『ケインズの「一般理論」再読』 その1

さて、いよいよケインズ『一般理論』の再読(と言ってももうすでにこの前の『一般理論』の感想文を書くのに、ほとんどの部分は多分3回以上、所によっては5-6回以上読んではいるんですが)を始めるにあたって、いくつか方針を立てました。

まず『一般理論』でケインズが攻撃の対象としているいわゆる古典派の経済学ですが、宇沢さん(先ごろ亡くなった宇沢弘文さん)によると、今だに正統派の主流の経済学の立場を保っていて、また最新の経済学もこの古典派の経済であり続けているようです。

で、最新の主流の経済学を『古典派』と呼ぶというのもおかしな話なんですが、ケインズが古典派と呼び、宇沢さんも古典派と呼んでいる以上他の呼び方をするわけにもいかず、私も古典派と呼ぶことにします。で、これが現在もまだ主流の正統派の経済学だということであれば、『一般理論』を読みながらついでにその古典派の経済学についても勉強してしまおうというのが方針のその1です。

『一般理論』は古典派の経済学者に向けて書かれているので、想定している読者は古典派の経済学をちゃんとわかっている、という前提で書かれています。ですから私のように古典派の経済学を知らない読者は、誰かにガイドしてもらう必要がありそうです。

で、もちろん宇沢さんの『ケインズ「一般理論」を読む』がそのガイドの一冊目になるのですが、もう一冊、宮崎義一・伊東光晴さんの『コンメンタール ケインズ 一般理論』というのをもう一冊のガイドとして、この二冊を参考にしながら『一般理論』を読もうと思います。これが方針その2です。

前回『一般理論』を読んだ時は、その全体像を把握しようとして読んだのですが、今回はできるだけ個々の部分をしっかり理解しながら読もうというのが方針その3です。

ただし『一般理論』というのは、古典派経済学とは別の『ケインズ経済学』というものができ上がっていて、その上でその全体像を説明しながら古典派経済学を批判する、という具合にはなっていません。まだ全体像が出来上がっていない状況で、古典派の経済学の枠組の中で(それを使って)古典派の経済学を批判しているというのが『一般理論』の立場ではないかと思えます。そのためその場所その場所で古典派の経済学の別の部分を批判するために使っている理屈は、必ずしも整合性のとれているものとはなっていないかも知れません。そのような前提の下で一つ一つ整合性を検証するのでなく、全体として『一般理論』の立場を考えてみようと思います。これが方針その4です。

というわけで、今回は『一般理論』だけでなくガイドブックも二冊同時に読みながら、必要に応じて他の参考書も見ながら読み進めたいと思います。

うまく行くかどうか分かりませんが、とりあえずスタートです。

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