さて一般理論もいよいよ「総まとめ」です。
社会全体の経済体制を分析するのに、与えられた条件として
利用可能な労働の質と量
利用可能な資本設備の質と量
技術
競争の状態
消費者の嗜好と習慣
労働環境や所得分配を含む様々な社会構造
を考えます。これはこれらが一定で変わらないということではなく、分析にはこれらの変化を考えない、あるいはこれらが大きく変化しない範囲の期間について考えるということです。
次に独立変数として
消費性向
資本の限界効率(投資の予想利回り)
利子率
の三つを取ります。
独立変数というのは、これらの独立変数が変化することにより、その結果として次の従属変数が変化すると考えるということです。
その従属変数としては
雇用量
実質ベースの国民所得
の二つとなります。
すなわち消費性向・投資の予想利回り・利子率がどう変わると、その結果として雇用や国民所得がどう変るか、あるいは雇用や国民所得を増やすには消費性向・投資の予想利回り・利子率をどう変化させればよいかということになります。
この三つの独立変数ですが、
『消費性向』というのは、消費者が所得のうちどれだけを消費しようかという気持のことで、
『投資の予想利回り』というのは、企業家がこの投資をすればどれ位儲かりそうかという気持であり、
『利子率』というのは、持ってるお金をどれだけ手元に置いておきたいか、という流動性選好の結果として決まるものです。
要は三つとも気持の問題、心理的な要因です。
これらの心理的な要因により、消費者がもっと消費をしようとする・企業家がもっと投資をすれば儲かるぞと思う・お金持が現金で持っていてもしようがないから貸付に回そうと考える、そうすると投資が増えて所得が増えて消費が増え、雇用が増える。
これが『一般理論』の要約です(と、ケインズが言っています)。
で、このようにして独立変数を変化させれば、これに従って従属変数も変化して均衡状態に向かうのですが、これが「大した前触れもなく変化しがちであり、しかも相当の変化を被ることも一再ではない」などとケインズは平然と言い放ちます。
『我々の住んでいる経済体系の際立った特徴は、産出量や雇用は激しい変動を被るにも係らず、体系そのものはそれほど不安定ではない』『変動は調子よく始まって、たいした極端に至らないうちに萎えしぼんでしまう。絶望するほどではないが、満足のいくようなものでもない。その中間的状態こそが我々の正常な運命なのである。変動は極端に至る前に減衰し、やがて向きを反転させがちである。』と言ったあとさらに『こうした経験的事実は論理的必然性をもって起こるものではない』などと平然と言い放ちます。
こんなことを言われちゃうとうれしくなっちゃいますね。やはりケインズという人はそんじょそこらの学者の先生方とはわけが違うようです。
これで一般理論の要約は終わってしまうのですが、これは私の読んでいる間宮さんの訳では上下2冊のうち、上の方の最後です。下の方はまだ丸々残っています。章でいえば全部で24章まであるのに、18章まで行った所。まだ6章残っています。本文のページ数でいえば、まだ2/3の所です。この残りの1/3はある意味『応用編』みたいなもので、出来上がった一般理論の立場から改めてもう一度古典派の理論を攻撃したり、古典派のために完全に否定されてしまった古典派の前の経済学の重商主義を再評価して、『古典派によって否定されるようなものでない』と言ったりします。
ということで、『一般理論』はまだあと1/3続くので、この稿ももう少し続きます。
宜しかったらお付き合い下さい。