第9条と修正第2条

アメリカの大統領選もあと残すところ2週間、先週は3回目のテレビ討論会がありました。

そのしょっぱな、司会者がトランプ・クリントンの両候補に投げた質問が、銃規制の話でした。

それに対して、トランプもクリントンも合衆国憲法修正第2条を引き合いに出しながら意見を言っていました。

アメリカ合衆国というのは、それぞれ独立した国(States)がまとまって連邦国家(United States)を作るということでできた国ですから、その元々の憲法の規定は、その連邦国家の組織をどう作り、運営していくかということしか書いてありません。

そこで憲法ができた後、その修正を『修正条項』という形で様々な規定を盛り込み、基本的人権もそのようにして盛り込まれたものです。
その基本的人権の修正第2条として、銃の保持の自由が定められているわけです。修正第一条は、信仰の自由・言論の自由・集会の自由・請願の自由という一般的な人権の規定ですから、具体的な人権としてはこの銃の保持が最初のものです。

すなわち各個人が自由に銃を持ち自分および家族を守る、というのが基本的人権の一番目ということです。

そのためこの憲法修正第2条というのは『神聖にして犯すべからず』というもののようで、トランプさんの方はこの修正第2条は神聖にして犯すべからずなんだから銃規制などもってのほか、という議論ですし、クリントンさんの方は神聖にして犯すべからずとは言ってもそのためにアメリカ人が毎年何万人も死んでいる以上、多少の法規制は憲法違反ではない、という主張です。

この議論を聞いて、日本国憲法第9条の議論に良く似てるなと感じました。

この日本国憲法第9条の戦争放棄の規定も『神聖にして犯すべからず』の規定で、護憲派はこの条文をちょっとでも変更することは許されないと主張し、他方改憲派は『神聖にして犯すべからず』とは言え現実的に修正することは問題ない、と主張しているわけです。

それにしても日本とアメリカで、アメリカは銃を持つことによって社会の安定・国の安全が保たれると考え、日本では軍隊を持たないことによって国の安全が守られると考えていて、その二つの国が最も親密な軍事同盟を結んでいる、というのも面白い話ですね。

日本では各個人が自由に銃を持つなんてことはありませんし、それが基本的人権に反しているなんて考える人はまずいません。歴史的には豊臣秀吉の刀狩りによって武士以外から刀を取り上げ、明治政府の廃刀令で武士からも刀を取り上げ、軍人と警察官だけが刀を持つことができたのが、第二次大戦が終わり軍人がいなくなって、軍人からも刀を取り上げたということなんですが、西部劇の時代から『ライフルで家族を守るのが男の役目』というアメリカの文化とは改めてすごく違うものですね。

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