さて前回書いた資本の限界効率、すなわち投資の利回り見込みですが、ケインズは金利とその見込みを比較して、金利の方が低ければその投資が行なわれ、それより低い金利がなくなるまで投資が増える、といっています。
ケインズの言う「金利」というのは、預金者にとっての金利ではなく、企業にとって投資資金を借りるための金利ということになります。
もちろん金利といっても期間の長短、借り手の信用状況、貸し手の資金状況によって様々ですが、この様々な全体を金利といっています。資本の限界効率、すなわち投資の利回り見込みについても、何に対して投資するか、将来の収益見通しに対する投資家の期待(見込み)によって様々になります。その様々な投資の利回り見込みと様々な金利の全体をぶつけると、金利の方は低い方から、投資の方は利回り見込みが高い方から次々に借入れと投資が組み合わされていき、投資の利回り見込みの最も高いものより一番低い金利の方が大きくなるまでそれが続く、というわけです。
貸し手・借り手がそれぞれ自分勝手に設定する金利・投資利回りが集まって実際の投資が行なわれるというわけですから、非常にダイナミックな具体的なイメージで、経済学の教科書という雰囲気はありません。
またこのような事情ですから、企業家の心理がちょっと変化するだけで投資利回り見込みが変化し、投資の全体量が大きく変化するということになります。
ケインズはこの投資家の利回り見込みについて、短期と長期に分けて議論します。「短期の見込み」というのは、今から製品を作って、それがいつ・いくらで売れるだろうかという見込みです。「長期の見込み」というのは、今から設備投資をして、それを使って将来製品を作って、それがいつ・いくらでどれ位売れるだろうかという見込みです。
この長期について第12章「長期期待の状態」という章をまるまる使っているのですが、これが何とも面白い章です。ケインズ流のウォールストリート型金融市場論ですが、この章だけは他の章とは別に独立して読める内容になっています。今ではウォールストリートだけじゃなく、全世界的に投機主体の投資市場が至る所にあって、そのすべてに当てはまる話です。
有名な美人コンテストの話も出てくるのですが、それ以上に、たとえば株式投資とかその他のあぶなっかしい投資市場についての基本原理が説明されています。ここで述べられていることは今でもそのまま通用する原理になっています。
投資する物や会社の価値をきちんと評価して投資しようとする人が必ず失敗する理由とか、価値をきちんと評価できない人が平気で投資できるのはなぜかとか、
「型を破って成功するより型通りのことを行なって失敗した方が、まだしも評判を失うことが少ない」とか
「我々の積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧き上がる楽観に左右される」とか
「企業活動が将来利得の正確な計算に基くものでないのは南極探検の場合と大差ない」(南極がまだ未知の大陸だった頃の話です)とか
「将来に影響を及ぼす人間の決定は、それが個人的な決定であれ政治的・経済的な決定であれ、厳密な数学的期待値に依拠することはあり得ない」とか
「個人の企業心が本領を発揮するのは合理的な計算が血気によって補完・支援され、その結果開拓者をしばしば襲う、すべてが水泡に帰すのではないかという想念が、ちょうど健康な人が死の想念を振り払うように振り払われる場合だけである」
とか、その他示唆に富む言葉がテンコ盛りです。
証券アナリストの必読テキストにしたい位ですが、そんなことをしたら証券アナリストになろうとする人が激減してしまうかも知れません。
この章(文庫本で27ページ)だけでも読んでみることをお勧めします。