先日高校時代からの友人に誘われて、越後湯沢の、川端康成が「雪国」を書いた宿に泊まってきました。
900年続く宿で、今のおかみさんは53代目ということでへぇ~と思ったのですが、集まったのは高校時代からの友人4人(私を含めて)と奥さん2人。翌日は新潟在の友人の案内で「味噌舐めたかの関興寺」「北越雪譜の牧之記念館」「土踏んだかの雲洞庵」を見物しました。
「味噌舐めたか」は臨済宗のお寺、「土踏んだか」は曹洞宗のお寺で、どちらも見事なものでしたが、鈴木牧之記念館も非常に面白く、そういえば「北越雪譜」はまだちゃんと読んでなかったなと思い、早速図書館で借りてきました。
「北越雪譜」というのは江戸時代の鈴木牧之(スズキボクシ)という人の書いた随筆集のようなもので、雪の結晶の絵が描いてあるので有名です。で、私はてっきりその雪の結晶の絵は牧之が自分で見て描いたものだと思い込んでいたんですが、何とそうではなく他の人の本からその一部を書き写したものだと書いてあり、唖然としてしまいました。
北越雪譜というのはその名の通り牧之の住む越後の国、魚沼郡塩沢のあたりの雪の季節のあれこれを書いた本で、非常に面白い本でした。
越後縮みの話や熊を獲る話、雪崩・吹雪の話・鮭の話等盛りだくさんで、たとえば鹿を獲る時、大雪の中では鹿より人の方が歩くのが早いので追いかけて行けば簡単に捕まえられるとか、羽根つきは子供の遊びではなく、大の大人が雪かき用のシャベルのようなもので力一杯打ち上げ合う遊びだとか、雪の中で時として雪のために洪水が起きて逃げ場がなくて大変だとかいろんな話があるんですが、中に狐を獲る話があり、これが落語に出てくる鴨を獲る話に良く似ているのでちょっと紹介しましょう。
落語の話というのは、寒い国では鴨は田んぼで刈り取って捕まえることができるという話で、餌をあさるために鴨が田んぼに降りている時寒風が吹くと田の水が凍りついてしまい、その氷で鴨の足は動かせなくなってしまうので、そこで稲刈りの鎌で鴨の足を刈っていけば簡単に鴨が何羽でも手に入る、という話です。
「北越雪譜」に出ている狐を捕まえる話は、こんな具合です。
雪が深く積もっている時、杵で(といっても普通良く見る金槌の大きいような棒の柄の付いているものでなく、多分まん中がちょっと細くなっている長い棒のタイプだろうと思いますが)雪の中に適当な大きさ・深さの穴を開けておきます。その近くに狐の好きな油粕を撒いておき、ついでにその穴の中にも撒いておきます。夜になってそこへやって来た狐は雪の上の油粕を食べ、調子に乗って穴の中に入っている油粕も食べようとして穴にもぐり込みます。穴は冬の寒さで凍っているので、ちょっとやそっとでは崩れません。穴はそれ程大きくないので、頭から突っ込んだ狐は身動きができなくなります。夜が明けてから見に来た人は、穴の上から狐の尻尾が動いているので、狐がかかっているのがわかります。そこで水を汲んできて穴の中に入れると、雪が凍っているのでそうすぐには水がもれてはしまいません。狐が溺れて死ぬ最後におならをするので、それをかぶらないように少し離れた所で見ていて、尻尾が動かなくなったら狐は溺れ死んだということなので、あとは大根を抜くように尻尾を持って引っ張れば簡単に狐が手に入るという按配です。
本当かな、という気もしますが、牧之は真面目な話としてこれを書いているようなので本当のことかも知れません。あまり詮索しない方が楽しそうな話です。
これ以外にも雪国ならではの楽しみ・苦労が淡々と書かれています。
江戸時代の漢文調の文語体の文章ですが、それほど難しくもないので、原文でも充分楽しめます。
出版に至るまでの経緯には、十返舎一九だとか山東京伝とかそうそうたる名前が出てくるのも興味深いです。
雪国の宿への小旅行の思いがけないお土産でした。
狐を捕るの内容要約で参考にさせていただきました。ありがとうございました。