伊藤真さんの『平和安全法制特別委員会参考人意見陳述』

安保法案の参議院での採決もあと少しですが、先週の9月8日、特別委員会では参考人質疑が行われました。4人の参考人のうち、4人目が伊藤真さんでした。

伊藤さんというのは、司法試験受験者では知らない人がいないほどのカリスマ講師であり、自ら伊藤塾という司法試験受験のための予備校をやっていて、もう一つはいわゆる立憲主義の憲法学者の中でも過激派の論客として名前が通っています。

もともと私が憲法の勉強を始めたのもこの伊藤さんの本を読んで、そのあまりにもトンデモなさにあきれ果ててコメントした所、友人の弁護士が『もっとちゃんとした本を読め』といって芦部さんの『憲法』を持ってきてくれたという経緯があります。

で、この参考人質疑、4人の参考人がそれぞれ20分ずつ意見陳述し、その後特別委員会の委員の参議院議員45人が参考人に対して質問して答えてもらうということになりますので、全部で4時間半にもなるのですが、そのビデオは
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?sid=3335&type=recorded

で見ることができます。

この伊藤さんの意見陳述の部分だけであれば
https://www.youtube.com/watch?v=_Gh_peEF2bg
 
で見ることができます。

またこの意見陳述を文字にしたものが、既にこの伊藤さんのサイトに載っています。
http://www.itomakoto.com/news/news150910.html 

この意見陳述で最初にびっくりしたのは、意見陳述のごく最初の部分で、
 『憲法があってこその国家であり、権力の行使であります。』という発言をしています。

以前美濃部達吉の天皇機関説について、天皇機関説というのは、『大日本帝国憲法(明治憲法)は国民主権の憲法であり、国・国民がまずあり、その国・国民のために天皇がいて、政府があり、議会があり、司法制度がある』という解釈なのに対し、それに反対する天皇主権説というのは『主権は天皇にあり、国・国民は天皇のためにあり、また政府・議会も天皇のためにある』という解釈だと説明しました。

この『国・国民は天皇のためにあり』の天皇を憲法に代えれば「国・国民は憲法のためにあり』となり、言い換えれば『憲法あってこその国家であり』という、上の伊藤さんの発言と同じになります。

これを天皇主権説にならって『憲法主権説』と言うことにしましょう。
日本国憲法(現行の憲法)は、主権在民で国民主権の憲法ということになっているんですが、どうも立憲主義の憲法学者にとっては『国民主権ではなくて憲法主権の憲法』だということになるようです。

このように考えると、立憲主義の憲法学者の『憲法は変えてはいけない』という主張も良く分かる気がします。『主権者を変えてはいけない』ということですから。

美濃部さんの弟子筋の人たちのほとんどがいわゆる立憲主義の憲法学者になってしまい、、美濃部さんの天皇機関説を排撃した天皇主権説の人たちと同類になってしまったのですが、まあ、これについては美濃部さんの『不徳の致すところ』というところなのでしょうか。

で、私にとってはこのように『立憲主義の憲法学者の立場が憲法主権説で、昔の天皇主権説の天皇を憲法に置き換えただけのものだ』と明確になったのが一番の成果だったのですが、伊藤さんの意見陳述のこれ以外の部分についてもコメントしてみます。

伊藤さんはまず、今の国会が最高裁により違憲状態とされる選挙によって当選した議員によって成り立っているので、このような国会における立法は無効だから、まずはその違憲状態を解消してから議論する必要があると言います。違憲状態の選挙で当選した議員さんたちの前でこういうことを言う、というのはさすがの受け狙いですね。今の所最高裁判所は選挙について、『違憲状態ではあっても違憲無効ではない』としていますから、この議論は必ずしも妥当ではないですね。

次に国会がこのように正当性を欠く場合、主権者=国民の声を直接聞くことが必要だけれど、『国民がこの法制に反対であることは周知の事実となっています。』と一方的に決めつけます。その根拠は連日の国会前の抗議行動・全国の反対集会・デモ、各種の世論調査の結果だそうです。このような国民のうちのごく一部の反対をあたかも国民の多数が反対であることにして、それを周知の事実に祭り上げてしまうというのは、すごい論理展開です。さすがに優秀な弁護士さんです。

与党が60日ルールを使って法案を成立させてしまうのを防ぐため、『60日ルールを使うのは二院制の議会制民主主義の否定であり、あってはならない』と言っています。もしそうだとすると、60日ルールを定めている国会自体が議会制民主主義を否定しているということになるはずですが、これについてはどう考えているんでしょう。

次に、国会の安保法制で集団的自衛権の行使を限定的に認めることに関して、『日本が武力攻撃されていない段階で、日本から先に相手国に武力攻撃をすることを認めるものです。敵国兵士の殺傷を伴い、日本が攻撃の標的となるでありましょう。』と言っていますが、これは個別的自衛権であろうと集団的自衛権であろうと、どこかの国が攻撃してきて、それに対して自衛権を行使するというのは、自国を守るために戦争するということですから、敵国兵士の殺傷を伴うなんてことは当然のことであり、日本が攻撃の標的となるという以前に、既に標的になっているということです。

次に徴兵制について、政府が『徴兵制は憲法18条に反するから全くあり得ない』と言っていることに関して、『状況が変化したら憲法解釈の変更で徴兵制を導入してしまうんではないか』と言っています。

憲法解釈を変更したからといって徴兵制をすぐに導入することはできません。そのためにはそのための法律を作らなければならないんで、その徴兵法を作る段階で問題となる点を修正するなり徴兵法自体を成立させなければ、問題のないことです。

この後で自衛権の話になり、『憲法は初めから政府に戦争をする権限などを与えていません。』と明解です。それでは個別的自衛権もないのか、となったところで、『憲法の外にある「国家固有の自衛権」という概念によって、自国が武力攻撃を受けた時に限り個別的自衛権だけを認めることにしてきました。』という、いかにも曖昧な言葉が出てきます。憲法は自衛権を否定しているけれど、憲法の外にある『国家固有の自衛権』というものが憲法より優先され、それで自衛権の行使は憲法違反であるにもかかわらず認められ、しかも個別的自衛権だけを認めることにしてきた、ということです。この『してきた』というのは、一体だれがしてきたんでしょうか。憲法の外にある『国家固有の自衛権』というのは、一体どこに規定されているんでしょうか。それがどのような根拠で憲法に優先する権限を持っているんでしょうか。そしてその自衛権のうち、誰が、どうして個別的自衛権だけを認めることにしたんでしょうか。どうして集団的自衛権は認めてはいけないんでしょうか。何ともはや、支離滅裂な議論です。

これに対し、与党や例の砂川判決の立場ははるかに明解です。すなわち『憲法は自衛権の行使を否定していない』というもので、訳の分からない、憲法に優先する憲法外の自衛権などというものは登場しません。

この砂川判決についても『自衛権について争われた裁判ではないので、その判決の中の自衛権についてのコメントは意味がない』などと言っています。まぁこのように言うしかないんでしょうが。争点ではないとしても、最高裁の裁判官が全員揃って判決し、その判決文の中で自衛権について検討しているという事実をこのように無視してしまうというのは、さすがに憲法主権の原理主義者の発言です。都合の悪いことはバッサリ切り捨ててなかったことにしてしまうんですから。

いずれにしても『憲法上の自衛権』についていろいろ屁理屈を並べているんですが、いよいよとなったら『憲法の外にある自衛権』を持ち出すんだったら、そんな屁理屈は何の意味もないことになります。しかもその『憲法の外にある自衛権』について、誰かが個別的自衛権だけを認めることに『してきた』ということであれば、その誰かが集団的自衛権も認めることに『する』ことにすれば、全ての議論はなくなってしまうのかも知れません。これが『憲法の外にある・・・』なんてものを勝手に持ち出した結果です。

かなり長くなってしまったので、このへんにしておきます。

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