芦部さんの憲法  その11

基本的人権は日本国憲法の三つの柱の一つですがその中でも最も重要なもので、そのため憲法の中で条数でも一番大きな部分を占めています。そして11条に
  【国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。】
となっており、さらにダメ押しで97条に
  【この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。】
と書いてあります。いかにも理想主義的な言明ですが、格好良い言葉だとも言えます。

これを素直に読めば、基本的人権は誰にも侵すことができない、すなわち誰も誰かの基本的人権を侵してはならない、と読めます。ところがこれと異なる解釈をする人達がいます。それも一部の憲法学者といわれる人達です。

この人達の言い分はこうです。
  『憲法は国が国民の人権を侵害するのを防ぐためにある。だから憲法は国を規制するためのもので、国民を規制するものではない。だから国民は憲法なんか守らなくても良い。』

私がこの芦部さんの憲法を読むようになったのは、司法試験のカリスマ講師で憲法学者の伊藤真さんの憲法の本を読んで、この「国民は憲法を守らなくても良い」なんてことが書いてあるのを知り、それはないだろう、と思ったことがきっかけです。

もし本当に憲法が国を規制するだけのものだとすると、せっかくの格調高い憲法の人権の規定が何ともチッポケなものになってしまいます。

もちろん憲法自体には、憲法が対象として規制するのは国だけだなんてことは書いてありません。書いてないことを憲法学者が勝手に解釈するのは、歴史的に憲法が国民を主権から守るために作られたものなので、その後の憲法も自動的に国家権力から国民を守るために作られていると思い込もうとしているからです。

憲法の規定は確かに国に関する規定がほとんどで、戦争放棄の所は国として軍隊を持たない、国として戦争をしないと書いてあり、またその他天皇・国会・内閣・裁判所・財政・地方自治は全て国の機関としてのそれぞれのあり方を規定しているものです。基本的人権の所だけちょっと例外的になっています。

これを国による国民の基本的人権侵害に関する規定と考えるのか、国以外のいろんな機関や人による国民の基本的人権侵害に関するものを含むと考えるのか、様々な立場があるようです。

一つの極端な立場は、憲法は国と国民との間の基本的人権についてだけ規定しているので、その他は全て法律(民法や刑法やその他)の規定にまかせる、というものです。

もうひとつの考え方は、素直に憲法の規定がそのまま国民同士の基本的人権にも直接適用され、それを具体化したのがいろんな法律になるという考えです。

これ以外にもいろんな考え方があり、憲法は国の国民に対する人権侵害を防ぐ規定だけれど、その内容を法律に反映させて国以外の者が人権侵害するのも防ぐようにしているんだと言うために四苦八苦しているように思えます。

また国の国民に対する人権侵害を大幅に広く解釈して、国が直接人権侵害するのはもちろん、誰かが人権侵害するのを放置すること自体、間接的に人権侵害していることになるので、それをさせないように法律を整備するのが憲法が国に課している義務だ、という考え方もあるようです。

確かに憲法というのは仮にそれに反したからと言って別に何も起こりませんが、法律になると内容が具体的になり、違反したら刑罰の対象となったり賠償の対象となったりの強制力を持つことになります。こうなると確かに人権侵害を防ぐのには憲法より法律で規定する方が良いのかも知れません。しかしだからと言って国の基本方針としての基本的人権の尊重が憲法にないというのも寂しいものです。

ということで憲法の規定は国の行動だけを規制するなんて了見の狭いことを言わずに、国民全般が等しく憲法に従うと考える方が良いんじゃないかなと思います。

芦部さんはここのところ・・・
  『人権は、戦後の憲法では、個人尊厳の原理を軸に自然権思想を背景として実定化されたもので、その価値は実定法秩序の最高の価値であり、公法・私法を包括した全法秩序の基本原則であって、すべての法領域に妥当すべきものであるから、憲法の人権規定は私人による人権侵害に対しても何らかの形で適用されなければならない。』
としています。すなわち憲法は全ての法律の基本だから国家権力だけを規制するものではない、国民もその他すべての団体もちゃんと憲法を守らなければいけない、ということです。

メデタシメデタシです。

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