『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎

この本が評判になっているというので、読んでみました。
それなりに面白かったのですが何となく違和感があり、その原因をしばらく考えていたのですがすっきりしません。著者によるとこの本は昭和12年に発刊され、版を重ねた後、戦争中は出版することができず、戦後再び出版するようになり、現在多くの版で出版されているのは37年に改訂され、さらに昭和42年に改訂されたもののようです。

もしかするとこの改訂作業が違和感の原因かも知れないと思い、昭和12年の最初の版を借りて読んでみました。昭和12年となるとさすがになかなかなく、公立の図書館では国会図書館・京都府立図書館・鳥取県立図書館にあることが分かり、地元の図書館で頼んだら鳥取県立図書館の蔵書を借りることができました。世の中便利になったものです。

昭和12年というのは、昭和10年の天皇機関説事件、昭和11年の2.26事件、昭和12年の盧溝橋事件、『国体の本義』の発行、という時代です。戦後、太平洋戦争の敗戦を受けた空想的反戦平和主義により軍国主義的、愛国主義的、天皇主義的な内容が大幅に書き換えられたのではないか、と予想したのですが大外れでした。

昭和12年というのは上述のいろいろな出来事にもかかわらず、まだこのような本の出版が可能だったということになります。

書き換えは

  • 昭和12年が昭和30年代あるいは40年代になったことにより、物価が200倍になり、カツレツが10銭から20円、コロッケが1個7銭から2つで15円になった。
  • 主人公コペル君の友人のガッチンのお父さんが「予備の陸軍大佐」だったのが「元陸軍大佐」になった。
  • 主人公コペル君の名前が潤一君から純一君になった。
  • 主人公コペル君の友人の水谷君のお父さんが『実業界で一方の勢力を代表するほどの人で方々の大会社や銀行の取締役・監査役・頭取など主な肩書だけでも10本の指では足りない』ような人から単なる『有名な実業家』になった。
  • 主人公コペル君が友人のガッチンや水谷君をもてなすためにやるラジオの野球の実況中継(の真似)が『早慶戦』だったのが『巨人対南海の日本シリーズ』になった。
  • 主人公達は中学1年生でガッチンや水谷君が上級生に殴られる話で、昭和12年版では旧制の中学で、殴った上級生は中学5年生だとなっているのが、新しい版では上級生としか書いてないので、新制中学の3年生に殴られたようになっている。

ということで、コペル君のお父さんは大きな銀行の重役だった人で2年前に亡くなり、それに伴いコペル君とお母さんは召使いの数を減らし郊外のこじんまりした家に引っ越し、ばあやと女中と4人で暮らしている、という所は変わっていません(女中はお手伝いさんに変わっていますが)。

私の予想した軍国主義的あるいは国家主義的な部分を戦後になって書き直した、あるいは削除したというような形跡は見当たりません。昭和12年版ですでに天皇制については殆ど触れていないし、国体についても何も書いてないし、軍人に対してもあまり遠慮しているような所はありません。戦後の空想的反戦平和主義ではありませんが、世界中の人が仲良くすれば素晴らしい世界ができるという空想的平和主義はしっかり書かれています。昭和12年という時点でまだこのような本を出版することができたんだというのは私にとっては意外でしたが、まだまだ大正から昭和初年にかけての自由主義的な雰囲気が残っていたということでしょうか。

私が感じた違和感というのは、昭和12年の元々の作品の一部だけをむりやり昭和30年代に書き換えたことによるものと、この昭和12年でまだまだ自由主義的な雰囲気が残っていたのに私が勝手に軍国主義的国家主義的な状況が進んでいたに違いない、と思い込んでいたことが原因だったようです。

ということで、なかなか面白い経験ができました。

昭和12年の版を読むのはちょっとメンドクサイかも知れませんが、今手に入る版とほぼ同じ内容のものが昭和12年、日中戦争が始まった後でもまだ書かれ、出版されていたんだという意識で読んでみるのも面白いかも知れません。

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