、『ここで掛けている眼鏡です』と話したりして、最終的に無事懐かしい眼鏡が出てきました。

もう20年も使っていて、ほかの人にはほぼゴミと同じような物ですが、私にとってはかなり便利なメガネです。白内障の手術が終わってからこの眼鏡をかけてみると、ちょっと遠い距離を見るのにちょうど良い塩梅です。

白内障の手術は水晶体の中を空っぽにしてその中に人工のレンズを入れるんですが、そのレンズの焦点をどうするか選ぶことができます。二焦点レンズや多焦点レンズもありますが、私の手術をしてくれた先生は余程の理由がなければ単純な単焦点レンズを入れ、あとは眼鏡で調整するのが良いという考えで、私も同様に考えていたのでそのように手術して貰いました。

この古いメガネは本屋で背表紙を見たりコンビニで商品を探したりテレビを見たり、の時にちょうどいい塩梅です。手術が終わってから新しく作った眼鏡は、もっと遠い、遠くのビルを見たり月を見たりするのにちょうど良い塩梅です。

で、無事に眼鏡が戻って大宮のオフィスに帰ったのですが、途中昼食に入ったてんぷら屋さんのおねえさんの『今日は地獄の暑さだ』という言葉通りの暑さで往生しました。暑さにふらふらになりながらもなんとかオフィスに戻ってやれやれ一安心です。

とまれ、昔懐かしいメガネが戻って、まああと10年くらいは使えるか、と思うとメデタシメデタシでした。

『公安調査庁2部長が考える「統一教会」問題本当の核心』―菅沼光弘

6月 26th, 2023

この本は著者の菅沼さんが、安部さんが殺されて急激に盛り上がった統一教会問題、その本質を、日本の公安を長年担当してきた立場から解説したものです。

私はこの著者のこともこの本のことも全く知らなかったのですが、この著者が2022年12月30日に死去して、須田慎一郎さんがネットで『巨星堕つ』と表現してたので、興味を持って本を探してみました。

著者と須田慎一郎さんの対談形式の本『日本最後のスパイからの遺言』という本も読み、須田さんという人が単なる、やくざ関係に詳しいコワモテのコメンテーターだけではなく、虎ノ門ニュースの虎ノ門サイエンスで武田邦彦さんのウンチクの聞き役だけでもなく、インテリジェンスの仕事もしていたなんてことも知りました。

この著者の菅沼光弘さんという人は東大法学部を卒業して1959年に公安調査庁に入庁し、1995年に退官するまでずっとソ連、中国、北朝鮮を中心に公安の仕事をしていた人です。
この本は、著者も書いているように、語り下ろしを文字に起こしたものをベースに書いているので、多少の重複などもありますが、非常に読みやすい本になっています。

著者は、統一教会ができる時からずっと公安としてその動きを見てきたわけで、韓国政府との関係、日本との関係、アメリカとの関係、北朝鮮との関係をつぶさに眺めてきた、ということです。

統一教会問題というのは色々な問題を含みながら、戦後の日本・韓国・北朝鮮・アメリカの関係の中心にある問題で、要は日本から金を吸い上げてそれをアメリカと北朝鮮に流す仕組みということになり、本質的にはアメリカの問題なんだということ、日本はアメリカに頼っているだけでもいけないし、かと言ってアメリカに依存しない存在になってもいけないし、そのあたり現実的に地政学的に考えていかなければいけない、という事を言っています。

今ロシアと中国の帝国主義が崩壊しようとしている中、イスラム原理主義が大きな問題となっていますが、そもそもアメリカという国自体原理主義によって作られた国であることを再認識して、今後の日本の、世界のありようを考えていく必要があるという事を改めて考えさせられる本です。

お勧めします。

『明治4年久留米藩難事件』-浦辺登

6月 26th, 2023

友人の浦辺さんが新しい本を出したということで図書館に予約し、ようやく借りられるようになったので読んでみました。

書名の通り明治4年に久留米藩で起こった一連の事件を、その事件で殺された人を中心にまとめた本です。

久留米というのは今は福岡県の一つの市ですが、明治の廃藩置県までは福岡県は7つないし8つくらいの藩に分かれていて、その一つが久留米藩、藩主は今も競馬の有馬賞に名をとどめる有馬氏でした。

事件というのは、その藩の政権争いと、薩長を中心とする明治新政府と間の武士どうしの殺し合いです。

幕末、日本中の武士が勤皇・佐幕に分かれて殺し合いをした、というのは良く語られることですが、どうも実際はちょっと違って、尊王は基本的に共通で、それが『尊王佐幕』という親幕府派と『勤皇倒幕』という反幕府派の争いになった、という事のようです。

この対立と、攘夷・開国という対外姿勢に関する対立とが絡み合い、はじめは殆どが佐幕派だったのが次第に倒幕派が勢力を増し、またはじめ殆どが攘夷派だったのがその後幕府が開国派になり、いつの間にか天皇も開国派になってしまい、その立場の違い、いつの段階でどのように立場を変えるか、を巡って対立が激化し、それぞれの主張を藩の主張とすべく、各藩の中で武士階級の権力闘争が繰り広げられた、という事です。

現在日本は47都道府県ということになっていますが、廃藩置県の前の律令以来の分国制では80あまりの国に250くらいの藩があり、そのそれぞれの藩で同様な争いが起こり殺し合いが起きたようです。

この争いは基本的に大政奉還と戊辰戦争、廃藩置県で収まったような印象ですが、実はその後も続き、一部は反政府運動となり明治10年の西南戦争で一段落、反政府運動はその後、自由民権運動に変身していくという流れになります。多くの藩では記録されることもなくいつしか忘り去られてしまう事件も、それを記録する人がいて、殺された人々を追悼する人がいると、後世まで語り継がれる事になります。

この久留米藩では明治の後期になって、明治初期に殺された人々を偲んで石碑が立てられ、また事件に関する本も書かれたことによって、この本を書くだけの材料が揃ったということです。

主人公となるのは、小河真文(筆者は「おごう・まふみ」という読みが正しいと言っていますが、人名辞典等では「おがわ・まさふみ」となっているようです。「おがわまさふみ」を国学者流に読むと「おごうまふみ」になる、ということなのかもしれません。)という秀才で、維新後参政として藩を仕切っていた人で、佐幕派のリーダーの不破美作という人を同じ勤王派の仲間と一緒に襲撃して殺し、藩論を勤皇に統一し、藩政のトップに立った。その後長州の奇兵隊の高杉晋作と並ぶ、正規武士以外の軍を率いていた大楽源太郎が長州の藩政府に追われ、九州に逃げて来ていくつかの所を転々とした後、久留米に逃げ込んだ。これを久留米藩がかくまった事が長州を中心とする明治政府から反政府活動だと問題になり、小河真文たちはこの大楽源太郎を暗殺してしまった。それでも明治政府は追及の手を緩めないで小河真文たちを捕らえ、追及した。大楽源太郎が久留米に逃げてきて、久留米藩主と会った、ということで藩主自身が反政府であるとの嫌疑がかけられ、小河真文は藩主の有馬氏に類が及ぶのを避けるために罪を一身に負って死刑になった、という話です。

長州では戊辰戦争が終わると奇兵隊などならず者の寄せ集め部隊を金も払わずに解散してしまい、その兵士がいろんなところに逃げていき、大楽源太郎もその兵隊たちのリーダーとなっていたようです。久留米藩では、幕末、同じようにならず者部隊を作ったものの、それを戊辰戦争の後まで解散せずにそのままにしており、それも反政府運動を画策している、と疑われた原因となっているようです。

話としては土佐の武市半平太が藩を勤王にするために佐幕派の人々を殺しまくり、その後、山内容堂が藩政にカムバックしたときに捕らえられ、武市にテロ活動の実行部隊として使われていた人切り以蔵こと岡田以蔵ともども殺された、という事件とよく似ています。武市の事件は明治になる前、小河の事件は明治になった後、という違いはありますが、どちらも一時は藩政を仕切る立場にまでなった人が、その後、謀反人として斬首の刑に処せられる、という話は同じです。殺されたとき、小河真文はまだ25歳だった、ということです。

動乱の時代、戦の当事者は力を補強するためにならず者部隊を作って活用しますが、戦が終われば用済みとなったならず者部隊はほとんど殺されてしまいます。漢の劉邦のようにならず者部隊がそのまま皇帝にまで上りつめる、というのは例外中の例外なんでしょうね。

著者はこの事件が明治の反政府運動の始まりだった、と書いていますが、たぶん実態は全国各地でほぼ同時期に同じような反政府運動がおこり、また、勤王と藩主擁護をめぐって様々な混乱あるいは殺し合いが起きた、ということなんだろうと思います。

小河真文らは藩を守るため、藩主を守るため、とはいえ、勤王の同志である大楽源太郎をだまし討ちのようにして殺してしまった、ということを考えると、勤王とか佐幕とか言っても武士にとっては天皇や将軍ははるかに遠い存在で、それよりも身近な自分の藩の殿様が一番大切だった、ということなんだろうなと思います。

明治になる前に脱藩して浪人になってしまった人々はまだ藩主に対して多少とも客観的に見ることができますが、藩にとどまった人々にとっては藩とか藩主の殿様とかは勤王の大義よりはるかに重要なものだった、ということなんだろうと思います。

『門閥制度は親の仇』とまで言った福沢諭吉ですらその後、『やせ我慢の説』を書いて、徳川将軍家に対する恩義に報いるより明治新政府での栄達を優先させた(と思われた)勝海舟や榎本武揚を批判したことなど考えると、やはり主君とか父祖代々の恩義とかいうのはなかなか重いものだったんでしょうね。

この事件はその後、様々の反政府運動、明治士族の乱につながっていき、西南戦争の後、民権運動に変身し、日清日露戦争を経てようやく日本国民としての一体化が成し遂げられた、ということになるんでしょうが、「わしの殿様」という意識がこれほどまでに強い、ということは明治大正の様々の出来事を理解するために忘れてはならないことだな、と改めて思わされました。

お薦めします。

『ナチ占領下のフランス』―渡辺和行

5月 25th, 2023

第二次大戦でフランスは大戦の初期にドイツに敗北し、数年間傀儡政権下にあったものが、日本の真珠湾攻撃によりアメリカが参戦し、イギリス軍と一緒になってドイツ占領下のフランスを攻撃し、パリを開放してフランスはまた独立を確保した、その前後の経緯が書いてある本です

ヴィシー政権とかペタン将軍という名前は知っていましたが、改めて全体を通してこの時期フランスがどんなことになっていたのか分かりました。

何となく、フランスがドイツに占領される中、ドゴールがフランス南部にとどまってかろうじて反ドイツで頑張っていた、という風に思っていたのですが、実はドゴールはフランスがドイツに負けた時ペタン将軍に金を出してもらってロンドンに逃げ、そこで反ドイツ運動を始め、その後アフリカのいくつものフランス植民地を一つ一つ取り戻して、最終的にイギリス・アメリカ連合軍がノルマンディーに上陸し、ドイツをフランスから追い出した時ようやくパリに戻れたという話です。

ドゴールはフランスを回復するにあたり、イギリス・アメリカ軍だけでなくフランス国内で反ドイツ運動を展開していたいくつものパルチザン組織、そして共産党と対抗しながら主導権を確立していく非常に複雑な政治的駆け引きが必要だったということも分かりました。

もともと第二次大戦が始まった後、1939年9月に独仏両国が互いに宣戦布告をした後もドイツもフランスも本格的な戦闘を始めず、『奇妙な戦争』と言われるような状況だったのが、1940年5月になってドイツはいきなりフランスに攻め入り、1ヵ月でパリを陥落させてしまいました。

フランス政府はパリを捨ててトウールに逃げ、パリが陥落してさらにボルドーに移り、第1次大戦の英雄のペタン商運を首班とする内閣を成立させました。その翌日フランスは国としてドイツに降伏し、パリ郊外では仏独休戦協定が調印され、フランス政府はヴィシーに移った、ということです。

フランスは東部とコルシカ島をイタリアに占領され、アルザス・ロレーヌはドイツに併合され、北部と西部はドイツに占領され、残った中部から南部にかけて、それまでのフランスの3分の1が自由地区としてフランス政府の統治下に置かれたということです。

一応このようにしてとりあえず国としての存在は保たれたものの、全てはドイツ占領軍とナチスの言いなりの政府であり、反政府・半ドイツのフランス人を捕まえたりフランス国籍のあるなしにかかわらずユダヤ人を捕まえてポーランドの収容所に送ったりしました。

戦後このような活動に参加した人達は解放軍と国民によって逮捕され、その後、対独協力者特別裁判所が設置された後でも12万4千件が審理され、6,700人が死刑の宣告を受け、760人が実際に刑を執行された、ということです。

ドイツに降伏した後のヴィシー政権もフランスの正当な政府であり、ここで政府の指示で動いた人達も対独協力者となってしまい、特別裁判所で裁かれることになってしまったわけです。

日本は東京裁判その他の軍事裁判で戦犯として裁かれる人も多数でしたが、フランスのように同じ国民同士で裁き合い処刑し合うことにならなくて良かったなと思います。

このあたり、フランスではできるだけ触れたくないようで、『第2次大戦でフランスはドイツに侵略されたけれど南フランスの一部でパルチザンが最後まで頑張りとおし、その後、反転攻勢に転じ、アメリカ・イギリスと一緒になってドイツ軍をフランスから追い出して独立を取り戻した』、という神話を語り続けていこうとしているようです。

今、ロシアがウクライナに攻め入ってウクライナ戦争が始まって1年ちょっとが経ちました。第二次大戦では、第一次大戦で敗れ経済的にも軍事的にも壊滅的なダメージを受けたドイツが、第一次大戦の戦勝国のフランスに攻め入り1ヵ月でパリを陥落させてフランスを降伏させた事を考えれば、プーチンが1ヵ月でキエフ(キーウ)を陥落させてウクライナを降伏させることができる、と考えたのは無理のないことかも知れません。

第二次大戦、私にとっては太平洋戦争であり、また支那事変(日中戦争)としてしか理解していなくて、ヨーロッパの戦争についてはあまり良く分かっていませんでした。ここで改めてヨーロッパの第二次大戦を読み直してみて考えさせられる事がたくさんあります。

この本も市の図書館の『ご自由にお持ち帰り下さい』コーナーにあった本で、何となく気になって持ち帰ってきたまま何年かそのままにしてあったものですが、読むことができて良かったなと思います。

フランスおよびヨーロッパの複雑さが分かる一冊です。

お勧めします。