大分寄り道をしてしまいましたが、「芦部さんの憲法」、立憲主義が終わったところでいよいよ具体的に日本の憲法、日本国憲法の話になります。その前に日本国憲法の前の明治憲法(大日本帝国憲法)の話から始まります。
明治憲法は立憲君主制の憲法ですが、フランス革命、アメリカの独立戦争のあとで、人権思想もちゃんと取り入れてあります。芦部さんはこの憲法を立憲主義の憲法だと言っています。
立憲主義の憲法というのは、前にも書いたように、
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憲法というのは基本的人権をもとに作られたもので大事なものだから簡単に変更できるようなものであってはならない。特に基本的人権に関する部分は 絶対に変えてはならない。そのためには多数決原理に基く民主主義であっても否定しなければならない。これが「立憲主義」という考え方だ。 そして「立憲主義」に基かない憲法は、たとえ憲法という名前がついていてもそれは憲法ではない。
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ということですが、明治憲法がこの立憲主義の定義で立憲主義の憲法だと言えるのかなあ、と思います。
もちろん明治憲法には基本的人権などという言葉はないし、天皇主権だし、基本的人権を中心にした憲法というより天皇を中心とした憲法だという気がします。ただし硬性憲法、すなわち変更しにくいという点では、天皇が変えようとしなければ変えられないということで、硬性憲法といえるのかも知れません。天皇が変更を国会に付議した場合、衆議院と貴族院の両方で2/3以上の賛成がなければならないという点は、今の憲法と同様ですが、その後の国民投票の手続きはありません。
明治憲法を持ってきたのは、今の憲法が明治憲法の改正の手続きによって作られたあたりを議論する必要があるからです。
今の日本国憲法は、日本がポツダム宣言を受諾して戦争に負けたことを受け、GHQから憲法改正を求められたことにより、国民主権・平和主義・基本的人権尊重の新しい憲法案が作られ、それが明治憲法の憲法改正手続きに従って天皇の名前で衆議院・貴族院に付議され、どちらでも圧倒的多数によって可決され成立した、ということです。
とはいえ、今の憲法は前文で「この憲法は国民が作った」と言っています。すなわち国民が作った憲法を天皇が議会にかけ、成立させたということです。また明治憲法は立憲君主制の天皇主権の憲法ですが、日本国憲法は国民主権の憲法です。
私にとっては特にどうということのない「そういうことだ」というだけのことですが、このあたりが憲法の専門家にとっては大問題のようです。
まず日本国憲法が欽定憲法なのか民定憲法なのか、という議論です。天皇が作ったなら欽定憲法、国民が作ったなら民定憲法。では、国民が作ったものを天皇が議会にかけたのはどっちになるのか?ということです。
次に立憲君主制の明治憲法が自らを否定する国民主権の憲法を作ることができるのか、という問題になります。明治憲法の頭の方には「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。」とか「天皇は神聖にして侵すべからず」などという言葉が並んでいます。これをまるっきり削除して明治憲法そのものを全否定するような改正を、この憲法の改正手続きで行なって良いのか、ということです。
私はそれでも別にいいじゃん、と思うのですが、多くの憲法学者は「それは立憲君主制憲法の自殺のようなものだからそれはできない」という理屈を立てます。そこで無理矢理「八月革命説」というのをデッチ上げます。すなわち日本はポツダム宣言の受諾によって昭和20年8月に革命が起きて、立憲君主制の国から国民主権の国になったんだというものです。その結果明治憲法はその改正の手続きをしたわけでもなく、文言も一字一句変わっていないけれど、その革命によって国民主権の憲法に変更されており、国民主権に反する規定は無効になったんだ、という主張です。
で、この八月革命によって国民主権になった明治憲法により、その改正手続きを踏まえて改正されたのが今の日本国憲法だから、これは民定憲法だということになるという理屈です(この八月革命説のバリエーションとして六月革命という説もあって、これによると昭和20年8月の敗戦時には革命があったわけではないけれど、憲法の改正案が国会に付議されて審議が始まった昭和21年6月に、その国会での審議の過程で革命があった、ということです)。
立憲君主制の明治憲法は八月革命で殺されてしまい、その代わりに文言はそのままだけど国民主権に変身した明治憲法が生まれ、その国民主権の明治憲法の改正手続きによって今の日本国憲法ができた、ということです。
何ともメンドクサイ理屈ですが、憲法学者にしてみれば革命でもない限り憲法は変えられない(変えてはならない)と思っているようで、立憲君主制の憲法を国民主権の憲法に改正するための手続きを明治憲法の規定に従って行ったことを正当化するためにはこのような屁理屈が必要なようです。ご苦労様な話です。
いずれにしても無事、日本国憲法ができました。ようやくこれ以降、その具体的な内容の話になります。