芦部さんの憲法 その4

この「芦部さんの憲法」の2回目に、KENさんが「そもそも憲法は国家権力の暴走から国民を守る唯一の法律ですから・・・」というコメントを入れてくれました。今回はこれについてちょっと書いてみます。

日本国憲法の三本柱は、国民主権・平和主義、そして基本的人権の尊重ということになっています。基本的人権の尊重なんていうと、私なんかには基本的人権というのは大切なものなので、お互いにお互いの人権を大切にして仲良く暮しましょうなんてことかなと思うのですが、法律家の考えているのは、これとはまるで違うようです。

法律家が考えているのは、国家は国民の基本的人権を侵害し兼ねないから、そのような国家から国民の基本的人権を守らなければならないということのようです。

ここで「国家」というのはまずは政府ですが、それだけじゃなく三権分立の国会や裁判所も「国家」になります。また政府の手先である地方公共団体・政府や地方公共団体の手下である国家公務員・地方公務員等も全て国家のうち、ということになります。

この国家による基本的人権の侵害を防ぐことが憲法の役目ということになりますから、国家あるいはその手先・手下以外の者による基本的人権の侵害は、原則として憲法の守備範囲外ということになるようです。すなわち、誰か個人による他の誰か個人の基本的人権の侵害・大会社による個人の基本的人権の侵害・上司による部下の基本的人権の侵害、これらは憲法の対象ではない、ということのようです。

とはいえ、これを放置して国民が誰かに人権侵害されっぱなしというわけには行かないので、その部分については憲法ではなく法律で対応するというのが法律家の考え方のようです。

それでは法律でどう書いてあるかというと、たとえば民法90条(公序良俗)という所に
 「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とする。」
と書いてありますので、要は誰かの基本的人権を侵害することは公序良俗に反するから、してはならないということのようです。基本的人権の尊重が公序良俗でくくられてしまうというのも何だかなあという感じです。

民法がこうなっているんであれば刑法の方はどうなんだろうと思って調べたところ(これは芦部さんの本に書いてなかったので、自分で調べたので、もしかすると法律家の解釈とは違うかも知れません)、刑法ではいくつかの条で「生命・身体・自由・名誉又は財産に害を加える」という表現がありますので、基本的人権の侵害はこの「生命・身体・自由・名誉又は財産に害を加える」行為として刑法の対象としている、ということのようです。もちろん民法にも刑法にも「基本的人権」などという言葉は一度も登場しません。

(余談ですが、コンピュータというのは偉大ですね。この「一度も登場しません」なんていうのを目で確かめようと思ったらとんでもないことですが、民法なり刑法なりのテキストをパソコンで開いて検索をかければ、一発で「一度も使われていない」ことがわかってしまうんですから、こんな楽なことはありません。)

基本的人権の尊重と言いますが、憲法では基本的人権についてはいろいろ書いてあるので何となくわかるのですが、「尊重」というのがどういう意味なのか、イマイチ良くわかりません。

今の憲法の中には、残念ながら「基本的人権の尊重」という言葉は出てこないんです(これも検索のお陰です)。仕方がないから「尊重」という言葉で検索すると、13条と99条で使われています。
99条は
 「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う。」ということですから、要するに、国は基本的人権を侵害してはならないということになりますね。天皇以下ここに列挙されている人達が具体的に「国」の構成員ですから。

もう一つの13条は
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
ということですから、法律を作ったり行政をしたりする所で人権を尊重するということで、やはりお互い同士の人権尊重は書いてなさそうですね。

以前にも書きましたが、最初に憲法の本を読んだのが伊藤真さんの本で、その中で「国は憲法に従わなきゃならないけれど、国民は憲法に従う必要なんかないんだ」というような言葉に出会ってビックリしたんですが、要するに芦部さんの憲法も同じで、憲法に従わなければいけないのは国であって、国民は憲法に従わなくても良いということなんですね。ということは、自分の人権を侵害されるのは許せないけれど他人の人権なんぞ知ったこっちゃない、というのが法律家の考える憲法の考え方のようです。

でも私はやはり「皆で憲法を守って、お互いの人権を尊重して仲良く」という方が良さそうに思うのですが。

芦部さんなんかが考える憲法というのは、国民から国に対する指令書みたいな性格のものなんですが、自民党の憲法改正案は、どちらかといえば国民同士の約束のような性格のものになっています。その中では明確に「国民は基本的人権を尊重する」とか「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書いてあります。

一方的に国だけが責任を負わされる法律家の憲法と、国民全員が責任を負って一緒に国を作っていこうとする自民党の憲法改正案、「憲法」の意味がまるで違います。法律家にとって9条の改正より、96条の改正より、この「憲法」の意味の改正(変更)の方が認めることのできない、許すことのできない暴挙ということなんでしょうね。

今の憲法の前の「大日本帝国憲法」には、第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言がありました。その条文は現行の日本国憲法にはなくなっていますが、法律の専門家は一般人には見えない「憲法は神聖にして侵すべからず」という条文をはっきり見ているようです。

14 Responses to “芦部さんの憲法 その4”

  1. KEN より:

    国民は常に国家によって作られる法律によって縛られる弱い立場にあるわけですから
    その国民を縛る法律を作る上で”憲法”が
    国民の権利や人権を守る歯止めになる重要な法律ではないのですか。

    憲法の中に自民党草案のように【家族や社会全体が助け合い…】と条文を入れてしまうと…
    その時の国家権力が憲法に基づいて
    ”家族や社会の助け合い法”が出来てそれに違反する国民を片っ端から逮捕する事も可能ですからね(^_^;)

  2. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    いつものように興味深いコメントありがとうございます。
    以下、一つ一つ説明します。

    『国民は常に国家によって作られる法律によって縛られる』
    法律によって縛られるのは国民だけでなく、国も同様に法律によって縛られる立場です。

    『弱い立場にある』
    日本は国民主権の国ですから、法律を作る立法府(国会)の議員さんたちは国民の投票で選ばれます。国民の方が強い立場です。

    『”憲法”が国民の権利や人権を守る歯止めになる重要な法律』
    これはどうでもいいことですが、憲法と法律は違います。
    法律の専門家は憲法も法律もあわせて法規と呼んでいるようです。
    憲法と法律の違いは法律の専門家にとっては大事なことのようです。

    『ではないのですか。』
    私は憲法が重要でない、などとは言ってませんよ。
    私の言っているのは、国民の基本的人権を守るのに、国による侵害から守るのも大事だけれど、国以外の人や団体や組織による侵害から守るのも大事ではないか、と言っているだけです。
    法律の専門家は憲法は国による侵害から守るだけの存在でいい、そのような存在でなければならない、と思っているようです。私は、国民の基本的人権を守るのに、国による侵害から守るだけではいけないのではないか、あらゆる基本的人権の侵害も認めないことを憲法に規定すべきではないかと言っているだけです。

    『憲法の中に自民党草案のように【家族や社会全体が助け合い…】と条文を』
    これもある意味どうでもいいことですが、この家族や社会の助け合いは、自民党草案の条文ではなく、前文に書いてあります。法律の専門家にとっては憲法の前文と本文の条文とはその意味や取り扱いかたが違うので、この区別は重要なことのようです。

    『”家族や社会の助け合い法”が出来てそれに違反する国民を片っ端から逮捕する事も可能ですからね』
    私は家族や社会が助け合うのは悪いことだと思いませんが、仮にこれが悪いことだとしても、このような法律を作るのに憲法を変える必要はありませんよ。
    今の憲法に『家族や社会は助け合ってはならない』などという規定はありませんから、”家族や社会の助け合い法”ができたとしても憲法違反にはなりません。

  3. KEN より:

    ちょっとハナシを整理させて下さい(^_^;)
    そもそも”憲法”とは何か?…というテーマですよね。
    私は”憲法”とは国家権力の暴走から国民を守のが最大の目的だと思っていると書きました。

    国民が政治家を選ぶ主権者ですが、主権者として力を示せるのはこの選挙権ともうひとつ
    憲法を改定する時には国民投票によって決定するという二つだけです。
    選挙で国民が政治家を選ぶわけですが、自民党の支持率が国民の半数以下でも
    今夏の選挙のように議席の圧倒的大多数を取ってしまう事も起りうるわけです。
    そうなれば”憲法に違反”しない限りはどんな法律でも一方的に作ろうと思えば作れるわけですよね。
    そのようにして成立した法律には
    国民はもとより坂本さんが言われる”それ以外の団体も組織も”拘束されるのです。
    但し、その政権がどんな独裁政権であっても”憲法”に違反するような”法律”は作れないし…
    その憲法を改定しようと思っても国民の過半数の賛成が無ければ実行できないわけですよね。

    >私の言っているのは、国民の基本的人権を守るのに、国による侵害から守るのも大事だけれど、
    >国以外の人や団体や組織による侵害から守るのも大事ではないか、と言っているだけです。

    ”国以外の人や団体や組織による侵害”とは具体的にどのような侵害でしょうか?
    それを”憲法”でどう守ればいいのでしょうか(^_^;)

  4. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    またもや面白いコメントありがとうございます。
    ひとつひとつ、説明します。

    『国民が政治家を選ぶ主権者ですが、主権者として力を示せるのはこの選挙権ともうひとつ憲法を改定する時には国民投票によって決定するという二つだけです。』
    もう少しあります。
    「最高裁判所裁判官の国民審査」とか、地方自治体の首長や議員の選挙とか。

    『”憲法に違反”しない限りはどんな法律でも一方的に作ろうと思えば作れる』
    憲法に違反している法律だって作れますよ。

    『その政権がどんな独裁政権であっても”憲法”に違反するような”法律”は作れないし…』
    独裁政権でなくても憲法に違反するような法律は作れますよ。
    憲法が言っているのは、憲法に違反する法律は無効だ、というだけですから。
    そして、ある法律が憲法に違反するかどうか判断するのは、日本では、その法律が施行され、その法律によって損害を被った人が裁判を起こして、その裁判で初めてその法律が憲法に違反するかどうか判断される、ということになっているようです。

    『その憲法を改定しようと思っても国民の過半数の賛成が無ければ実行できないわけですよね。』
    憲法の文言を改定するには、今の憲法では国民の過半数(正確には国民投票の投票数か有効投票数の過半数)の賛成が必要だ、ということになっています。
    しかし、文言を改定しないで意味を変える(解釈を変更する)のであれば、国民の過半数の賛成は必要ではありません。国民投票も必要ありません。

    『”国以外の人や団体や組織による侵害”とは具体的にどのような侵害でしょうか?』
    たとえば私がKENさんをうそつきだ、と言いふらしたら人権侵害です。
    あるいは、私がKENさんの新らしい車を盗んだら人権侵害です。

    『それを”憲法”でどう守ればいいのでしょうか』
    憲法に、『基本的な人権は侵害してはならない。』と書けばいいんです。

  5. KEN より:

    坂本さん、
    またもや面白い回答ありがとうございます。
    私もひとつひとつコメントを入れさせて頂きます(^_^;)

    >もう少しあります。
    >「最高裁判所裁判官の国民審査」とか、地方自治体の首長や議員の選挙とか。
    ●そうですね、最高裁・裁判官の国民審査はこれまで何の為にあるのか意識した事もありませんが
      ”憲法”を考えた場合はとても重要な国民の権利になるでしょうね。
      地方自治体の首長や議員の選挙…これは国民の”選挙権”に入らなないのですか(^_^;)

    >憲法に違反している法律だって作れますよ。
    >独裁政権でなくても憲法に違反するような法律は作れますよ。
    >憲法が言っているのは、憲法に違反する法律は無効だ、というだけですから。
    >そして、ある法律が憲法に違反するかどうか判断するのは、日本では、その法律が施行され、
    >その法律によって損害を被った人が裁判を起こして、
    >その裁判で初めてその法律が憲法に違反するかどうか判断される、ということになっているようです。
    ●法律に違反している商品はいくらでも製造し販売もできる(しかし法律には縛らる)と同じように
     憲法に違反している法律はいくらでも作れる(しかし憲法には縛らる)という理屈ですね(^_^;)
     このような法律が国民に無理やり押し付けれたら国民は司法に訴え、
     司法がそれが聞き入れられない時には 国民が裁判官を罷免する事が出来るわけですよね。
     ようするに”憲法”に違反し国民に不利益を与える法律は作れない…という事ではないのでしょうか。(^_^;)

    >憲法の文言を改定するには、今の憲法では国民の過半数(正確には国民投票の投票数か有効投票数の過半数)
    >の賛成が必要だ、ということになっています。
    >しかし、文言を改定しないで意味を変える(解釈を変更する)のであれば、
    >国民の過半数の賛成は必要ではありません。国民投票も必要ありません。
    ●麻生さんが言っていた「ワイマール憲法がナチス憲法に変ってしまた、その手を使えばいい」
     …てやつでしょうか!こわ~い事を考えますね(^_^;)

    >たとえば私がKENさんをうそつきだ、と言いふらしたら人権侵害です。
    >あるいは、私がKENさんの新らしい車を盗んだら人権侵害です。
    ●もちろんそれは人権侵害ですけれど、それが憲法とどういう関係にあるのか伺っているのです。

    >憲法に、『基本的な人権は侵害してはならない。』と書けばいいんです。
    ●憲法にそう書く事によって人権侵害を犯した坂本さは、どのようになるのでしょうか?(^_^;)

  6. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    またもや一つ一つ解説します。

    『地方自治体の首長や議員の選挙…これは国民の”選挙権”に入らなないのですか(^_^;)』
    これは、KENさんが、『国民が政治家を選ぶ主権者ですが・・・この選挙権と』と書いたので、政治家を選ぶ選挙権だけじゃないよ、というくらいの意味です。
    とか、と言っているのは、市長をやめさせる投票などもありますから。やめさせるのは選挙とは言わないでしょう。

    『ようするに”憲法”に違反し国民に不利益を与える法律は作れない…という事ではないのでしょうか。』
    作れる、作れない、という言葉の定義の問題のようですね。
    もし”憲法”に違反する法律を作ることができない、ということであれば、最高裁である法律が違憲かどうか、という争いは起こり得ないのではないですか?
    また、ある法律について、ある人が憲法に違反している、と言い、別の人は憲法に違反していない、といった場合、この法律は憲法に違反しているんですか、いないんですか?

    『●麻生さんが言っていた「ワイマール憲法がナチス憲法に変ってしまた、その手を使えばいい」 …てやつでしょうか!こわ~い事を考えますね(^_^;)』
    残念ながら、今主力の憲法の学説では、日本国憲法はこのようにして作られた、ということになっています。
    それは『八月革命説』という考え方で、昭和20年の8月に日本で革命が起きていたんだ、ということのようです。
    これについては次回の『芦部さんの憲法』で書く予定ですが、憲法の専門家は憲法などどのようにでも解釈できる、と考えているようですね。ただし、憲法の専門家以外が解釈を変更しようとすると、そんなことは認めない、ということになるようですが。

    『もちろんそれは人権侵害ですけれど、それが憲法とどういう関係にあるのか伺っているのです。』
    これはKENさんが
    『”国以外の人や団体や組織による侵害”とは具体的にどのような侵害でしょうか?』
    と言っているので、私によるKENさんの人権侵害の具体例を示しただけです。

    『憲法にそう書く事によって人権侵害を犯した坂本さは、どのようになるのでしょうか?(^_^;)』
    憲法に違反した、ということになるんでしょうね。
    憲法にそう書くことによって、それに対応した法律ができるはずなので、その法律に反して、犯罪者になる、ということでしょうね。

  7. KEN より:

    坂本さん、

    私は”憲法”とは何か?…という本質的な事を伺っているのですが
    どうも、いつものように言葉の定義とか、私にとってはどうでも良い事の方に
    もっていかれちゃうようですね(^_^;)

    これ以上、質問の繰り返しをしても同じような繰り返しになりそうなので
    ここで一番下に掲載されたテーマについてだけ、もう一度質問させて頂きます。

    どうやら坂本さんは憲法で規定する”基本的人権の侵害”は
    国家権力から国民を守ものとして現在は規定しているようだが…
    国家だけでなく、個人や企業や団体や…すべての”基本的人権”の侵害を規定するものが望ましい。
    と書かれているように私には受け取れます。
    もしそうであるのなら、「そもそも”憲法”は何の目的で存在しているのか?」
    この事だけでも、明確にお応え頂ければと幸いです。(^_^;)

  8. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    『私は”憲法”とは何か?…という本質的な事を伺っているのですが』
    それならそれをちゃんと言ってくれなければ私にはわかりませんよ。
    いろいろな質問から、その奥にある本質的な質問を探り出してそれに答えろ、と言われても、私にはそんな高度な能力はないので、個々の質問に答えることしかできません。本質的な質問があるならそれをストレートに質問してください。

    『言葉の定義とか、私にとってはどうでも良い事の方に』
    私にとってはどうでもいいことではありません。
    言葉の定義をきちんとしない議論は単なる無駄話だと私は思っていますから。

    『どうやら坂本さんは憲法で規定する”基本的人権の侵害”は
    国家権力から国民を守ものとして現在は規定しているようだが…
    国家だけでなく、個人や企業や団体や…すべての”基本的人権”の侵害を規定するものが望ましい。
    と書かれているように私には受け取れます。』
    まさにその通りです。

    『そもそも”憲法”は何の目的で存在しているのか?』
    私は、憲法というのは国の形やありようについて全体的な姿を描いたもので、国の組織とか法律とかを作る元となるものなのかな、と考えていました。
    ところが法律の専門家はまるで別の考えでいることを知ってびっくりしました。
    それで、芦部さんの憲法を一つの例として法律の専門家が何を考えているのか知ろうと思って書いているのがこの『芦部さんの憲法』というシリーズです。
    憲法の本には『憲法とは何か』なんてことが山ほど書いてありますが、憲法には『憲法とは何か』なんてことは書いてありません。
    もちろん憲法学者の『憲法とは何か』をそのまま受け入れるなんてことは私にはできませんから、それで、憲法とはどんなものだったら便利かな、と考えながら『芦部さんの憲法』を読んでいるところです。
    それで、『基本的人権が大事だ』と言いながら、国家権力による人権侵害のことばっかり気にしている憲法より、国家権力以外の人や団体や組織による人権侵害についてもちゃんと配慮している憲法の方が、『基本的人権が大事だ』という考え方に沿ったものなんじゃないかな、と思っています。

    これで質問の答えになっているでしょうか?
    また見当外れの答えになっていなければいいのですが。

  9. KEN より:

    坂本さん、

    >言葉の定義をきちんとしない議論は単なる無駄話だと私は思っていますから。

    …であるのなら、なおさら”憲法”の定義をしっかり踏まえてやる事が重要ではないのですか?
    憲法に限らずあらゆる法規にも、主語と述語と目的語があるはずです。
    すなわち誰(何処)が誰(何処)に何に対して規制をするのかという事です。
    何度も書きますが…憲法は国民が国家権力を規制する法規であると私は認識しています。
    坂本さんはそこに国家権力を規制するだけでなく国民や団体などの規制も…と
    考えられているようですが、それでは”憲法”とは違うものになってしまうと私は思うわけです。

    これまでの”憲法”を廃止して、まったく新しい”憲法”に変わる法規を作るというなら
    それはそれでハナシとしては理解できますが、
    坂本さんや自民党が云うように、そこに国家だけでなく国民に対しても対象にした方が
    「みんなで憲法を大切に仲良くというふうに…」となると私のアタマでは理解できません。(^_^;)

    坂本さんがどう思われてもコワイとは思いませんが、
    安部さんや自民党政権がそう思う事はとてもコワイと思っています、
    なぜならば基本的人権を犠牲にしても”経済”が最重要である事は今や歴然としてきましたし
    その方向を貫徹するためには”民主主義の根幹である憲法”をネジ曲げる事が
    必要と思っているのではないかと思えてくるからです(^_^;)

    これに対する坂本さんのコメントは頂かなくても結構です。
    ブログの続きを楽しみに拝見させて頂きます。(^_^;)

  10. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    私は憲法の定義を考えて憲法の勉強をしているんです。
    KENさんの『憲法は国民が国家権力を規制する法規である』というのは定義ではなく、意見です。

    KENさんの『民主主義の根幹である憲法』ですが、前にも書いたと思いますが、芦部さんなどの立憲主義の憲法は基本的に反民主主義です。基本的人権を守るために民主主義を否定しています。

  11. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    婚外子差別は違憲だ、という最高裁の判決(正式には決定というようです)が出ましたね。
    これで民法が憲法違反の法律になったわけです。

    厳密に言うと今回の判決は婚外子の相続分の規定だけの話ですが、これを受けて嫡出子と婚外子を別に扱っている様々な規定が見直されることになりそうです。

    民法の規定を受けて婚外子差別に関連する規定を持つ他の法律も、憲法違反の法律になるかも知れないということになったわけです。
    これを受けてそれらの法律を改正するとなっても、まず改正が必要と思われる法律を全て洗い出し、どのように改正するかを一つ一つ決めていかなければなりませんから、改正案を作るだけでもかなりの作業になります。その改正案が国会にかけられ、成立して施行されるまでは、憲法違反となった法律もそのまま憲法違反の状態で、法律であり続けます。

    今回の判決は、世の中の変化によってこれまでは合憲だったものが変化し、今は違憲だと言っています。いつから違憲だったのかについては、『遅くとも平成13年7月には違憲だった』というだけで、それ以前については違憲だったとか合憲だったとかは言っていません。
    あえて違憲の法律を作ろうとしなくても、合憲の法律がいつのまにか違憲になってしまうことがあるということです。

    KENさんにとっては『憲法とは何か』という大きな問題からすればこんなことはどーでもいいことなのかも知れませんが、これまで書いた私のコメントの補足として、コメントを追加しておきます。

  12. KEN より:

    坂本さん、

    >KENさんにとっては『憲法とは何か』という大きな問題からすればこんなことはどーでもいいことなのかも知れませんが、
    >これまで書いた私のコメントの補足として、コメントを追加しておきます。

    どうも、ひねくれたコメントですね(^_^;)
    国民が合意していた法律でも時代の経過で、国民の受け取り方や価値観や社会情勢などで
    変っていくのは当然の事で、国民からの訴訟が続いていく中で
    憲法が定める「法の下で平等」に対して
    民法が定める「婚外子は両親のいる子供の半分しか遺産を貰えない」…は憲法違反にあたる!
    という判決を出した事は
    多くの国民に『憲法とは何か』という事を考える良い題材だと思っています。

    このような長く多くの国民が合意する中で続いた法律が違憲として改定されるには
    多くの時間が掛るのは当然です。
    しかし国民の多くが最初から受け入れられないと思う法律を時の国家権力によって国民に押し付けられた時には
    それほどの時間を要さず”違憲”との裁判判決で無効に出来る事が、とても重要な事ではないのでしょうか。

  13. 坂本嘉輝 より:

    KENさん、

    とうとうヒネクレ者になっちゃいましたね。
    でも、『憲法とは何か』以外の話も読んでもらえるようなので、もう少しコメントを続けます。

    KENさんの
    『国民の多くが最初から受け入れられないと思う法律を時の国家権力によって国民に押し付けられた時には』
    ですが、国民の多くが嫌がるからと言って憲法違反とは限りませんよ。
    国民の多くが嫌がる法律は憲法違反だ、とするためには憲法改正が必要になります。

    また、国家権力というのも、今の日本は国民主権ですから、国家権力というのはまず第一義的には国民のことです。

    裁判で、『違憲』という判決を得るのもなかなか簡単なことではありません。これについてはいずれ『芦部さんの憲法』の中で説明します。

    また、今回の婚外子の差別は民法が憲法違反だ、という判決も、判決自体が憲法違反です。これについても別途コメントします。

  14. KEN より:

    坂本さん、

    なるほど国家権力は国民だから、
    憲法は国民を規制するものである、という事ですか?
    おもしろい事になってきましたね(^_^;)

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