この二つの公準、面白いので、①原文の英文、②私が読んでいる間宮さんの訳、③宇沢さんの参考書の訳、④宮崎・伊東さんの参考書の訳、⑤読みやすいと評判の、山形さんの訳を並べてみます。
<第一の公準>(需要曲線の作り方)
- The wage is equal to the marginal product of labour.
- 賃金は労働の限界生産物に等しい。
- 労働雇用に対する需要は、労働の限界実質生産額が実質賃金に等しい水準に決まってくる。
- 賃金は労働の限界生産物に等しい。
- 賃金は労働の限界生産に等しい。
<第二の公準>(供給曲線の作り方)
- The utility of the wage when a given volume of labour is employed is equal to the marginal disutility of that amount of employment.
- 労働雇用量が与えられた時、その賃金の効用はその雇用量の限界不効用に等しい。
- 労働の雇用に伴う限界非効用と実質賃金とが等しくなるような水準に、労働の供給が決まってくる。
- 一定の労働量が雇用されている場合、賃金の効用はその雇用量の負の限界効用に等しい。
- ある量の労働が雇用された時の賃金の効用は、その量の雇用による限界的な負の効用と等しい。
どうでしょう。かなり違いますね。
間宮さんの訳は一番原文に近い忠実な訳になっています。
宇沢さんの訳は、かなり自由に足したり引いたりして書いているような気がします。
第一の公準では勝手に『実質』という言葉を入れてしまったり、第二の公準では『労働雇用量が与えられた時』『when a given volume of labour is employed』の部分を削ったりしています。
宮崎さん・伊東さんの訳は間宮さんの訳に近い忠実な訳です。
読みやすいと評判の山形さんの訳は、何とかして間宮さんの訳と違うものにしようとしたのか、かえってわかりにくい訳です。
第一の公準では他の訳が『限界生産物』とか『限界生産額』とか言っているのを、『限界生産』と言うというのは、これでは意味不明です。ここでは生産物の価値のことを言っているのに、『生産』だけでは意味が取れません。
第二の公準の方は、『限界効用』とか『限界不効用』とか言うものを勝手に『限界的な』という言葉に直してしまっています。限界○○というのは、経済学では決まりきった言葉使いで、これを『限界的な』などと言い換えると、まるで意味が分からなくなってしまいます。
一般理論を読み始める時、山形さんの訳を選ばずに間宮さんの訳を選んで、正解だったなと思います。
で、この、どちらかといえば原文に忠実に訳していた宮崎さん・伊東さんの本なんですが、何と驚いたことに次にやっているのは、この二つの公準の証明です。
『公準』というのは数学の言葉で、それ自体明らかなので証明することはできず、それを使っていろいろな定理などを証明するものです。それを証明する、と言うんですから、何を考えているんだろうと思ってしまうんですが、次にその証明の所を見ると、最初に前提となる仮定が列挙してあります。これもまるで順序が逆です。
証明するというのは、最初に『これこれの条件がある時にこれこれが成立する』ということを証明するんであって、『これこれが成立するということを証明するために、そのための条件を列挙する』なんてことはあり得ません。
それを宮崎さん・伊東さんの本は大まじめにそんなことをしているんですが、しかし宮崎さん・伊東さんがこのような論法を取った理由も読んでいるとわかります。ここで列挙している仮定を使っていくつもの数式を立て、その数式を使ってその公準を証明する(というより数式に置き換える)ということをしようとしているようです。
数学や数式があまり得意でない人にとっては、このようにして微分方程式まで出されてしまうと、もうそれだけで何にも言えなくなってしまうんでしょうが、数学や数式に抵抗のない人にとっては言葉で言えばすんなりとわかる話を、わざわざこんな大仰な仮定なり数式なりを動員するというのは、何とも大げさな話だなあと思います。
さらにこの宮崎さん・伊東さんの本も宇沢さんの本も、労働の需要曲線・供給曲線を書くとき、横軸の労働の量を『時間』単位に書いています。ケインズは『一般理論』では労働の量については一貫して『人』を単位にしています。すなわち、何人働くかということであって、延べ何時間働くかではない、ということです。
何人働くか、という見方をすれば失業している人が何人かという話になるのですが、何時間という話になると、たとえば1日7時間労働で失業率が20%だったら、1日5.6(7×0.8)時間労働にすれば失業率はゼロになるじゃないか、などというまたまた非現実的なわけの分からない話になってしまいます(とはいえ、ワークシェアリングといって、そのような政策もあるにはあるのですが)。
そんなこんなで参考書として選んだ宇沢さんの本も宮崎さん・伊東さんの本も、ケインズの一般理論のテキストはそっちのけで、かなり好き勝手なことを書いています。
ケインズの本に何が書いてあるのかの参考書としてこれらの本を選んだのですが、どうやらケインズの本に書いてないことを知るのに役立つ参考書のようです。
でもこれらの本が、『高名な経済学者による標準的な解説書』だということになっているんですから、ケインズの『一般理論』が一般にどのように説明されているかを知るには役に立ちそうです。
『一般理論 第二章』の話、もうちょっと続きます。