今から33年前生命保険会社に入社し、アクチュアリーの勉強を始めた頃習ったのが、この言葉です。
『同じ物をある会社は高く売り、ある会社は安く売るとする。買い手の方は当然安い方の会社から買うことになる。値段の高い方の会社はその価格じゃ商品を売ることができないので、仕方なく値段を下げることになる。
もし値段の高い方の会社でその物が売れるとする。値段の安い方の会社は、値段を高くしても売れるのであればその方が儲かるので、売値を引上げることにする。
このようにして、値段の高い会社は値段を引き下げ、値段の安い会社は値段を引上げることになる。その結果その商品はどこの会社で買っても同じ値段になるまで、値段の上げ下げが繰り返される。
結果的に、一つの物やサービスはどこで買っても同じということになる。その値段より高い値段で売ろうとする会社はちっとも売れないで儲けが出ない。その値段より安い値段で売ろうとする会社は、値段を安くした分儲けが少ないので、長い間その値段を維持することができない』
というくらいの意味です。
またこの言葉には『同じ物をよその会社より高く売って余計に儲けようとするのはケシカラン』というような意味も入っていたようです。
会社に入るまで、経済のことや商売の事など何も知らず関心もなかった私にとって、この話は衝撃的でした。
『なんて素晴らしい理論だろう。なるほど世の中というのはこういう風にできていて動いていくんだ。いろんな物の値段はこういう具合に適切な所に決まっていくんだ。世の中にこんな合理的でしかも公平な理論があったとは』と感激したのを覚えています。
この『一物一価の原則』という迷信・呪縛から抜け出すのに何年くらいかかったでしょう。多分十数年はかかったんじゃないでしょうか。
今では『どこの世界に一物一価なんてものがあるんだ。その時その時、その場その場で物の値段は変わるものだし、そもそも「同じ物」なんてものがあるかどうかもわからない。場末の居酒屋で飲むビールと高級ホテルのレストランで飲むビールは同じ一物なのか、好景気でボーナスが10ヵ月分出た時の1,000円と不景気で給料が半分に減らされた時の1,000円とは同じ一価なのか・・・』とようやく目が覚めた思いです。
そもそもこの『一物一価』というのは、売る立場の原則だったのか買う立場の原則だったのか、それとも両方の立場で成立する原則だったんだろうか、そんなことも考えています。
私と同じ世代のアクチュアリーはもうほとんど引退(偉くなって現役でなくなったか、高齢で本当に引退してしまったか)しているので、世代交代と共にこんな迷信も消えていくのかも知れませんが、今でもこの原則を正しいと信じている人もいるし、そんな人に教えられて新たに信じているいる人もいるかも知れません。
何も知らないで素晴らしい理論を説明されると、つい軽々それを信じ込んでしまいます。それが迷信だったりすると、そこから抜け出すのは大変です。
場合によると、余程ひどい目に合わされないと目が覚めないかも知れません。目が覚めるまで10数年かかったとはいえ、それくらいで目が覚めてよかったと言えるのかも知れません。