アルジェリアの人質事件

連日アルジェリアの人質事件について、大量のニュースが流れていますね。
これでちょっと違和感があるのが「戦争」という言葉が全く出てこないことです。

アルジェリアの軍が警備する施設に武装勢力が攻撃をかけ人質を取って立てこもったのに対して、アルジェリアの軍隊が攻撃して制圧したということで、双方使っているのも兵器ですから、これは明らかに軍隊同士の戦争です。
警察と暴力団の撃ち合いとは話が違います。

戦争ということがはっきりすれば、たとえばアルジェリア軍の攻撃の前に事前の連絡がなかったとか、遺族が現場に行こうとしても行かせてもらえない、なんてのも納得できます。
戦争あるいは軍事行動というのは国権の発動の最たるものですから、いろいろ外国の意向を確認してから戦争を開始するなんてこともないでしょうし、テロリスト側が制圧されたとは言ってもその場所は戦場ですから、遺族だからと言って戦場に自由に立ち入らせるわけにはいかないでしょう。

マスコミが「戦争」という言葉を使わないのは、何か規制がかかっているんでしょうか。あるいは日本のマスコミの辞書には「戦争」という言葉がなくなってしまったんでしょうか。

今の時代、このような形でいつどこで戦争に巻き込まれるかわからないわけですから、これを機会にこんな時どうするか考えてみるのも良いかも知れません。

外国で日本人がいきなり戦争に巻き込まれ殺されるかも知れない時に、政府は何をすべきなのか、何をすることができるのか。自衛隊を行かせることができるのかどうか。

憲法9条の戦争放棄の規定は
「戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」
と書いてありますが、人質になった日本人を救出するための武力行使は許されるのでしょうか。

話題の、自民党の憲法改正案の国防軍の規定では「国民の安全を確保するため」という言葉があります。
これを現行の憲法の規定と見比べると、現行の憲法には「(日本)国は国民の安全を確保する(しなければならない)」という文言がないんですね。書くまでもなく当たり前のことだ、ということでしょうか。

自民党の改正案では国民の安全を確保するのは国の責任だ、と認めているようです。
憲法9条改正(改悪)反対論者はこのあたり、どう考えるんでしょうね。自分の安全を国に守ってもらいたくなんかない、ということでしょうか。

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